第34話 姉様と僕の初対面について聞かされる

 僕の話を最後まで聞いた冴さんは、とても不思議な表情をしていた。


 それは僕の勘違いでないのなら、僕に対して初めて親近感を抱いたかのような表情で、いまいちその理由がつかめない僕は冴さんに尋ねる。


 「……私、姉様のトラウマをえぐってしまったのですか? 理由がよく分からないんですけど」


 「ハジメ様……いえ、初様はトラウマをえぐったのではありません。これまで誰も結様に言えずにいた言葉を伝えてくださったのです」


 「それが普通の女の子、ということですか?」


 冴さんはうなずき、言葉を続ける。


 「初様にお尋ねします。結様は千条院の次期当主であり、史上最高の才能の持ち主でもあります。そんな結様を我々は普通の女の子と呼ぶべきでしょうか?」


 「……そうですね、その点については確かに普通の女の子では……」


 「その通りです、そして私を含めた千条院にかかわる人間の誰もが、結様をその二つの側面で捉えることしか許されていないのです。結様を必ずや次期当主の座へと導き、その才能を遺憾なく発揮していただくことが、我々千条院に仕える者たちの使命なのです」


 「……なるほど」


 つまりはこういう事なのだ。


 千条院の家に圧倒的な才能を持って生を受けた姉様は、その時点で誰からも特別扱いされざるを得ず、また普通の女の子としてふるまうことを決して許さない環境の中で育ってきたのだ。


 だからこそ、普通の女の子、なんていう言葉を無責任に姉様に掛けることのできる人間など一人もいなかった。姉様の生まれ育ちや千条院の後継者の重みに対してどこか第三者の目で見てしまう元一般人の弟にして妹である僕を除いては。


 「私が結様を普通の女の子だと感じていないわけではありません。けれどもそれは決して私の口からは、いえ誰の口からも伝えてはならなかったのです。結様が進むべき道を踏み外さないために。その上、私たちが何も言わずとも、その才能を目の当たりにした人はだれも結様を普通の人間だとはみなさない。だから結様は自分が普通の女の子であることに気づけないのです」


 姉様が普通の人間だとみなされないということは、生徒会の先輩方が秘めた信仰心を鑑みれば納得できない話ではなかった。


 ……ということは、僕は不用意に千条院に関わる人間たち全てが自らに課してきた掟を破ったのでは? 姉様をそそのかした報復代わりの、地獄の再改造が僕を待っているのでは?


 体の芯が凍り付いてしまうような予想に慄く僕に冴さんが続ける。


 「ですが、初様の言葉が結様に生まれて初めて、自分が普通の女の子であることに気づかせた、そこまでいかなくとも、そうである可能性があると伝えたのです。それは本来私たちが結様のために真っ先にして差し上げるべき、しかしその生まれ故に誰一人として結様にして差し上げられなかったことです」


 冴さんはいつもの無表情を保っている、正確にはきっと、保とうとしている。

 僕を見つめる深い濃緑色の瞳の奥に、期待の光が灯っている。


 「……私は普通になれない。私には普通が分からない。そんな私にしか守ることのできない普通がある。そう気づいたとき、私は普通でない自分に初めて意味を見出した」


 僕は冴さんが突然発した要領を得ない言葉の意味を上手く理解できないでいた。


 「……結様はハジメ様と初めて顔を合わせて善意の送迎をした後、私にそのようなことをおっしゃいました。千条院の後継者以外に自分を形容する言葉を持たなかった結様に自分が存在する意味を見出させたのはハジメ様です。眺める対象ではなく、実際に接した人間としてのハジメ様は、結様を変えるきっかけを与えた存在なのです」


 姉様と初めて出会った時のことを僕は思い出している。

 僕の記憶が正しければ、僕は死のうとしていたところを止められて、ハンバーガーとコーラで餌付けされて、不機嫌そうに言葉を交わして、最終的にハイ〇ースされただけだ。


 特別な出来事ではある。けれどそれは僕に何らかの感銘を与えるような出来事ではなかった。姉様はそんなことを考えていたのか、と思うけれど、僕にはいまいちピンとこない話だった。


 「結様をより良い形に変えることは初様にしかできない、結様の言葉を借りるのなら、結様をうまく改造できるのはきっと初様をおいて他にいません。そんな初様もまた確かに我々が仕えるに足ると信じられるお方だと私は思います。せっかくの機会ですので、心に留めていただければ幸いです」


 ……すごくまっすぐに僕のことを認めてくれている。冴さんの中で僕の株が急上昇しているのを感じる。僕は普通の女の子と言っただけなのに、それ位ならいくらでも言うのに、そう思った。


 「……少し長話をしすぎてしまいました、私は結様を慰めに参ります。今の話、結様には口外しないようお願いいたします。それでは、失礼いたします」


 事務的にそう言うと冴さんは一礼して再び部屋の外へと駆け出していく。冴さんは姉様を泣かした僕を最後までクズだと形容しなかった。


 僕が珍しく神妙な顔をしながら、姉様を改造する、という今一つ現実味のない物思いにふけっていると、保母さんに付き添われて昼寝中の保育室からトイレに向かう園児のような姉様が冴さんを背にして現れた。


 「……うい……話があるわ……」


 「姉様……何ですか?」


 「その漫画全部貸して」


 僕は姉様に叩きつけるように漫画を押し付けて部屋から追い出し、そのまま眠ることにした。

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