03 ~平穏と幸福の非日常~

 厳しい冬の寒さもようやく和らぎ、頬を撫でる風が適度に冷たく心地良い。

 自称神様の手で幻都イスラフィールに攫われてから、およそ九ヶ月が経過。幻都の中央に位置する学園内での生活も、すっかり身体に馴染んでいた。

 敷地内に立ち並ぶは、現代的な鉄筋コンクリート造りを思わせる校舎の群れ。校舎間の通路は、石造り風のタイルで綺麗に舗装され、作り物のように整った街路樹の緑が、大通りの両脇に飾られている。

 幻都という言葉のイメージとは裏腹に、現実世界の高校と何ら変わりない景色。もっとも、それはあくまで、幻神ティアがセーフエリアに指定した、この学園の敷地内に限っての話なのだけれど。

 陽兵は制服の上に薄手のコートを羽織り、校舎群から少し離れた所にある、雑木林の木漏れ日の中を一人で散策していた。

 いや、一人という表現は、厳密ではないかもしれない。

 陽兵の左腕に腰掛けている、メイド服姿の小さな少女――腰まで伸ばされた金色の髪が、さらさらと風に揺れている。その身長が50センチ程度しかないのは、この少女――溶子ようこが人間ではなく、僕の肉体を材料として作られた人形だから。

 溶子は五人姉妹の四女という設定であり、姉の三人はすでに絶賛活動中。今頃は、学園の外れに建てられた僕の私邸の中で、各自修練に励んでいるだろう。末の妹も構築・設定はだいたい済んでおり、あとは微調整を残すのみ。

 今日、ここに溶子を連れ出したのは、稼働試験のため。幻魔げんまとどの程度戦えるのかを、実践を通して見極めるためである。

 幻魔げんま――現実世界には存在し得ない、幻想的な化け物達の総称。その姿形は千差万別だが、見分け方は至極単純。総じて不気味な赤い光を瞳に宿している……あの憎き幻神と同じように。

 昨夜、学園の裏門を入ってすぐのこの場所で、数体の幻魔に襲われた学生がいるらしく、本日のテストはその討伐も兼ねている。

 学園内は幻魔に襲われない安全地帯という扱いなのだが、それはあくまで夜間限定。校門が開かれている日中は、たびたび幻魔が敷地内へと侵入してくる。下手に放置していると、被害が広がりかねない。

 溶子は警戒するように周囲に視線を巡らすも、その瞼は固く閉ざされたまま。僕が幻神ティアに人間愛を奪われ、人の視線を極度に恐れるようになった影響が、こんなところにも表れている。

 もっとも、魔霊子まれいしを感知できる溶子達人形にとって、視覚はあまり重要ではない。なぜなら、この幻都を構成する事物は全て、魔霊子製の幻想だから。そこで活動している人間の体内にも魔霊子は宿るため、人形達は人間を感知することも可能。魔霊子とは相互作用しない、命を持たないただの物質は、この幻都にはそもそも留まれない。

「マスター、幻魔発見」

 鬱蒼とした木立の向こうを指さす溶子。陽兵はすぐさま足を止め、目を凝らす。

 人と視線が合わないよう濃いサングラスをかけているせいで、いっそう薄暗く見える林の奥――妖しい紅の光が二つ並んでいる。そこにうっすらと浮かび上がる、一体の骸骨人間の姿。それは直立不動のまま、じっとこちらを見つめている。

「……こわっ……」

 本能的な気味の悪さを感じ、陽兵の背筋に怖気が走る。

 たとえ真っ昼間に出会おうと、こんなものはホラーでしかない。

「下級のスケルトンが一体――あたし一人でも倒せる相手」

 一方、溶子はクールという性格設定に偽りなく、不気味な幻魔を目にしても眉毛一つ動かさない。

「じゃ、行ってくる」

 陽兵の腕から地面に飛び降りた溶子は、木々の間を縫うようにスケルトンに向かい走り始める。

 溶子の接近に気づいたのか、骸骨の口から激しい歯軋り音。スケルトンはその手に極太な大腿骨を具現化し、腕を大きく振り上げる。無防備にその直撃を受ければ、魔霊子で補強された溶子の身体でもただでは済まない。

「――【天使の断罪】ウリエル・フレイム!」

 溶子の口から放たれた言葉に伴い、その全身から吹き上がる紅蓮の魔霊子。

 固有幻想こゆうげんそう――己の内から溢れた誇大妄想は、世界のあり方を歪ませ、超常現象すら引き起こす。鬱屈とした日々を過ごしていた非リア充ほど、この幻都では強大な力を発揮できるわけだ。陰キャ生活を極めていた陽兵の場合、その手で生み出した人形達でさえ、独自の固有幻想を使うことが可能だ。

 幻想の炎は溶子自身を焦がすことなく、振り下ろされた大腿骨へと引火――熱せられたバターのように、その骨棍棒を溶解する。さらに、炎はスケルトンの全身へと燃え移り、溶かし尽くされた歩く骨格標本は、たちまち白い水たまりへと姿を変える。

 やがて、光の粒子の揮発に伴い、水たまりは干からびるように姿を消した。

 溶子が生み出す幻炎は、魔霊子を帯びた肉体を溶かし尽くす。純粋な魔霊子のみによる攻撃でなければ、その身に触れることさえできない。肉体を介した攻撃手段しか持たない下級幻魔が相手なら、万全な状態の溶子が負けることはない。

 生体破壊に特化した固有幻想を使う溶子――その性能は僕の期待以上と言える。

「マスター、終わった」

 陽兵の足下へと小走りで帰ってくる溶子。主人を見上げる小さなメイドを、陽兵は膝をついて拾い上げ、再び自分の左腕に座らせる。

「お疲れ様、溶子。素晴らしい成果だったよ」

 溶子の小さな頭を、ご褒美代わりに優しく撫でる陽兵。

「あたしは、マスターの特別製。これぐらい、できて当たり前」

 溶子の澄まし顔が僅かに崩れ、隠しきれない嬉しさが滲み出す。

 僕に頭を撫でられるのが大好きという、僕の脳内設定に基づく反応。それでも、抱きしめたくなるほどに愛らしい。人間か人形かなんて、僕にとっては些細な違いだ。

「ま~た新しい女の子とデートですか、よーせんぱい?」

 スマホを収めていた胸元から、聞こえてきたのは花撫の声。

 陽兵は心の内で念じることで、手元へと自分のスマホを転送する。

 かつてとは異なる、その深い黒色のボディー。幻神から押し付けられたそれは、固有幻想を発動するために必要不可欠な媒体。自分で好きな色を選べるわけではなく、学園内での役割に応じた色が強制的に割り当てられる。

 この黒色が意味するのは、五つしか席がない生徒会役員の一人であること。この幻都で生き残るために、攫われた二千人もの学生達によって選ばれた、リーダーの証――ではない。幻神ティアが好き勝手に選んだだけで、選出基準すら明らかではない。

 まぁ、その意図が理解不能でも、生徒会役員という役割を与えられた以上、それに応じた行動を取ろうとしてしまう僕は……はたして真面目なんだか、不器用なんだか。

「お~い、よーせんぱい、聞いてますか?

 ちゃんとツッコミ返してくれないと、カナ、不安になるんですけど?」

 再び聞こえてきた花撫の声に、陽兵の意識は白く輝く画面へと引き戻される。

 そこに表示されていたのは、二頭身にデフォルメされた花撫の静止画。その口をへの字に歪ませて、ジト目で僕を見つめている。

「生憎と、生まれてこの方、デートなんて一度もしたことないよ」

 目の前に花撫がいるかのように、陽兵はわざとらしく自嘲の笑みを浮かべる。

「へぇ~、そうなんですね。

 それじゃ、今度カナと一緒に、お買い物に行きましょう」

「……購買に?」

「はい、購買です。品揃えは結構頻繁に変わってるみたいなので、何か掘り出し物が見つかるかもしれません」

 にぱっとした眩しい笑顔へと、花撫の画像が切り替わる。

「まぁ、この幻都で買い物できる場所なんて、学園の購買しかないからね」

 買い物の際には、スマホに貯まった幻想通貨のGPゲンマポイントを、電子マネーで決済する感覚で使うことができる。

「そうとは言い切れませんよ、よーせんぱい?

 学園外に広がる廃墟を越えたその先には、伝説のコンビニとかあるかもしれません」

 未だに、学園外の大半は未開の地。幻魔に襲われる危険性を覚悟の上で、学園外へと冒険に出かける物好きなど、現代っ子の中にはまずいない。

「聖剣エクスカリバーとか売ってそうだね、そのコンビニ」

 学園の購買に並んでいるのは、武器にならなそうな日用品の類ばかりだけれど。

「カナは絶対、コミックの続きを買います。

 どこまで話が進んでるのか、とっても楽しみです」

 順調に連載が続いているなら、コミックにして三冊分。あの日から、随分と時間が経ったものだ。

「……それは、なかなか良いアイデアだね。僕も一口乗ろう」

 思わず笑みが零れる陽兵。スマホを片手に語らう姿は、一見すると電話をしているように見えるが、実はそうではない。

 スマホにしか見えないこのデバイス――幻神からゲーム参加者に配布された端末なのだが、あろうことか電話アプリが入っていない。誰かに電話をかけたければ、自分の固有幻想で何とかする必要がある。今まさに、花撫がそうしているように。

 幻神ティアに『伝想小悪魔』メーラー・デーモンの二つ名を与えられた花撫は、幻想メールに様々なものを添付し、対象のスマホに送信することができる。自分の精神を送ることで、遠く離れた相手との会話すら実現可能だ。

 ただし、花撫の心は今まさに、僕の目の前――このスマホの中にあるわけで、それはつまり、花撫の身体は空っぽのまま、どこかに放置されていることになる。

「ところで、花撫……安易に【潜伏する私情】スパイ・メールは使わないようにと、この間も注意したはずなんだけど?」

 陽兵の厳しい指摘に、画面の中の二次元花撫の笑みが消え、眉が申し訳なさそうにハの字になる。

「……き、今日のカナには、ちゃんとした理由があります!」

「……その理由は?」

「ほら、今日新しい子を試すって、よーせんぱい言ってたじゃないですか?

 だから、もし失敗してもすぐ加勢できるように、よーせんぱいのスマホの中で見守ってたんです」

 花撫の純真な気持ちに、今度は陽兵の言葉が詰まる。

 その思いやりが嬉しくないはずがない。幻魔との戦闘では、想定外の何かが起こる可能性は否定できず、花撫の心配は決して杞憂ではないのだから。

「それに、カナの身体はちゃんと校舎内に置いてますし、近くにくーちゃんが居ますから、問題なしです」

 紅羽くれは――花撫が所属する風紀委員会の長にして、『鮮血の修道女』ブラッディー・マリアの二つ名で恐れられている少女。なお、紅羽というのは本名ではなく、神様ゲームに参加する際に考えた独自のキャラ名らしい。ゲームというだけあって、本名以外での参加も可能なのだとか。

 紅羽さんは花撫を風紀委員会へと勧誘した人物であり、花撫とは同い年ということもあって仲が良い。学園最高戦力の一角と言われる彼女が護衛役なら、確かに心配は不要だろう。

「そうそう、聞いてくださいよ、よーせんぱい!

 くーちゃんったら、卒業試験を発生させるのはまだ早いって言うんですよ? 幻都の一部しか探索が済んでいないのに、神様ゲームがすんなりと終わるはずないって」

 画面内の二頭身花撫が、愛らしい拗ね顔を浮かべる。

 まぁ、紅羽さんが不安視するのも無理はない。神様ゲームを終わらせる唯一の手段とされる卒業試験に関しては、幻神ティア自らの手で行われることが明言されているのだから。

 僕たちがやろうとしていることは、最初の町周辺でひたすらレベルアップした後に、そのままラスボスの城に乗り込むようなものだ。

「カナだって、最初の挑戦でクリアできるとは思ってません。

 でも、一度試験を受けてみれば、どんな内容なのかわかって、次に向けての準備ができるじゃないですか」

 花撫の言い分もまた正論である。神様をただ恐れているだけでは、いつまで経ってもハッピーエンドは訪れない。

「そりゃ、受験料は惜しいですけど……とっても、惜しいですけど……」

 そう、全てを終わりにする卒業試験というだけあって、その受験料も馬鹿高い。必要な幻想通貨はカンストの999GPである。下級幻魔を一体倒して1GP、中級相手でも5GPしか得られないことを考えると、なかなか大変な額である。

 卒業試験自体は全員参加のクエストとされているが、受験料は誰か一人が全額を支払う必要がある。幻想通貨の人間同士でのやり取りがシステム上禁じられているため、これはかなりハードルが高い。現在、花撫の貯金は800GPを超えているが、これはある意味二人分――花撫が必要とする買い物を、ほぼ全て僕が肩代わりしてきた結果である。

「よーせんぱいは、どうしたら良いと思いますか?」

 難しい問題だ。挑戦すると決断すれば、きっと後悔したくなる失敗もするだろう。だからといって、現状維持を選んだところで、この幻都は幻神ティアの手のひら――安寧が続く保証はどこにもない。

「……一緒に、前に進もうか?」

 一人では怖くても、二人なら足を踏み出せる。

「さすが、よーせんぱい! そうこなくっちゃ!」

 花撫の顔に晴れやかな笑みが戻る。

 やはり、花撫はこうでなくて――

「マスター、幻魔発見」

 敵を知らせる溶子の声に、陽兵は急ぎ画面から顔を上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る