第83話 ギルドで夜警
「カカカ様、お願いがあります」
あらたまって何だろうと思ったが、今晩のギルドの守りだ。もちろん了承する。依頼人がギルド本人という依頼書を作成しようとしたので止めた。
「パンとスープ、そんな物で充分ですよ」
おれの言葉にグレンギースが笑った。
「夕飯と風呂で依頼を受けていただける、そんな冒険者様は始めてです」
おれも笑いかけたが、途中で止まった。
「交渉官、今、ふろ、と言いましたか?」
「ええ、言いましたが」
「それは、食べ物ですか?」
「カカカ様? 風呂です。身体を洗う」
「水で?」
「カカカ様? 風呂です、お風呂。お湯につかる物です」
この時のおれの気持ちは、大げさでもなんでもない。「おお、神よ!」と叫ぶ一歩手前だ。
何ヶ月ぶりの風呂になるんだろう。
「このギルドには、風呂があるんですね!」
「ええ。カカカ様、何度も言いますが風呂ですよ? 街外れの公衆浴場と同じです」
公衆浴場! 倒れそうになるのを踏みとどまった。あるのか、この世界に。
おれは勝手に思い込んでいた。電気のない世界、風呂なんてものはないのだろうと。しかし、よくよく考えれば、中世ヨーロッパでは水道も風呂もあったはずだ。現に、この街には噴水もある。
「カカカ様?」
いぶかしげな顔で見るグレンギースに、おれは冷静を装って答えた。
「あー、できれば、食事の前に入れます?」
「ええ。では、戸締まりをして、すぐに用意させましょう」
「手伝います!」
おれは外へ駆け出し、他の職員より率先して雨戸を閉めた。街の人たちも早々と雨戸を閉め、戸締まりに余念がない。
それから一階の長椅子に座って待つ。すると落ち着かなくて室内をぐるぐる歩いた。
お湯はどうするんだろうと聞いてみた。職員側の奥に炊事場があり、そこで湯を沸かすそうだ。見に行く。
かまどが四つあり、その内の二つに大きな釜で水が張られていた。まだ水だ。職員のひとりが、かまどに火をおこしている。これは、まだまだかかりそう。
長椅子に戻り、両手を組んでじっとした。ここは我慢だ。しばらく目をつぶり、違う事を考えようとした。
いや、とても無理だ。おれの心には、すでに湯気の
ちょっと様子を見に行こうか? 懐中時計を見る。なんと、まだ座って八分しか経っていなかった。待つ時間って長い。
それから一時間ほど、立ったり座ったり、座ったり立ったりを繰り返した。そんなおれの姿をチックとハウンドは眺めていた。やがて飽きたのか、各々勝手にどこかへ行った。
「カカカ様、湯の準備ができましたが、入られますか?」
グレンギースが聞いてきた時、おれは待ちくたびれていた。石の床で土下座するように塞ぎ込んだ姿勢だった。あわてて立ち上がり、服をはらう。
「ここの床は、たいへん良質な石をお使いですね」
グレンギースは、ためらいながら「ええ」と答えた。
彼に連れられて風呂に向かう。風呂場は調理場のすぐ横だった。
トイレのような小さな部屋に、ひとりがやっと入れる大きさの木桶が置かれている。木桶には波なみと湯が張られ、湯気がじんわり優しく立ち上っていた。
おれは急いで服を脱ぎ、木桶の縁に両手をかけた。湯気が顔に当たり、思わず目を閉じる。
ああ! お湯の香り!
記念すべき第一歩は、右足から入るか? いや左足から入るか?
以前の世界では、どちらの足から風呂に入っていたのか、それすら忘れていた。月に降り立ったアームストロング船長の言葉を借りるなら、こうだ。
「人間にとっては小さな一歩だが、おれにとっては偉大な一歩である」
よし、右足にしよう。
「カカカ様!」
外からの呼び声に、おれの右足が止まる。
「カカカ様!」
「どうかしました?」
「玄関が何者かに破壊されそうです!」
おれはこの時、人生で初めて、こめかみが痙攣するのを感じた。タオルを腰に巻いて風呂場から出る。ギルドの職場に戻った。
ドーン! ドーン! と何かが玄関の扉に当たっている。おれは長椅子に置いていたショートソードを手にした。あきらかな殺意を持って。
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