21 ~孤高と無謀の終焉~

 主催者を失った神様ゲーム『爆弾鬼』は、もはや続行不可能。そのクリア条件は意味を失い、器にされた花撫を壊す必要はなくなった。

 これで、本当に……本当に、終わったのか……?

 一度はまんまと欺かれたのだ。疑心暗鬼に陥るのも仕方がない。

 けれど、ぼんやりと佇む花撫の瞳に、もはや紅の光は宿っていない。ようやく花撫は、イルミナの呪縛から解放されたの――

「――花撫っ!?」

 突然、意識を失ったかのように、花撫の頭が大きく揺らぐ。

 弾かれるように立ち上がり、花撫のもとへ駆け出す陽兵。

 力が抜け落ち、膝から崩れる花撫の身体。陽兵は跪きながらその背中に片腕を回し、かろうじて抱き留める。

 両膝をついた花撫は陽兵にもたれ掛かり、ゆっくりと呼吸を繰り返す。

 首元を微かにくすぐる息。こんなにも花撫を間近に感じたのは、いつぶりだろうか。

「……よーせんぱいの、匂いだぁ……

 なんだか、とっても……懐かしいです……」

 嬉しそうに鼻を擦り寄せて、花撫が笑みを零す。

 ああ、その懐かしい呼び名を……僕はどれほど、待ち望んでいただろう。

 君はいつかきっと、戻ってくる……その淡い希望を、僕は何度……見失いかけただろう。

「……カナ……ちゃんと戻って、来れたんですよね?

 実は夢落ちだなんて……そんなひどいこと、ないですよね?」

 僕を見つめる茶色の瞳が、期待と不安の狭間で揺れている。

 思えば、人の視線に恐怖を覚えるようになってからも、君のその瞳だけは例外だった。

「大丈夫……これは現実だよ、花撫」

 花撫は確かにここにいるのだと、その幸せを噛み締めるように、ただ強く抱き寄せる。

「ずっと、信じてました……

 よーせんぱいなら、必ずカナを助けてくれるって」

 助けてくれたのは、むしろ君の方なんだ。

 僕が足掻き続けられたのは、君との未来を思い描いていたから。

 再び立ち上がれたのは、君が生きていてくれたから。

「いっぱい頑張ったんですね、よーせんぱい。

 すっかり、痩せちゃって……身体、ぼろぼろになって……

 無理しちゃダメだって……カナ、言ったじゃないですか」

 堰を切ったように溢れ出した花撫の涙が、僕の首筋を濡らす。

 我ながら、よくここまで頑張り抜いたと思う。

 でも、それは決して、無理をしたわけじゃない。

 君の命を諦めることの方が、僕にとっては無理だっただけ。

「減った肉も、負った傷も……たくさん食べれば、元通りだから」

 花撫が少しでも安心できるよう、僕はあえて冗談めいた言葉を返す。

 すでにこの身体は、心を留めるだけの肉の器。人の枠から外れている。

 でも、それで十分だ。こうして君の温もりを、感じ取れるなら。

「もう、これ以上……傷つかなくても、良いんですよね? ゆっくり、休めるんですよね?」

「ああ。幻魔イルミナは、もういない。僕たちは、全てを取り戻したんだ」

 幻都脱出に至るまでの道のりは、きっと長くて険しいものになるだろう。

 それでも今はただ、君が目の前にいる喜びに浸っていたい。

「……良かったぁ……」

 こくりこくりと揺らぎ始める花撫の頭。瞼もとても重そうだ。

「安心したら、なんだか急に……眠くなってきちゃいました」

 力の抜けた花撫の身体を、僕は慎重に床の上に横たえる。

 花撫は張り詰めていた緊張の糸を、ようやく緩めることができたのだ。

「もうぐっすり眠っても良いんだよ、花撫。

 目が覚めたら、いつも通りの明日が待っているから」

 ずっと暗闇に囚われていた花撫の心。とっくに限界を迎えていたのだろう。今は何よりも、休息が必要だ。

 花撫は僕の言葉に従い、穏やかに眠るように瞼を閉じて、

「よーせんぱい……大好きです」

 そっと、独り言のように呟いた。

「……僕もだよ、花撫」

 答える僕の心は、不思議と落ち着いていた。

 その安らいだ寝顔を、何よりも愛おしく思う。

 求めて止まなかったものが、今こうして目の前にある。

 僕一人では、到底ここまで辿り着けなかった。

 全ては、狐白さんと出会えたおかげだ。

 陽兵は湧き出す感謝を胸に抱き、狐白がいるであろう背後を振り返る。

 その瞳に映り込んだのは――床の上に力なく横たわる、狐白の姿だった。

 二発の魔槍を放ち、失われてしまった両腕。ワンピースの裾はぼろぼろに解れ、膝下まであったはずの丈は、すでにミニサイズ。にも関わらず、あるべき両脚が見当たらない。

 まるで、足の爪先から始まった消失が、膝上まで進んでしまったかのよう。

「――狐白さんっ!?」

 その明らかに危機的な容態に、陽兵は急ぎ狐白のもとへ向かう。

「……あら……感動の再会は、もう十分堪能したのかしら?」

 こちらを見上げるその顔に、穏やかだけれど力のない笑みが浮かぶ。

「――そんなことより、狐白さんの身に何が!?」

「……存在の崩壊が、始まってしまったようね。

 ふふっ……無茶をしすぎたのかしら」

 焦り戸惑う僕とは、あまりに対照的な落ち着きぶり。

「存在の、崩壊? それは、死にそうって、ことなんじゃ……」

「生きていれば、いつか死ぬわ……それが偶然、今日だっただけのこと」

 彼女は自らの死を自覚しながらも、抗うことなく受け入れていた。

 超幻想は命を代償とした力だと、知っていたのかもしれない。

「僕たちを助けるために、力を使わなければ……こんなことには――」

「――決めたのは、あなたではなく私……自分がやりたいように、やっただけ。

 それを、どうして……あなたが気に病むのかしら?」

 僕の言葉を遮るように、彼女は言葉を紡ぐ。僕をからかうような笑みを浮かべながら。

「超幻想は、ぶっつけにしては上出来……まさに、会心の一撃だったわ。

 多少の副作用は、大目に見るべきかしら……」

 死を目前にしてなお、こんなにも孤高でいられるのか。

 紅の光を宿した瞳に、幻魔の象徴たるその輝きに……僕はただ、見惚れていた。

 だからこそ、その目尻に僅かに滲む、涙のような光の粒にも気づいてしまう。

 それはきっと、心の底に隠しきれなかった悲哀。

 平然と死を受け入れている――そんなはずがない。そもそも彼女の目的は、僕たちを救うことなどではなく、神様ゲームを終わらせて自分が自由になること。

 自らの未来を擲ち、助けてくれた彼女に対して……今、僕にできることは……

 ああ、そうだ――今度は僕が、命を張って助ける番だ。

 崩壊はすでに腹部に及び、その印象的な白い尻尾すら消え失せている。

 残された時間は少ない。ならば、ありったけを出し尽くせ。

「……【可逆的再生】ロールバック

 薄らと透けた彼女の頬に手を添えて、静かに、けれど力強く、あるべき姿を思い描く。

 まだ出会ったばかりだけれど、ここに至るまでの付き合いは、いくら感謝しても足りないほどに濃密。その悠然とした立ち振る舞いは、僕の脳裏に深く焼き付いている。

「……馬鹿ね……あなたの固有幻想では、私に干渉できないわ」

 嘲るのではなく、慈しむように、優しい光が僕を見つめている。

 確かに、その通り。僕の固有幻想は生体特化。狐白さんの幻想体を修復できない。

 自分の固有幻想だ。その限界を、僕が一番理解している。

 ……だからといって、このまま見殺しにできるはずがない。

「私を救うなんて、止めておきなさい……

 人を喰らう、化け物であることに……変わりはないのだから。

 救えたとしても……いつか必ず、後悔するわ」

「――そんなことは、どうだって良い!

 未来のことなんて、未来の僕が悩めば良い!

 僕は、ただ……君を救いたいだけだ」

 本当に、嬉しかったのだ。

 誰に理解されることもなく、化け物として始末されてもおかしくなかった。

 なのに君は、よく知らないはずの僕を救ってくれた。

 君が幻魔かどうかなんて、躊躇う理由になるはずがない。

「……本当に、あなたって……大馬鹿だわ……」

 どこか嬉しそうに悪口を残して、その瞼が閉ざされる。

 溢れ出した滴が頬を伝い、僕の指先を濡らしてゆく。

 同族の幻魔から理解されるはずもなく、被食者である人間からは受け入れられない。

 君は己の道を貫きながら、どれ程多くの孤独を抱え込んでいたのだろう。

 自由でありたいというその願いを、道半ばで途絶えさせたりはしない。

 僕の力に限界があるのなら、すぐにでも超えてくれ。奇跡を起こすべきは、今な――

「――ん?」

 ぽとりと何かが、僕の足下へ落ちてくる。

 それは、ズボンのポケットに入れていたはずの、クマのぬいぐるみ。僕が自分の仮宿として作った人形であり、その材料は狐白さんの右手。

 なら、この人形は――狐白さんの固有幻想を、継承しているはず。打つ手はまだ、ここにあるじゃないか!

「――【自律的機構】オートマトン! 狐白さんの身体を、生体に変えてくれ!」

 床の上に転がる人形を握り締め、僕はありったけの意思を込める。

 幻想体に干渉できないなら、【存在消失】レベル・バニッシュで人間の肉体に変えてしまえばいい。そのあとの修復処置なら、僕の得意分野だ。

 ひょこりと飛び起きたぬいぐるみが、僕の願いに応じて狐白さんの頭へ駆け寄る。

 そして、ここが自分の定位置だと言わんばかりに、狐白さんの頭頂部へとうつ伏せに張り付いた。

 薄らと透き通る狐白さんの身体から、少しずつ透明度が失われ、人としての色味を増してゆく。血の気が失せていた冷たい肌に、確かな温もりが宿る。

 頭頂部から広がった彩りは、やがてその豊かな胸元にまで広がる。けれど、そこまで。その先は、すでに失われている。

 ならば、ここからは僕の領分。残された肉を使って、狐白さんの全身を再構成する。

 もちろん、普通に修復するためには、肉の量が絶望的に足りない。でも、狐白さんは人間ではなく幻魔だ。その肉体は、器として機能すれば十分なはず。例えばそう、中身を空洞にして膨らませ、人間大にも化けられる楓華のように。

「――【可逆的再生】ロールバック!」

 あるべき容姿はそのままに、内部構造をできる限り省く。

 狐白さんの内側から溶け出した肉を、透明なマネキンを包み込むように押し広げる。

「――っ……!」

 ふっと炎が消えるように、飛びかける意識。

 ただでさえ、固有幻想の使いすぎで精神が限界。加えて、慣れないアレンジに挑んでいるのだから、いつ気絶してもおかしくない。

 せめてもの気付け代わりに、いつもは無視している痛みの信号を、あえて受け止めてみる。

 幾度も雑に扱われた全身の筋肉が、一斉に不満をがなり立ててくる。頭部に至っては、これ以上働かせるなと、頭痛デモの真っ最中だ。

 激しい後悔と共に、僕は再び痛みをスルー。でもおかげで、意識は覚醒した。

 形を整えた狐白さんの肉体に、人としての色や質感を与えてゆく。残念ながら、器としては不要な尻尾は、コストカットのために省かせてもらおう。

「……はぁぁ……はぁぁ……」

 再現を終えた身体を前に、僕はその頬から手を離し、床の上へと座り込む。

 白いワンピースを身に纏い、安らいだ表情で眠る白髪の少女。細部の造形に不満は残るものの、応急処置としては及第点だ。

 僕はこれで、本当に……君を救うことが、できたのだろうか。

 意識を取り戻すまで、決して安堵はできない。

 けれど、さすがに……意識がもう、限界――

「よぉ、大将……また会ったなぁ?」

 聞き覚えのある厳つい声は、廊下の向こう側から。

 陽兵のもとへ歩み寄ってくる、学ラン姿の少年――馬嶋仗司。

 廊下を閉ざしていた闇の隔壁は、いつの間にか全て解かれていた。

 自分が除籍処分中の身であることを、今更ながら思い出す。

「これまた随分と、お疲れみてぇじゃねぇか」

 にやりと浮かぶ不敵な笑み。美愛の治療を受けたおかげか、その身体には傷跡一つ見られない。

 対する僕は、狐白さんを救うために、全てを出し尽くした。もはや、意識を保ち続けることさえ危うく、固有幻想を発動する余力なんてない。

 一歩ずつ着実に、こちらへと迫り来る死。

 けれど、気持ちは不思議とすっきりしていた。

 花撫も、狐白さんも、救うことができたのなら……それで、十分だ。

 これ以上を望むのは、さすがに贅沢というものだろう。

「そんなひでぇ様になるまで……よくもまぁ、一人で頑張ったもんだぜ」

 傍らで足を止めた馬嶋君を前に、僕は自らの死を受け入れていた。

 死に至る傷であろうと、痛みは全て無視できる。

 これから訪れるのは、覚めることのない虚無の時間。

 我ながら、ここまでよく……生き抜いた……

「助けが必要だろう、陽兵? 俺が力を貸すぜ?」

 僕の前に差し出されたのは、大きくて逞しい手のひら。

 頭部を砕かんと振り下ろされるはずの拳が、僕の右手を力強く握り締める。

「……馬嶋君……あたしには全く、意味がわからないんだけど?」

 仗司の言動に激しく困惑したのは、陽兵だけではなかった。

 仗司の背後から姿を現す紅羽。その手に握られた血の大鎌は、陽兵の命を刈り取らんと高く振り上げられている。

「おぃおぃ……まだ殺る気満々なのかよ、委員長?」

 陽兵の腕を引いて、立ち上がらせる仗司。処刑を止める気のない紅羽に対し、呆れ混じりに溜息を吐く。

「神崎君は除籍処分だと、確かに伝えたはずだけど?」

 紅羽の鋭い眼差しが、呑気な仗司に突き刺さる。

「んなら、その陽兵に殺された狐白ちゃんは、いったいどこに居るってんだよ?」

 仗司が見下ろす先には、床の上に横たわり、静かに眠る狐白の姿。

「神崎君の二つ名は『美少女工房』ドール・ファクトリー――そこに横たわっている狐白さんは、神崎君が作り替えた人形かもしれないし」

 紅羽は依然として、構えた鎌を下ろさない。

 僕の固有幻想の特性を熟知しているからこそ、疑念を捨て切れないのだろう。

 実際、今の狐白さんの肉体構造は、人間から大きく外れている。

「あんたも一緒に見てただろぉが。陽兵が必死な形相で、自分の命削りながら、狐白ちゃんを救おうとしてた姿をよぉ。

 あれが、人形作ってるように見えたってか? 冗談だろ?」

 あのときにはすでに、固有領域は解除されていて……だからこそ馬嶋君は、僕を信じてくれているのか。

「……花撫という前例がある以上、疑ってかかるのは当然でしょ?」

 仗司の説得を受けてなお、意固地な態度を崩さない紅羽。

 乗っ取られていた花撫の肉体は、人形と疑われても仕方ない状態だった。操っていたのが僕かイルミナかという、大きな違いはあるけれど。

「ああ、確かにさっき会ったときは、人形みてぇに表情薄かったがよぉ……今はあんなに、幸せそうな面してるじゃねぇか。

 あれでもまだ、人形に見えるってのかよ、委員長?」

「――っ……」

 仗司の素朴な疑問を受けて、紅羽の顔が僅かに引きつる。

 眠る花撫の顔には、満ち足りた安らぎ。いつも活動を共にしていた紅羽さんなら、花撫の変化に気づかないはずがない。

「さっきまで、固有領域が展開されてたんだ。上級幻魔が何か悪さしてたんだろ。

 ここに居るのは、命懸けで女二人を守った……ただの漢だ」

 仗司はふっと表情を緩めると、支えるように陽兵の腰に腕を回す。

 どうせ誰にも理解されないと、僕はずっと人間を避けていた。

 花撫だけが、唯一の例外だった。

 でも、今ここに、出会って間もないこの僕を……信じてくれる人がいる。

「……ありがとう……」

 溢れ出す感謝の思いは、自然と言葉になっていた。

 涙に濡れた視界が、ぼやけてしまって仕方ない。

「良いってことよ。困ったときは、お互い様ってなぁ!」

 足下のおぼつかない僕の背中を、ばしばしと景気よく叩く馬嶋君。その遠慮のない刺激を、心地よく感じている自分がいる。

「委員長、どうしても納得できねぇってんなら……そんときゃ代わりに、俺が相手になるぜぇ?」

 仗司に不敵な笑みを向けられて、紅羽はようやく構えた大鎌を下ろす。

「……詳しい事情は、後できっちりと聞かせてもらうから」

 肩に担ぎ直した大鎌はすぐさま溶け落ち、その白い修道服を血の紅で染め上げる。

 花撫の元へ駆け寄る紅羽の背中を見送りながら、陽兵の意識は深い眠りに落ちていった。

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