第29話 デレた友人に攻略された結果アヤ×ウイが危うい
とはいえ、姉様の指示である。
僕は文化研究部のことをまだ見捨てられずにいた。
一夜明けた始業前の教室。僕はどうやって部員をあと三人確保するべきか思案していたけれど、期限は翌日に迫っていた。
「どうしたんですか千条院さん? 何だか元気なさそうですけど……」
と僕を気遣う言葉をかけてくれたのはポチだった。見えない犬耳が不安そうに伏せられている。
「あ、もしかして、せ……」
「その先は言わなくて大丈夫ですよポチさん。心配してくれてありがとうございます。ちなみに違いますからね」
言葉の先を制して答える僕は今、ポチを「デリカシーのないくそ野郎」というレッテルが貼られる未来から救ったのかも知れなかった。
「そうですかぁ。また先輩から何かされてるのかなって心配しました」
「ありがとうございます。私も早く元気を出さなけばなりませんね」
誤解に基づいてポチをくそ野郎扱いした事実をおくびにも表に出さず、僕は力なく微笑む。ポチは気の利くやさしいヤツなのだ。
「でも元気がないってことは、何か悩み事ですか?」
「ええ……実は今、とある部活の部員集めを手伝っておりまして、あと三人必要なんです。でもこの時期に上級生二人しかいない部活に入りたいという方はなかなか見つけられなくて、どうしようかと」
「うーん、それは大変ですね……」
ポチが心底からの同情心を込めて呟く。こんな飼い主思いの犬がいたら絶対大事にするのになぁ、毎日散歩するのに、と失礼なことを考えながら僕はポチに質問する。
「ところでポチさんは何か部活に参加しているのですか?」
「体育会系でも文化系でもいいから何かに入りたいとは思っていて、声をかけてくれる人もいるんですけど……」
「けど?」
「みんな是非マネージャーになって欲しいっていうんです。何ていうか、それは僕が考えているのと違ってて」
彼に声をかける人の気持ちはきっと、ポチを除く全員が理解しているんだろうなと思った。彼に自覚を促すかどうか一瞬考えたものの、すぐに別の事実に気づく。
「……ということは、今ポチさんは無所属という事ですか?」
「そうですけど?」
格好の獲物を見つけた、と僕が内心でほくそ笑んだタイミングで教室のドアが開く。
文だった。
何でもデートの後でやや面倒くさい風邪を引いたらしく、アウトレットモールでのデート以来の対面である。
文は僕を見つけると嬉しそうに近づいて来たけれど少し照れ臭いのだろう、頬を掻きながら僕に言った。
「……おはよー、ういっち」
「おはよう、文。体調はもう大丈夫?」
「うん、もうばっちり!」
ありふれた朝の挨拶を通じて文との距離感に問題がないことを確認する僕たちからいくばくかの空間を隔てて、奇妙などよめきが教室内に巻き起こる。ポチも羨望の眼差しで文と僕を見ている。
「千条院さんのタメ口だ……」
「……いやよく見ろ。そっちだけじゃない、夏目さんもデレてやがる」
「……皆分かった? これこそ、てぇてぇ、というものなの……」
大げさすぎる嘆息がきっと聞こえているのだろう、陽キャとしての振る舞いが板についていたはずの文が顔を赤くしながら、わたわたと慌てている。
「きっとすぐに落ち着くから。文も堂々としてればいいんじゃない?」
「うん……っていうか、ういっちは流石にメンタルつよつよだね」
「ええ、まあ……姉様の妹ですし……」
反面教師としての姉様の姿を知る僕の皮肉めいた呟きの意味を文は正確にくみ取ることはできないはずだった。それでも文は、
「なるほどー」
と得心を得た様子で深くうなずく。
「ところで、ういっちとポチ君は何の話してたの?」
文にこれまでの一連の会話について説明すると、さらりと言った。
「私入部しよっか? 今帰宅部だし」
「えっ、本当?」
驚く僕を見た文はにやりと笑う。なんか楽しそうだ。
「うん。これで万事解決だね」
「解決? いえ、文を計算に入れてもあと二人……」
「だから、私と、ういっちと、ポチ君。ほら三人揃った」
「「私(僕)も?」」
「あれ、違うの?」
違うのだ、いや、ポチはいい。
ポチが断わらず、その上で部長の眼鏡とやらにかないさえすれば。
けれど僕は違う。
誰が好き好んで失恋相手のいる部活で正体を隠しつつ顔を突き合わせるというマゾな真似をするというのか。そんな趣味を持つ人間が果たしているんだろうか。いるんだろうけれど、少なくともそれは僕ではない。
「そんなぁ……折角ういっちと同じ部活って思ったのに……」
目に見えてしゅんとする文の姿は同情心を誘う。けれど負けるわけにはいかない。僕はその思いでためらうことなく保身に走った。
「ほら、私には生徒会補佐の仕事があるから……」
「うーん……じゃあポチ君、ちょいちょい」
文は眉をひそめて何かを考えた後、ポチを教室の隅へと招いた。数度のやり取りの後、何かの合意があったのだろう。二人が再び僕の元へ戻ってくる。
嫌な予感がする。
文の目が死んでいない。勝利をあきらめない勇者の眼差しだ、と僕は思う。
「ういっち、ポチ君は文化研究部に入ることを決めたよ」
ポチは胸元で両手をぐっと握り締め、ふんすっ、と鼻から息をする。これまで彼が見せたことのない、強い意志の光がその目に灯っていた。
「いや、でも私には生徒会の手伝いが……」
「その仕事は不定期だから、部活動と並行することはできるよね?」
「それにほら、習い事とかもあるから頻繁には参加できないし……」
「きっと大丈夫だよ。文化研究部なんて具体性のない名前の部がガチってるはずないから、週一参加でも問題ないと私は見た!」
ぐうの音も出ないほど文の読み通りだったのだけれど、その事実を認めると僕の逃げ道はいよいよふさがってしまう。
ほんの僅かにでも僕は内心の動揺を表に出してしまったのだろう。文はここで勝負を決めるとばかりに畳みかけた。
「……それにねういっち、これはやさしさなんだよ」
「優しさ?」
「ここで私たちは多数決による採決を求めることも出来たの、でもしなかった。ういっちにちゃんと納得してほしいから」
「……納得って」
「シンプルに考えて、ういっち。ういっちは私と、私たちと一緒に部活するのはイヤ?」
「……イヤ、じゃ、ないけど……」
「じゃあ一緒に参加しようよ? ね?」
まっすぐに僕を見つめる文と、彼女に倣って怒ったポメラニアンのような視線を向けてくるポチとが、すでに状況は詰んでいるのだと僕に気付かせようとしていた。
僕は考えることをやめた。
どうにでもなれと思ったし、最悪適当なタイミングで退部すればいいのだ。春日初改造計画を乗り越えた僕なのだ。終わりが見えている苦行であればきっと耐えられる。
「……分かった。私も、参加する」
「やたぁっ! ほらポチ君、うぇーい!」
「うぇーい!」
ポチが、ちゃんとフリスビー取って来ましたっ、と主張する子犬のように嬉々とした表情で文とハイタッチした。
「ういっちもほら、うぇーい!」
「……うぇーいェ……」
僕は敗戦の弁を絞り出し、文の差し出した両手の平を力なく叩く。
それからしばらくの間、夏目さんが千条院さんを攻略しちまったとか、夏目ちゃん……いや、夏目様ヤバない? とか、アヤ×ウイとかウソでしょ、マジ危うい! とか、先ほどのそれよりも熱のこもったどよめきを僕は上の空で聞いていた。
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