19 ~親愛と勇気の添付~

 自らの命すら省みず救おうとした花撫は、すでに死んでいた。

 とうとう、最後の希望すら失ってしまう陽兵。

 その心は目前の現実を拒絶し、意識を断ち切ってしまう。

 心の奥深くへと逃げ込んだ陽兵のもとに、やがて降り注ぎ始める記憶の粒。

 花撫を失ったあの日――はたして、花撫の身には何が起こっていたのか。


 もうお昼なのに、日の光が遮られて薄暗い林の中。ぞろぞろと姿を現したのは、骨でできた剣と盾を手にした骸骨達だった。

 下級の幻魔が全部で六体――偶然集まったにしては多すぎる。中級以上の幻魔が、背後で手を引いてるのかもしれない。

「カナもすぐに駆けつけます。

 一人で無理しちゃダメですよ、よーせんぱい」

 目の前の陽兵に忠告を残して、花撫は急ぎ【潜伏する私情】スパイ・メールを解除。陽兵のスマホに留まっていた自分の精神を、本来あるべき身体の中へと戻す。

 テレビの電源を切るように、ぶつりと途絶える光と音。

 身体と心が再び繋がるまで、真っ暗な闇の中でしばらくの待ち時間。

 心までメールに添付して送れるなんて、自分でも面白い能力だと思う。

 この学園にやって来たばかりの頃は、不思議に思っていた。どうしてカナの固有幻想は、電子メールの真似なんだろうって。

 でも、今ならはっきりとわかる――それが、よーせんぱいとの特別な繋がりだから。

 熱烈教育ママなお母さんに、ほとんどのスマホアプリは使用禁止にされたけど、メールはオッケーだった。将来社会人になったときに、メールぐらい使えないと困るからと。

 だから、よーせんぱいと連絡を取るときには、いつもメールを使っていた。自分の時間に割り込まれる電話は、急いで気持ちを切り替えなきゃいけないから苦手なんだと、よーせんぱいが言っていたから。

 周りの友達はみんな、メッセージアプリで気軽に連絡を取り合っている。だからこそ、電子メールという一手間かけた特別な感じを、カナはとても気に入っていた。

 それが自分の固有幻想になってからは、何を添付できるんだろうと色々試して、面白がってやり過ぎて、送信先のよーせんぱいによく注意されたけど。

 でも、そうやって構ってもらえることが、なんだかとても楽しかった。

 精神的には数分間、実際の時間だとほんの数秒の思い出浸り。

 暗闇に包まれていた精神世界に、淡い光が差し込み始める。

 やがて、花撫の前に広がった光景は、元いた旧校舎の空き部屋――では、なかった。

 厚い紺色の幕で囲われていて、周りに何があるのかわからない。そういえば、右目と左目が見ている景色がなんだか違うし、手足の感覚が全然戻っていない。

 あれ、この感覚は、さっきまでと……よーせんぱいのスマホの中にいたときと同じだ。

「ああ、代わりにそっちに入ったんだ。なかなか面白いね、キミの能力」

 聞こえてきた女の子の声は、どこかで耳にしたことのある響き。何が何だかわからない中、周りの幕が急に取り除かれて、視界がぐるんと大きく回転。

「初めまして、というべきかな。

 ボクの名前はイルミナ――短い付き合いになるだろうけど、よろしくね」

 花撫の右目の視界に現れ、意地の悪そうな笑みを浮かべたのは……花撫自身の顔だった。

「……ぇ……ぇえっ!? な、なんで!?」

 困惑するばかりの花撫。

 瞳を赤く光らせた偽者が、じっとこちらを見つめている。

 その瞳の色は、幻魔であることの証――この学園にいる人なら、みんな知ってる。

 そうか、留守にしていた自分の身体が……幻魔に乗っ取られてしまったんだ。そして、戻る場所がなくなったカナの心は、幻魔が手にしたスマホの中に。空き部屋の中に一緒に居たくーちゃんが、カナの身体を守ってくれていたはずなのに。

「キミの相棒なら、そこに転がってるよ」

 イルミナは手にしたスマホのカメラ部分を、リノリウムの床へと向ける。

 前方の光景を捉える花撫の左目に、一人の少女が映り込む。紅の修道服を身につけたその少女は、床の上にうつ伏せに倒れたまま動かない。

「――くーちゃんっ!?」

 悲鳴に似た花撫の叫びが、スマホのスピーカーから響く。

「ああ、そうそう。無駄な助けを呼ばれないよう、マナーモードにしておかないと」

 イルミナは思いついたように、手元のスマホをぽちぽち操作し始める。

 紅羽――心配でよーせんぱいの所へ飛ぼうとしたカナを、半ば呆れながらも送り出してくれた親友だ。いつもは冷めた口調につれない態度だけど、実はとっても仲間想いなのを知ってる。

 だからきっと、カナを守ろうと必死に戦ってくれて……そして……

「邪魔だから少し眠って貰っただけ。キミが悲しむ必要なんてないよ」

 花撫の胸に沸き起こった不安を、あっさりと否定するイルミナ。

 後方の光景を捉える花撫の右目には、どこか不満げな自分の顔が映っている。

(……本当、ですか?)

 問いかけた花撫の声は、すでに音量がゼロ。

「死んで物質と化した肉体は、幻想と相互作用しないんだから、魔霊子製の建物の中に留まれるわけないでしょ? これぐらいの一般常識は、ちゃんと知ってて欲しいなぁ」

 それでも言葉は届いているのか、イルミナは小馬鹿にしながらも説明してくれる。

 死んでしまった人が、地面に吸い込まれるように居なくなるのは、カナでも知ってる。実際に、その光景を何度も目にしてきた。

 だからといって、身体が残っていれば無事だなんて、安心できるはずがない。倒れている人がいたら心配するのは、人として当たり前のことだ。

「そもそも、ボクが用があったのは、キミの身体だからね。

 無関係な人間を乱りに痛めつけるのは、夕食前におやつでお腹を満たすようなもの。それじゃぁ、せっかく準備した料理が台無しだよ」

 イルミナは横手の窓をがらりと開き、窓枠を軽く飛び越えて建物の外へ。人気のない校舎裏の草むらを、一人歩き始める。

(……カナの身体が、目的って……いったい、何を?)

 瞳の色は違うけれど、それ以外の容姿は自分と何一つ変わらない。イルミナが何かをすれば、みんなカナのせいにされてしまう。

「ある人に届けたい物があってね。使い勝手の良い肉体を探していたんだ。

 警戒されずに近寄るなら、キミ以上の適役はいないからねぇ」

 自分の顔に浮かび上がったおぞましい笑みに、花撫の心が恐怖で引きつる。

 イルミナの視線が向かう先には、校舎の裏手にある広大な雑木林。

 その先にいるのは……幻魔と戦っている、よーせんぱい。

「そう、これからボクが食べるのは……その、よーせんぱいだよ」

 花撫の心を見透かすように、イルミナは自らの思惑を吐露する。

 掛け替えのない大切な人への、突然の死の宣告。

 そんなの、すぐには受け止めきれない。

 卒業試験を目指して、一緒にたくさんの幻魔を倒してきた。

 でも、幻魔にしてみれば、仲間の命を次々に奪い去った憎い敵。

 だからきっと、恨みを買ってしまったんだ。

「いやいや、ボク達幻魔に、そんな仲間意識なんてないから。

 ティア様に作られた通り、気ままに人間を堪能してるだけだよ」

 花撫の脳内で膨らみ始めた後悔を、鼻で笑って否定するイルミナ。

(……だったら、どうして、よーせんぱいを狙うんですか?)

 真面目に答えてくれるとは思えない。それでも、聞かずにはいられなかった。

 この学園の中では、神様に攫われた二千人近くの学生が暮らしてる。活動的でも外交的でもない、カナが誘わないと家の中から出てこないよーせんぱいが、どうして幻魔に目を付けられたの?

「ボクの根源思想は恋心――恋する対象を喰らうことこそが、ボクにとって最高の快楽だからだよ。他の人間なんかじゃ、ボクの心は満たせやしない」

 イルミナは頬に片手を添えて、恍惚の表情を浮かべてみせる。

 恋心――その象徴的な言葉には、心当たりがあった。

 神様に奪われてしまった、自分の心の欠片。

 よーせんぱいに告げることができなかった、大切な想いの結晶。

「そう、キミの恋心を材料として……ボクという幻魔は作られたんだよ、花撫。

 ボクの心がキミの身体によく馴染むのは、元は同じ一つの存在だったからさ」

 自分の口を通して語られたのは、今までに耳にしたことがない、衝撃の事実だった。

 ……幻魔の、材料が……カナの、心!?

 幻魔って、この幻想の街に巣食う、ただの化け物じゃなかったの?

 それじゃ、よーせんぱいが命を狙われるのは……カナが、よーせんぱいのことを……

「キミは何も悪くないよ。刈り取られただけの素材なんだから。

 でも、罪の意識に苛まれる気持ちも、わからないわけじゃない」

 雑木林を前にして、イルミナが急に足を止める。

「ボクとゲームをしようか、花撫?

 クリア条件が達成されたら、キミにこの身体を返してあげる。

 ただし、制限時間以内にクリアできなければ……この身体は二度と、キミのものにはならないだろうけど」

 制服のブレザーの上に現れたのは、見覚えのあるネックレス。一度身につけたら外せない、呪いの道具をイメージした骸骨のデザイン。

 500……499……498……

 胸元の宝石の上で、青く光る数字がカウントダウンを始める。

(……そんな……それは、カナの……)

 仕組みは全然わからない。でも、イルミナが使ってみせた固有幻想は、カナの【炸裂する激情】メール・ボムに見た目がそっくり。

 もし、その爆弾としての威力まで、同じだとしたら……

「ゲームの名前は自爆鬼。クリア条件は、この爆弾を送り届けること。

 宛先はもちろん、この林の奥にいる……陽兵だよ」

 イルミナはネックレスを首にかけたまま、ブレザーの下に仕舞い込むと、花撫の返事を待つことなく、雑木林の中へ足を踏み入れた。


 散歩でも楽しむように意気揚々と、森の中を散策するイルミナ。その手に握られたスマホの中で、花撫の心は右往左往していた。

 突きつけられたのは、答えが決まり切っている二つの選択肢。

 爆弾を抱えたまま時間切れになれば、自分の身体が粉々に消し飛んでしまうのだから、どう考えたってクリアを目指すしかない。つまり、よーせんぱいに爆弾を押しつけることになる。

 よーせんぱいなら、人形を身代わりにした爆弾処理はお手の物。たとえ爆弾を受け取っても、うまく切り抜けてくれると信じてる。

 でも、それが本当に正しい選択なのか、胸騒ぎが消えてくれない。

 そもそもこの自爆鬼は、ゲームとして根本的におかしい。爆弾を運んでいるのはイルミナで、カナはスマホの中から見守ることしかできない。これじゃ、条件を満たせるかどうかなんて、イルミナの気分一つで変わってしまう。

 そういえば、くーちゃんから聞いたことがある。上級の幻魔が仕掛けてくる神様ゲームには、必ずクリアに繋がる道筋が隠されてるって。クリア不可能な理不尽ルールは、そもそも設定できないみたいだって。

 もしそうなら、イルミナは必ずよーせんぱいの身体に触れて、爆弾を押しつけるはず。自爆してしまえば、中身のイルミナだってタダじゃ済まないし。

 それじゃ、カナの役割はただ見てるだけ? そんなおかしなゲームを、上級の幻魔がわざわざ仕掛けてくるのだろうか? 何か大切な可能性を、見落としていないだろうか?

「そろそろ目的地が近いね。お届けの準備が必要かな」

 おさげにしていた髪をほどき、片手でかき乱し始めるイルミナ。その目元が栗色の髪で隠されて、紅に光る二つの瞳が確認しづらくなる。

 まさか、そんな単純な方法で、正体を誤魔化すつもりなの?

「そう馬鹿にした手でもないよ。

 想定外の可能性には、なかなか気づけないものだからね」

 くすくすと笑みを漏らすイルミナ。その指先からにょろにょろと、何本もの赤い糸が生え出てくる。

 この光る糸が、イルミナ自身の固有幻想なのだろうか?

 イルミナは糸を束ねて鞭を作ると、器にしている花撫の身体に何度も振り下ろす。

「幻魔との戦闘があったと思わせれば、陽兵は何よりもまずキミの身を案じる。

 その中身が偽者かもしれないなんて、疑えるはずがないよ」

 苦痛に顔を歪めることなく、服や肌に幾つもの傷跡を刻んでゆくイルミナ。

 身支度を終えると、もう待ちきれないとばかりに歩みを早める。

「それよりさぁ、暢気に傍観者を気取ってても良いのかい、花撫?

 今すぐにでも、この身体が消し飛んでしまうかもしれないよ?」

 ネックレスを服の中に隠したまま、脅しをかけてくるイルミナ。

 大丈夫、まだ十分に時間は残ってる。

 カナの【炸裂する激情】メール・ボムは、カウントミスが自爆に繋がりかねない危険な固有幻想。だからこそ、スマホの時計アプリを使って、時間感覚を日々磨き続けてきた。

 どんな逆境に陥っても、カウントを間違えるようなミスはしない。

「……いたね、陽兵」

 イルミナの視線が向かう遙か先に、戦いの気配。手にしたスマホのカメラが、骸骨剣士達と戦う陽兵の姿を捉える。

 骸骨剣士の体当たりを受けて、背中から地面に倒れる陽兵。

(――よーせんぱいっ!? 【束縛チェ――)

「――【束縛する愛情】チェーン・メール!」

 花撫が固有幻想を発動するよりも早く、陽兵のスマホへ鎖を転送するイルミナ。

 陽兵を仕留めようと、剣を振り上げた別の骸骨剣士――その身体を、鎖は蛇のように這いずり回り、身動きが取れないよう縛り上げる。

「……ボクの御飯を、つまみ食いされちゃ困るなぁ」

 花撫にだけ届くような小声で、ぼそりと呟くイルミナ。陽兵に瞳を見られないよう深く俯きながらも、転送された灰色の鎖は狙いを違わず、陽兵の全身をも縛り上げていた。

 その瞬間、花撫の脳裏に浮かび上がる、鮮烈な光景。鎖に全身を絡め取られ、身動きが取れないまま……爆弾で消し飛ばされる陽兵の姿。

「遅くなってすみません、よーせんぱい」

 花撫の声色をしっかり真似て、陽兵を欺こうとするイルミナ。顔を緩めて油断した陽兵のもとへ、着実に歩みを進める。

 ……ああ、そうか。

 これは、クリアを目指すゲームなんかじゃない。

 よーせんぱいを殺そうとするイルミナを、命懸けで邪魔するゲームなんだ。

(……【炸裂する激情】メール・ボム

 心は不思議と落ち着いていた。

 操られた自分の身体へと、新たな死のネックレスをかける。

 イルミナが決めた制限時間に、付き合う必要なんてない。

 先に誘爆させてしまえば、よーせんぱいは死なずに済むのだから。

 5……4……3……

「少し手間取ったけど、もう大丈夫です」

 一矢報いたはずなのに、平然と演技を続けるイルミナ。

 その本当の狙いは、結局わからないまま。でもカナだって、このスマホの中に留まって、身体と一緒に消えるつもりなんてない。

(――【潜伏する私情】スパイ・メール!)

 カウントがゼロになるより早く、自分の心をよーせんぱいのスマホへと送り込む。身に迫る危険を知らせるために、【逃げて】という警告を添えて。

 身体なんて、なくなっても構わない。

 心さえ残っていれば、きっとよーせんぱいが助けてくれる。

 一瞬にして、世界が暗闇に包まれる。

 自分のスマホから心が切り離された証拠だ。

 あとは、よーせんぱいのスマホの中で目覚めるのを、じっと待っていれば良い。

(残念ながら、キミはその暗闇から抜け出せないよ。

 キミの心が解凍されるのを、ボクが邪魔してるからね)

 突然聞こえてきたのは、自分以外の誰かの声。

 男の人か女の人かよくわからない、中性的な響き。

(ボクは条件さえ満たせば、他人の固有幻想を勝手に使えるんだ。こうして同質の力で干渉すれば、固有幻想の発動を狂わせて、簡単に邪魔できるんだよねぇ)

 その意地の悪い喋り方は、さっきまで耳にしていたイルミナと同じ。

(正直なところ、キミの行動はボクの想定を超えていたよ。

 自分の肉体をあっさり切り捨てるとは、思っていなかったからね。

 もっとも、そんなキミの勇気のおかげで、ボクは思わぬ御馳走にありつけそうだけど)

(――よーせんぱいは、よーせんぱいは無事なんですか!?)

 一方的に好きなことを捲し立てるイルミナへと、思わず声をかける花撫。

(まぁ、春休みになったとでも思って、そこでゆっくり寛ぐと良いよ。

 キミの心が壊れないよう、ボクがたまに話しかけてあげるからさ)

 けれど、声が届いていないのか、そもそも取り合う気がないのか、イルミナは花撫が求める答えを返さない。

(絶望で壊れた陽兵の心は、いったいどんな味がするんだろぅ……楽しみだなぁ)

 話しかけてきたときと同様に、いきなりぶつりと途絶えるイルミナの声。

 静まり返った暗闇の中に、花撫は一人取り残される。

 ぷつんと切れてしまう緊張の糸。

 激しい疲労に、心がどんどんぼやけていく。

(……よーせんぱい……死なないで……)

 花撫は薄れ消えゆく意識の中で、ただ陽兵の無事を願い続けていた。

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