第18話 無法地帯で先輩方を計算づくで挑発し釣り上げることに成功する
桜花門高校教室棟、屋上へと続く階段の踊り場。
生徒たちの発する賑やかな音も微かにしか届かない、連れ込まれた人間の心を実に効率よく挫くようなシャバとの距離感がそこにはあった。
僕は五階の廊下からは死角となる壁際に、見た感じ追い詰められている。
それを取り囲む先輩方の顔を一人ずつ僕は確認しながら、僕は頭の中に叩き込んだ事前情報と各人の姿を照らし合わせる作業にこの数秒間没頭していた。
それは大切なことだった。姉様が言う通り、ここから先暫くの間は情報を制したものがこの戦いを制することになる。
僕にはこの計画の実行にあたって一つの制約がかけられている。
それは千条院家の令嬢たる僕の身に傷がつくような事態に陥った場合には、実力で脅威を排除する、という事。
簡単に言えば作戦成功よりも自分の身の安全を最優先する必要があるという事である。たとえ暴力に訴えてでも。
うっかりAさんの情報とBさんの情報を僕が取り違えでもしたら、僕がすごく恥ずかしくなり、先輩達が戸惑い、続いて激昂し、僕に暴力を振るおうとして、まとめて病院送りにされるという非道な必殺コンボが成立してしまう。
それは避けたかった。
先輩方のためにも、僕は絶対に間違ってはいけない。
「……変な誤魔化しはしません。先輩方が私をここに連れ込んだ理由は分かっているつもりです」
「つー事はテメエ、昼間ガンくれたのはわざとか!? マジで上等じゃねーか!!」
横山先輩の怒号が間近から叩きつけられる。ウサギさんが浴びたら即死するレベルのド迫力である。
ここで僕がするべきことは二つある。
先輩方、正確には横山先輩ただ一人からの恫喝に動じる素振りを見せないこと。
そして取り巻きの先輩方の敵意が一定以上に、具体的には彼女らが僕への恫喝に加わってくる水準にまで高まるのを待つこと。
言い換えるならば、ここまで僕を取り囲み怖い顔をする以上のことを一切してこなかった横山先輩以外の先輩方が動き出すのを待つ、ということである。
そこから数分間、僕はウサギさんなら百回死んで生まれ変わってまた死ぬような罵倒や怒号の嵐を聞き流した。
僕には声をあげないことと反応を示さないことにかけてはセミプロレベルに達している自信があった。それは僕が耐え抜いてきた地獄の中学二年生の期間に身に着けた、数少ない努力の結晶だったから。
付け加えるなら、横山先輩は囁かれる噂とは裏腹に、決して僕には暴力を振るわないだろうという推測もあった。
校内での暴力はこの桜花門高校において即退学につながる行為であり、それは同時に横山先輩と柱井先輩の離別を決定づけるもの、いわゆるバッドエンド確定フラグなのだ。
そんな訳で概ね僕の予想通りに、横山先輩が僕を攻めあぐね、その様子を取り巻きの先輩方が傍観し、そして僕が反応を完全に殺し続ける、という状態が今まで続いていた。
概ねというのは、本当はどこかのタイミングで取り巻きの先輩方が口を挟んでくれるだろうという僕の期待が外れたということを意味している。けれど、きっとそれはいいことなんだ、と先輩方の関係を勝手に分析した僕は思っていた。
ともあれ、現在の状況は膠着していた。
……このままだと大変マズい、と僕は内心で焦っている。
このままだと横山先輩が飽きて帰ってしまったり、激昂した横山先輩が僕に対する暴力未遂からの確殺反撃フルコースに進んでしまったり、いろいろマズい。
そんなわけで、僕は一つリスクを犯すことにした。
失敗すれば横山先輩はその時点で謝肉祭の生贄となり、柱井先輩に押し付けた改造の芽もそのまま無為に朽ちていく。
だからこそここが賭けに出る場面だと思った。決死の綱渡りの先にしかもう、改造計画成功への道が残されていなかったから。
僕は自制心が決壊し始めた我慢強い少女のふりをして先輩方を睨み返し、取り巻きの先輩方を強行突破で激昂させることにする。それを可能にする切り札が、姉様のレポートを徹底的に読み込み、その行間を推測し続けた自分にはあった。
「……分からないです」
「アァ? 訳わかんねーこと言ってんじゃ……」
「横山先輩、一人でずっと何か喋ってますけど、何がしたいんですか?」
「……は、何お前。いっぺん死ぬか、マジで?」
「というより周りの人は何しにきたんですか? ずっと黙ってますよね? 見物ですか? 横山先輩の子守りですか? はっきり言って邪魔ですね、不要ですよね、横山先輩の側にいる意味ないですよね?」
「……ちょっと待って、今何て言ったの?」
……よかった、釣れた、そう思った。
取り巻きの先輩方はきっと、横山先輩からこう言われていたはずだ。
行動を共にしても、決して横山先輩が行う恐喝や暴行に本格的に加担するな、と。
取り巻きの先輩方のこれまでの振る舞いは、そう仮定づけることでしか合理的に理解できないものだったのだ。事実、口を挟んだ時のいまいち場慣れしていない口調からもそれが窺える。
そんな先輩方は横山先輩と仲が良かったり、慕っていたりする人たちだ。
横山先輩が足を踏み外しても、自分たち自身が恐怖のギャルヤンキー集団という汚名を背負うことになっても、それでも一緒に付き合ってきた人たちだ。
その思い入れを、横山先輩のそばにいる意味を、生意気な新入生が無自覚に無意味だと断じた。
ならばこそきっとこの言葉が誰かの逆鱗に触れ、感情をむき出しにするだろうと僕は期待した。そして最終的に先輩方の一人が遂に口を挟んだのだ。
ここから、横山先輩と柱井先輩の改造計画、その最終段階へとたどり着くための階段を、僕は一気に駆け上がりはじめる。
僕の記憶力で邪魔な障害を排除する、一方的で容赦のない殺戮ショーの幕が上がる。
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