第84話 真夜中の戦い

 玄関のすぐ横にある小さなガラス窓から、外をのぞいた。


 男がひとりいた。ぼろぼろの服、土気色の肌、のそのそと不自然な動き。アンデッドだ。


「この野郎」


 玄関の鍵を開け、勢いをつけて外に開いた。扉がぶつかりアンデッドがよろける。素早く後ろにまわり、心臓めがけて剣を刺した。


 刺されたアンデッドは二、三歩動き、剣が刺さったまま崩れ落ちる。


 倒れたアンデッドから剣を抜いていると、近くの通りから声が聞こえた。


「離れろ! こいつ、すごい力だ!」


 離れた通りに憲兵が二人いる。ひとりは昼間に話したニーンストンだ。ふたりの前にアンデッドが迫る。


 おれは剣を構え、アンデッドの方へズンズンと歩いていった。腰のタオルが外れそうになり、剣を持ってないほうの手で押さえる。


「おおおお!」


 おれは咆哮を上げた。その声が聞こえたのか、アンデッドがよたよたと向かってくる。


 相手の正面に向かってそのまま走り、手前で左に避ける。アンデッドが腕を振ってきた。屈んで腕をよけ、足首を剣ではらった。半分ほど切れる。その足で踏み出そうとしたアンデッドが前のめりに倒れた。


 ニーンストンがすかさずアンデッドに近づき、トドメを刺す。


「まず足だ! それからトドメを!」


 憲兵二人に向かって叫ぶ。二人がうなずいた。


 よし、帰るぞ! 振り返ると、目の前に黒い霧があった。


 霧は女の形をしている。


「アアア」


 目と鼻の先にある死霊の口が開いた。


 死霊は剣で斬れない。思わずやった行動は「手で相手の口を塞ぐ」だった。左手で相手の口を塞ぎ、右手で後頭部を押さえる。


 つ、冷てえ! おれは下を見た。おれの股間にあったタオルは外れ、黒い霧に半分ほど埋もれている。


 死霊が半歩、前に出た。身体の前半分が黒い霧に包まれる。


 血が凍る。逃れようと後ろに倒れた。そのまま黒い霧もくっついて、おれの上に覆いかぶさった。


 視界が黒い霧の中に入った。どこまでも寒い。暖かさはないのか。闇の中で暖かさを探した。あった。おれの中。赤い炎と青い炎の玉。


 おれは両手を広げ、黒い霧を丸ごと抱きしめ、その炎に押しつけた。


「アアア……」


 最後に声を上げ、黒い霧は消えていった。


 さ、寒い。とりあえず横になって身体を曲げ、両手で股間を隠す。


「勇者カカカ、魔獣殺し」


 よく知った声が聞こえた。ぜったいダネルだ。


「その伝説に、新たな一話が加わったな」


 ダネルが、横になったおれの顔をのぞき込んだ。


「女の霊を昇天させた男、おめえ、すごすぎるぜ」


 手に万能石を持っているのが見える。


「早く、それ使ってくれ。寒くて死にそうだ」


 そう言い終わる前に、ダネルはおれに手を触れ、石を光らせた。身体に温かみが戻ってくる。


 しばらくすると、身体に力が入るようになった。立ち上がる。


「知らなかったなあ。兄貴の店に、こんな防具があるとは」


 ダネルがおれの前でヒラヒラさせたのは、一枚のタオルだ。その手からぶん取る。腰に巻きつけ、歩きだすとふらついた。ダネルの肩を借りる。


 憲兵の二人は、ぽかんと口を開けておれを見ていた。


「何かあれば、おれはギルドにいるから」


 憲兵のニーンストンに伝えた。若き憲兵が、青ざめた顔で何度もうなずく。


 まいったなぁ。またこれで、変な噂が立つ。


 ギルドに戻り「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる職員に手を上げ応えた。


 風呂場の前に戻った。戸を開ける。


 遅かった。


 湯船から、湯気はもう立っていなかった。人生とは、常にこうだ。掴みかけて掴めない。夢の城は常に砂の城なのだ。もろく崩れ去る。


「カカカ様、少し邪魔でございます」


 振り返ると、グレンキースともうひとりの職員が、二人がかりで大きな釜を持っていた。木桶に運び、湯を注ぎ足す。


 グレンギースは釜を一度置き、腕まくりすると木桶に手を突っ込み、湯を混ぜた。


「ちょうど、いい頃合いです。どうぞ」


 にこりとグレンギースは笑った。おれはそれを見て、もう泣く寸前だ。


 二人が去ったあとに戸を閉め、ゆっくり右腕を入れてみる。


 温かい。右足から入り腰まで浸かったところで、いったん止まる。何ヶ月ぶりかの事で、身体がびっくりしている。


 ゆっくりと、肩まで浸かった。


「あー!」

「カカカ様!」


 おれの漏らした叫びに、外からグレンギースが声をかけてきた。


「大丈夫です!」


 あわてて返事をした。


「失礼しました」


 一言侘びて去っていく足音が聞こえる。ほんと、あいつって最高。


 現実世界に戻って、また何か仕事をする時が来たら、あいつの気配りを思い出そう。おれはそう心に決め、両手で湯をすくい、顔を洗った。


 何ヶ月ぶりかの風呂を存分に楽しみ、夕食をいただいた。ちゃっかりおれを連れてきたダネルまで、ご相伴に預かる。


 この日は、グレンギースを含めて四人の職員が残っていた。二階にある仮眠室は二部屋だと聞いたので、おれとダネルは固辞した。職員の四人が交代で寝ればいい。


 おれとダネルは厚手の布を借りて、一階の床で雑魚寝する。


 もうひと騒動あるかと思ったが、意外に何もなかった。死霊だけでなく、アンデッドまで街に出た。ほかの村は大丈夫だろうか?


 氷屋のオヤジや、林檎畑、オリーブ畑のじいさんばあさんの顔が浮かぶ。


 そんな心配をしながら、おれはウトウトと眠りについた。

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