第6話 春日初改造計画 ~春日初最期の1年間ダイジェスト~

 死ぬ暇すら与えられない日々だった。

 始動した春日初改造計画、その総括である。


 姉様が組んだ殺人的教育スケジュールが、逆に死ぬ余裕を奪ったのだ。深刻な矛盾の上を僕は生きていた。

 週に一度のホルモン注射や薬物投与、女声の発声練習、高校の履修範囲を含む英才教育、そしてやがて自らの最大の武器になるのだろう千条院流の淑女教育。

 加えてバレエ、ピアノ、バイオリン、語学、帝王学、その他諸々。果ては近接格闘術、銃火器の取り扱い、尋問術、房中術や大人の男女間の恋愛術、姉様の個人的な趣味に至るまで。

 通常ならば幼少のころから長い年月をかけて習得していく千条院流教育課程の全てを、一年間に凝縮してみっちりと叩きこまれていく。


 週一日の通学日を除いて、千条院家の令嬢として相応しい人間となるための苛烈な教育を受ける日々だった。自分が改造されていくのを感じる日々だ。

 理想的な人間に近づいていくような、あるべき姿からかけ離れていくような、そんな感覚があった。


 どちらの解釈が正しいのか僕にはわからない。



◆◇◆



 そんな日々の中、春日初たる僕は週一日の通学に加え、改造の効果測定との名目で定期テストを含む校内行事に参加した。


 一般クラスに籍はあるが授業は特別教室で受ける。本来は障碍を含む何らかの理由で一般クラスでの授業を受けることが難しい生徒向けのクラスである。ただ、僕にとっては通常の授業を無視して千条院家のカリキュラムに組み込まれた自主学習を死に物狂いで進めるための場所でしかなかった。


 登下校はハイ〇ースである。まだ対外的には千条院の人間ではない僕は甘んじて拉致される他なかった。というか逆に愛着を感じ始めたまである。


 定期テストでは一学期の中間テストで学年四位に食い込み、以降のテストでは満点に近いスコアでぶっちぎりの一位を堅持した。

 体育祭では二人三脚で一緒にペアを組んだ男子生徒をドギマギさせたらしかった。

 文化祭ではスポットライトに照らされながらピアノの伴奏を披露した。

 晩秋の時期に催された修学旅行では茶の湯体験の際に、その所作で同じ班のメンバーを感嘆させた。


 いつからだろうか、それが好意だと自惚れるつもりはないけれど、それでも確かに何かしらの意図を帯びた視線やスマホのレンズが僕に向けられるようになった。

 けれど僕がその視線に気づくたび――あるいは気づくよりも先に――写真を撮ろうとした人物のスマホは千条院家の護衛が照射する謎ビームで電子回路を、ボンッ、ってされた。

 ボンッ、ってされた撮影者にはもれなく懇切丁寧なご案内がなされた。その実態が人生を左右するレベルの脅迫であることを僕は知っている。


 ちなみに僕をいじめていた奴らは全員長期の『ホームステイ』をしているそうだ。頑張ってるんだなぁと白々しく考えるけれど、きっと自宅軟禁ホームステイなのだろう。詳細は特に聞いていない。


 自分の状態について一つ自覚したことがあった。


 僕は確実に浮世離れしていっている。



◆◇◆



 卒業式を迎えた。記念写真の撮影には混じらない。


 春日初という人物が存在した痕跡は法的な齟齬や問題が生じない限りすべて消し、何も残さない。それが千条院家の方針だった。


 一年ぶりに会った妹が「どうせお兄ちゃんあげる人もいないんでしょ? だったら私に頂戴」というので第二ボタンを渡し、そのままハイ〇ースに拉致され学校を後にする。


 最後のホームルームで渡された卒業文集には春日初の名前がなく、写真もない。公式の卒業者名簿にその名を残すだけだ。


 春日初が消えることについての感慨はなかった。

 ただ、何か選択を誤らなければ春日初は記録の中に残っていたのだろうかとハイ〇ースの中で僕はぼんやりと思っていた。



◆◇◆



 進学先の入試成績が一位だった為、新入生総代の挨拶をするよう打診が来た。姉様と同じ学校である。


 最終盤に差し掛かった教育の合間を縫って文面を考えているうちに、春日初改造計画の総決算である最終試験の日がやって来た。


 千条院家には家の重要人物が週一度の頻度で集合して一族としての意思決定を行う土曜会という会議体が存在する。その周年記念パーティーが試験の場だった。


 パーティーには千条院家に縁のある人間だけでなく、千条院家と縁を繋ぎたいと考えている有象無象の人物たちも招かれていた。その有象無象は大体男である。 まるで格式高いだけの合コンのようなその場において、どれだけ多くのセレブの歓心を買うことができるかを評価する。それが今回の試験内容だった。


 最終試験開始の一時間前。

 千条院の屋敷の一室には冴さんの手によってパーティー仕様にドレスアップされた僕がいた。

 薄青色を基調とした、どちらかと言えば控えめなドレスを纏い、最大限に素材を生かすために最低限のメイクが思慮深く施されている。

 肩甲骨に届く程度の黒のストレートヘアは品のいいハーフアップに整えられていた。

 最近は女装した自分の姿にもすっかり見慣れていたのだけれど、全力で着飾った自分を姿見に映して思った……。


 ……この可憐な少女は一体誰だろう、と。


 姉様が胸を張って僕に告げた。


 「ハジメの名前を決めたわ。本名のハジメと同じ文字で、うい、と読ませるの。私の名前と韻を踏んでいるのよ。実に妹らしいでしょう?」


 「千条院せんじょういんうい……それが僕、いえ、私の名前……」


 自分の新たな氏名を目の前の可憐な少女と紐づけるように、あるいはその響きを自分の口によく馴染ませるように、僕はぽつりと呟く。

 そんな僕の様子を見て満足そうに笑い、姉様が決然と言い放った。


 「春日初、アンタに課した教育課程はこの時を以て修了したわ。春日初はありふれた少年から千条院本家に生を受けた私の妹、千条院初へと生まれ変わるの。答えなさい、気分はどうかしら?」


 「目が覚めたような気分です!」


 「あなたがこれから向かう場所はどこ?」


 「パーティー会場です!」


 「あなたの前に現れるものは何?」


 「落とすべき殿方です!」


 「あなたの手にした武器は何?」


 「千条院初、その存在そのものです!」


 「私に何をもたらしてくれるのかしら?」


 「千条院の名に恥じない、蹂躙の光景です!」


 「完璧よ。さあ、千条院初、親愛なる私の妹よ。戦いの時が来たわ! その力を私の前に示しなさい!」


 「はい姉様、千条院の名に懸けて!!」


 迷うことなく僕、千条院初は姉様の言葉に即応した。


 「……こういうの見ると考えるよな。千条院って魔境だろ、マジで」


 改造が完了した僕の姿を不憫なものを見るような目で見つめて、僕専属の侍従となる男、片桐かたぎりが僕の心の中の声を正確に代弁した。


 初めて母様と会ったときに居合わせていた謎の男子高校生である。

 何故かこいつが近接格闘術の指導教官兼護衛役を務めていたのだけれど、年齢が近いため侍従役に抜擢されたらしい。ちなみに下の名前は知らない。


 「さあ、記念すべき初陣よ! 我らに勝利の誉れを!」


 片桐の言葉はきっと姉様には届いていないのだろう。

 気分よさそうに宣言するテンションの高い姉様が、パリコレのモデルのように堂々とした立ち振る舞いで歩き出す。


 僕はその背中を見つめながら粛々と後をついていく。



◆◇◆



 難病のため生後間もなく海外へ渡り、最近帰国した深窓の令嬢がパーティー会場に現れる。僕の事である。


 とんだペテンであるがバレなければそれが真実。千条院で学んだことである。


 結果を先に言えば、僕は姉様の期待通りに会場の注目をほしいままにした。


 一年ぶりに会う千条院家現当主である母様直々に紹介された僕の前には様々な男性が入れ代わり立ち代わり現れ、今後とも良いお付き合いを、何なら今度お食事でも、というような誘いを多様な言い回しで僕に振ってくる。


 僕は敢えて視線を泳がせたり、たまに相手の目をまっすぐ見つめたりしながら、初めてのパーティーで多くの殿方達を前にして恥じらいつつも懸命に頑張る女の子を演じる。


 「この場では約束できかねますが……私の体調さえ良ければ、喜んで!」


 とか。


 「お噂はかねがね、どこそこの再開発プロジェクトを成功に導いた立役者……様、ですよね?」


 とか。


 予習したパーティー参加者の情報と不慣れながらも真剣に応対する無邪気な少女っぽさとを織り交ぜながらさくさくと始末していった。単調な作業である。


 男たちへの対応に追われて一皿の料理にもありつけないまま、「宴もたけなわではございますが……」とのアナウンスを聞く頃、僕は顔を合わせた男達の頬を一人残らず緩ませることに成功していた。


 試験の結果が気になって、僕は壁の花を演じていた姉様を見た。

 僕の視線に気づいた姉様が、


 「……本当に蹂躙しちゃったじゃない……私、とんでもない怪物を生み出したのかもしれないわ……」


 と引きつり笑いで呟いていたことを、僕は冴さんから後日知らされた。


 以上が春日初改造計画の顛末である。

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