5日目〈追憶〉



「トオル……んう」

「ふふっ」

 トオルは今日もキャシーの部屋へと足を運ぶ。いつもトオルが訪れるのは深夜帯で、キャシーのような少女はぐっすり寝ていてもおかしくはない時間。

 ここ数日、毎日のように元気に出迎えてくれるのを不思議に思っていたけれど、今日ばっかりはキャシーも静かに寝息を立てており、トオルは何も言わずに暫くの時間を共有していた。

 ぱち、と目を覚ましてベッドに腰をかけるトオルに手を伸ばすキャシーへ微笑みを返す。

「寝ててもいいんだよ」

「いやよ……お話ししたいわ」

「キャシー……」

 前髪を梳くように撫でる。どこか疲れているようだ。無理もない。トオルは全てを見てしまったのだから。

「トオル?」

 呼び掛けられて、ハッとした。

「ん?」

「怖い顔をしているわ」

「……なんでもないんだ」

 我ながら固い笑みだろうとは思った。

 それでもそのまま突き通し、キャシーにはそれ以上探らせないようにする。

「今日はなんのお話をする?」

「わたし、トオルの昔話が聞きたいわ。なんで怪盗になったの?」

 とたん、ちょっと元気を出したようなキャシーにそう願われ、うーんとトオルは言葉を探す。初めて聞かれたそんな話題だ。誰にも話したことないし、誰かに話すことなんて一生訪れないと思っていただけに、エピソードトークなんてものに少し困惑の色を浮かべる。

「私が怪盗になった理由? いいけど……ちょっと恥ずかしいよ」

「んふふ、是非聞きたいわ。それと、トオルが今まで盗んだお宝の数々も聞いてみたいの」

 ――ずっと今に生きてきた。

 過去なんてないようなトオルの人生だ。怪盗になる以前とその後で、トオルは明確に自分が一度死んで生まれ変わったものとして認識している。

 だからこそ、少し思い出すのに時間をかけてしまったけれど――ポツポツと。

 親愛なる師匠との出会いに想いを馳せてみる。


「私は、実は昔のことをあまり覚えていないんだ。一番強く覚えている、私の初めの記憶が師匠との出会い」

「師匠がいるの?」

「うん。大好きなんだ。ちょっとお酒臭いけどね」

 はにかみながらそう言うと、キャシーはまるでお母さんの読み聞かせでも聞くようにして、寝台に横になりながらくすくすと笑ってくれていた。

「私は小さな子供の時で、なんで師匠が拾ってくれたのか分からない。年がら年中酔っ払ってるような人だから、興が廻っての誘拐事件かもしれないし、何か理由があったかも。聞いたことないし、どうせ教えてくれないし、私だって覚えてなくてさ。だけどね」

「なあに?」

「その当時、師匠はあまりにも偉大な世界を股にかける大悪党だった、ってこと」


 舞台はアメリカ。夜空をいくつものサーチライトが飛び回る怪盗を捕捉しようと動き回り、ヘリコプターがブゥゥゥンと大きな音を立ててニューヨークの空を旋回する。

 リアルタイムで中継されたニュース速報は街中を騒ぎ立て、どこかの酒場では酔っ払ったカウボーイが古ぼけたテレビに夢中になり、電化製品を取り扱うお店のショーケースにある全ての映像はニュース速報へと切り替わり街中は大混乱。

 いや、コミックの中にあるようなフィクションを体現するその怪盗の姿は、不変的で面白味のない街中を、淡い期待に染め上げた。

 騒がしい夜の幕開けだ。


「師匠はすごいんだ。私なんかとは比べものにならないほどの怪盗で、有名なハリウッド俳優から高価な品をいくつも盗んだり、本物の石油王から金銀財宝を戴いたり。そのあり方はもし捕まれば極刑に値するほど、大罪人と呼べる代物だったけど、世間は彼を伝説として語った。実在したアルセーヌ・ルパン!ってね」

 その性質は、怪盗紳士とされるようなフィクションの中に眠る彼とはかなりかけ離れている物だけれど。

「まあ! とってもかっこいいわ」

「私は彼に拾われて、育てられた。表社会には生きていない人だったから、成り行きで私に怪盗としての技術を教えてくれたりもしたんだ」

 怪盗とは予告状を出すもんだ。と教えられた。

 ただの盗人とは違うものだとも教えられた。

 そのあり方は、エンターテインメントであれ。

 そう教わった。


 ――こんばんはー! 怪盗・桐谷トオルのお出ましですよー!

 ――自己紹介する怪盗があるか馬鹿。

 ――私はこう、THE☆スパイ! みたいな能力持っているわけなんですが、師匠はなんで怪盗できてるんですか?

 ――煽られてるのかな俺。お前よりもすごいのに。俺お前の師匠なのに!

 ――師匠聞いてください冷蔵庫のプリンが盗まれてるんですが置き手紙があったんですこれ怪盗の仕業ですよ。

 ――美味しかった。……無言で脇腹突いてくんな謝るから!

 ――ししょー、ししょー、私日本で活動したいんです。

 ――ジャパンでか。勝手にしろよ。

 ――寂しくなって泣かないでくださいね師匠。

 ――お前俺のことなんだと思ってんの?


「……うん、今の私があるのは師匠のおかげだ」

 少し当時の日々を思い返し、その郷愁に懐かしむような恥ずかしむようなこそばゆい気持ちに乾いた笑みと頬を掻きながら、トオルはぽつりと口にする。

 顔が赤いのを微かに自覚していると、キャシーがじっと見つめるものだから顔を背けて咳払いした。

「素敵な人なのね。トオルが楽しそうだわ」

「うん……キャシー」

 仮面を外す。手袋を取る。照れるように前髪を少しだけいじり、ついコンプレックスに顔を隠したくなってしまうけど、口を結んでキャシーを見つめる。

 誠心誠意。怪盗桐谷トオルとしてではなく、ただの桐谷トオルとして、言いたいこと。伝えたいことを今、伝えるべきだと判断した。


「私もね、キャシーと同じ能力者なんだ」


 トオルの身体能力は常人よりも少しだけ高い。視覚、聴覚。シックスセンスに値するような気配・危機察知能力もずば抜けていると言える。それは鍛え上げられたものじゃなく、昔から悩まされ続けた彼の性質の一つだ。

「髪の色や、目の色も」

 隠すことも可能だった。髪なんてものは染めればいい。目にはカラコンでも入れれば社会にだって溶け込めるだろう。眼鏡をかけるだけで誤魔化せる。

 喧騒は頭痛を生み、見たくないものまで明瞭と見える目で、少し常人とは離れた肉体は過ごしにくいかも知れないが、神経をすり減らして制御すればなんとかだってなるはずだ。

 だけど、師匠と出会って、普通の人のなかに埋れて生きる必要はないと知った。

「キャシー、私たちはきっとみんなと同じただの人なんだよ。変わらない。そうでしょ?」

「……うん」

 頭を撫でる。

 優しく言い聞かせるように、諭してあげるように。


「キャシー。私は君を幸せにしたい」


 境遇が似てるから。とか安い同情をしたいわけじゃない。

 師匠の真似がしたいから。ただそれだけで首を突っ込んでるわけでもない。

 まだ五日。毎日一時間もない夜中の逢瀬。

 そのなかで、キャシーとトオルの間に出来た、二人にしかない大切なものがあるとトオルは信じてここにいるから。

「私たちは、――君は。幸せになるべきなんだよ。こんなところにいちゃダメだ」

 潤むようなキャシーを見る。トオルのその強かな声に、心強い声に、今すぐにでも潤んでしまいそうなキャシーの肩を、ぐっとトオルは掴んで目線を合わせる。

「おねがい。昨日何があったのか、私は全部知ってるよ。でも、キャシーに聞かせて欲しいんだ」

 富永栄司のその所業。そしてこの前キャシーが言った、あの言葉があったから。

「トオル……」

 ぎゅっと抱きついてきてくれるキャシーに、トオルはどこか安心もした。

 そして、一層と決意する。

「あれは、毎週の定期診断なの――」


 ポツポツと話してくれたその話のなかで、いつか師匠の言っていた『異能力者をモルモットとしてしかみていない』富永栄司は、本当に存在していたことを知る。

 四年前の航空機事故で見せたインタビューでの博愛主義者ぶりは嘘のような非道さだ。

「今日は何をするの?」

「椅子に座れ」

 キャシーが奥の見通せない透視鏡越しに問う。冷徹な命令が四隅のスピーカーからキャシーを包み込んだ。

 富永栄司。そして三人の男はあの日、すぐにキャシーのいる隠し部屋へと向かった。富永栄司はモニタールームに。もう一人、挙動不審だったネズミ顔の男は記録係としてそちらに同行する。

 他の二人はキャシーのいる部屋へ、警棒のような形のスタンガンを構えて見張り、あるいは命令を実行したりする役目。キャシーが透明化していてもその存在を補足するために、サーモグラフィ機能を備えたゴーグルをつけての武装だ。

 その富永栄司の命令に対しても、少し手間取るような様子を見せたキャシーの服をわざわざ掴んで強引に突き飛ばし座らせていた。

 すでにキャシーの瞳の色は、この時間をやり過ごそうとする無でしかない。

「記録しろ」

 男が二人。スタンガンをキャシーに差し向けながら、閉鎖空間。隣の部屋では常にキャシーの様子を記録する研究員と、富永栄司が足を組んで見守っている。

「レベルワン」

 バチッ。

 ――耳をつんざく悲鳴が上がった。

「ツー……スリー……止めろ」

 バチ、バチと押し当てられるスタンガンに、挙がる悲鳴。その度にキャシーの姿は、現れたり消えたりをひたすらに繰り返し、存在をブラし続けている。

「逃げようとすんな!」

 気の強い口調をした研究員の一人、キャシーの監視を室内で務めていたハゲ頭は、透明化しているキャシーが椅子からずり落ちて逃げようとするのに気づき、力強くスタンガンを振り下ろした。

「……ッ」

 見るに耐え難い光景だった。


「きっとあの時、わたしを守ってくれた物音は、トオルが立ててくれたものなのね」

「……ごめん。私にはあの時、それ以上のことが出来なかった」


 富永栄司の研究の目的。その果てにあるものは〝自身が異能力者となる〟こと。現状行う全ての行為は、異能力研究でありながら、現存する異能力者に対しての嫉妬が強く見え隠れしている。

 富永栄司が男に投げ渡していたあの血液袋もその一環だった。

 モニタールームはラボも備えている事をその時初めて知ったが、研究員の一人が持ち寄ったアタッシュケースに収納されていた薬品と一滴の血液をその場で配合し出したことに、トオルは強い焦りを覚えていた。

 注射器。そこに込められた液体を、キャシーの部屋にいる研究員へと手渡す男。なにをするかは言うまでもなく、なにが狙いなのかは分からないが、させてはならないように思う。

「キャシー……お前は優秀な子だよ。きっとワタシの願いを叶えてくれるはずだ……」

 富永栄司がマイクに注ぐ気味の悪い声音。四隅のスピーカーから溢れる音声が椅子に拘束されたキャシーへと降りかかり、慎重に注射器を受け取ったワシ鼻の寡黙な男は、確かな歩調でキャシーへと歩む。

「……なにを、するの?」

「なに、少しチクッとするだけだ。安心しろ? PSI分子の衝突に身が保てなくなり死ぬか、そうじゃなきゃまあ……お前は不死性を獲得して一生ワタシのモルモットとなる」

「………」

 肩を押さえられて椅子に座らせるキャシー。スピーカー越しの富永栄司のその声に、きゅっと口許を結べば、抵抗するみたいに彼女はぐっと力を込めて意識的な透明化を実現させる。

 も、ハゲ頭は彼女を力強く抑えていて抜け出すことは叶わない。

 にじり寄る男。くっくと堪えきれぬ富永栄司の笑みをマイクが拾って耳元に届く。

 その時、換気口で覗いていたトオルは、トオルは。


 ――ガタンッ! とした強い物音を立て、彼らの注意を部屋の外部へと誘導することしかできなかった。

「な、何の音だ⁉ だ、大丈夫なんだろうな!」


「……ネズミがいるみたいだ」

 止めろ、と続いて研究員たちに命令する富永栄司。

 存在を匂わせた以上、トオルはその場に留まってその後の様子を見届けることはできない。行われる非道な行為に、一瞬の隙を生ませたトオルはそのまま富永栄司の警戒心を刺激できていればいいなと願いながら、トオルはそれ以上を知らずにここまで来ている。

 キャシーが話してくれたところ――富永栄司は見事に中断してくれたようだった。


「――富永栄司は許せない。人を人として扱わないなんて、私たちより人間じゃない」

「トオル……」

 彼はきっと、それでも裁くことはできない。

 たとえ警察に突き出しても、この隠し部屋を明かしたとしても意味がない。それどころかきっと揉み消されて、隠蔽されて、その証拠を発見してしまった警部補達や、リサが。

 消されてしまうかもしれない。

「………」

 いまに始まったことではなく、今までずっと続けられてきた現実。

 それを、目の当たりにして。


「キャシー。私は君が望むなら、君を明日、外へと解放する。どうかな」


 富永栄司にとっての最大のオタカラは彼女自身。

 怪盗・桐谷トオルとしての選択は、きっとこれが正しいのだろうと思った。


「おねがい。わたしを助けて」


 決行は明日の夜。予告状のタイミング。

 だいたい一時間前から警察は大々的に警備に当たり出すだろう。

 今までとは違う、大きなオタカラだ。簡単に連れ出すことなんて出来るものじゃない。

 それでも。

「じゃあキャシー。今から私と計画を練ろう」

「計画?」

「うん。計画。怪盗のかっこいいところを見せてあげる」

 全ては明日。

 そういえば、彼女が聞きたがっていたトオルの今まで手に入れてきたオタカラの話をまだ出来ていない。

 全てが終わったらその続きでも話そうかと、未来への楽しみも残しながら話す。

「トオル。貴方が、大好きよ」

「私もだよキャシー」


 富永栄司へ送る挑戦状。

 その火蓋が明日、落とされる。

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