06 ~銀光と静寂の魔弾~

 陽兵の全身から力が抜け落ち、どさりと地に倒れ伏す。

 落ちた頭部は雷撃で焼き尽くされ、もはや誰の物かもわからない。

 獲物の死骸を確認せんと、光の壁を擦り抜け姿を現したのは、二体目となるタウロスB。もはやぴくりとも動かない陽兵を見下ろし、にんやりと下卑た笑みを浮かべる。

「……ぁ……ぁぁぁっ……」

 絶望的な光景に、紬の身体が凍り付く。

 悲鳴すら、上げられない。

 これでもう、彼女を守る者は……誰もいない……

「……【雷斧】ボルクス

 タウロスAの右手に、再び生み出される巨大な斧。それは猛牛の頭上へ、意気揚々と振り上げられて、

「あなた、邪魔だわ」

 タウロスAの足下を払う、白く輝く何か。獣人の巨体が、見事なまでに横転する。

 人間も、幻魔も、皆が状況を理解できず、ただ唖然。

 そんな空気を意に介することなく、光の壁を擦り抜け現れたのは、白ワンピースの少女だった。

 腰まで伸ばされた長髪は、その衣服と同様に汚れなき純白。深い藍色の瞳は、中級幻魔二体を前にしてなお、静謐な光を湛えている。

 新たな獲物がやって来たと、タウロスAは判断。四つん這いのまま、手にした雷斧を白髪の少女へと突き出し――真っ白なふわふわが、穏やかに受け止める。

 それは、白髪の少女の尻から生えた、大きな白い尻尾だった。

 おそらく、それが彼女の固有幻想なのだろう。半透明の白い尻尾は魔霊子を宿し、仄かに光を帯びている。

「あら、ずいぶんと気が短いのね」

 少女は雷斧を尻尾で包んだまま、タウロスAの手から奪い取る。

 体長四メートルを超える獣人から、力ずくで。

「早くお家に帰りなさい。今ならまだ、見逃してあげるから」

 尻尾で掴んだ雷斧を、光の壁の向こうへと放り捨てる少女。たじろぐタウロスAの双眸を、鋭い眼差しで見つめている。

 しかし、人の心や身体を喰らう化け物が、人からの説得に応じるはずもない。

 まず動き出したのは、少女の横手で警戒態勢を取っていた、もう一体のタウロスB。上段に構えていた雷斧を、少女の頭上へと力任せに振り下ろす。

「わからない子ね」

 少女はそれを、平然と受け止めてみせた。

 尻尾を使って、ではない。頭上に掲げた、自分の左腕で。

「あなた、私の言葉が、聞こえなかったのかしら?」

 深々と肉に食い込んだ刃も、ばちばちと爆ぜる雷撃もそのままに、少女はタウロスBの瞳を睨み付ける。

 それでも、タウロスBは怯まない。雷斧の持ち手にさらに左手を重ね、少女にのしかかるように力を込める。

「そう……なら、仕方ないわ」

 少女は悪戯っ子をお仕置きするように、右手の人差し指でデコピンの構えを取り、

「……【存在解放】レベル・バースト

 少女の指先が激しく揺らぎ、宙に飲まれるように消失。その虚空を補うように、穏やかな白銀の光が溢れ出す。

 体内に宿る魔霊子を、指先に収束――いや、違う。自分の肉体の一部を、魔霊子に変換した? そんなことが、可能なのか!?

「――【異端者の魔弾】ゼノファイア

 少女の指先から弾かれる、白銀の光。

 それは、がら空きの魔獣の胸部に接触し、音もなく炸裂。

 タウロスBの上半身は、銀光に飲まれて掻き消える。

 どさりと、地に倒れ伏す下半身。

 中身の大半を消し飛ばされた肉の器は、形を保てず砂のように崩れ落ちる。

「……な……ぅそ……」

 紬の口から零れる、困惑の呟き。すぐ傍で地に伏しているタウロスAへの警戒すら忘れて、白き衣の救世主を呆然と見つめている。

「さて……これで少しは、逃げ出す気になったかしら?」

 喪失した人差し指の代わりに、少女は次弾の中指を装填すると、自分より遙かに巨大な獣人を見下ろし、問いかける。

 歴然とした力量の差。中級幻魔に勝ち目などない。

 だがそれでも、人間相手の敵前逃亡など、幻魔の誇りが許さなかったのかもしれない。

「……【雷斧】ボルクス

「――【異端者の魔弾】ゼノファイア

 タウロスAの力ある言葉を遮るように、少女は白銀の光弾を撃ち放った。

 決着は一瞬。

 すぐさま、静寂が場を支配する。

 周囲の音までも、光に飲まれて消えたかのように。

「……は……はは……」

 結末を間近で見届けた紬が、かろうじて乾いた笑い声を漏らす。

 その視線の先には、石畳を突き破り、地中奥深くまで穿たれた大穴。

 穴の縁に残されていた毛深い両脚も、すぐさま形を失い霧散する。

「はぁ……ほんと、馬鹿げたゲームだわ」

 二本の指を代償とした圧勝。ワンピースについた土埃を尻尾で払いながら、白髪の少女はうんざりだと顔をしかめる。

 あれほど強力な固有幻想を持ちながら、驕る様子を全く見せない。

 少女は周囲へゆったりと視線を巡らせ、自分が出会した状況を冷静に把握すると、

「あなた、そこに転がってる人の知り合い?」

 頭部と右腕を失った陽兵の身体を指さし、地面に座り込んだままの紬へと問いかける。

「……ぁ……は……はぃ……」

 横たわる陽兵へと視線を向けたのは一瞬。紬は視線を逸らすように顔を伏せる。

 数多くの幻魔と戦ってきたのだ。

 このゲームの理不尽さを、嫌と言うほど思い知らされているだろう。

 それでも、人の死に慣れるものではない。

「早く治してあげた方が良いわ。このまま放っておいたら、死んでしまうわよ」

 少女の淡々とした助言に、はっと顔を上げる紬。何を言っているんだこの人はと、困惑しきりの表情。

 無理もない。頭部を失って、生きていられる人間などいない。それは、誰に説明されるまでもない常識だ。

 しかし、それはあくまで、壊されたのが人間だった場合の話。

「魔霊子が抜け落ちた死体は、ただの物質。幻都には留まれず、地の底に沈むわ。

 この身体がまだここに残っているのは、魔霊子を宿す生きた肉体だからよ。

 まだ死んでいないのなら、何か救う手があるかもしれないわ」

 紬の不理解を見て取り、説明を付け加える少女。

 神様ゲームにおける基本原理への深い理解と、常識に惑わされない判断力の高さ。おそらくこの少女は、かなり長い間この幻都で暮らしているのだろう。

 ただ、これほど目立つ存在なら、学園内で噂の一つも聞こえてくるはず……いや、社交性がなくて出不精な僕の耳には、届かなくても不思議ではないか。

「――ま、まさか……人形!?」

 ここに来てようやく、紀ノ川さんは正解へと辿り着いた。別に、隠して驚かせたかったわけではない。ただ単に、説明する機会がなかっただけだ。

「――主殿あるじどのは無事か、溶子!?」

「お父様は、どこか怪我していませんか?」

 ちょうどタイミングよく、街路樹の陰に隠れていた溶子のもとへ、緋奈と美愛が駆けつける。溶子とお揃いであるロングスカートのメイド服を着た、3分の1サイズのドールが二体。溶子も加えると三体のドールが、この場に集結する。

 ドールと言っても、材料は人間である僕の肉体。その容姿は金髪の美少女に他ならず、ただ身長と頭身が小さいだけ。五人姉妹という設定なので、外見的に大きく異なるのは髪型ぐらいのもの。緋奈と美愛の二体が瞼を閉ざしているのは、視線恐怖症である創造主への配慮である。

「マスターの身体なら、あそこ」

 スーパーロングヘアの溶子が指差した先には、どう見ても屍にしか見えない陽兵の肉体。

「――なっ、なんということ……こんなことなら、我も同行しておくべきだった。

 姉妹を統べる長女として、主殿に合わせる顔がない……」

 編み込みショートボブの緋奈が、力なくその場に座り込む。

「顔がないのは、お父様のほうです」

 ミディアムウェーブの美愛が、冷静沈着に頓珍漢なツッコミを入れる。

「大丈夫。マスターの心は、ちゃんとあたしの中にある」

 二人の姉に向かい、溶子は自分の頭を指さした。

「……そ……そう、なのか……?」

 緋奈は依然として半信半疑な様子。力の媒体たるスマホを手放している今の僕を、うまく認識できないのかもしれない。

「いずれにしても、肉体の治療は必要ですね」

 一方、美愛は自分が為すべきことだけに意識を向け、陽兵の肉体へと走り寄る。

「――ぁっ……よ、溶子、ちゃん?」

 紬は見慣れた人形の姿を目にして、少し自信なさげに声をかける。

 惜しい。溶子は四女の名前だ。

 美愛は倒れ伏す陽兵の傍らで足を止めると、紬へと視線を向けて、

「いいえ、私は三女の美愛です、紀ノ川様」

 治療に取りかかる前に、律儀に自分の名前を訂正した。

「……ご……ごめん、なさい」

 紬は自分より遙かに小さな人形に対して、申し訳なさそうに頭を下げる。

 美愛はその謝罪を気にかけることなく、陽兵の背中へと両手のひらを押し当て、治療のために意識を集中。

「頭部と右腕の欠損に加えて、首から両肩にかけて機能停止。他の部位からの流用では、完全な再生は困難……全身の再生のためには、生体補填が必要ですね」

 美愛の背中から溢れ出し始める、魔霊子の白い輝き。それは天使の翼を形取るように、大きく宙に広がって、

「――【天使の救済】ラファエル・ウィング!」

 陽兵の肉体をすっぽりと包み込む、淡い光の皮膜。人間を精巧に形取ったそれは、魔霊子で作られた陽兵の三次元モデル。

 美愛の翼からは次々と光の羽根が生み出され、失われた部位を補うように降り積もる。まるで、予め用意された型枠に、光の砂を注ぎ込むように。

 魔霊子を材料に生み出される、欠損部位の代替となる肉体。それは、本物と寸分違わぬ機能を発揮する――例え、人間の脳であろうとも。

 この【天使の救済】ラファエル・ウィングという名の固有幻想は、材料となった僕にさえ使用不可能な、美愛だけの特別な能力だ。

 五体の心ない天使達は、僕が時間をかけて作り上げた特注品。僕と違うことができた方が役立つだろうと、僕の固有幻想を部分的に特化する形で受け継がせている。一部の能力しか使えない代わりに、その特性をさらに発展させているのだ。

 型枠として機能していた光の膜が、役目を終えると共に消え失せる。

 そして、露わになる陽兵の全身。足りない肉は全て埋め合わされており、元と寸分違わぬ色味、質感を帯びている。もはや人の知覚では、どこが失われていたか認識できない程に。

「生体補填、完了……全身の協同を確認。

 これで、問題なく使用できます、お父様」

 美愛は自らの為すべき仕事を終えると、主人たる陽兵を内包した溶子へと向き直り、恭しく頭を垂れた。

(早速使う? マスター?)

 溶子は姉の言葉を受けて、頭部に宿る陽兵の意思を確認する。

(ああ。このまま傍観者を続けるわけには、いかないからね)

 思い通りに動かせる身体がないのは、やはり不便である。

(あたしは別に、ずっと一緒でも構わない)

(ありがとう、溶子。でも、早く紀ノ川さんを送り出さないとね)

 転移ゲートを構成する魔霊子の光が、少し陰りを見せている。このままでは、時間切れになりかねない。

(了解、マスター)

 溶子は街路樹に身を隠すのを止めると、両手でロングスカートの裾をつまみ、校門に向かってとことこと走り出す。

「……へぇぇ……あなたが……」

 治療の様子を黙って見守っていた白髪の少女は、興味深そうに溶子へと視線を移す。陽兵は反射的に身構え、視線を逸らそうとするも、生憎と身体の操作権限がない。ただじっと堪え忍ぶ。

 溶子は美愛の傍らに辿り着くと、陽兵の背中へと右手を押し当てる。

 これで、自分の身体に戻る準備ができた。

(――【憑依型人格】オーバーライド!)

 眼前に広がっていた光景が黒一色に染まり、外界の情報が完全に途絶える。自分の精神を溶子の身体から切り離し、元の肉体へと注ぎ込み始めた影響だ。

 自分が作った人形を、中に入って直接操作するための固有幻想。外部から間接的に指示を出すよりも、素早く精密な操作が可能となる。もっとも、幻想知能を持つ心ない天使達が相手だと、身体の操作権限までは得られないが。

(……戻った、か……)

 まず始めに感じたのは、言いようのない気怠さ。頬に感じるざらりとした石畳の感触が、精神の定着を教えてくれる。

 陽兵はゆっくり寝返りをうつと、大の字になって空を見上げた。降り注ぐ朝の日差しが、いつになく眩しく感じられる。

「お父様、これを」

 スカートの中から素早くサングラスを取り出し、陽兵へと手渡す美愛。

 実に用意周到なメイドさんである。

(ありがとう、美愛)

 陽兵は傍らの美愛の頭を撫でながら、もう一方の手でサングラスをかける。

(いえ、当然のことをしたまでです、お父様)

 沈着な美愛の頬に朱が滲み、口元が僅かにほころぶ。

 もっと労ってやりたいところだが、今はあまり和んではいられない。

(溶子は校門の外側の警戒を。緋奈は紀ノ川さんを転移ゲートまで運んでくれ)

 陽兵は上半身を起こしながら、残る二体の人形へと思念を伝達する。

(了解、マスター)(承知した、主殿)

 二体は返事をするなり、すぐさま行動を開始。

 溶子は光の壁を擦り抜け、校門の外側へと走る。

「失礼、紀ノ川殿」

 緋奈は紬のもとまで駆け寄ると、紬の身体を両腕で軽々と担ぎ上げる。

「――えっ!? な、なになに!?」

 緋奈に運ばれながら、困惑の声を上げる紬に、

「門が閉じる前に、急ぎお送りするようにと」

 緋奈は簡潔に説明しつつも、その足を止めない。

 そのままの勢いで、光の壁へと紬の身体を投げ入れて、

「――ぁ」

 紬は何かを喋ろうと口を開くも、その全身はたちまち光の粒子と化し、ゲートに飲まれるように消え去った。

 それが、感慨深さの欠片もない、紀ノ川さんとの別れだった……いやまぁ、すでに別れは済ませていたし、無事帰れたのならそれで良いか。

 役目を終えた転移ゲートは地面に沈むように姿を消し、開かれたままの校門が従来の姿を取り戻す。

 先ほどまでの死闘が嘘のように、校外に幻魔の姿は見当たらない。メイド服を身につけた一体の人形が、門番のように校門前に立ちはだかっている。

「なかなか面白い固有幻想を使うのね」

 陽兵の傍らへと歩み寄ってくる、白髪の少女。

(君ほどでは、ないけどね)

 頭に浮かんだその言葉は、いつも通りに喉の奥につっかえて、全く声になってくれない。まぁ、もう慣れてしまったけど。

「あなた、名前は?」

 女子に名前を聞かれるなんて、いつぶりだろうか。

(美愛、代弁よろしく)

 陽兵の心の声に、美愛はこくりと頷くと、

「代わりに、私がお答えします。こちらは、神崎陽兵――この学園では、生徒会の庶務をしています」

 白髪の少女を見上げ、主人を簡潔に紹介した。

 少女は人形経由の自己紹介を気にすることなく、陽兵を見つめる目をすっと細めて、

「へぇぇ……あなた、神様のお気に入りなのね」

 口元に浮かぶ、妖艶な笑み。藍色の瞳の奥に、押し隠せぬ殺意が滲む。

 ぞくりと、陽兵の全身を襲う悪寒。猛獣に睨まれた小動物のように、身体が小刻みに震え始める。

「――【天使の守護】ミカエル・アーマー!」

 陽兵の危機を感じ取り、一足飛びに馳せ参じる緋奈。その身体は固有幻想の作用により、急速に巨大化する。

「――貴様、動くなっ!」

 少女の倍近く大きくなった緋奈は、胸元で両腕を構えて少女と相対する。

「あら、ごめんなさい……思わず、殺気が漏れてしまったわ。

 私の標的はあなたではないから、安心なさい」

 少女は悪びれることなく、軽い調子で謝罪の言葉を口にすると、

「私はコハク――動物の狐に色の白と書いて、狐白こはく

 この馬鹿げたゲームを、ぶっ壊しに来たわ」

 そう堂々と、宣言した。

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