16 ~死と再生の記憶~

 陽兵が目の当たりにしたのは、壮絶な狐白の最期。

 その姿が、かつての花撫と重なり合う。

 瀕死の重傷を負った花撫を、自分が必死に治療した。

 それは果たして、本当に正しい記憶なのだろうか。

 心の底で閉ざされていた真実の扉が、力任せにこじ開けられようとしていた。


 学園の裏門近くの雑木林は、すでに元の静けさを取り戻していた。

 骸骨達は中身が抜け落ちたかのように、皆揃って動きを止めている。

 辺りには、ずたずたに表皮を削られた木々が散乱しており、あの爆発が決して夢や幻ではないことを物語っている。

(……花撫……)

 いつの間にか、陽兵の身体は鎖から解放されていた。

 それなのに、地面の上に横たわったまま、凍り付いたように動かない。

 視線を向けることを、無意識に拒んでいる。

 だがそれは、花撫の命を諦めるのと同じ。

 もし、まだ息があったとしたら、治療は一刻を争う。

 歯を食いしばり、地面を手のひらで掴み、無理矢理上半身を起こす。

 視界の端に映り込む、黒のローファーを履いた脚。草むらの上に倒れている。

 その腰には、ボロ切れと化したスカートの僅かな残骸。

 そして、そのさらに先に……花撫の上半身はなかった……

 一目で分かる――即死だ。

 頭部を失っては、人はとても生きていられない。

 けれど、気づけば僕は、花撫のもとに走り出していた。

 花撫の下半身の傍らには、まだ赤色のスマホが残っていたから。

 それは、まだ肉体的な死を迎えていない証拠。

 残された身体のどこかに、もし命の灯火が残っているなら……僕の力で、繋ぎ止めることができるかもしれない。

 諦めてたまるか――その身体が全て、地の底に呑まれるまで。

「――【可逆的再生】ロールバック!」

 花撫の腰に手を押し当て、そのあるべき姿を強く念じる。

 流れ落ちた大量の血がスライムのように蠢き、腹部の傷を覆い塞いでゆく。

 でも、その先の修復が続かない……肉の量が、絶望的に足りていな――

「――【天使の救済】ラファエル・ウィング!」

 陽兵の手の甲へと重ねられた、小さな手のひら。

 花撫の全身を形取った光の皮膜が、残された下半身をすっぽりと包み込む。

 そして、失われた上半身を埋め合わせるように、降り注ぎ始める光の羽根。

「――美愛っ……」

 陽兵の傍らには、メイド服を身につけた小さな人形の姿。

 そうか、助けに駆けつけてくれたのか。

「大丈夫です、お父様。この私が来たのですから」

 穏やかでありながらも、力強い声。

 生体再生に特化した美愛なら、失われた肉体を幻想で補うことができる。あえて僕を介することで、花撫のイメージをより確かにしているのだろう。

「遅くなり申し訳ない、主殿」

 時を同じくして駆けつけた緋奈は、すでに人間大に膨らみ戦闘態勢。溶子の身体に覆い被さっていたスカルナイトの頭部を、素手で粉々に握り潰す。

「溶子……よくぞ身を挺して、主殿を守り抜いた」

 緋奈は溶子の腹に突き立てられた骨剣を引き抜き、愛しそうに溶子の身体を抱き上げる。

「……そんなの……当たり前……」

 力を使い果たした溶子は、それでも微かに笑みを浮かべる。

「後のことは我に任せて、ゆっくり休むと良い」

 地面に倒れ伏していたスカルナイトの頭部を、緋奈は通りすがりに踏み砕く。

「……はぁ……はぁ……」

 次第に荒くなる美愛の呼吸。

 淡い光を放つ人型の枠を、次第に満たしてゆく魔霊子の羽根。

 人体の半分以上を魔霊子から作るのだから、美愛にかかる負担はかなり大きい。それでも、弱音一つ吐くことなく、目の前の花撫に意識を集中している。

(……みんな……ありがとう……)

 崩れ落ちそうだった僕の心を、人形達が支えてくれている。一人じゃないというのは、こんなにも心強いものなのか。

 陽兵は溢れ出す感謝を胸に、穏やかな光で覆われた花撫の身体を見つめる。

 かつては魔霊子だった微小な粒子が、人の皮膚へ、髪の毛へ、身につけた衣服へと、次々に姿を変えてゆく。深く傷ついていた下半身も、それに合わせるように修復される。

「生体補填が、完了しました……お父様。

 涼城様の全身は、これで問題なく……機能するはずです……」

 美愛は陽兵から手を離すと、肩で大きく息をしながら、その場にぺたんと座り込んだ。

 光の皮膜が消え失せた後には、まるで何事もなかったかのように、完全に再現された花撫の全身。今までで一番の大仕事を、美愛は見事に成し遂げてくれた。

「……お疲れ様、美愛」

 陽兵は花撫の身体から手を離し、空いたその手で美愛の背中を優しく撫でる。

 手のひら一つで、すっぽりと覆えるほどの小ささ。けれど、その奥で息づく命の鼓動は、人間と何一つ変わらない。

「……ぅ……」

 花撫の口が僅かに開き、小さな呻きが漏れ出す。

 何かに怯えるように、震え始める指先。

「もう大丈夫だよ、花撫」

 陽兵は花撫の手を握り締め、その確かな温もりに安堵する。

 花撫の身に何が起こったのか、今の僕にはわからない。

 危険はまだ、この森のどこかに潜んでいるのだろう。

 それでも、今はただ、花撫が無事に再生されたことを喜びたい。

「……ん……」

 陽兵の声に反応して、ゆっくりとこちらを振り向く花撫。

 その瞼を固く閉ざしたまま、陽兵の全身を見回すように頭を動かす。

 まるで、僕が僕であることが……わかっていないかのように。

 そして、僅かに首を傾げながら、その唇を開いて、

「……あなたは……誰、ですか?」

 花撫らしくない、抑揚のない口調で……彼女はそう、僕に尋ねた。

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