最終話 最高の強がり
「どうにもならん」
アドラダワー院長がつぶやいた。治療院の一階。治療台の上には、土気色をした氷屋のオヤジが乗っている。
「でも、傷はなさそうですよ!」
おれは思わず大声を上げた。オヤジさんの身体からは血も流れてなければ、傷もない。
院長が、オヤジさんの身体に手をかざした。
「使われた魔法の痕跡は残っておる。これは、魂を引き剥がす呪文じゃ。その途中で止まっておるな」
「じゃあ、その魂を戻せば!」
院長は首を振った。ティアが隣で泣いている。ガレンガイルとマクラフ婦人、ダネルはじっと黙って立っていた。
「ネクロマンサーなら、できるかもしれん。じゃが、わしではできん」
バルマーは瓦礫の下に埋もれた。または、おれの炎で焼け死んだか。操っていたアンデッドが事切れていたのを考えても、生きてはいないだろう。
「奇妙な例えじゃがな、この身体と魂は時が止まったような状態じゃ。回復魔法も薬草も、なにも効かん」
時が止まった? 似たような物をおれは知っていた。
「院長、おれの預けたもの、いいですか?」
院長に持ってきてもらったのは秘密の箱だ。その箱を開け、木の兜を出す。みんなが、けげんそうな顔をしている。
「信じられないかもしれないけど、これは、よその世界を見るための道具です。そして、その世界の時は止まってます」
「カカカ殿、よその世界とは?」
ガレンガイルに説明するのはあとだ。アドラダワー院長の前に持ち上げる。院長はそれに手をかざした。目を閉じて何か探っているようだ。
「空間が歪んでおる。それ以外は、わしにもわからん力じゃ」
「これを利用できませんか?」
院長は目を開け、顔をしかめた。
「これが、お主の言うように時が止まった物として、それをぶつけても同じじゃ。同じように時は止まったまま」
「いえ、そいつをこれにぶつけるんです」
おれは箱の中からブーツを出した。
「変異石か!」
アドラダワー院長が、今までになく考え込んだ。そして、しばらくして静かに言った。
「できるかもしれん」
おれは無言でうなずいた。
それからしばらく、準備が終わるまで部屋で待った。そろそろのようだ。
治療院の中庭に出る。マクラフ婦人が地面に魔法陣を書いていた。その中心にオヤジさんを寝かせる予定だ。魔法陣は、まわりに被害が出ないようにするためらしい。
「カカカよ」
アドラダワー院長から、ふいに声をかけられた。
「それは、お主が元の世界に帰るために必要ではないのか?」
院長が言う「それ」とは、おれが手に持つ木の兜と手袋だ。
「まあ、ほかに何か方法が見つかるでしょう」
「ほか、ほかとは?」
実は何もない。アドラダワーは、さらに何か言おうとしたが、マクラフ婦人に呼ばれて魔法陣に戻った。
おれは、木の兜をかぶった。久しぶりに見る自分の部屋。何一つ変わっていなかった。ぐるっと見わたす。
「カズマサ!」
下の階からオカンの大声が聞こえた。
「ああ、起きてるよ!」
おれは大声で答えた。
「先に出るから、あんたも早よ行かんせ! お弁当、生姜焼きな」
「オカン!」
「なん?」
「ありがとう! ありがとうな!」
おれは涙と鼻水を拭こうとして、木の兜に手が当たった。
オカンが玄関から出ていく音がする。もう一度、部屋を見回した。ガキの頃から使い続けた机があった。あまり勉強には使っていない。
右の本棚は高校入学で買った。ベッドは社会人になってからだ。一人暮らしも考えたが、給料が安すぎて無理だった。
この部屋を見る最後になるかもしれない。でも、今に考えれる手立てはやってみるべきだろう。
兜を脱いだ。いつの間にか、みんながおれの周りにいた。
「カカカ殿」
ガレンガイルが口を開きかけたが、おれは言葉をさえぎった。
「さあ、やろう!」
地面に描いた魔法陣の中央に、オヤジさんを横たえる。そばにはアドラダワー院長。
みんなは魔法陣の外に下がった。
アドラダワー院長は、右手を地面に置いた木の兜に添えた。左手は数珠の中から黒い石をつまむ。前に見た暗黒石だ。
何かを唱えた。
ビキビキ! と木の兜にヒビが入ったと思ったら、木っ端微塵に破裂した!
いや、破裂したと思ったら、木の破片はあたりを漂っている。なんだこれ。
ドン! と音がして魔法陣を描いた地面が凹んだ。中の空気は夏の陽炎のように揺れて見える。アドラダワー院長のモジャモジャな白髪は逆立ち、白衣は波を打っている。これ、大丈夫か?
おれの隣にいたマクラフ婦人が、羽ペンを出して握った。呪文を唱え始める。魔法陣が輝き出した。
さらにドン! と魔法陣の地面が凹んだ。呪文を唱えていたマクラフ婦人が膝をつく。魔法陣を書いた本人にも、ダメージが来るのか!
婦人は顔を歪めながらも、呪文を唱えるのはやめていない。
アドラダワー院長は、地面に置いてある小さな石をつまんだ。おれのブーツから取り出した変異石だ。
暗黒石と変異石を持ち上げ、さらに何かつぶやいた。二つの石は光り、石から爆風が出た。おれは吹き飛ばされた!
首を上げ、周りを見た。爆風は収まったようだ。
みんな吹き飛ばされたようで、立ち上がろうとしている。うしろの治療院の窓が、ことごとく割れていた。あちゃあ!
魔法陣の中央にいたアドラダワー院長が歩いてくる。おれは立ち上がった。
「院長、だ、だめでした?」
「わしを誰じゃ思うておる」
おれはオヤジさんを見た。むくりと上半身を起こして、あたりをキョロキョロ見回している。
「院長!」
「わしにかかれば、楽勝よ。それより院内じゃ。誰ぞケガしとらんかの」
嘘つけ。ぜったいギリだったわ。
治療院に歩き出した院長が、ふと振り返った。
「カカカよ」
「はい」
「なぜ、こちらの世界を取った? お主は何を天秤にかけ、何に重きを置いた?」
院長の言いたいことは解るが、この世界を選んだのかどうか、それは自信がない。単に、オヤジさんが生き返るなら、ほかに手がなかっただけだ。
何て言おう。
「ほら、まだ借金、返してないですし」
上手い切り返しではなかったが、院長は盛大に笑った。笑いすぎて腹を抱えている。
「わしの人生で聞いた最高の強がりかもしれん。カカカよ、断言しとくぞ。今後は、あの手この手で借金を返せんようにしよう」
院長は、まだ笑いながら帰っていった。
空が薄っすら白み始めた。
疲れたよ、おれは。帰って寝よう。
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