08 ~善意と悪意の交錯~

 まったりとした朝のひとときが終わり、コミュ障にとっての試練が始まる。

 朝の腹ごしらえを済ませた陽兵は、花撫と人形三体と共に、会場である第二体育館にやって来ていた。

 新人講習会の開始時刻までは、残り五分ほど。

 バスケットコート二面分の広さがある第二体育館には、制服姿の学生達がすでに三十人ほど集まっていた。会場に座席は用意されておらず、みんな立ちっぱなし。知人同士で雑談に花を咲かせている者もいれば、手にした白色のスマホを黙って弄っている者もいる。

 陽兵は入り口近くの壁に背中を預け、体育館の奥に一人立つメイド服姿の楓華を、いつものサングラス越しに眺めていた。

 瞼も口も閉ざしたまま、下腹部の前で両手を重ねて、始まりの時を静かに待つその姿は、まるで精巧なマネキンのよう。金髪ツインテールの美少女が、学園内ではかなり目立つ格好をしていることもあり、一部の学生達から好奇の視線を向けられている。

 かつて、あの場に立っていたのは……花撫だった。

 幻神ティアの一存で生徒会庶務に選ばれ、新人講習会という制度を知ったとき、僕は他の役員達と同様にスルーしようとした。コミュ障な僕には、あまりにも荷が重いと。

 けれど花撫は、『なんだか楽しそうですね』と、『一緒にやってみませんか』と、僕を励ましてくれた。衆目を集めるのが苦痛な僕に代わり、司会進行役を引き受けてくれた。

 知識を伝えるだけならメルマガでも良いなと、逃げの考えを始めた僕に対して、『だったら、何か特別な体験をしてもらいましょう』と、攻めの提案をしてくれたのも花撫だった。どんな体験が役に立つだろうかと、新人だった頃の思い出話に二人で花を咲かせた。

 幻都で初めて出会した下級幻魔。その人間離れした異質な姿に、二人とも恐怖のあまり身体が竦んでしまったこととか。

 花撫が焦って固有幻想の制御を誤り、自分の手元に具現化してしまった爆弾を、僕が下級幻魔に押しつけて難を逃れたこととか。

 討伐報酬の幻想通貨で買ったシュークリームの山を、二人で一緒に平らげたこととか。

 そう、この新人講習会は……花撫と一緒に、一から作り上げたものだ。

 だからこそ、もしかしたら、この懐かしい光景を目にした花撫が、何か思い出してくれるのではと、淡い期待をしてしまう自分がいる。

 けれど、新人達の不安と緊張を肌で感じ、感慨に耽っていた僕とは対照的に、隣の花撫は僕へと寄りかかったまま、時折退屈そうに欠伸をするばかり。

 まぁ、何事もそう上手くは、いかないか……

 ピピピピ ピピピピ

 陽兵の胸ポケットのスマホから、小さなアラーム音。開始時刻五分過ぎを知らせる合図。

 これ以上の遅刻者には、残念ながらお帰り願おう。

(会場外の警備をお願いできるかな、緋奈?)

(承知した、主殿)

 陽兵の足下で正座待機していた緋奈は、指示を受けるなり立ち上がり、小さな身体さながらの俊敏な動きで、体育館の外へと姿を消す。

(美愛には、僕のサポートをお願いするよ)

(お任せください、お父様)

 美愛は体育座りのまま、陽兵を見上げてこくりと頷く。

 小さなメイド達への指示を終えた陽兵は、入り口の扉を閉じようと手を伸ばし――

「また会ったわね、神崎君」

 印象的な白い長髪をなびかせて、体育館へ颯爽と入ってきた遅刻者は、学園の制服姿の狐白だった。

 数日前に、僕と紀ノ川さんの危機を救ってくれた、命の恩人。まさか、今日この場で再会するとは思っていなかった。

 中級幻魔を一発で消し飛ばした、その象徴的な固有幻想を思い出し、陽兵はふと狐白の右手へと目を向ける。あのとき失われた二本の指は、すでに元通り。おそらく、治癒を得意とする保健委員の世話になったのだろう。

 それにしても、固有幻想の練達者である彼女が、新人講習会に何の用なのだろうか?

(美愛、代弁よろしく)

 陽兵は腰をかがめて、足下に控える美愛を抱え上げると、自分の左腕へと腰掛けさせる。

「狐白様、ここは新人講習会の会場なのですが、どのようなご用件でしょうか?」

 美愛は陽兵の思念に即座に応え、目の前の狐白へと問いかける。

「あら、私が参加するのは意外かしら?」

「はい。この講習会は、あくまで新人の方々が対象ですので、狐白様のためになる情報は提供できないかと」

 くすりと笑みを漏らす狐白に、美愛は事務的な口調で答える。

「それなら、何も問題ないわ。私はここに来てまだ四日の、新人だもの」

 狐白の口からは、陽兵にとって予想外の言葉。

 まさか、紀ノ川さんが退学したあの日に、初めて学園にやって来たというのか。

「それじゃ、今日はよろしくお願いね、神崎君」

 体育館の奥へと歩き始める狐白。スカートの中から顔を出した白い尻尾が、ゆったりと左右に揺れている。

 開始前から、早くも波乱の予感。

 はたして、計画通りに上手くいくのだろうか。

 ……まぁ、今更悩んだところで、仕方ないけれど。

 陽兵は入り口の扉を閉めると、自分の手元へとスマホを転送。それを扉にかざし、生徒会権限を行使して鍵をかけた。

 これで、参加者は逃げ出せない。

 これから、中で何が起ころうとも。


 司会進行役の楓華が説明を始めてから、そろそろ一時間半が経過しようとしていた。

 楓華は備え付けのホワイトボードの横に立ち、文字や図を交えながら語りかける。新人達はフローリングの上に腰を下ろし、思い思いの姿勢で楓華の話に耳を傾けている。

 話の内容は、神様ゲームの概要に始まり、学園生活でのお役立ち情報、幻魔との戦闘における注意事項へと続いてゆく。

 卒業試験と呼ばれるクエストを受注してクリアすれば、固有幻想を失うことなく、みんなそろって幻都を脱出できること。

 最低限の衣・食・住は全て無料で提供されているが、更なるサービスを受けるためには、幻想通貨を入手する必要があること。

 固有幻想に覚醒するまでは、幻魔と遭遇しても逃走・回避に専念すべきであり、その際には冷静な判断力が求められること。

 僕はスマホのメモ帳アプリをカンペ代わりに、新人に伝えたいこと、新人が知りたいであろうことを文章として組み上げ、思念を介して楓華へと伝え続ける。言動を逐一指示するのは、かなり精神力を消耗する作業だ。

 さて、新人達からの質疑応答も、一区切りついたことだし――そろそろ、頃合いだろう。

「堅苦しい話は、これぐらいにしておきますの。

 皆さん、堅い床の上に座り続けて、お尻も痛くなってきたでしょう?」

 楓華は新人達に背中を向けると、ホワイトボードを部屋の隅へと押し運び始める。

「せっかく、体育館に集まってもらったんですもの……復習も兼ねて、運動してもらいますわ」

 楓華の体表を覆っていた布地が、もぞもぞと蠢き始める。

 清楚なメイド服から……淫靡なゴスロリ服へ……

 その異質な変容過程を、座ったまま眺め続ける新人達。

 大きく開いた楓華の背中からは、コウモリを思わせる一対の黒い翼が生え出し、妖しげな紫に染まった両手の爪は、短刀のように長さと鋭さを増してゆく。

「さて、こういうときはどう動くべきか……覚えていますかしら?」

 体育館の壁際まで辿り着いた楓華が、くるりと身体を反転させる。

 その双眸に宿るは、幻魔の証たる紅の光。生体変化の固有幻想で作られた、偽りの象徴に過ぎないが、新人達にそれを判断する術はない。

 この新人講習会では、幻魔の特徴に関しても当然説明済み。しかし、他人から教えられただけの知識は、そう簡単に行動には繋がらない。

 事実、新人達は誰一人として、逃げ出すそぶりを見せていない。

「あら……座ったままのそんな姿勢で、わたくしの攻撃を避けられますの?」

 楓華は右腕を前に突き出すと、個々の指先を別々の新人へと向けて、

「……【天使の慈悲】イェグディエル・ウィップ

 一瞬にして伸張した五本の爪が、新人達の身体を掠め、床板に深々と突き刺さる。ある者は二の腕を、またある者は太ももを浅く切り裂かれ、痛みに顔をしかめる。

 楓華には致命傷を避けるよう指示しているが、傷つけるなとは言っていない。

 あまりに唐突な楓華の攻撃に、新人達からは非難や困惑の視線。

「まさか、皆さん……幻魔が懇切丁寧に、事情説明してくれるとでも思っていますの?」

 楓華は蔑むように新人達を見つめたまま、爪先を素早く縮めて手元に戻す。

 そう、『これから幻魔襲来の模擬訓練を始めます』などと、悠長に教えたりしない。偽物だとわかりきってる避難訓練に、必死に取り組める者などまずいない。だからこそ、真相を明かすことなく、混乱と恐怖を演出する。

 多少の怪我は必要経費。本番で為す術なく、幻魔に殺されるよりマシである。

 ここに来てようやく、自分達の身に危険が迫っていると理解したのだろう。蜘蛛の子を散らすように、逃げ惑い始める新人達。

 中でも、一目散に入り口の扉に向かった一部の学生は、なかなか冷静な判断ができている。もっとも、公共設備の扉を施錠・解錠できるのは、マスターキーのアプリを持つ生徒会役員だけ。そんなルールを知るはずもなく、新人達は扉を開こうと押したり引いたり。

 交代なしの一方的な鬼ごっこの現場を、陽兵は体育館の隅から静観していた。

 右腕には、ぴたりと身体を寄せて、陽兵と腕を組んでいる花撫。

 左腕には、椅子代わりに腰掛けて、新人達を見守っている美愛。

 両手に花を携えて、高みの見物を決め込んでいるわけではない。混乱に飲まれて大怪我を負う者が出た際に、素早く治療に当たるための監視。サポート役に美愛を連れてきたのも、そのためである。

 ざっと眺めたところ、混沌としたこの場において、普通ではない行動をしているのは二人だけ。

 一人は狐白さん――講習会の前半で知識の洪水に飲まれたのか、体育座りのまま白い尻尾を胸元に抱くようにして、スヤスヤと眠りこけている。この騒ぎの中でも、一切動じることなく。

 寝た子を起こしても混乱に拍車がかかるだけ。楓華には狐白さんへの攻撃を避けるよう指示を追加する。

 そして、もう一人――眼鏡をかけた黒髪の少年は、皆が楓華へと意識を向ける中、ただ一人僕の顔を睨み付け、こちらに向かい歩いてくる。融通が利かなそうな硬い表情。楓華が僕の固有幻想だと見抜いたのか、あるいは……事前に知っていたのか。

 少年の右手には、幻想的な装飾が施された細剣。横手から迫り来る楓華の爪鞭を、赤く輝くその刀身で切り払う。その戸惑いのなさは、明らかに新人の所作ではない。

 陽兵は花撫を巻き込むまいと、その腕を解こうとするも、花撫はぎゅっと胸元に抱き寄せ放さない。人形相手とは異なり、思念を介して説得するわけにもいかず、陽兵は花撫に腕を組まれたまま、少年と相対する。

 少年は陽兵を警戒するように、少し距離を取った位置で足を止めると、

「今すぐ止めさせるんだ、『美少女工房』ドール・ファクトリー――神崎陽兵」

 陽兵の顔面へと剣先を向けて、講習会の終了を要求してきた。

 面と向かって二つ名を呼ばれたのは、随分と久しぶりだ。幻神ティアに勝手に付けられたものなので、あまり思い入れはないけれど。

「さもなくば風紀委員として、いや、一人の人間として、君の悪行を裁くことになる」

 少年の左手へと瞬時に転送され、陽兵に対し印籠のように掲げられたのは、風紀委員の象徴たる赤色のスマホ。

 少年の顔に見覚えはない。この一ヶ月の間に、新たに入ったメンバーなのだろう。

(お父様……この人間には、頭の治療が必要です)

 陽兵の左腕に腰掛けた美愛から、冷淡な怒りの声が届く。

 少年の言動を不快に感じた僕の心に、反応してしまったのだろうか。

(いや、彼の言い分にも一理あるよ。

 僕が今やっているのは、決して褒められた行為ではないからね)

 心の分身たる人形を諭すことで、自身の冷静さを保つ陽兵。

「僕の名前は鐘原かねはら厳也げんや。君が講習会の名目で新人達を痛めつけ、悦に浸っているとの通報を受け、今日こうして内偵させてもらった」

 こちらが尋ねるよりも先に、自ら名乗ってくれる律儀な少年。

 まさか風紀の内偵とは、穏やかな話ではない。

 風紀委員会の仕事は、固有幻想に覚醒した学生達が、調子づいて暴走しないよう抑えること。その遂行のために、幾つかの特権が幻神から与えられている。

 もし停学処分が下れば、自分の部屋へと強制転送され、一定期間外出を禁じられてしまう。もっとも、家まで食事を出前してもらえる生徒会役員であれば、断食を強いられずに済むので、出不精な僕にとってはあまり支障がないけれど。

「幻魔の真似事をしている人間がいるとは、僕も信じたくなかった。

 けれど、こうして事実を目の当たりにしては、君を悪だと認めざるを得ない」

 細剣の柄を握る厳也の手が、わなわなと怒りに震えている。

 ……さて……どうしたものか。

 事実に基づく解釈違いなだけに、誤解を解くのは大変そうだ。

 それでも、こちらに悪意がないことは、伝えておくべきだろうか。

(美愛、代弁よろしく)

(お任せください、お父様)

 主人である陽兵の思念を汲んで、口を開いた小さなメイド人形は、

「お父様は何も悪くありません。悪いのはあなたの頭です、鐘原様」

 冷ややかな目つきと口調で、緊迫した状況にとどめを刺した。

「……やはり、口で言っても……理解してもらえないようだね」

 スマホの画面から溢れ出した光の粒子が、二本目の細剣を形作る。

 ……いや、説得を諦めるの、早すぎませんか?

「これも、ちょうど良い機会だ……君には、人の痛みを知ってもらおう」

 厳也はスマホをズボンのポケットに仕舞い、宙に浮かぶ細剣の柄を空いた左手で握り締める。

「僕の【破邪の剣】はじゃのつるぎは、僕が悪と見做した全てを切り裂く。

 本来、人を傷つけるものではない……けれど今、君もその攻撃対象となった。

 なぜなら、君は人の道を外れた……外道だからだ!」

 厳也は手にした二刀を構え、格好良く啖呵を切ってみせる。

 ……そんな短絡的に、僕に敵意を向けないでほしい。

 君は殺すべき敵なのだと……人形達が勘違いしてしまうじゃないか。

(鐘原君には攻撃しないよう頼むよ、楓華)

 厳也の背中へと全ての指先を向けた楓華に、急ぎ指示を出す陽兵。

 しかし、楓華の返事はすぐには返ってこない。

(……本当に、よろしいんですの、ご主人様?)

 数呼吸後、すんなりとは納得できないのか、躊躇いがちに確認してくる楓華。主人があからさまに刃を向けられているのだから、従者としては当然の反応だろう。

(ああ、問題ないよ。あとは僕が何とかするから)

 多少切り刻まれることになろうとも、風紀委員会との揉め事は避けたい。

 何よりも、花撫が大切にしていた場所を守るために。

(わかりましたわ、ご主人様)

 楓華が全指先の照準を解除し、両腕をだらりと下に降ろす。

「……背後から攻撃してくれても、良かったんだよ?」

 楓華の動きもお見通しだったのか、不敵な笑みを浮かべる厳也。

 二本の細剣を構え、口では挑発しながらも、自分からは攻撃してこない。

 僕の攻撃を執拗に誘ってくるのは、正当防衛という口実が欲しいのか……それとも、固有幻想の発動に何らかの制限があるのか。

 陽兵は自分から攻撃を仕掛けるつもりなどなく、かといって、迂闊に誤解を招くような行動も取れない。

(楽しそうなことしてるね……ボクも混ぜてよ)

 そんな膠着した状況で、唐突に陽兵の心へと語りかけてきたのは、男女どちらなのか判別の難しい中性的な声だった。

 それは、今までに聞いたことがないはずの声。

 けれど、胸の奥で何かが激しくざわつき始める。

(ボクの名前はイルミナ。キミ達が言うところの、上級幻魔だよ)

 その驚愕の言葉に重なるように、陽兵の腹部を衝撃が貫く。

 厳也の細剣ではない。

 厳也は二刀を構えたまま、唖然とした表情を浮かべている。

 自らの腹部へと視線を降ろす陽兵。

 左の脇腹に突き刺さるそれらは、紫色の槍……鞭……いや、そんな……

 それらが繋がる先へと、陽兵は視線を向ける。

 そこには、無表情で陽兵へと五本の爪を伸ばした……楓華の姿があった。

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