14 ~主人と従者の対立~

 造花の生け垣で彩られた広大な芝生の前庭が、夜の闇に沈んでいる。

 神様ゲームの終了まで、残りはおよそ1時間。風紀委員長の紅羽に率いられ、陽兵の私邸へと急ぐ狐白達一行。

 懐中電灯代わりのスマホの光。芝生の中を縫うように走る石畳を、足早に駆け抜けてゆく。向かう先には、窓から漏れる灯りに照らされ、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる巨大な洋館。諸悪の根源が待つ、最終決戦の地。

「……静かね……」

 最後尾を走る狐白が、独り言のように呟く。白い尻尾に宿る幻想的な光が、身体の動きに合わせて激しく揺らめく。

 風紀委員である紅羽さんの捜査権限により、重厚な鉄の門扉はあっさりと開かれ、一行はすでに私有地の中。しかし、周囲に人の気配は感じられない。いつもなら警備のために巡回しているはずの、名もなき人形達の姿さえ、影も形も見当たらない。

 つまらない邪魔はしないから、さっさと洋館の中に入ってこいと、イルミナは僕たちを誘っているのだろうか。

「庭も館も、無駄にでかすぎだろ……これが、生徒会特権だってかぁ? 特別扱いしすぎだろ」

 庶民はまず目にすることのない豪勢な館に、仗司は怒るよりむしろ呆れている。

「こんなの、彼らに与えられた特権の、ほんの一部に過ぎないし」

 閉ざされた玄関扉を前に、足を止める紅羽。その言葉には、冷ややかな侮蔑の色が滲んでいる。

「んじゃ、またぱぱっと頼むぜ、委員長」

 玄関の庇を支える柱に寄りかかり、紅羽の背中を見守る仗司。

「任せて」

 紅羽は赤色のスマホを手早く操作し、見るからに堅牢な扉へとかざす。

 ガチャリ

 鍵の開く重々しい音に続いて、ゆっくりと自動的に押し開かれてゆく扉。

 さしもの生徒会特権も、風紀委員の捜査権限には逆らえな――って、何だこれは!?

「ふふっ……中は随分と、狭いのね」

 誰もが予期していなかったであろう光景に、狐白の口から笑みが漏れる。

 確かに、玄関の扉は開かれた。

 本来なら、吹き抜けで横幅もかなり広い廊下が、階段のある中央広間まで続いているはず。

 しかし、玄関から数歩進んだ先には、ただ真っ白いだけの巨大な壁。貴族の豪邸を思わせる室内装飾とは、明らかに異質な物体。それは廊下を完全に塞ぐように、遙か三階の天井まで続いている。

「ハウジング機能を使って、廊下を壁で塞ぐとか……ふざけすぎなんだけど」

 特権を悪用した妨害行為に、紅羽は明らかな苛立ちを見せる。

 そう、生徒会役員に与えられる洋館内の間取りは、スマホのハウジングアプリを使えば、ある程度自由に変えられる。部屋の間を仕切る壁は、かなり分厚く設定することも可能。しかも、ちょっとやそっとでは壊れない魔霊子製だ。

 もっとも、狐白さんの【異端者の魔弾】ゼノファイアなら十分に破壊可能。あの威力を目の当たりにしたイルミナなら、当然それを分かっているはず。

 ならばこの壁は、魔弾を無駄撃ちさせるための嫌がらせか。あるいは、狐白さん以外の侵入を阻むための関所なのか。

「くっくっくっ……いいねぇ……

 ちょうど試しておきてぇと、思ってたところだぜぇ?」

 狐白が魔弾を装填するよりも先に、目前を塞ぐ白い壁へと歩み寄る仗司。

「……【残鬼・纏】ざんき・まとい

 仗司の背中、黒い学ランの上に、突如鮮やかに浮かび上がる、人ならざる者の顔面。三本の角を生やした黄色の鬼が、不敵な笑みを浮かべている。

 仗司が握り締めた右の拳、その甲に浮かび上がるは、青い光で描かれた数字。

 5……4……3……

 間違いない、このカウントダウンは――花撫の【炸裂する激情】メール・ボムだ。

「いくぜぇ……【爆裂拳】ばくれつけん!」

 カウントゼロに合わせるように、巨壁へと叩き付けられる仗司の拳。

 派手な爆音に伴い、砕け散る白い壁。濛々と舞い上がる粉じんの向こう側に、大人二人が横に並んで入れる程の大穴が見える。

 素手では到底、発揮し得ない破壊力。爆弾が手元で炸裂したにも関わらず、その拳は赤く血が滲んでいるだけ。

『死に損ない』オーバー・デスの二つ名は、伊達じゃないみたいね」

 仗司の背中へと賛辞の言葉を贈る紅羽。

「殺されても、タダじゃ起きねぇのがモットーでなぁ……こいつぁまた、いいもん貰っちまったぜぇ」

 振り返る仗司の顔には、得意げな笑みが浮かんでいる。

 まさか、自分を殺した固有幻想を、拳に込めて放てるとでもいうのか。いや、それだけでは、その拳の頑強さが説明できない。おそらくは、攻防一体の特性があるのだろう。

「さぁて、とっとと先に進むとすっかぁ」

 粉じんが収まりゆく中、大穴を通って先に進む仗司。紅羽と狐白もその後に続く。

 ようやく確認できた白い壁の向こうには、馴染み深いいつもの光景が広がっていた。廊下の両側の所々に置かれたガラスケースの中には、様々な衣装を着せられた試作の人形達が、館のインテリアのように飾られている。

「……不気味でしかないんだけど」

 横手の人形達を一瞥するなり、紅羽は嫌悪の色を露わにする。

 材料が僕自身の肉体なのだから、妙な生々しさがあるのは確か。深く眠っているかのように、皆揃って瞼を閉ざしているが、主人の命令一つで今すぐにでも動き出す。

 だからこそ、一行の警戒は周囲の人形達に注がれていて、

「――ぁあ?」

 先頭を歩く仗司の頭上へ、ぼたりと落ちてくるそのときまで、誰もその人形の接近に気づかなかった。

 人間よりも遙かに小さな身体に、心ない天使達の証たるメイド服。しかしその艶やかな金髪は、乱雑に切り刻まれてショートカットに。

「なんだぁ、てめぇは?」

 頭上へと右手を伸ばし、人形の胴体を鷲掴みにして引き剥がす仗司。その手の甲で、カウントを刻み始める青色の数字。

 5……4……3……

 イルミナの仕業なのか、かつての髪型は見る影もない。けれど、このクールな無表情は、四女の溶子で間違いない。

 つまり、その固有幻想は、生体破壊に特化した――

「――【天使の断罪】ウリエル・フレイム!」

 溶子の全身を包み込む紅蓮の炎。それは、瞬く間に仗司へと引火。右拳はカウントゼロを告げるより先に、どろりと溶け落ちる。

「――てめぇっ!」

 被害は拳一つでは収まらず、炎は早くも仗司の右肩まで到達。

 しかし、仗司は怯むことなく、右足のスニーカーの上に青く光る数字を灯し、

「――【爆裂脚】ばくれつきゃく!」

 拘束から逃れ床を走る溶子の背中へ、蹴りを放ちつつ爆弾を炸裂。

 爆風に弾き飛ばされ、溶子の小さな身体は廊下の遙か先へ。

 しかし、置き土産の残り火が、仗司の右脚を駆け上がる。

「……ったく……人形にしちゃぁ、やるじゃねぇか……」

 炎に呑まれ、各部位を次々に溶かされながらも、仗司は余裕の笑みを浮かべたまま。

 自身の固有幻想に対する、確固たる自信。何度生き返れるのか知らないが、実に頼もしい。

 しかし、心ない天使達は全部で五体。新人講習会で活動停止に至った楓華を除いても、残り四体がこの洋館を守っているはず。

 やむを得ず敵に回すことになった、従順なる人形達。改めてその厄介さを実感する。

「……悪ぃ、少し寝るぜ……」

 ついに全ての形を失い、床の上に溶け落ちる仗司。血溜まりの中に衣服だけを残し、完全に沈黙する。

 しかし、静寂が場を支配したのも束の間。こつりこつりと石床を打つ足音が、廊下の向こうから響き始める。

「あくまで様子見と言っておいたのだが、済まない」

 堂々と廊下の中央を歩きながら、こちらへと語りかけてくるメイド人形。素人が適当に短くしたかのような、荒いショートカットの金髪。

「身体に触れた男の手から、敵意を感じたようでな。あくまで自己防衛の一環だと思って欲しい」

 人形の口調は、客人相手であるかのような落ち着きぶり。

 その固有幻想を危険視して、すぐさま警戒態勢を取る狐白と紅羽。

 確かに、髪型はわざとらしく似せているが、この人形は先ほど蹴り飛ばされた溶子ではない。

「狐白殿以外にはお帰り頂くよう、主殿から仰せつかっている。

 おとなしくこの館を去るのであれば、こちらから手は出すまい」

 その独特な口調に、威厳の感じられる落ち着いた表情――長女の緋奈に間違いない。

 緋奈は戦闘を避けるように、こちらとは十分な距離を保った位置で足を止め、これ以上先には進ませないと仁王立ち。

 緋奈の視線が向かう先には、紅の修道服を身に纏う紅羽。白いグローブの片方を脱ぎ、露わになった左手の指先を、紅羽は自らの口に含み歯を立てる。

「風紀委員長を脅すなんて、問題外なんだけど」

 口元から滴り落ちる血の滴。紅羽は血に塗れた指先を、緋奈へと向けて、

「――【血は乙女の刃】ブラッディー・レイン!」

 吹き出した血は鋭利な薄刃と化し、緋奈の小さな身体に降り注ぐ。

 次々に突き刺さる刃の嵐。しかし、全ては柔軟な肉の鎧に阻まれ、切り裂くまでには至らない。

 生体強化に特化した緋奈の肉体強度は、人間を遙かに凌駕している。紅羽さんの固有幻想は精神汚染こそ凶悪だが、刃自体の破壊力はオマケのようなもの。心を持たない人形の緋奈を、戦闘不能に追いやるのは難しいだろう。

「口で言ってもわからぬなら、仕方あるまい……力尽くで排除しよう。

 ――【天使の守護】ミカエル・アーマー!」

 3分の1サイズから、人間の倍はあろう巨体へと、急速に成長を遂げる緋奈。

 表面的には人間大に化けられる、中身が空洞の楓華とは違う。緋奈の膨らんだ体内には、魔霊子製の筋肉がたっぷりと詰まっている。その豪腕を力任せに振るうだけで、人間の肉体など容易く叩き潰せる。

 緋奈は勢いよく床を蹴り、紅羽との距離を一気に詰める。

「……【存在解放】レベル・バースト

 紅羽を守るように、緋奈の前へと躍り出る狐白。その頭頂部には、必死にしがみつく陽兵。

 狐白は身体を勢いよく横回転。緋奈の足下を、白尾の一閃が薙ぎ払う。

 足を床に叩き付け、踏ん張る緋奈。尾撃を正面から受け止め、迎撃の拳を狐白に振り下ろす。

 頭上で両腕を交差し、受け止める狐白。陽兵の目前に迫る巨拳。狐白の肉体は嫌な音を立てて軋むも、地に膝を付きながら耐えきる。

「人間にしては頑丈が過ぎるな、狐白殿」

 敵を強者と判断したか、緋奈は深く腰を落とし、脇の下で拳を握り締める。

「あなたこそ、作り手が余程優秀なのかしら?」

 狐白の左手中指が静かに湛える、魔霊子の光。デコピンの構えを、眼前の緋奈へと突きつける。

 これ程の近距離なら、回避は不可能。緋奈は発動前に潰そうとするだろう。ゆえに、狐白さんも迂闊な動きは見せられない。

 睨み合う二人。互いに出し抜く隙を窺っている。

 だからこそ、その存在は完全に視野の外だった。

「……【残鬼】ざんき……弐式……」

 足下の血溜まりから生え出す、仗司の右腕。緋奈の足首をぬるりと掴む。

「――ひぅっ!?」

 想定外の存在に触られて、奇妙な悲鳴を上げる緋奈。普段は武人のような落ち着きぶりだが、実はお化けが苦手だったりする。

「――き、貴様っ! 足下からの不意打ちとは、卑怯だぞっ!」

 姿を現した仗司の上半身へ、緋奈はあせあせと非難の声を上げる。

「……ぁあ? んなもん知る――」

「――【異端者の魔弾】ゼノファイア!」

 仗司の言葉に重ねるように、魔弾を撃ち放つ狐白。

 完全に虚を突かれた緋奈の上半身が、光に呑まれて消し飛ばされる。

 あまりに呆気ない緋奈の最期に、悲嘆よりむしろ虚無感が心に広がる。

 館を守る人形達を全て倒さなければ、先に進めないだろうと覚悟していた。

 僕さえ生きていれば、いくらでも作り直せると理解していた。

 それでも、否応なく心が反応してしまう。今抱くべきではない、独りよがりな感傷だ。

「……容赦ねぇなぁ、狐白ちゃん」

 ばったりと倒れ伏した緋奈の下半身を、仗司は驚嘆した表情で見つめている。

「こんな入り口で、体力を無駄使いできないわ」

 心ない天使達の一体を倒した狐白は、特に喜ぶこともなく平然とした態度。

 しかし、その魔弾の放ち方がどうにも気になる。

 初めて出会った退学処分の際には、右手の人差し指と中指。新人講習会で右手を失った後には、左手の人差し指。そして今、右手は元通りに見えるのに、弾丸として使われたのは左手中指。一度として同じ指が使われていないのは、単なる偶然だろうか。

「……こんなのが、あと何体いやがるんだか」

 魔霊子を全て消失した血溜まりが、床に呑まれて消え失せる。全身の再構成を終えた仗司は、足下のスマホを手の中へと転送し、トレードマークの学ランをすぐさま身に纏う。その一連の所作は、もはや手慣れたものだ。

「この残り、破壊しておいてくれないかしら、馬嶋君?」

 狐白が指差す先には、未だ床の上に残っている緋奈の下半身。

 体内の魔霊子の大半を消し飛ばされたのだ。すでに緋奈は活動を停止している。

 しかし、狐白さんの警戒は、決して間違いではない。

「こいつが、独りでに動き出すってか? 冗談きついぜ」

 仗司は口では笑いつつも、ごきごきと首を鳴らして、

「……【残鬼・纏】ざんき・まとい

 仗司の背中に浮かび上がる、怒りの形相をした二本角の赤鬼。

 仗司の右拳から煌々と吹き上がる、溶子と同じ断罪の炎。

 やはり、そうか。馬嶋君は自分を殺した固有幻想を、その拳や脚で放つこ――

「――【天使の伝言】ガブリエル・ホルン!」

 鳴り響く管楽器の音。生体操作を得意とする、依憑の固有幻想。

 廊下に並ぶガラスケースの一つから、人形が一体飛び出してくる。

「ひーねぇの身体は、いつきが貰うよ~」

 黒髪ロングのウィッグを放り捨てた後には、切り刻まれたショートカットの金髪。いつものメイド服ではなく、もこもこな白いパジャマを身につけた依憑。

 まさか、試作人形の一体に化けて、廊下に潜んでいたのか。

「――はぁっ!?」

 ひょこりと飛び起きた緋奈の下半身に、驚きの声を上げる仗司。

「――【紅蓮拳】ぐれんけん!」

 それでも、拳を叩き込むことは忘れない。

 しかし、緋奈の脚は炎に呑まれることなく、逆に仗司の身体を蹴り飛ばす。

「へ~、よーねぇの炎が使えるんだ~ でもでも~、いつき達には効かないよ~ん」

 廊下の壁に叩き付けられた仗司を指差し、依憑はきゃはきゃはと楽しげに笑う。

 そう、溶子の炎は自身の肉体を溶かさない。その特性は、同質の肉体を持つ者にも、つまりは姉妹や主人にも適用される。

「そいつぁ、残念だぜ……」

 仗司はふらつきながらも立ち上がり、にやりと不敵な笑みを浮かべる。

 緋奈の下半身は、追撃のために高く跳躍。仗司の頭部へ踵を落とし――

「伏せなさい」

 仗司の襟を掴み、床の上へと叩き付ける狐白。白い尻尾で包み込むように、緋奈の足を代わりに受け止める。

「尻尾のお姉ちゃん、すご~い」

 ぱちぱちと無邪気に拍手を送る依憑。緋奈の下半身を、自分の傍らへと下がらせる。

「物理攻撃で殺されるのは、勘弁して欲しいぜ」

 石床にぶつけた額を押さえながら、仗司はやれやれとため息を吐く。

「このまま延々と人形遊びなんて、勘弁して欲しいわ」

 狐白の左手薬指を穏やかに包み込む、白銀の光。

「あれが生体操作に特化した依憑なら、あたしの刃でも切り刻めるし」

 紅羽の左手から、絶えず流れ落ちてゆく血の滴。

「お姉ちゃん達強そうだし~、やっぱりみーねぇに直してもらおっと」

 緋奈の腰の上へと飛び乗る依憑。廊下の奥へと駆け出す、緋奈の下半身。

「――【血は乙女の刃】ブラッディー・レイン!」

 紅羽の指先から、次々に放たれる血の刃。

 緋奈は床や壁を蹴って跳躍し、全て軽やかに躱してみせる。

「それじゃ~、あとはよろしく~」

 依憑の声に応えるように、一斉に砕け散る廊下のガラスケース。指示を受けた試作人形達が、三人の侵入者へと襲いかかる。

 心ない天使達とは異なる汎用体、その総数は約二十。特別な固有幻想を使えない代わりに、基本的な能力を幾つか併せ持つ。約五十センチの身長に見合わぬ筋力、手で触れた肉体の溶解に加えて、多少の傷なら自己修復可能だ。

 もっとも、学園屈指の実力者達が相手では、時間稼ぎにしかならない。

「――【異端者の魔弾】ゼノファイア!」

 狐白は人形達に纏わり付かれるよりも早く、多数の人形をまとめて消し飛ばす。

 さらに、射線の先には緋奈と依憑。

 しかし、緋奈は即座に床を蹴り、魔弾を回避する。

「ちぃっ、うざってぇ!」

 試作人形相手に、苦戦を強いられている仗司。背中で笑う黄鬼の顔面。

 人形相手では効果がない紅蓮拳に、発動までに数秒の溜めが必要な爆裂拳。一対多の戦闘では、どうしても手数が足りない。かといって、固有幻想を伴わない通常攻撃が効くほど、人形達の肉体は柔ではない。

 仗司は小さな人形達に纏わり付かれ、学ランをあちこち引き千切られては、体表を溶かされどろりと血を流す。それでも、一体ずつ確実に人形を捕らえ、爆破してゆく。

「――【血は乙女の大鎌】ブラッディー・サイズ!」

 紅羽の背中から、引きずり出すように生成される血の大鎌。紅から薄紅へと、色が抜け落ちる修道服。大鎌で切り裂かれた人形が、上下真っ二つになり床に転がる。

 紅羽は血の刃を飛ばして牽制しつつ、近づいてくる人形を次々に一刀両――

「――【天使の断罪】ウリエル・フレイム!」

 突如炎に呑まれ、溶け落ちる血の大鎌。死角と化していた天井から、紅羽の間近に降ってきた溶子。その全身を包み揺らめく、紅蓮の炎。

 急ぎ大鎌を手放し、後方に飛び去る紅羽。迫り来る溶子に血刃を飛ばすも、炎に触れるなり即座に溶け落ち、溶子の身体には一つも届かず――

「――触らないでよっ!」

 紅羽は声を荒げ、右手で溶子の顔面を平手打ち。勢いよく弾かれたメイド人形が、床の上を激しく転がる。

 窮地でまさかの、素手による迎撃。しかし、炎に触れたはずの紅羽の右手は、燃え溶かされることなく形を保っている。白いグローブ自体が特殊な幻想なのか、中に何か仕込んでいるのか。

「――俺と変われっ、委員長っ!」

 纏わり付く人形もそのままに、紅羽のもとへ駆ける仗司。

 背中に浮かぶ鬼の面が、喜びの黄から怒りの赤へ、一瞬にして切り替わる。

「――【血は乙女の大鎌】ブラッディー・サイズ!」

 二本目の血の大鎌を、急ぎ生み出す紅羽。薄紅から白へと、完全に色が抜け落ちる修道服。紅羽は後方へと飛び退きながら、仗司の腰にしがみついた人形を斬り捨てる。

「悪ぃがそいつは、もう効かねぇっ!」

 仗司は勢いよく右腕を伸ばし、溶子の胴体を鷲掴み。藻掻く溶子の頭部をさらに左手で掴み、力尽くでへし折りにかかる。

 やはり、仗司の【残鬼】ざんきは攻防一体の固有幻想。自分を一度殺した能力に対して、強力な耐性を獲得している。

 ただし、纏える残鬼は一体ずつなのだろう。溶子の炎を模した紅蓮拳では、溶子を倒すことができない。かといって、素手で仕留めるには、人の筋肉では到底力が足りない。

 これ以上は無駄と判断した仗司は、その視線を狐白へと向けて、

「狐白ちゃん、俺ごとで構わねぇ! こいつを消し飛ばしてくれや!」

 両手で捕獲した溶子の身体を、狐白の方へと突き出した。

「別に構わないけど、あなたも死ぬわよ?」

 狐白は人形達を白い尻尾でしばき倒しながら、左手の小指を白銀の光と化す。

「問題ねぇ……残鬼はまだ一つ、残って――」

「――【異端者の魔弾】ゼノファイア!」

 仗司が言い終えるのを待つことなく、魔弾を撃ち放つ狐白。

 数体の試作人形をも巻き込んで、仗司の両足首から上が音もなく消失する。身体の小さな溶子に至っては、爪の先すら残っていない。

 傷一つない仗司のスマホが、床の上に寂しく落ちる。捨てることも壊すことも不可能な、幻神による束縛の象徴。その存在こそが、仗司がまだ生きていることを物語っている。

「……躊躇い、なさ過ぎなんだけど」

 狐白の対応に唖然としつつも、残る人形に大鎌を振り下ろす紅羽。

「死ぬ覚悟なんて、せずに済むならその方が良いわ」

 ふっと表情を緩めて、足下の人形を靴の裏で踏み潰す狐白。

 残りの試作人形は、僅か四体。

 それら全てが活動を停止するまでに、それほど時間はかからなかった。

 魔霊子が全て抜け落ちた人形達の肉体が、石床の下へと呑まれて消える。幻想である衣服の残骸だけが、激しい戦闘の爪痕として散乱している。

 残されていた仗司の足首から、にゅるりと生え出す太い腕。

「……痛みを感じる暇もねぇってのは、さすがに初めての体験だぜ」

 本日三度殺されたにもかかわらず、再構成された仗司の顔に浮かぶは清々しさ。

「こんな人形遊びで、力を削られてる場合じゃないんだけど」

 大鎌の先を石床の上に下ろし、ふぅと小さく息を吐き出す紅羽。赤色のスマホを手の中に転送し、何やら操作し始める。

「この館の主人は、どこぞで高みの見物中ってか」

 全身に蒸気を纏った裸の仗司は、ぐるぐると肩を回して解しつつ、床の上のスマホを自分の手の中に転送する。

「あの男が今居るのは、三階の廊下右奥にあるかなり広い部屋ね」

 紅羽は地図アプリを起動して、早速居場所を特定する。

 風紀委員の捜査権限をもってすれば、かなり詳細に調べられるようだ。

「んじゃ、早速殴り込みに行くとすっかぁ?」

 学ランを身に纏った仗司は、勢いよく手のひらに拳を合わせ、

「そうはさせないよ~」

 その意気込みを削ぐように、廊下の向こうから響いてくる依憑の声。その小さな身体は、石床を蹴り駆けてくる巨大な緋奈の肩の上。

 見たところ、緋奈の全身はすでに、美愛の【天使の救済】ラファエル・ウィングで再生済み。ただし、それはあくまで肉体的な話――消し飛ばされた魔霊子までは戻らない。依憑の操作なくして、緋奈の身体は動かないはずだ。

 行く手を阻む障害は、実質的には緋奈・依憑コンビの一体。生体修復に特化した美愛は、癒やし手としては優秀だが、戦力としては数に入らない。

「……【残鬼・纏】ざんき・まとい

 仗司の背中に出現する鬼の面。悲しげな顔をした角一本の青鬼。

 今までに見たことがない、三匹目の登場。まさか、狐白さんの魔弾を使うつもりなのか?

 近づく緋奈の巨体へと、仗司は右手の指鉄砲の銃口を向けて、

「消し飛びやがれ……【魔光拳】まこうけん!」

 姿形も音もなく、緋奈の胸元で炸裂する衝撃波。緋奈は仰向けに転倒し、後頭部を強かに打ち付ける。肩に座っていた依憑もまた、不意を打たれて床に不時着。

 放たれたのは光弾ではなく、消し飛んだのは仗司の人差し指だけ。明らかに、狐白さんが放つ魔弾とは効果が異なる。

「おいおい……俺が痛ぇだけじゃねぇかよ」

 仗司は傷口を手で押さえながら、その不満露わな顔を狐白に向ける。

「他人の固有幻想なんて、無闇に真似るものではないわ」

 始めからこの結末を予想していたのか、迎える狐白の表情は実に冷めている。

「あのデカブツはあたしと馬嶋君で片付けるから、あなたは先に進んでくれない?」

「……あら、何が狙いかしら?」

 紅羽からの突然の提案に、その真意を問う狐白。

「あなただけは、館の主人に歓迎されてるみたいだから。人形があと何体いるか分からないし、さっさと人形使いを潰した方が、話が早いでしょ?」

 この館に所蔵された人形の全貌を知らない以上、紅羽さんが他の人形を警戒するのも無理はない。実際に残っているのは、この場に姿を見せていない美愛だけなのだが。

「わかったわ。ここはあなた達に任せるから」

 狐白は頷き、身を起こした緋奈の傍らを走り抜ける。

 館内への侵入者を横目に、依憑に動きはない。やはり緋奈が言っていた通り、排除対象はあくまで狐白さん以外の二人。イルミナは直に狐白さんを弄ぶつもりなのか。

(何か良い策は、思いついたかしら?)

 廊下を抜けて中央広間に至る狐白。三階まで続く階段を駆け上がりつつ、頭上の陽兵へと問いかける。

 策というのは、言うまでもない。イルミナから自分の身体を取り戻す方法。それさえ成し遂げれば、自分の固有幻想はいつでも自由に使えるし、花撫がイルミナに付き従うこともなくなる。

 肉体に収まる精神は一つだけ。器を取り戻すためには、中身のイルミナを追い出す必要がある――この館に帰ってくるまでは、そう考えていた。

 しかし、今は新たな気づきを得た。自分で手足を動かせなかった、新人講習会のときとは違う。自分の未来は、自分の手で切り開く。

(……良い覚悟だわ)

 人気のない三階の廊下を駆け抜ける狐白。

 二人が目指す終着点は、すでに目の前に迫っていた。

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