11 ~恐怖と安堵の来訪~

 狐白さんを訪ねてきた――いったい、どこの誰が?

 というか、今の僕の姿を、他の誰かに見られるのはマズい。

 隠れ場所を求めて、陽兵は部屋の奥へと廊下を這いずる。

 そんな陽兵を、こっちにおいでと無言で招き寄せる狐白。その服装は、上下共に下着姿のまま。

(――いや、君のその格好も、誰かに見られたらマズいんだけど!)

 さっきまではシリアスモードで意識の外だったけど、冷静に考えてみると……自分はずっと、狐白さんの下着姿をガン見していたわけで……いや、これ以上考えるのは止めよう。

 狐白は足下までやって来た陽兵を、ベッドの上へと拾い上げながら、

(これから昼寝の時間なのに、なぜ服を着る必要があるのかしら?)

 実に落ち着き払った態度で、陽兵の心へと直接語りかけてくる。

 狐白さんの思念――そういえば爆弾鬼のときにも、聞こえてきたような。

 ピンポーン ピンポーン

(そもそも、鍵をかけているのだから、誰も勝手に入って来ないわ)

 宥めるように、陽兵の身体を撫でる狐白。

 ドアホンの音を全く意に介していないのは、居留守を決め込むつもりだからだろう。しかし、狐白さんの言葉は必ずしも正しくない――例外は存在している。

 風紀委員が捜査権限を行使すれば、学生の私室・私邸の扉を解錠可能だ。生徒会役員にいたってはマスターキーのアプリ持ちで、鍵を開けるのに理由すら必要ない。

 カチャ

 悪い予感は的中するもの。無言のままに、鍵が開けられる音。

 捜査目的であれば、事前にスマホへ通知が来る。何の前触れもなく、鍵が開いたということは――マスターキーが使われたということ。

 誰がやって来たのか……思い浮かぶのは、他ならぬ自分自身の顔。

 ベッドの上に置かれたスカートの下へと、陽兵は急ぎ潜り込み、僅かな隙間から廊下の向こうを凝視する。

 開かれる玄関の扉。室内に入ってきた者の脚が、かろうじて見える。

 無料支給の白いスニーカーに、制服のズボン――自分の普段の服装と一致する。

「夜這いなら間に合ってるわ、神崎君」

 黙したままの侵入者へと、狐白さんが先に声をかける。

「睡眠中だったとは、これは失礼。室内でキミが倒れてはいないかと、心配したもので」

 返ってきた少年の声は、明るくテンションも高め。とても自分の口から出てきたとは思えない。

「そんな柔な身体の作りはしていないわ」

「どうやら、そうらしいね。

 でも、右手を失う大怪我を負って、保健室に顔も出していなければ、どこかで倒れていないかと心配するよ」

 イルミナは保健室にまで、狐白さんを探しに行ったのか。僕の身体を勝手に使って、いったい何を企んでいる。

「他人に身体を触られるのは嫌いなの。それに、あの程度の傷なら、自力で治せるもの」

「その治癒能力も、あの【異端者の魔弾】ゼノファイアと並ぶ、キミの固有幻想の一つというわけかい?

 すごく、興味あるなぁ……いったい、どうやって治したんだい?」

 狐白さん個人に対して、イルミナは明らかに執着を見せている。

「自分の固有幻想の特性を、他人にべらべら教えるわけないでしょう?」

「他人扱いは、寂しいなぁ……

 ボクにとって、いや、あの場にいた皆にとって、キミは命の恩人だというのに」

 命を奪おうとしていた張本人が、何を白々しいことを……

「私は自分がやりたいようにやっただけ。あなた達が救われたのは、ただの結果でしかないわ」

「それでも、キミに救われたことに違いはないよ……ありがとう、狐白さん」

 心など籠もっているはずのない、薄っぺらい感謝の言葉。

「ありがとうございました、狐白さん」

 続いて聞こえてきたのは、馴染み深い少女の声。まさか花撫も一緒に、ここに来ているのか。

 花撫が無事であることに安堵するも束の間、イルミナに付き従っている事実に不安が膨れあがる。花撫は僕が僕でなくなったことに、きっと気づいていないのだろう。でも、だからこそ無事だとも言える。

「ところで、神崎君……あなた、随分と口が回るようになったのね? 以前会ったときには、自分の口では一言も喋らなかったくせに」

 目の前の少年が偽者だと知っていながら、狐白は探るような言葉をかける。

「……ああ、恋は人を饒舌にするものだからね」

 イルミナが口にしたのは、幻魔には不似合いなナンパ台詞。

「彼女の目の前で、そんな臭い台詞を吐いても良いのかしら?」

「ああ、花撫はただの同居人――妹みたいなものだから、気にする必要はないよ。

 僕が今、興味があるのは……目の前にいる、キミだからねぇ」

 ねっとりとした嫌らしい声色。同じ肉体を使っても、こんなに違う音が出せるのか。

「悪いけど、私はあなたに興味がないの。さっさとお家に帰ってちょうだい」

 一方、狐白さんの対応は実にサバサバ。上級幻魔のイルミナに対して、本当に興味がないのかもしれない。

「つれないなぁ……でもまぁ、キミを美味しく食べるのは、後の楽しみに取っておくよ」

 ようやく帰ってくれるのか、イルミナの足下がくるりと反転し、

「ああ、そうそう。帰る前に、用件だけは済ませておかないとね」

 まだ何か用があるのか、さらに逆反転。

「今日体育館を後にしてから、今に至るまでの間に……何か、違和感を覚える出来事はなかったかな?」

 意味ありげな口調のイルミナ――まさか、僕を探している!? 僕がまだ生きていると、気づいたのか!?

 もし、イルミナが僕の固有幻想を把握しているなら、十分にあり得る話だ。僕の精神が本当に死んでいれば、僕の固有幻想は力を失い、心ない天使達は皆ただの肉塊になってしまうはずだから。

「違和感、ねぇ……今、あなたがここに居ることが、一番の違和感なのだけど」

 僕を匿ってくれるのか、平然とすっとぼけてみせる狐白さん。

「そもそも、あなた……私の部屋がここにあると、なぜ知っているのかしら? 私は一度も、教えたことはないのだけど」

 学園内の敷地には、数多くの学生寮がある。全て一階建てなので、建物さえ分かっていれば、後は表札を見て回るだけ。しかし、その総数はおよそ百棟――虱潰しに探せる数ではない。

「ああ、それなら話は簡単だよ。

 実は、花撫は風紀委員をしていてね。キミがどこにいるのか調べてもらったんだ」

 確かに、捜査権限を持つ風紀委員なら、学生の名前さえ知っていれば、その居場所を地図アプリで調べることができる。花撫のスマホの色を見れば、風紀委員であることは一目瞭然だ。

 しかし、上級幻魔というのは、人間側にしか関係ない神様ゲームのシステムまで、きちんと把握しているものなのか?

「そこまでして、あなたは何を知りたがっているのかしら?」

「……そうだねぇ……例えば、そこに何が隠れているのか、とかかな?」

 イルミナの身体から漏れ出す殺気。陽兵の全身に震えが走る。

「爆弾鬼でさぁ……キミ、何かおかしなことしてたよね?

 あのボロくずにトドメを刺すの、随分躊躇ってたでしょ?

 それがずっと、気になっててさぁ……」

 やはり、イルミナは感づいている――だとしたら、マズい。今この怪しい姿を見られたら、幻魔だ何だと言いがかりを付けられ、強引に始末されかねない。

「いるんだよねぇ……人間でありながら、幻魔と取引する不届き者がさぁ……

 神様ゲームなんて端からクリアする気がない、利己的な輩がさぁ……」

 どうすればいい――考えろ! 今、自分には何ができる?

 固有幻想が使えない以上、この身体を作り替えることは――いや、できる!

 媒体となるスマホは、スマホと紐付いた僕の肉体は、今目の前にあるじゃないか!

(――【即席汎用体】イニシャライズ!)

 僕の思念に応えて、全身の肉が激しく脈動する。

 問題ない、いける! この際、能力は度外視――外見の創造に全てを注げ! この部屋にあっても違和感のない、見るからに無害な存在に化けるんだ!

「ああ、やっぱり……そこに何か、隠れているね。

 キミはいったい、何を匿っているのかなぁ?」

 玄関から廊下へと、土足で踏み入ってくるイルミナ。その背中に隠れるように、寄り添い歩く花撫。

 狐白は傍らのスカートに手を伸ばすと、それを躊躇いなく拾い上げて、

「あら、この可愛いぬいぐるみが、化け物に見えるとでも言うのかしら?」

 クマのぬいぐるみと化した陽兵を、イルミナの眼前に晒してみせた。

 薄茶色のふわふわな毛に覆われた、手のひら大のクマ。そのつぶらな黒の瞳は、当てもなく宙を見つめている。

「……幻魔が化けているわけではない、と?」

 歩みを止めるイルミナ。その顔からは一瞬にして、下卑た笑みが消え失せる。

「そんなの、この子の目を見れば、一目瞭然でしょう?」

 狐白は手にしたスカートを放り捨て、代わりにぬいぐるみを拾い上げると、愛しそうに目を細めて頬ずりしてみせる。

「ああ、確かに……幻魔には見えないね」

 陽兵をじっと見つめるイルミナ。濃いサングラスで隠されたその瞳。

 陽兵は緊張で全身が硬直する中、震える心を押し殺してぬいぐるみになりきる。

「ところで、そのぬいぐるみ……どこで入手したんだい? 購買では見かけない類のグッズなんだけど」

「自分の身体を材料にして、固有幻想で作ったのよ」

 嘘は言っていない。作ったのは狐白さんではなく、僕だけれど。

「洋服の下で、もぞもぞと動いていたように見えたけど?」

「固有幻想で作ったぬいぐるみだもの。勝手に動いても、何も不思議じゃないでしょう?」

 固有幻想――実に便利な言い訳である。

「そのぬいぐるみも、キミの能力の一部というわけかい?」

「それを教えてあげるほど、私はあなたと仲良くないわ」

 狐白さんはにこやかに、心の壁を築き上げる。

「……はぁ、わかったよ……積もる話は、またの機会にしておくよ」

 これ以上は時間の無駄と判断したのか、踵を返すイルミナ。

「土足で部屋を荒らした非礼を詫びるよ、狐白さん。

 でも、これも学園の治安を守るためだと、理解して欲しいな」

 イルミナは花撫の肩を抱きながら、二人で部屋を後にした。

 カチャ

 ちゃんと鍵を閉めていくあたり、幻魔にしては律儀である。

「はぁぁ……我慢するのって、疲れるのね……」

 二人の背中を見送った狐白が、ベッドの上へと勢いよく背中から倒れる。

「もし、次会ったら……出会い頭に一発、ぶん殴ってやろうかしら」

 狐白の手に握られた陽兵の首が、ぎりぎりと締め付けられる。

 頑強な狐白さんの手が素材でなければ、そのまま握り潰されかねない強さである。

(……締まってる……締まってるから……)

 陽兵の必死の訴えに、狐白の手からようやく力が抜ける。

「……私は寝るわ。夕食の時間になったら、起こしてちょうだい」

 ぬいぐるみを手放した狐白は、ベッドの端に追いやられていた毛布を手探りで引き寄せ、その中にもぞもぞと包まってゆく。ベッドの下に次々と弾き出される洋服達を、特に気にすることもなく。

 自分の尻尾を胸元で抱きしめ、身体を丸めたあどけない姿。普段の凜々しい印象とは、打って変わって愛らしい。これほど無防備な姿を晒すということは、少しは僕を信頼してくれたのだろうか。

 陽兵はベッドの上に腰を下ろし、枕元に置かれた目覚まし時計を見つめる。

 時刻は間もなく、16時を示そうとしていた。

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