第8話 生徒会補佐へのスカウトと生徒会の妹

 生徒会室は事務教員棟の二階、西階段の脇にある。

 そこへと向かう道すがら、姉様が複雑な表情をしていることに僕は気付く。


 「どうしたのですか姉様? なにか考え事ですか?」


 機微に聡い心優しき令嬢に相応しい穏やかな口調で僕は姉様に尋ねる。


 「考え事というか……そうね、初にはあらかじめ言っておくべきかしら」


 そう呟く姉様の表情に含まれた感情の色に僕は気づいた。これは、躊躇いの色だ。


 「どういう訳か知らないけれど、うちの生徒会メンバーって独特なのよ」


 「独特? どういうことですか?」


 「一言でいえばそうね……三人とも忠誠心がすごいというか、たまにその強さに……泣きたくなるというか……まあ、見れば分かるわ」


 姉様は何をしたんだろう、そんな場所へ向かうなんて姉様は自分で自分の首を絞めているの? ということを僕が考えているうちに生徒会室にたどり着く。


 ドアを開ければそこはごくごく普通の生徒会室だった。長机とPC、書類棚、そして普通の部活よりはいくらか恵まれた備品の数々。

 そこで三人の先輩が作業している。二人は男子、一人は女子。仕事に没頭しているというわけではなく、気軽に会話を交わしている。ただその手の動きには淀みがない。

 すべきことをちゃんと理解している人たちの動きだと僕は思った。


 「……お待たせ。連れてきたわよ」


 姉様がそう言うと、先輩方は一斉に手を止めて僕を見た。控えめに表現して、その視線はガン見である。

 そして僕は続く発言を通じて、姉様の言っていた言葉の意味を知る。


 「会長、このお方が会長の妹様ですか? すごく……イイと思います」


 「おい会長、このサイコーにカワイイちんちくりんの声を聞かせてくれよ。声は大事だ」


 「……会長、こんな……こんな可愛い妹を私に隠してたんですかどうしてですかどういうつもりですか!?」


 下級生に様付けするのがおかしければ、声に並々ならぬこだわりを見せるのもおかしい。その上、仮に僕の存在が知られていなかったとして、それを材料にしてここまで取り乱すのもおかしい。


 「分かったわ。この子が私の妹の初よ。さあ、挨拶なさい」


 それら全てを『分かったわ』の一言で流すあたり、姉様も扱いに慣れてはいるんだろう。そんな感想を抱きつつ、僕は先輩たちに向けて、ふわりと咲いた小さな花のような笑顔を添えて口を開く。


 「はじめまして、ご紹介にあずかりました千条院初と申します。日頃から姉様を支えていただき感謝しております。よろしくお願いしますね、先輩」


 「あ、ちょっと初、それはまずいわ……」


 「会長……会長の妹様がこんなにも可憐で愛らしいなんて、ああ、会長、礼拝ど……げふん、握手会場はどこですか?」


 「……こいつぁいーな、耳が喜ぶ。さすがは会長の妹だ」


 「ねえ会長、私も会長の妹ならこんなに可愛くなれたのかな……」


 「……あぁ……」


 手遅れだった、というニュアンスを帯びた嘆息を漏らして斜め下に視線を落とす姉様と生徒会メンバーの独特な反応を前に僕は確信した。

 この手の濃すぎる好意は姉様にとって毒にも等しい、と。

 よくこの熱量に接しながら、メンタルよわよわの姉様が耐えてこられたものだなぁ、と僕はニコニコと鉄壁の微笑を浮かべながら思う。


 ……いや、違う、と僕は気付いた。


 僕の傍らに立つ姉様は、表情こそ変わらないものの、まるで自分の拳そのものを握りつぶそうとするかのように、その拳をきつく固めている。

 きっと限界が近いのだ。


 「……初には私直属の生徒会補佐として不定期に仕事の手伝いをお願いすることになるわ。生徒会についての不明点は他のメンバーに聞きなさい。私は顧問と少し話をしてくるから後はよろしく頼むわね」


 「「「はっ、お任せください!」」」


 そう涼やかに言い残して姉様は生徒会室を後にする。

 堂に入った敬礼でその姿を見送る先輩方には見えなかったのだろう、去り際に僕が垣間見た姉様は恐怖におののいていた。


 お疲れさまでした、と思った。


 なるほど、姉様はこうやってギリギリのところでうまく逃げていたのか、確かに囮がいたら助かるんだろうな、と自分に課せられた役割の必要性に気づき始める僕は、果たして生徒会室に一人残される。


 そんな僕を先輩方が取り囲むと、生徒会の活動について簡潔に、けれど要点は漏らさずに説明し始める。


 僕は憧れと懸命さを態度に表しながら耳を傾けた後、全体を総括するように尋ねた。


 「……つまり、活動内容は普通の生徒会のそれと大差ないけれど、生徒の自主性を重んじる校風の反動で作業量は多い……固定のメンバーは四人、そのそれぞれが独自に、適宜補佐を任命して仕事を進める。補佐に任命された人物にはあらかじめ固定メンバーに割り当てられた決裁権の範囲内で各種の優遇措置が与えられる、と。そういう事ですか?」


 「そーゆー事だ。しかも面倒くせーことにその優遇措置を求めて俺たちに話を持ち掛けてくる奴らが後を絶たねーんだ」


 そう言って、声に対して並々ならぬこだわりを持つと思われる先輩、錦織にしきおりさんが困ったように息をつく。会計を務めているらしく、口調とは裏腹に論理だった彼の説明はとても分かりやすかった。


 「でもそんな話をいちいち聞いていられないでしょ? だから実際には私たちからの一方的な指名でしか補佐が選ばれることはないんだよ」


 言葉を継いだのは仄かに闇を感じさせる熱意で姉様に詰め寄っていた女子の先輩、立花たちばなさんだ。僕に渡された読みやすい生徒会の説明資料は、書記である彼女が用意したものらしい。


 「つまり僕たちが言いたいことは、会長に直接指名された妹様にとても期待している、ということです」


 様付けに違和感を感じさせながらも、副会長を務める美男子の上月こうづきさんが話をそう締めくくる。彼はこれまでの説明においても、要点だけを浮かび上がらせるように最小限の言葉を挟む役に徹していた。


 ……あれ、皆すごく能力が高そうだ。姉様を支える存在なだけはあるのでは?


 それが僕の素直な感想だった。

 姉様への態度に強烈な印象を抱えていた僕は、まるで悪い夢から醒めたような気分になる。


 「ありがとうございます。期待に応えられるよう精一杯務めさせていただきますね。ところで期待とは具体的にどのような……」


 僕が何気なく話を掘り下げようとした瞬間、場の空気が温度を上げたような気がした。

 三人の瞳に強烈な期待の光が宿る。


 「……私たちには、会長の期待に応えるために知らなければならないことがあるんだよ」


 「会長はなんつーか、壁があるとまでは言わねーが、どーにも秘密主義なんだよな、プライベートとか」


 「僕たちは会長の意図するところを汲んで動く忠実な手足となるために、会長自身のことをより良く知る必要があるんです」


 「それは確かに必要かも知れませんね……それで私に対する期待とは?」


 「それはね……スパイだよ!」


 「会長のプライベート、知られざる聖域についての情報を僕たちに提供してほしいのです」


 「出来れば会長の音声付がいいんだが、すげー捗る」


 スパイって何? 聖域って? 音声で何が捗るの? と聞き返す余裕はなかった。三人の熱のこもった視線を浴びる僕に、上月さんが言った。


 「お願いです妹様。何も言わず、僕たちが会長に悟られぬよう等しく秘めたこの信仰心に、どうか恵みの雨をもたらしてはくれませんか? ひとしずくでも構わないんです!」


 そういうことか、先輩方の熱意の源とは忠誠心ではなく信仰心だったのか、姉様本当に何をしたの? と僕は思った。


 僕は今、檻に閉じ込められた猛獣たちが目の前に放り込まれた生肉に対して向けるような視線を先輩たちから浴びている。

 一度この熱を冷まさなければと考えた僕は、慎重に言葉を選んで口を開いた。


 「……当たり障りのないところで言えば、会長は普通の女子と比べるとスイーツにはこだわりが薄いですね。その代わり飲み物にはこだわっているかと。ハーブティーですとか……」


 「「「おおおおおおっ!」」」


 まるで読みつくしたはずの聖書の一節に新鮮な解釈が加えられたような、みずみずしい喜びと興奮の声をあげる先輩たちが僕の目の前にいる。正直こわい。


 「……期待以上だ、いい仕事するじゃねーかちんちくりん」


 「私、ハーブ育てることにした!」


 「……ここにいらっしゃったのですね、僕たちの預言者様は……!」


 信仰心強めの副会長の一声に残りの先輩方が頷いた結果、僕は預言者になってしまった。


 何かおかしい、僕は姉様の珍しくもない嗜好を一つ、伝えただけのはずなのに。そんなことを考える僕をよそに三人の熱はさらに高まり、それに比例するように僕の悪寒も冷たさを増していく。


 「ハーブティーって具体的に何が好きなの? ねえ、教えてよ、ねえっ!」


 「妹様、いえ、預言者様。この哀れな迷える僕たちに更なる光をお与えください……」


 「おいちんちくりん、早く次を寄こせ。じらすんじゃねーよ」


 このままでは収拾がつかなくなると思った僕は、千条院家に伝わる切り札に手をつけることにした。


 身体をびくりと震えさせ、そのまま縮こまらせる。震えを解かないまま、三人の方を怯えているように下から見上げる。

 そして僕は唐突な恐怖に晒されながらも、それでも目の前にいる人のことを信じようとしているような頼りない視線を送る。


 千条院家秘伝の演技法、不安と戸惑いの乙女である。


 「……困ります、先輩。私、姉様を裏切るようなこと、できなくて……」


 おいおい先輩方、このまま続けたら僕泣いちゃうよ姉様悲しむよ、という予感を三人に投げかける。たとえ誰も気づいていなくとも、これは怯えの皮をかぶった脅しである。


 結果を見れば、確かに効果は覿面だったのだけれど――


 「……何だよ、健気じゃねーか。悪い、ちんちくりん。怖がらせちまったみてーだな……ゾクゾクさせやがる」


 「……そうですね、僕たちは愚かにも見失っていました。預言者様である前に、妹様は会長の妹様でしたね」


 「……私、間違ってた、もう二度と間違えない。この子は会長の妹、ううん、もはや生徒会の妹と言ってもいい存在なんだよ!」


 ――立花さんの決意に満ちた宣言に残りの先輩たちが深く頷いた結果、鋭く曲がりストライクゾーンから大きく外れていった変化球のように、僕は生徒会の妹になってしまった。


 すっかり態度の和らいだ三人が、あるいは肩を叩き、あるいは駄菓子を差し出し、あるいは僕の頭を撫でまわす。空いていた席に座らされ先輩方にされるがままになりながらも、木の実を頬張るリスのように僕がうま〇棒を口の中に収めていると、姉様が生徒会室に戻ってきた。


 「……あら初、早速打ち解けているようでよかったわ」


 僕が無事に姉様の囮役を務められそうだということに安心したのかもしれない、一連のやり取りを見ていなかった姉様は気楽にそう言った。

 そのまま生徒会長席に腰かけて上機嫌で作業を始める姉様の様子に鬱屈した不満を覚えた僕は、やっぱりスパイ活動を頑張るのもアリかもしれない、と密かに考え始めていた。

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