05 ~出会いと別れの季節~

 陽兵が神様ゲームに巻き込まれてから、早くも十ヶ月が過ぎようとしていた。

 穏やかな春の日差しとは対照的に、閉ざされた正門の外側には、鈍い鉛色の霧が立ちこめている。

「退学おめでとう、紀ノ川きのかわさん」

 校門近くの街路樹の下で一人佇む、眼鏡を掛けた黒髪の少女――紀ノ川つむぎへと、陽兵は声をかける。

「――っ、ぁ、は、はい」

 図書委員を思わせる、全体的に地味な印象。陽兵より一学年上である、高三の先輩。身につけているのは、紺のブレザーにチェックのスカート――この学園で無料支給されている基本装備。手にしたスマホの鮮やかな赤色ボディーは、花撫と同じ風紀委員会に所属している証だ。

 顔を上げた紬は陽兵へと視線を向けて、明らかな戸惑いの色を見せる。

 ……何か、おかしな点があるのだろうか?

 陽兵が身につけているのは、無料支給のブレザーにズボン、もはやトレードマークとも言える濃いサングラス――いつも通りの出で立ちである。

 室内外を問わず、僕がサングラスをかけているのは、他人と視線が合うのがどうにも耐えられないからだ。決して、厨二病の延長ではないし、誰かに妙な影響を受けたわけでもない。

 確かに、学園の制服にサングラスというのは、客観的に見ればかなり違和感を覚える姿である。しかし、今までに何度も顔を合わし、共に幻魔と戦ったこともある間柄なのだから、今更驚くようなことではないはずだ。

「……神崎かんざき君の喋る声、久しぶりに聞いた気がします」

 ……ぁあ、そうだね……それは、君の気のせいじゃない。

 実際、今喋っているのも、僕本人とは言い難いし。

「今までも、心の中では色々と語っていたんだけどね……どうしても、うまく音になってくれなくて」

 陽兵の顔に浮かぶ苦笑い。

 コミュ障で陰キャなのは、昔から。それでも、相手の方から話しかけられたら、それなりに言葉を返せていた。

 症状が極度に悪化したのは、神様ゲームが始まってから。固有幻想に目覚めた代償として、人間愛を奪われてから。人前では、喉の奥に物が詰まってしまったかのように、全く声が出なくなってしまった。

 まぁ、そんな自分に、もうすっかり慣れてしまったけれど。

「なんだか、売れないミュージシャンみたいですね」

 紬の顔に穏やかな微笑みが浮かぶ。

 僕が抱えている症状を、理解してくれている。だからこその冗談だ。

「でも、今こうして喋れているということは……もしかして、ついに代償を克服したのですか?」

 それは当然の疑問だ。今まで無口キャラを通してきた奴が、急にべらべらと喋り出したのだから。

「いやいや……これは試行錯誤の中で生まれた、苦肉の策でしかないよ」

 陽兵は首を横に振りつつ、答えをぼかす。

 人間に対する愛情は、依然として失われたまま。人前に出ると、どうしても不安に襲われて、声が喉の奥に引っ込んでしまう。

 それでも、数少ない友人の門出を祝う心までは、失っていない。

「それってつまり、どういう――」

 ガララララッ!

 紬の言葉を遮るように、勢いよく横にスライドする学園の正門。

 誰かが押し開いたわけではない。定められた規則通りに、朝九時の訪れに伴い自動で開かれたのだ。

 見かけは一般的な金属製の門扉と変わらない。だがそれは、学園内への幻魔の侵入を許さない、絶対防壁。

 それが今開かれたということは、つまり――

「退学前に一仕事、お願いできるかな?」

 校門の外へと視線を向ける陽兵。

 薄れ消えゆく霧の向こうで、人間大の影がいくつか蠢いている。うねうねと身体を歪ませ地を這う、黒色のスライム達。

 紅の妖しい光を帯びた、その双眸――それは、人に仇なす者達の象徴。

「下級幻魔が三体、ですか。

 神崎君は巻き込まれないよう、後方待機でお願いします」

 紬が手にしたスマホの画面から、無数の光の粒子が溢れ出す。それらは紬の胸元に集い、たちまちその姿を変える――派手な装飾が施された、二本の団扇へと。

 紬はスマホをブレザーの胸ポケットにしまい、両手で一本ずつ団扇を手にすると、這い寄る黒スライム達と相対する。

 こちらの攻撃を柔軟に受け止める黒い身体。体内に取り込んだ人間を溶かす消化液。言うまでもなく、普通の女子高校生が団扇で倒せる相手ではない。

 幻魔――強大な力を持つ者ほど、その姿形は人間に近くなる。相手が人とかけ離れた軟体生物なら、僕が手を貸す必要はないだろう。

「くれぐれも俺の足を引っ張るなよ、紬」

 紬へと生意気な言葉を吐いたのは、後ろに控える陽兵ではない。紬の左手にある団扇――そこに描かれた、目つきの悪い美青年のアニメ絵である。

「はい、もちろんです……しょう様」

 自分に対する罵倒の言葉に、うっとりと笑顔で答える紬。

「気にしないでね、紬ちゃん。翔君なりの注意喚起だからさ」

 すかさず紬に声を掛けたのは、これもまた陽兵ではない。右手の団扇に描かれた、穏やかな笑みを浮かべた美青年。リアルの人間ではなく、とあるアイドルアニメのキャラである。

「ありがとうございます、悠哉ゆうやさん」

 手にした団扇に対し、律儀に頭を下げる紬。幻魔など眼中にないかのような、独自の空気を醸し出す。

 相手が下級だからと、舐めているわけではない。推しとの語らい――これは、彼女が固有幻想を発揮するために、必要な儀式なのだ。

「――【愛を引き裂く疾風】ゲイル!」

 学内に侵入したスライムAに向かい、紬は左手の団扇を斧のように振り下ろす。生じた風の刃は、校門前の石畳を切り裂きながら直進。スライムAの肉体をばっさりと左右二つに切り分ける。

 切断面に纏わり付いた風はさらに荒れ狂い、半身同士の結合を阻害。傷口から光の粒子――魔霊子が漏れ出し始める。

 幻魔にとって魔霊子は、肉体の維持に必要不可欠な血液のようなもの。漏洩し尽くせば、幻魔の肉体は活動を停止し、自ずから崩壊する。

 すでに死に体のスライムAに代わるように、学園内へと侵入するBとC。二体は身体を弾ませて大きく地を跳ね、頭上から紬へと襲いかかる。

「――【愛を育む旋風】ワールウィンド!」

 右手の団扇で上空を扇ぐ紬。放たれた風は二体のスライムを穏やかに包み込み、その身体を宙に繋ぎ止める。

 風の拘束から逃れようと、黒い肉体を激しく蠢かせるスライム達。しかし、柔風は二体を優しく抱きしめたまま、決して放さない。

 身動きの取れない二体へと、紬は左手の団扇を一閃し――

「――【疾風×旋風】トルネード!」

 放たれた刃は風に乗り、不可視の牢獄内を縦横無尽に駆け巡る。スライム達の全身はずたずたの細切れ。器を失い溢れ出した光の粒子は、荒れ狂う風に掻き乱されて霧散する。

 強力な固有幻想の数々。無論、アイドルアニメの登場人物に、こんな風魔法が使える設定などない。もし自分が、推しの二人とファンタジーな異世界に飛ばされたらという、紀ノ川さんの妄想の産物である。

 自分自身に立脚しているからこその強さ。下級幻魔三体を相手に、全く危なげない勝利。さすが、風紀委員会屈指の実力者である。

「華麗な風の舞だったよ、紬ちゃん」

「まぁ、悪くはない動きだったな」

 紬の両側から勝利を称える、二次元の美青年達。

「ありがとうございます……悠哉さん、翔様……」

 紬は二本の団扇を胸元に抱き寄せ、感慨深げに言葉を吐き出す。

 半年近く連れ添った二人との、今生の別れを惜しんでいるのだろう。

 そう、彼女の戦いは終わったのだ。

 彼女が団扇を手にする日は、もう二度と訪れない。

 すっかり霧が晴れた校門の向こう側には、文明社会崩壊後を思わせる瓦礫の街が広がっていた。アスファルトで舗装された風の大通りには、至る所に大穴が穿たれ、通り脇に並ぶコンクリート製らしき建物は、ばっさりと斜めに斬り落とされている。

 もっとも、この幻想の街は、始めから滅んでいたわけではない。

 戯れに壊されたのだ……幻魔達の手で。

 かつては、現実世界の駅前大通りを思わせる、現代的な光景が広がっていた。

 ただし、それらの構成材料は、アスファルトやコンクリートではない。固有幻想の力の源にして、幻魔の血潮たる魔霊子だ。

 それはつまり、この学園を中心とした街まるごと一つが、幻神ティアの固有幻想であることを意味している。

 そんな幻想の街を徘徊する幻魔の姿も、学園近くには見当たらない。先ほどまでとは打って変わって、平和そのものだ。

「あまり、名残惜しんでもいられませんね。いつまた、幻魔に襲われるとも限りませんし」

 二本の団扇は光の粒子に戻り、紬が取り出した赤色のスマホへと吸い込まれる。

 いや、厳密にはスマホではない。その見た目がスマホそっくりなので、学園内では当たり前のように『スマホ』と呼ばれているが、備え付けの通話機能はなく、インターネットにも接続できない。

 それは、幻神ティアに押し付けられた、僕達をこの幻想の大地に縛り付ける鎖だ。

 捨てることも、壊すことも許されない。

 スマホを手放し、元いた世界に帰る方法は二つ。卒業試験をクリアして、皆で大団円を迎えるか、あるいは――大枚をはたいて退学の権利を購入し、一人静かに幻都を去るか。

 紬は手慣れた様子でスマホを操作し、退学に必要な手続きを進めてゆく。

 わざわざ自分で書類を作成する必要はない。プリインストールされた通販アプリを起動し、幻想通貨で退学届を購入すれば良い。

「……最後まで付き合えなくて、ごめんなさい」

 紬は陽兵へと自分のスマホを差し出し、申し訳なさそうに顔を伏せる。

 画面に表示された、魔方陣を思わせる謎の文様。それこそが、彼女がようやく手に入れた退学届。

「謝罪の必要なんてないよ。君は、君の幸福を追求すべきだ」

 陽兵は脳裏で念じて、自分のスマホを手元に転送する。印象的な黒のボディー。肉体と強く結びついているからこそ、自分の意思一つでいつでも手に取れる。無くすことなどあり得ない。

 陽兵はカメラアプリを起動して、紬のスマホに表示された魔方陣を撮影する。

 それが、退学処分に必要な承認の手続き。生徒会役員に与えられた特権の一つ。

 そう、これは課せられた仕事ではない。気に入らなければ拒否すればよく、承認を盾に無理難題を要求する、下劣な輩さえいる。

 戦友の幸せを拒む意思など、僕にあるはずもない。僕が背負い込んだ特殊事情は、独りで解決すべきものだ。

【退学処分完了】

 陽兵のスマホに表示される、赤色の文字。役目を終えた紬のスマホは、すぐさま光の粒子と化し、溶けるように宙に消える。

 それに続き、校門を完全に塞ぐように、地中から迫り上がってくる巨大な光壁――退学者専用の転移ゲート。権利を持たない者が触れても擦り抜けるだけだが、承認された者がくぐれば、元いた現実世界へと帰還できる。

 鎖はすでに、消え去った。

 後はただ、この壁の向こう側へと、足を踏み出すだけ。

「今まで力を貸してくれて、ありがとう。大学受験、大変だろうけど頑張って」

 顔を伏せたままの紬へと、陽兵は感謝の言葉を贈る。

 小細工を弄してまで喋ることに拘ったのは、他でもない――礼を尽くすためだ。もう二度と会えないかもしれない、大切な仲間に対して。

「――っ……」

 はっと顔を上げた紬の目には、じんわりと涙が浮かんでいた。

 きっと、自分一人で逃げ出すことに、罪の意識を覚えていたのだろう。

 でも、その言葉にならない思いだけで、十分だ。僕はこれからも戦える。

「このふざけたゲームをクリアしたら、必ず君に会いに行くよ……花撫かなでと、二人でね。

 そのときには、そうだなぁ……幻想じゃない本物のカツ丼を、腹一杯食べたいかな」

 陽兵はスマホを胸元のポケットに仕舞うと、紬へと手を差し出した。

 この場には居ない、もう一人への思いを胸に抱いて。

 陽兵の言葉に、紬の顔が大きく陰る。

 しかし、すぐに何かを振り切るように、清々しい笑みを浮かべると、

「……ふふっ……そのときには、私が奢りますね。五人前で、足りますか?」

 紬は陽兵の手を握り返した。

「……十分だよ」

 心地よい春のそよ風が、陽兵の顔を撫でる。散りゆく街路樹の桜が、別れの風景に細やかな彩りを添える。

 これは惜しむべき別れじゃない。未来へと向かう歩みの一つだ。

 やがて二人の手は離れ、紬の視線は光の壁へと向かう。

 ゆっくりと歩き出した少女の足に、もう迷いはない。

「また、生きて会いましょう」

 軽く手を上げ、別れを告げて、紬は光の中へと足を踏み入れ――

 どんっ

 何かにぶつかり、押し返された。

 想定外の障害物に、紬の身体は大きくよろめき、地面へと強かに腰を打ちつける。

 紬を拒んだのは、転移ゲートではない。光の壁を擦り抜け、学園内への侵入を果たした、二足歩行の獣人――タウロス。焦げ茶色の剛毛に覆われた、四メートルを超える筋骨隆々の巨体。雄々しい二本の角を生やした猛牛の頭部では、紅の双眸が妖しく輝いている。

 校門付近では、まず見かけることのない……中級幻魔……

(――逃げろっ!)

 陽兵は音にならない言葉を、それでも必死に吐き出す。

 獣人の瞳に宿る紅の光が、足下に転がる獲物の姿を捉え、

「……【雷斧】ボルクス

 低く重々しい声に伴い、タウロスの右手に具現化される魔斧。その肉厚の刃は稲光を纏い、バチバチと耳障りな音を撒き散らす。

 紬は反射的に胸ポケットへ手を伸ばすが、そこに頼りのスマホはない。固有幻想を導く媒体は、すでに失われている。

(――動けっ!)

 虚を突かれ制御を失っていた自分の身体に、陽兵は必死に命令を下す。

 壊されることなど気にするな。彼女が転移ゲートに入る時間さえ、稼げればいい。

 雷斧を頭上高く振り上げるタウロス。その足下には、座り込んだまま動けない紬。

 陽兵は急ぎ駆け寄り、紬の身体を片手で突き飛ばし――

「――っ!!」

 振り下ろされた分厚い刃が、陽兵の右腕をぶった切る。二の腕の切断面はすぐさま炭化。そこから入り込んだ雷撃が、陽兵の身体を縦横無尽に駆け巡る。

 普通の人間なら、即座に意識を失うほどの衝撃。でも、今の僕にとっては、ただの電気信号にすぎない。

「――僕に構わず、門の外へ!」

 陽兵は紬に声をかけながら、斬り落とされた右腕に左手を伸ばし、

「――【即席汎用体】イニシャライズ!」

 右腕は命を宿した泥のように、自らその姿を作り替える――髪も衣服もない、瞼を閉ざした中性的なドールの素体へと。

 造形を作り込む余裕はない。3分の1サイズの素体は、獣人の巨体と比較してあまりにも小さい。それでも、決して非力な雑魚ではない。材料となった者の、すなわち、この僕の固有幻想を受け継いでいる。

「――【自律的機構】オートマトン! 目の前の幻魔を倒せ!」

 生み出された人形に、陽兵は即座に命令を組み込む。

 細かな指示は不要。状況に応じて、自ら行動させるための固有幻想だ。

 人形はその小ささを生かし、タウロスの大ぶりの攻撃を掻い潜ると、その極太の足首へと全身でしがみつき――

「――ガッ!?」

 足首の一部を溶かされたタウロスが、僅かに身体のバランスを崩す。

 元々は、人形の材料調達のための固有幻想。たとえ幻魔の肉体であろうと、熱した蝋のように溶かすことができる。即席の素体ではあまり威力を出せないが、重要なのは注意をこちらに向けることだ。

 タウロスは空いた左手で、人形の身体を鷲掴み。足首から強引に引き剥がすと、そのまま地面に叩き付け、止めとばかりに踏み潰した。

 頭部を砕かれた素体から、漏れ出し始める魔霊子。それでも、人形は動き続ける。全ての魔霊子を失い、完全な屍と化すそのときまで。

 足裏の肉を溶かされ、その巨体をぐらつかせるタウロス。人形への攻撃を無益と悟ったのだろう。タウロスは潰れた人形から興味を失い、その創造主たる陽兵へと視線を向ける……こちらの狙い通りに。

「――今のうちに! 早くっ!」

 陽兵はタウロスを誘うように後ずさりしながら、その背後へと声をかける。紬は何とか身を起こしたものの、恐怖のためか身体の動きがぎこちない。

 無理もない。敵は中級幻魔――たとえ固有幻想が使えても、命を奪われかねない相手だ。

(――くそっ、こんなことなら……)

 今更後悔しても仕方ないが、万一の事態を見過ごしていた自分を呪いたくなる。

(大丈夫、マスター)

 動揺する陽兵の心へと、直接語りかけてくる少女の声。

緋奈ひなねえ美愛みあねえが、こっちに向かってる。マスターは死なせない)

 声の主は人間ではない。陽兵が手間暇をかけて作り上げた、五体の姉妹人形――『心ない天使達』の四女、溶子ようこ

(溶子は参戦できないのか?)

(それは無理。マスターを危険に晒せない)

(でも、このままでは、紀ノ川さんが……)

(他の人間はどうでもいい。大切なのはマスターだけ)

 その淡々とした答えに愛想は欠片もなく、溶子は街路樹を盾に身を隠したまま、動き出そうとはしない。

 自分の心が生み出した幻想知能だけに、なんとも耳が痛い言葉。だがそれなら、我が身で時間を稼ぐだけだ。

 振り下ろされるタウロスの雷斧。陽兵は横に飛んで躱し、迸る雷撃の余波を甘んじて受け止める。

 回避に成功しても、雷による麻痺の追加効果。何の策もなければ、二撃目で確実に命を狩られる。だがこちらには、そもそも麻痺が通用しない。

 続けざまに放たれた雷斧の横薙ぎに、陽兵は大きく後方に飛んで距離を取り――

「――がっ……」

 陽兵の腹部を貫く稲光。タウロスの手から投げ放たれた雷斧が、陽兵の身体を上下真っ二つに切り裂いていた。

 人間にとっては、紛う事なき致命傷。

 だが、陽兵は怯むことなく、自らの胸部に左手を押し当て、

「――【可逆的再生】ロールバック!」

 炭化した腹部の切断面が飴細工のように溶けて伸び、別たれた下半身と即座に繋がる。全身から少しずつ肉が注ぎ込まれ、消し飛ばされた腹部が修復されてゆく。

 陽兵にとっては、自分の肉体すら人形の素材。加工・修復はお手の物である。ただし、失った肉の分量まで元に戻るわけではない。中肉中背であった陽兵の身体は、数キロ分の肉を失って少し痩せ細る。決して何度も使える手ではない。

 そんな非現実的な再生手段を目の当たりにして、タウロスは陽兵からも興味を失う。

 ぐるりと反転する巨体。

 紅の双眸が見つめる先には、震える四肢で必死に地を這う紬。

(――やめろっ!)

 剥がれた敵視を奪い返さんと、陽兵はタウロスに向かい地を蹴――

「……【雷斧】ボルクス

 その重低音は、陽兵の横手から。

 前方のタウロスではなく、光の壁の向こうから。

 転移ゲートを擦り抜け、飛来する雷斧。

 それは、狙い違わず……陽兵の首を斬り落としていた……

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