13 ~疑念と確信の風紀~

「……それで、あなたはまだ、何か用があるのかしら?」

 騒ぎの元凶を共に見送る紅羽へと、狐白は不審そうに声をかける。

 確かに、紅羽さんは静かに佇んだまま、一向に帰る様子を見せない。むしろ、邪魔者がいなくなるのを待っているかのようだ。

「思わぬ騒ぎで、肝心の話に入るのが遅れたけど、そもそもあたしがこの場に来たのはさ、あなたと話をするためだし」

 紅羽は狐白へと向き直ると、赤色のスマホを手元に転送して、

「今朝行われた新人講習会で、風紀委員会は貴重な人材を亡くしてさぁ。

 正義感溢れる暑苦しい人で、高一の鐘原厳也って言うんだけど……あなたも知ってるでしょ?」

 狐白へと向けられた画面には、眼鏡をかけた少年の上半身が写し出されていた。

「鐘原君が参加したのは、新人として教えを請うためじゃなくて、とある人物の内偵調査のためでさ。

 『美少女工房』ドール・ファクトリーの二つ名を持つ、高二の神崎陽兵って男なんだけど。生きた人間を材料に、自分の欲望剥き出しの人形を作っててさ、かなりの危険人物なわけ」

 あくまで、花撫を介しての人間関係。決して仲が良かったわけではない。

 でも、そこまで警戒されていたとは、正直思っていなかった。

「以前から、あの男が幻魔の真似事をして、新人達を弄んでるって噂が立っててさ。

 そして今日、とうとうあの男のお遊びは、同じ人間を殺してしまうほどにエスカレートしてしまったと――」

「――殺したのは彼ではなく、上級幻魔の仕業でしょう?」

 とうとうと語る紅羽の言葉に、突如割り込む狐白。

「……あたしも、できればそう思いたいんだけどさぁ。

 真相を探るために、講習会に参加した新人にも、色々と話を聞いたのよね。

 その結果、爆弾鬼というゲームには、上級幻魔の仕業としては、どうにも不可解な点があるとわかったわけ」

「あなたがなぜそう考えたのか、ぜひとも知りたいわ」

 真剣な声色の紅羽を前に、狐白は興味深そうに目を細める。

「一つ目は、ゲームがクリアされたにも関わらず、報酬が支払われていない点ね。

 生存者には30GPを支払うと、上級幻魔が約束したらしいんだけど、まだ果たされていないし」

 言われてみれば、確かに変だ。幻想通貨を使った様子のない狐白さんは、所持金が10GPしかなかった。つまり、クリアの最大の功労者にさえ、報酬が振り込まれていないということ。

「上級幻魔がルールを破ったなんて事例、あたしは一つも聞いたことないのよね。

 でも、もしゲームの主催者が人間だったなら、約束が破られても何もおかしくないわけ。だって、人間同士での幻想通貨のやり取りは、ルール上不可能だし」

 紅羽さんが誤解するのも、分からないではない。だがその指摘は、もう一つの重要な可能性を見落としている。

 爆弾鬼は、まだクリアされておらず……続いているのかもしれない。

 イルミナの固有領域が解除された以上、もはや参加者達がルールに縛られることはなく、爆弾鬼に付き合う義務はないはずだ。だが、もしそれでも、イルミナがゲームを続行する気でいるとしたら……今までに聞いたことがない事例だけに、予想がつかない。

「二つ目は、ゲームの中で時限爆弾の腕輪が使われた点ね。

 新人達の話を聞く限り、あたしの親友である花撫の固有幻想に間違いないんだけど……花撫が自分の意思で、そんなことするはずないし」

 当たり前だ。花撫は誰よりも、自分の固有幻想の恐ろしさを自覚していた。だからこそ、乱りに爆弾を生み出しはしなかった。

「でも、花撫がすでに、花撫ではなくなっていたなら……あの男の操り人形に、作り替えられていたなら……話の辻褄は合うでしょ?

 実際、花撫は一ヶ月ほど前を境に、すっかり性格が変わってしまったし……あたしのことも、ほとんど何も覚えてないし……」

 ……ふざけるな……僕がそんなことを、するはずがない……

 胸の奥から、抑えようのない怒りが湧き出す。

「花撫は幻魔に襲われて、致命的な怪我を負ったんだって……あの男は言ってたけど。自分が懸命に治療したから、花撫はかろうじて死を免れた……花撫の記憶喪失は、あくまで一時的な症状だろうって、確かに言ってたけど。

 でも、もし花撫があの男の人形にされたのなら、花撫が記憶を失ったことも、その瞼が閉ざされたままなことも……全部説明できてしまう」

 ずきりずきりと、頭の奥を抉られるような激痛。

 花撫が、人形だなんて……そんなこと、あるはずがない。

「あなたの言いたいことは分かったわ。でも、どうして私にそんな話をするのかしら?

 気に入らない奴がいるのなら、あなたが好きに裁けば良いでしょう? あなたは風紀委員長なのだから」

 何か企んでいるのではと、紅羽の言動を訝しむ狐白。

「あたしの固有幻想は、心を持たない人形には効かないから……人形使いのあの男が相手だと、どうしても分が悪いのよね。

 できれば、誰かの力を借りたくてさ。そこで思い至ったのが、講習会で大活躍だったあなたというわけ」

 紅羽は胸の前で両手を握り合わせ、縋るように狐白を見つめる。

 狐白はふっと表情を和らげると、胸の前に構えた自分の拳を握りしめて、

「協力するのは、別に構わないわ。

 あなたに頼まれなくても、一発ぶん殴ってやるつも――」

 バゴオオウ

 突如鳴り響いた爆音が、二人の会話を中断する。

 閉門時刻の18時はすでに過ぎ、新たな幻魔の襲来はないと、皆が安心しきっていた夕食時。一瞬静まりかえった学食内が、その反動とばかりに一気にざわめき立つ。

 建物の外へと一目散に逃げ出す者、状況を把握しようと周囲を見回す者――そして、騒動の中心地に向かい駆け出す、狐白と紅羽の二人。

(……あなたは、どう思う?)

 狐白は人の波に逆らい走りながら、頭上の陽兵へと問いかける。

 今日、何度も聞かされてきた爆音――僕の頭に思い浮かぶのは、【炸裂する激情】メール・ボムしかない。

 花撫が自分の意思で、人間を爆殺するはずがない。であれば、イルミナに強制されたということ。固有領域が解除され、爆弾鬼のルールから解放されたにも関わらず……見ず知らずの他人に殺意を抱き、爆弾を具現化した?

 花撫ならば、あり得ない。

 たとえ、記憶を失おうとも……花撫にそんなことが、できるはずがない。

 だが、もし花撫ではなく……主人に従順な、ただの人形であったなら……

(見えてきたわ)

 狐白の視線の先には、椅子とテーブルが散乱した爆心地。学生達が逃げ出し閑散としたその中心部には、見覚えのある学ラン姿の少年達。近距離で爆発に巻き込まれ負傷したのか、床の上に横たわっているものの、四人ともどうやら意識はある様子。

 いや、待て――学ラン軍団は、確か五人いたはず。だが、一際目立つ大柄な馬嶋君の姿が、近くに見当たらない。

「あなたたち、怪我の具合は?」

「……狐白の姐さん……俺達は、大したことありません……かすり傷です」

 駆け寄る狐白に、学ラン姿の少年の一人は、頭を押さえながらも強がってみせる。

「……違う……僕は、違うんだ……」

 けれど、別の一人の少年は、わなわなと身体を震わせながら、床の上に転がる肉の塊を見つめていた。

 爆風でぼろ切れと化した学ランの残骸。体表を飾る造形は乱雑に削り落とされ、かろうじて人間としての面影を残すのみ。右腕を消し飛ばされた人間の上半身が、物言わぬ屍として横たわっている。

「……何があったのか、説明してちょうだい」

 狐白は怯える少年の前で膝をつくと、その頬に優しく手を伸ばして、努めて冷静に問いかける。彷徨うばかりだった少年の視線は、目の前に現れた狐白の顔へと吸い寄せられる。

「……こ、狐白、さん……あ、あの腕輪が、爆弾が……いきなり、僕の手首に……

 ……僕は思わず、触ってしまって……隣に座っていた、馬嶋さんに……あの腕輪が……」

 少年は僅かに冷静さを取り戻し、震える声でとつとつと話し始める。

「……馬嶋さんは、僕を突き飛ばして……爆弾を腹に抱えて、床の上に伏せて……

 ……僕が、馬嶋さんを……馬嶋さんを……ぁぁああああああ……」

 少年は両手で頭を抱え込み、やり場のない嗚咽を吐き出す。

「落ち着け、難波なんば……馬嶋さんは、この程度じゃくたばらねぇよ」

 傍らにいた仲間の一人が、少年の背中を力強く叩く。

 この程度、というが……馬嶋君の肉体は、見るからに死骸。それでも、床に沈んで消えてはおらず、その傍らには白いスマホがまだ残っている。つまり、彼の体内では、まだ魔霊子が息づいているということ。

 そんなことを可能にするのは、固有幻想以外に考えられない。

「……【残鬼】ざんき……参式……」

 口であろう部位から、微かに漏れ出す仗司の声。

 その大胸筋を突き破るように、ずるりと生え出す無骨な人の腕。それは自分の生を主張するように、床の上へと勢いよく手のひらをつく。

「――っ……な……ぁぁ……」

 その驚愕の光景を目の当たりにして、少年の泣き声は喉の奥へと引っ込んでしまう。

「……ったくよぉ……痛ぇったら、ありゃしねぇぜ」

 続いて現れた仗司の頭部からは、苦しくも楽しげな仗司の声。

 胸に腰、さらには脚と、ついに仗司の全身が姿を現す。

 一切何も身につけていない、紛うことなき全裸。筋肉質な肉体から濛々と立ち上る湯気が、かろうじて危うい部分を隠している。

「あの状態から、自力で再生するなんて……あなた、随分としぶといのね」

 呆れ混じりの狐白の賞賛に、

「諦めの悪さで、俺に勝てるやつぁいやしねぇ……

 何しろ、諦めなんつぅ弱気な心は、神様に喰われちまったからなぁ……」

 仗司は不敵な笑みで応えながら、亡骸の側に転がる白いスマホを、自分の手の中に転送。手早く操作し、自らのトレードマークとも言える学ランでその身を包む。

 抜け殻と化した上半身は、ついに全ての魔霊子を失い、床の下へと呑まれて消える。しかし、その肉体と結びついていたはずのスマホは、依然として仗司が手にしたまま。

 生まれ変わった新たな肉体へと、接続先がすでに切り替わっていたのだろう。

「あたしの悪い予感は、できれば当たって欲しくなかったんだけど……

 爆弾鬼のゲームマスターは、やはり上級幻魔ではなく、神崎陽兵……」

 怪我をした少年達の手当をしていた紅羽が、独り言のようにぼそりと漏らす。

「神崎……ああ、いつも別嬪の人形を侍らせてるっつぅ、生徒会のお偉いさんか。

 おいおい、委員長……生徒会っつったら、幻魔に対する人間側の切り札だろぉが? それがどうして、人間殺そうとしてんだよ?」

「馬嶋君は勘違いしてるみたいだけどさぁ、生徒会役員の選出って、別に学生が選挙して決めたわけじゃないでしょ?

 あくまで、幻神イスラフェルティアの一存だし。幻魔側に都合の良い人間達に、数々の特権が与えられていても……何もおかしくないんだけど」

 役員選出に拒否権などなく、僕は勝手にスマホを黒く塗り潰されただけ。しかし、その恩恵に与ってきたのは確かだし、特権を乱用ぎみな役員がいるのも否定できず……実に、頭の痛い誤解である。

「俺はどうにも、頭が悪くてなぁ……そいつの面をこの目で拝まなきゃ、良い悪いの判断はできねぇなぁ?」

 バキバキとこれ見よがしに拳を鳴らす仗司。

 仲間の命を狙われた以上、犯人を放っておくつもりはないらしい。

「とりあえず、停学処分の材料は十分揃ったし……まずは逃亡を防ぐべきね」

 紅羽が操作するスマホの画面が、一面黄色く染まる。停学を告げるためのイエローカード――画面に大きく表示された黒色の1の数字は、停学期間が1日であることを意味している。

「おいおい委員長、確証もなしに停学処分にしちまっても、良いのかよ?」

 呆れ混じりの笑みを浮かべた仗司に対して、

「あたし達に求められているのは、学園の平和を守るための決断力だし。

 神様に祈ってるだけの風紀委員なんて、要らないでしょ?」

 紅羽の毅然とした態度は、何ら揺らぐことはない。

「シスター服着たあんたが、それを言うのかよ?」

「この服はあくまで、神に代わってでも事を成すという、覚悟の証だし。あたしは自分を貫くためなら、神であろうと敵に回すから」

 スマホの画面は目映い黄色の光を放ち、すぐさま元の黒に戻る。

 神崎陽兵への停学処分が下されたということ。それでも、僕が変わらずこの場に留まっているのは、処分の対象が僕の精神ではなく、スマホと結びついた肉体の方だからか。

「これでもう、あの男は自分の館から逃げ出せない。

 これ以上の犠牲者を出さないために、今夜で全てにけりをつけるから」

 紅羽はスマホを腰のポケットに仕舞うと、一足先に学食の外に向かい走り始める。

「お前らはこの場で待機――何かあったら、よろしく頼むぜ?」

「任せてください、馬嶋さん!」

 仗司は他の仲間達にこの場を任せ、すぐさま紅羽の背中に続く。

(……なんだか、気乗りしないわね)

 最後尾を駆ける狐白は、誰にともなく心の中で呟く。

 その思いには、僕も同感。イルミナはおそらく罠を張り、僕達を待ち構えている。

 現場にいなければ、爆弾に怯える人間達の心を味わえない――にも関わらず、イルミナが爆弾を学食に転送したのは、まさにゲーム続行の合図。迎え撃つ準備が完了したからだろう。

 その対象はおそらく、僕と狐白さんの二人。他の新人達ではこの状況を理解できず、次の舞台に辿り着くことさえできない。紅羽さんと馬嶋君は、予定外のおまけといったところか。

 陽兵は狐白の頭上で一人、館に囚われているであろう花撫の無事を願い続けていた。

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