07 ~創造主と人形達の箱庭~

 狐白との出会いから数日が経ち、学園内の私邸で迎えたいつもの朝。

 ぼんっ

 すぐ近くから聞こえてきたのは、耳慣れた小さな爆発音だった。

 ひりひりとした手首の痛みに、陽兵は条件反射で身を起こすも、その目は未だに半開き。微睡んでいた意識は、まだ夢と現の境界を彷徨っている。

 豪華なホテルに置いてありそうな、キングサイズのベッドの上。寝心地はいつも通りに良かったのだが、見た夢の内容がよほど酷かったのだろうか。

「陽兵さん、もう朝ですよ?」

 がちゃりと開かれる扉。あまり抑揚のない花撫の声に、陽兵は大きく伸びをして応える。

 ハウジングアプリの機能で邪魔な壁を取っ払って作った、四十畳はある広々としたフローリング。天井も高く、室内の装飾は貴族の洋館のように豪華だ。ソファーやテーブルといった必要最低限の調度品は、壁際にしか置かれておらず、広さがいっそう際立って感じられる。

 ゆっくりと一歩一歩確かめるように、パジャマ姿の花撫がこちらへと歩いてくる。薄いピンク色を基調とした、長袖に長ズボン。左右で結ばれた栗色のおさげが、その慎ましい胸元へと垂らされている。

 そして、まだ夢から覚めていないかのように、固く閉ざされたままの両瞼。

 かつて学園内で幻魔に襲われ、瀕死の重傷を負った際の後遺症で、花撫は今も視力を失ったままだ。その代わりに、魔霊子を強く感じ取れるようになったらしく、この館内での生活にそれほど支障はない様子。

 もっとも、花撫が失ってしまったものは……視力だけではないのだけれど。

「今日は講習会の開催日です」

 花撫はベッドの端へと腰かけて、本日の重要イベントを事務的に告げる。

「……はぁぁ……とうとうこの日が、来てしまったか。

 まぁ、せっかくの機会だし、学園にやってきた新人さん達のためにも、頑張らないとね」

 陽兵の口からは、深いため息が溢れ出す。

 人と顔を合わせるのは、どうにも苦手。サングラスをかけずに済むのは、花撫相手のときぐらいだ。見ず知らずの他人が大勢集まる場所なんて、僕にとっては悪夢でしかない。

 自分が参加者その一なら、部屋の隅で目立たないよう、壁の一部と化していれば良い。けれど、今日行われる講習会の主催は、生徒会庶務である僕。目立つのを避けるためには、事前に策を練っておく必要がある。

「案内メールを、再送しておきますか?」

 風紀委員の象徴たる赤色のスマホを手に、陽兵へと問いかける花撫。

「そうだね、お願いするよ」

「了解しました」

 頷く陽兵に応えて、花撫はスマホをゆっくりと操作し始めた。

 学園で月に一、二回行われている、新人講習会。皆が皆、固有幻想に覚醒済みで幻都に送られてくるなら、余計なお世話かもしれない。けれど、幻神様はめんどくさがりなのか、未覚醒のまま幻都送りとなり、学園に来て初めて『スマホ』を手にする新人が、大多数――おそらく八割以上を占めている。

 新人講習会の開催は生徒会の義務ではないので、やらずに済ませるという手もある。実際、他の役員はみんな完全スルー。赤の他人を手助けする気はないらしい。

 それを非難できるほど、僕も善人ではない。同じ人間だから、なんて理由じゃ心が動かない。

 でも、もし自分が逆の立場だったなら、少しでも情報が欲しいだろう。講習会という受け身の形式なら、コミュ力が低くて友達を作れない人でも、情報を得やすいはずだ。

 僕が助けたいのは、あり得たかもしれない自分自身。自分を救うためなら、重い足でも前へと踏み出せる。

 ぶるるるる

 ベッドの上で震える、陽兵の黒いスマホ。その画面には、受信したメールの内容が一部表示されている。

 送信者を確認するまでもない。他人のスマホにメールを送れるのは、固有幻想でそれが可能な花撫ぐらいのもの。幻神から押しつけられた幻想スマホには、誰にでも連絡可能なメールアプリなんて入っていない。欲しければ、自分の固有幻想で形にするしかないのだから。

 陽兵は念のために、メールの内容を確認する。新人講習会の開催に関して、日時、場所、概要が記されただけの簡潔な内容。ひらがなが多めで読みづらいことを除けば、特に問題はない。

「受信を確認したよ。ありがとう、花撫」

 陽兵の感謝の言葉に、花撫はこくりと顔色一つ変えずに頷くと、

「それでは、わたしは着替えてきます」

 ベッドから腰を上げて、パジャマを着替えるために部屋を後にした。

 広々とした部屋に、一人残される陽兵。

 かつては、マンションの一室である六畳間だけが、自分の居場所だった。それが今では、学園の敷地内に建てられた三階建ての巨大な洋館が、まるまる一棟自分のもの。生徒会役員の特権として、衣・食・住の全てが満たされた生活を送っている。

 それでも、言いようのない寂しさは拭えない。

 失ったものの大きさを、今更ながら思い知る。

 取り戻すための手がかりはなく、それがいっそう、虚無感に拍車をかける。

「――ん?」

 スマホが再び、ベッドの上で震え始める。

 花撫とはこの館で一緒に暮らしているのだから、直接会って言えば済む話なのだが……何か口では伝えづらいことでも、あるのだろうか?

 陽兵はスマホを手に取り、受信したメールの内容へと目を向ける。

【   】

 画面は黒一色のまま。

 ……自動表示されるはずの本文に、何も書かれていない?

 もしかして、件名部分に用件を書いたのだろうか?

 陽兵は画面をクリックして、送られてきたメールの詳細を確認する。

 本文は、やはり空白。件名もまた空白だ。

 そして、その意味不明な空メールの送り主は――

【神崎陽兵】

 送信者欄には、紛れもない自分自身の名前があった。

「……また、か……」

 以前にも……確かそう、狐白さんと出会った日の朝食前にも、今回と同じ空メールが送られてきた。もちろん、僕はそんなメールを自分宛に送った覚えはないし、そもそも僕の固有幻想ではメールの送信自体できない。

 花撫にも聞いてみたけど、首を傾げるばかりで、心当たりはない様子だった。つまり、花撫以外の誰かが送信者を偽装して、僕に空メールを送ってきたことになる。

(……目的は、何なのだろうか?)

 朝起きて早々、頭を悩ませる出来事が。

 広大な学園内の敷地で生活している学生は、現在およそ二千人。僕が固有幻想を把握しているのは、そのごく一部に限られる。花撫の他にメールを送れる覚醒者がいても、別に不思議なことではない。

 となると、考えるべきは空メール送信の目的だろう。

 生徒会役員であるこの僕に、何か伝えたいことがあるのだろうか。いや、もしそうであれば、用件を何一つ書かず、送信者まで偽装する意味がわからない。

 だとすれば、単なる固有幻想の暴発なのかも――

「ごしゅじん、ごしゅじん!」

 陽兵の思考を停止させたのは、警護のために枕元に腰掛けていた、3分の1サイズのメイド人形。心ない天使達の末妹である依憑いつきが、陽兵のパジャマの裾を元気よく引っ張っている。

「ごはん届いた! 朝ごはんの時間だよ!」

 依憑は陽兵のお腹へ突撃すると、ぐりぐりと顔を擦り付け始める。その動きに合わせて、金髪のポニーテールも楽しげに揺れている。

「連絡ありがとう、依憑。じゃぁ、そろそろ制服に着替えるよ」

 胸元に飛び込んできた依憑の頭を、陽兵はわしわしと荒っぽく撫で回す。

「えへへ~ ごしゅじん大好き~」

 依憑はなでなでをしばし堪能すると、陽兵から少し離れて、ベッドの上にちょこんと腰を下ろした。

「さて、と……」

 陽兵はスマホの装備アプリを起動し、慣れた手つきで設定変更。着ていた水色のパジャマはすぐさま光の粒子と化し、数秒後には学園の制服へと姿を変える。

 幻都で入手可能な全ての衣服が、魔霊子で構成された幻想だからこその便利機能。もちろん、衣服を具現化してクローゼットに飾っておくこともできるし、自分の手を使ってそれらに着替えても構わない。

 こんこんこん

「お食事の準備をさせて頂きます、お父様」

 ノックに続いて入ってきたのは、ティーセットを乗せたトレーを、両手で頭上に掲げた美愛。

「今日の朝食はサンドイッチだぞ、主殿」

 緋奈も同じ格好で、ケータリングのサンドイッチを運び込む。

 十人前のパーティーサイズなのは、人形達も食べるから――ではない。食事を取れない五人姉妹の分まで、僕が代わりにエネルギーを摂取するためだ。数日前に失った自分の肉の分も、食べて補充する必要がある。

 テーブルの上に乗っててきぱきと、食器を配置してゆくメイド人形達。陽兵は傍らの椅子へと腰を下ろし、姉妹の働きぶりをしばし眺める。

 幻想知能に基づく、実に人間らしい所作。創造主の僕でさえ、そこに固有の自我を感じてしまう。けれど、人形達は心を持たない。この状況ではこんな感じに行動するという、確率・統計の産物に過ぎない。

 もっとも、僕の無意識領域にある脳内設定に基づいて、個々の『こんな感じ』がいい加減に決まっているため、人形達の言動は良くも悪くも人間染みている。

 僕の足下までとことこ歩いてきた依憑が、脚を伝って膝の上へとやってきたのも、ここは自分の特等席だと言わんばかりに、僕の膝の上に腰を下ろしたのも、全ては『無邪気な甘えん坊』という設定に基づく行動だ。

 詰まるところ、僕は一人で人形遊びをしているに過ぎず、この洋館はさながら巨大なドールハウス。別にそれでも、心が癒やされるなら良いじゃないかと、僕はこの状況をすでに受け入れてしまっている。

「失礼します、陽兵さん」

 学園支給の制服に着替えた花撫が、朝食会場にやってくる。

 テーブルの上には、配膳し終えた二人分の食器類。

 役目を終えた緋奈と美愛は、花撫と入れ替わりで部屋を後にする。

 花撫は僕の向かいの椅子に近づくと、手探りでその正確な位置を確かめてから、ゆっくりと腰を下ろす。

 視覚の代わりに魔霊子を感じ取っているとはいえ、視力の悪い人が眼鏡なしで生活するような不便さはあるのだろう。それでも、花撫は弱音を吐くことなく、この洋館での生活に順応しようとしている。

「頂きます」「頂きます」

 朝食を前に、手を合わせる二人。陽兵は早速カツサンドへと手を伸ばし、一つ丸ごと口に含む。

 食感と呼べるものは、ほとんどない。肉汁とソースの濃厚な味わいだけを残して、口内のカツサンドは跡形もなく消えてしまう。

 そう、学園で提供される食事もまた、魔霊子で構成された幻想。肉体に取り込めばエネルギーになるけど、胃が満たされることはなく、食事としてはどうにも物足りない。

 それでも、幻想通貨で買えるだけマシなのだろう。食料を求めて、学園外の廃墟を探索する必要はないのだから。

 回復アイテムを連続使用するような感覚で、陽兵は次々にサンドイッチを口に放り込んでいく。一方、花撫はサンドイッチには興味を示さず、手元の紅茶を少し口に含むだけ。

「今日のサンドイッチは美味しいよ、花撫?」

 陽兵はツナサンドを手に取り、花撫に勧めてみるが、

「……すみません、食べられそうにありません」

 花撫は首を横に振り、いつも通りに食事を拒む。

 いずれお腹が空けば、自然と口にしてくれると思っていた。けれど、花撫との共同生活が始まって、まもなく一ヶ月。花撫は僅かな飲み物以外、口にしようとしない。

 花撫が自分で栄養を取れなくても、僕の生体修復の固有幻想で肉体を維持することは可能だ。花撫の様子は特に変わらないので、あまり気にしないようにしているが……やはり、不安は拭えない。

 花撫の両目にしても、未だに閉ざされたままだ。僕の固有幻想による治療は、決して万能ではないのだろう。

(……どうすれば、良いのだろうか……)

 陽兵は難題に頭を悩ませながら、サンドイッチを口にする作業を続ける。

 こんこんこん

 新たなノックの音が聞こえてきたときには、皿を覆い尽くしていたサンドイッチは、残り僅かになっていた。

「ご、ご主人様……ちょっと、よろしいかしら?」

 扉は少し開かれただけ。声の主が中に入ってくる様子はない。

 喋り方と声色から、五人姉妹の次女である楓華ふうかなのは明らかだ。今日行われる新人講習会では、僕の代わりに司会進行役をお願いしているのだが……何か問題が生じたのだろうか?

「楓華、講習会の準備は順調かい?」

 扉の向こうへと問いかける陽兵に、

「実は、その件で……確認して頂きたいことが、ありますの……」

 答える楓華の声は、自信なさげに震えている。

「制服姿だと他の人に紛れてしまうから、もっと目立つ格好が良いと……言ってらしたわよね? それで、わたくしなりに、考えてみたのですけど……」

「見せてもらっても、良いかな?」

「そうおっしゃると思って、もう身につけていますの……でも、その……まだ、心の準備が……」

 扉の隙間から、楓華の顔が僅かに覗き見える。

 普段と違って、その身体が1/1の人間大なのは、生体変化に特化した固有幻想の成せる業。司会役として目立つための策だろう。体表の一部を変化させれば、好きな衣服を着ることもできる。

 楓華が何を恥じらっているのか不明だが、このままでは埒が明かない。

「依憑、楓華を連れて来てくれるかい?」

「りょ!」

 陽兵の膝上で大人しく座っていた依憑が、床の上へと勢いよく飛び降りる。扉まで駆け寄ると、依憑は隙間を押し広げて廊下の外へ。

「うわっ! スカートみじかい! おっぱいおっきい!」

「――ちょ、ちょっと、依憑さん!?」

「ふーねぇ、とってもえちえちだ~」

「――なっ……そ、そんなこと、ありませんわ!」

「ごしゅじんにも見せてあげよ? きっと大喜びだよ!」

「ま、待ってください、依憑さん……わたくしまだ、心の準備が……」

「や~だ~、待たな~い」

 部屋の外で、なにやらドタバタと騒ぎ始める姉妹。

(……いったい、何を着てきたんだ……)

 陽兵は一人不安に駆られる。

 何しろ楓華の選択は、僕の無意識に準拠している。心の奥底に隠していた性癖を、眼前に晒されかねない。

「――【天使の伝言】ガブリエル・ホルン!」

 プパァアア

 突然、扉の向こうで鳴り響く管楽器の音。依憑が固有幻想を発動した合図。

 対象の精神が眠っていれば、依憑の意のままに肉体を操ることが可能。たとえ相手が自分の姉であろうと、精神を持たない人形なので効果対象となる。

「わたくしを操るのはお止めなさい、依憑さん!」

「だーめ! ごしゅじんの命令だよ? ふーねぇは隠れてないで、部屋の中へゴー!」

 がちゃりと扉が開かれ、楓華の全身が露わになる。

 羞恥に震える、金色のツインテール。

 その頭頂部には、うつ伏せで張り付いた依憑。

 瞼を固く閉ざしてなお、楓華は必死に俯き、陽兵から顔を逸らす。

「……サキュバス……かな?」

 思わず疑問系になってしまう陽兵。

 黒のゴシックドレスを、かなり過激にアレンジしたのだろう。二つの膨らみを強調するように、大きく開かれた胸元。上着の丈は短くて、ヘソ周りは広範囲が露出。スカートはミニ丈なので、黒のニーハイでは太ももを隠しきれない。

「……こ、この服装には、ちゃんと理由がありますの! ほら、参加者の約半数は、男の方のはずでしょう?」

 早口で言い訳し始める楓華。

「そうだね」

 その理論を、軽く頷き肯定する陽兵。

「女性の胸が大きければ、男の方は思わず見てしまうでしょう?」

「確かに」

「肌を覆う布地が少なければ、注目せずにはいられないでしょう?」

「なるほど」

「でしたら、これが正解ですの! そうでしょう!? 男の方はみんな、わたくしから目が離せないはずですの!」

 半ば切れ気味に、楓華は自らの策を肯定した。

 まさか、これほど自分の身体を張った手を考えてくるとは……『お淑やかなドM』という性格設定が、妙な感じに作用してしまったらしい。

「楓華の言い分は、確かに正論だよ。

 みんなの視線を、楓華が独り占めにするだろうね。

 ……でも、一つ大きな問題があるんだ」

 陽兵は諭すように、楓華にゆっくりと語りかける。

「……この格好の、どこが問題ですの?」

 むすりと頬を膨らませた楓華に対して、

「楓華の作り手である僕が、変態だと思われる」

 陽兵は率直に懸念を伝えた。

『………………』

 主人と従者の間に、何とも気まずい沈黙の時が流れる。

「アイデア自体は、悪くないんだ。

 でも、もう少し……露出を控えようか?」

「……はい……ご主人様」

 楓華の際どいゴシックドレスが、生き物のように蠢き始める。それは淫靡な雰囲気を残しながらも、露出部位を適度に覆い隠すよう変質を遂げる。

「うん、いいね。それぐらいに、しておこうか」

 事前に確認しておいて良かったと、心の内で胸をなで下ろす陽兵。

「これでも、ちゃんと……釘付けになってくれますの?」

 服の露出を抑えてもまだ、頬の赤みが消えない楓華に、

「大丈夫だよ……君には、その眼があるんだから」

 陽兵は笑みを浮かべて頷いた。

 陽兵の言葉を受けて、ゆっくりと開かれる楓華の瞼。

 その二つの瞳には、人ならざる鮮やかな紅の光が宿っていた。

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