18 ~遊戯と悦楽の真相~
陽兵は花撫と共に中央広間の階段を下り、玄関へと通じる一階廊下へ。
紅羽の精神汚染の効果がようやく和らぎ、陽兵は自分の意思で足を運べるようになっていた。
足取りは変わらず重い。
それでも、その一歩が無駄にはならないと信じている。
激しい戦いを物語るかのように、廊下の床や壁には幾つもの刀傷や破砕跡。ばら撒かれたガラスケースの残骸を、元は人形達の衣服であった無数の布きれが彩っている。
人形達の姿は見当たらない。すでに魔霊子を失い、石床の底に沈んでしま――
「……ごしゅじん……」
そのらしくないか細い声を、陽兵は聞き逃さなかった。
ぼろ切れに紛れるように横たわる、依憑の小さな身体。肩から脇まで袈裟斬りにされた、血塗れの上半身。
「――依憑!」
声をかけ歩み寄る陽兵に、依憑は瞼を閉ざしたまま、僅かに笑みを浮かべる。
「……ぼこぼこに、やられちゃった……ごめんね、ごしゅじん……」
依憑の顔からはすっかり血の気が失せ、魔霊子の大半を失ったためか感情も乏しい。
それでも、僕の肉を削ぎ落として継ぎ足せば、まだかろうじて治療が可能だ。
「大丈夫、すぐに僕が治すから」
陽兵は材料を確保するために、自分の脇腹へと右手を押し当て、
「――ぅっ……」
足蹴にされた依憑の身体が、壁に激しく叩き付けられる。
「……ぇ……」
そのあり得ない光景に、僕の頭は理解が追いつかない。
やったのは、僕ではない。
手塩にかけて作り上げた心ない天使達を、僕が蹴飛ばすわけがない。
黒いローファーを履いたその足は、他でもない……僕の隣を並び歩いていた、花撫のもの。
「そういうお涙頂戴は、やめて欲しいなぁ。変な雑味が付いちゃうからさぁ」
花撫の顔に浮かび上がる、汚物を見るような冷ややかな表情。
3……2……1……
依憑の肩でカウントを刻む、腕輪の数字。
そして、依憑は為す術なく……爆弾で粉微塵に消し飛んだ。
わけが、わからない……
今、僕の目の前で、いったい何が起こっている。
花撫の身に、その心に、何があったというのか。
「もう少し茶番に付き合っても、良かったんだけどさぁ。
こうも美味しそうな御馳走を、目の前にしちゃうとねぇ」
たとえ声色が違っても、その意地の悪い口調を忘れられるはずがない。
それでも、そんなことはあり得ないと、頭が必死に否定している。
ギギギムッ
突如、僕の脳内に直接響き渡ったのは、空間そのものが軋むような不快音。
中央広間から玄関へと続いていたはずの廊下――その前後が共に、黒一色の巨大な壁で遮断される。天井もまた同様に、闇の天蓋で完全に覆われる。
固有領域の展開――人間には扱えるはずのない、ゲームマスター側の能力。
そんなことが可能な存在が、もし僕の身近にいるとしたら……それは……
「これでキミともお別れだし、最期にもう一度、自己紹介しておこうか。
ボクの名前はイルミナ――キミ達が言うところの、上級幻魔だよ」
徐に開かれてゆく、花撫の瞼。
その奥に佇む二つの瞳は、煌々と燃えるような……鮮やかな紅の光を宿していた。
それは、他ならぬ幻魔の象徴。
花撫の肉体に、イルミナが直接宿っているという証。
肉体に収まる精神は、一つだけ。
それなら、花撫は、花撫の心は……いったい、どこに……
「――花撫を、どこにやったっ!?」
抑えようのない焦燥感に駆られ、イルミナに問い質す陽兵。
「そんなこと、ボクに聞かれても困るなぁ。
ボクは空っぽだったこの肉体を、都合良く利用してただけなんだから」
イルミナはやれやれと首を横に振り、適当にはぐらかす。
「お前が知らないはずがない!
さっき依憑を殺したとき、花撫に固有幻想を使わせたじゃないか!」
馬嶋君のような、特性の模倣とは別物。あれは紛れもなく、
「ああ、あれね。
他人の固有幻想は、勝手に使えない……まぁ、普通はそう思うよね」
ブレザーの胸ポケットから、花撫のスマホを取り出すイルミナ。
陽兵の方へと画面を向けたそれを、イルミナは急に手放し――スマホは石床にぶつかる直前で、ぴたりと宙に静止する。
イルミナの手のひらから伸びた一本の赤い糸が、スマホに突き刺さり繋ぎ止めていた。
「ボクの固有幻想の名前は
宙づり状態のスマホの画面から、じゃらじゃらと生え出す金属の鎖。
それは、紛れもない……花撫の
「花撫のスマホに繋がれば、爆弾も鎖も使いたい放題。
当然、キミのスマホに繋がれば、人形操作もお手の物というわけ。
持ち主の精神がどこにあるかなんて、ボクには関係ないんだよ」
イルミナの言葉に耳を傾けながら、陽兵は脳内で必死に情報を整理していた。
僕の固有幻想が使えるなら、中身が空になった僕の肉体を、人形として外部から操作できる。イルミナは花撫の中に潜んだまま、一人二役を演じていたのだろう。
僕の固有幻想経由で命令されたのなら、人形達が何の疑いもなくイルミナの指示に従っていたのも頷ける。楓華に至っては、二人の主人からの矛盾した命令に困惑していた程だ。
さらに、僕がイルミナの声を初めて聞いた、爆弾鬼での出来事――僕の心は自分の肉体から追い出され、楓華の身体に入れられた。あの現象も、イルミナによる
つまり、あのときイルミナは、僕に気づかれずスマホに糸を伸ばせる場所に――僕に寄り添う花撫の中にいた。僕の固有幻想の特性を、イルミナが知り尽くしていたのは……ずっと、僕の傍にいたからだ。
「……いったい、いつから……花撫の中にいた?」
背筋にざわざわと怖気が走る。
怒りで茹だっていた脳から、急速に血の気が引いていく。
「ボクに尋ねるまでもなく、キミは答えを知っているはずだよ、陽兵?」
その質問を待っていたとばかりに、イルミナの口元が綻ぶ。
ああ、そうだ……花撫が花撫ではなくなった日を、あのときに起こった全てを……僕はもう、思い出している。
記憶を失い、言動がすっかり変わってしまった花撫。
瞼を閉ざした代わりに、魔霊子を感じ取れるようになった花撫。
花撫の命を必死に繋ぎ止めた、あの日……僕のもとに帰ってきてくれたのは、花撫ではなく……イルミナだったのだ。
「幻魔であるこのボクを、誠心誠意お世話するキミの姿はさぁ……実に滑稽だったよ。
今日まで笑いを堪えた自分自身を、褒めてあげたいぐらいさ」
もうこれ以上は我慢できないと、吹き出すように笑い始めるイルミナ。
快楽で歪みきったその表情は、もはや花撫としての原型を留めていなかった。
「……なら、花撫は……花撫の心は、今……どこに……」
陽兵はただ呆然と立ち尽くし、花撫の姿をした異物を見つめている。
「さぁ? とっくの昔に、消えたんじゃないの?」
全く興味なさげな、つれない言葉。
花撫は、すでに……死んでいる……
なら、僕は……ここまで……何のために……
「無駄な努力、ご苦労様。人形遊びは、思う存分楽しめたかい?」
陽兵の肩を気安く叩き、嘲笑うイルミナ。
陽兵の心を支えていた最後の柱が、音を立てて崩れ落ちる。
糸の切れた操り人形のように、陽兵は石床の上へと倒れ伏した。
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