『十三回忌』について

 第二回偽物川小説大賞に参加するために書いた短編『十三回忌』は、3割くらい実話です。

 というのも、この小説に出てくる十三回忌の開始時間変更による母と祖母の大喧嘩は、実際に母方の祖父の十三回忌の前日に、私の家で起きた出来事に基づいているからです。


そこまで言われたらそこぎぃ言われたらもう法事なんかに出たくないもっ法事なんだ出とごっなか!」

「はあぁ!? 誰のせいでこうなったと思ってんの!? お母さんのせいでしょうが! そんなに言うんだったら私の方が出たくない!」


 という作中の台詞は、その時の母娘おやこ喧嘩の台詞ほぼそのままです。

 当時、この作品の主人公と同じく17歳だった私は、そのやり取りに、ものすごく衝撃を受けたわけです。

 だって、自分の父親に、自分の夫ですよ?

 そんな縁の深い家族の法事、しかも十三回忌なんて節目に『出たくない』とか言う!? 

 12年経つとそんな風に言えるようになっちゃうものなの!? 

 と、当時まだ17年しか生きていなかった私はめちゃくちゃ驚いたわけです。

 その時、自分がどうしたのかはよく覚えていないのですが、やっぱり『そんな風に言われてじいちゃんが可哀想だ』と思ったのは覚えています。

 祖父は胃癌で入退院を何度かしていて、祖父が亡くなった時に5歳だった私でさえ、幼心に『じいちゃんは胃に「ポリープ」という悪いものがあって、そのせいで入院している』ということが印象に残っているくらいには、闘病生活が続いていました。

 だから、祖母も母もある程度、覚悟を持って迎えた死だったので、12年経つことで、悪い意味で、そう言う風に言えてしまったのかな、と後々解釈して自分の中で折り合いをつけた部分があります。


 祖母が6人兄弟姉妹の長女かつ最年長という事情から親類が多いせいで、大学を卒業するまでの間だけでも5回葬儀に出て2回弔電を打って、出席した法事は数知れず……という感じで、まあまあ葬儀や法事慣れはあったのですが、祖父の十三回忌の前日の出来事は、死者の弔いに対する初めてのネガティブな言い合いだったので、「死」に纏わる出来事としてインパクトをもって印象に残っていたわけですね。


 まあ、その事件をそのまま作品にするにはパンチが弱いので、釣りと野球観戦が好きだった厳つい顔の祖父には、生まれつき心疾患を抱えた儚げな優しい姉になってもらいました。

 祖父もまさか孫に女子高生化されるとは思っていなかったことでしょう。ごめんね、じいちゃん!

 じゃあなぜ姉は癌じゃないのかというと、祖父はてっきり胃癌で亡くなったものと思っていたら、実際の直接的な死因は肺炎だったらしく(癌で体力が落ちて抵抗も弱っているところに肺炎が追い打ちをかけた形)、大人になってからそれを知って驚いたことに由来します。


 偽教授さんが講評で書かれていた『いわゆる、「死者に呪われる系」の話。ここで言う死者に呪われるとは悪霊に攻撃される的なことではなくて、死んだ人間が遺した言葉などが心に残ってその後責め苛まれるとかそういうやつです』というやつが私も好きなのです!

 元々、作品冒頭のフレーズと姉妹の過去編の設定だけしていた未完の話があったので、そこに十三回忌の大喧嘩のエピソードをぶち込んで一つの作品としてまとめました。


 講評で偽教授さんの書かれていた『肝心の呪いがそんなに強い呪いではなかった感じで解決が意外と早く、そのせいもあって終わり方がちょっと唐突な印象を受ける感じだったかな。』というのは、まさしくその通りで、過去編に比べて現代編の解決に至るまでの道のりがちょっと弱いか……?と自分でも思ってはいました。

 でもまあ、母や祖母の12/47年とか12/70年とかに比べたら12/17年という年月の長さは重いし、姉への罪悪感も強いし……まあ、このまま行ったれ!と勢いで押し切った感は否めないので、こ、こういうところがたぶん賞レースに絡めない要因だ……!と思いました。

 今後はもう少し丁寧に話を畳もうと思います。


 また、武州の念者さんの講評で取り上げて頂いた、

『「そうして、私より大きかった姉は、私より小さな骨壺に納まってしまった」という部分に無常観をしみじみ感じます。』

 という表現についてですが、これもまた母方の祖父の火葬の時に5歳の私が感じたことでした。

 祖父によく抱っこしてもらっていたので、自分もお骨を入れた両手で持てるサイズの壺の中に、祖父の身体中の骨が入っているというのを見て、大変不思議な気持ちになったものでした。

 作中の姉の葬儀エピソードで、親戚が笑っていて憤りを感じたり、骨になったのを見て泣きそうになったりという話は、母方の祖父の葬儀の時にあった出来事を元に書いています。

 そういう意味でもあの姉は、私の祖父の影響が強いのです。

 

 藤原埼玉さんから講評で『エモの詰将棋』と例えていただき、偽物川トークでも『なんか詰将棋を見てる感じでした。お姉ちゃんのこと好きなのに両親のことも好きだから取られて嫉妬してるの、非常にわかりというか…普遍的なつらさみたいなのありますよね。』と話していただきました。

 行動的にも心情的にもどうしようもない状況を作っていく様子を、詰め将棋に例えていただいのだと思いますが、将棋をやったことがなく、個人的に詰め将棋ってすごく頭のいい人の遊びだと思っているので(大変頭の悪い感想)、そのように例えて頂けたことに大変びっくりするとともに、小躍りして喜んでおりました。

 そして、神ひな川小説大賞に投稿した『鈴蘭記念日』の講評で和田島イサキさんからも、

『オセロとかでこう、「そこに置いたら次角取られて死ぬ羽目になるけどそこしか置けるところがない」状態に追い込まれたような感じ。なんだろう、どうも説明が余計にわかりにくくなってる気がしますけど、とにかく逃げ道を封じられる感覚が楽しい作品でした。』

 と、作品をオセロに例えて頂いたのを思い出しました。

 あまり自分の作風について意識したことがなかったのですが、今回、藤原埼玉さんにも詰め将棋に例えて頂いたことで、私の話の構成ってボードゲームっぽいのか……? と思うなどしました。

 あまり意識してはいませんでしたが、お二方から良い点として挙げて頂いたので、この点についてはもう少し自分でも掘り下げて考えて、強味にしていけたらと思います。


 徒然と書いて取っ散らかってしまったのですが、今回初めて結果発表の後の座談会で作品を取り上げていただけて、少しずつでも皆さんの印象の残る作品が書けるようになってきているかなと思えたので、また企画に参加する場合は(本物川はちょっともうバズるのが無理そうなのでさらに次の機会で)、今度こそ受賞を目指したいと思います。

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