4日目〈深刻〉
彼女の発言の真意、とは。
翌日、トオルは豪邸の家主である富永栄司、引いては彼女が監禁されている謎を求めてスパイ活動を開始した。
まだ三ヶ月そこらであるが、トオルの怪盗人生のなかで、初めての行為だった。
「富永栄司。四十八歳。株式会社ルナティックス社長。一度脱税疑惑で告発を受けたこともある。黒い噂は多数あり。噂されるは人身売買? そんな単純な物じゃない……」
彼の伝説の一つとして、四年前の大事件に対する活躍が語られる。二十一世紀最大の事件であり、もっとも痛ましいと語られる、航空機トラブルによる乗客四八〇名うち九割が死亡、あるいは行方不明として扱われた爆発事故。その事件は世界中でニュースとして取り扱われ、日本の航空会社は大バッシングを受けた。
その原因は、不明だ。
そこで大手企業ルナティックス社長富永栄司が何をしたかというと、生存者五〇余名に対し多額の義援金を個人として寄付。その後の実生活やバックアップに献身的な援助を申し出ていた。
航空会社とルナティックス、乗客と富永栄司個人にはなんの関係性もなかったが、その行為は神聖視され、未だに事件解決されていないものの、彼の武勇伝の一つとして扱われる。
そしてキャシーは、その航空機事故の被害者だそうで。
「むーん! わかんないなあ」
情報収集は少しトオルの苦手とするところだ。ぶつぶつと呟きながら、昼間。明るい時間帯。いつもと変わらない格好をしたトオルは、ルナティックス本社の屋上で日本の青空を見渡しながら一度師匠と連絡を取ることにした。
コールが鳴り響く。
一度では掛からないのでもう一度掛け直し。
しばらくして応答があった。
「あ、もしもし? こんにちはー! 貴方の愛弟子・桐谷トオルですよっ」
『うるせぇ』
――ガラガラとした酒焼けした男の声だ。
「元気ないですねー。あ、そっちまだ朝の四時くらいでしたか、てへ」
『用件は』
「少し真面目な質問です師匠。富永栄司、をご存知ですか」
『そんな小物は眼中にねぇよ』
「おおー」
さすがは師匠だ。スケールが違う。トオルの今や課題としてある相手に対し、そんな簡単に一蹴する師匠に、さすがは世界の怪盗と言われる男なだけはある。
そんな尊敬がぽんぽんとつい溢れてしまうが、トオルは食い下がるようにヘルプをお願いした。
「師匠。後生ですー、お願いしますー! なんでもしますから」
『お前なんでもするっつってなんもしないだろうが』
「だって師匠がなんでもできちゃうじゃないですか」
ぶーぶー。ふてくされたようなトオルのブーイングに、電話越しの大きいため息が師匠のめんどくさそうな姿を頭の中に描かせる。
いつもみたいに酒臭そうだ。あれだけ言っても禁酒は未だにしてないだろうな、と相変わらずの濁声で察する。
あ、いまウィスキー呷ってる音がした。
「こらー! だめですよ師匠! 死んじゃいますよ!」
『このご時世に懸賞金までかけられてる世界の大悪党がそんなぽっくり死ぬわけ……』
「ししょー!」
『うるせぇ』
ケタケタと。こんなやり取りが楽しくて、久しぶりに大声で笑う。こんな姿は師匠にしか見せられない素にも近い。
「はー……」
笑い疲れ、仮面の下の目尻を拭って呼吸を正していると、ぽつぽつと師匠は急に真剣な声音で語り出した。
『表立っては今後の世界を変える社長百選にも選ばれる時代の寵児。裏は異能力オタクの変態サイコイカれクズ野郎』
「変態サイコイカれクズ野郎」
つい復唱してしまった。
キャシーの前だったら絶対言えないようなワードだ。つい頬を掻く。
『要はこっちの世界の人間ってこと』
「……富永栄司は、自宅の地下に肉体を透明化させてしまう能力を持つ女の子を監禁していました」
『透明化ね……ほぅん』
キャシーについて。
本名キャサリン・クロフォード。アメリカ生まれ。日本へと渡る飛行機に両親と乗っていたところ、謎の爆発によって墜落。生存していたが両親が共に死亡し、児童養護施設に一時預けられていたが、その後義援金などでのバックアップを行った富永栄司本人の手によって養子に迎えられたのが二年前。日本の小学校に通っていたものの、言語の違いに不登校に。今は富永邸で家庭教師と共に勉学に励んでおり、すくすくと育っているらしい。
――嘘だ。
『異能力研究家。やり方は非人道的。異能力を一般化し、世界の更なる発展へ。とは裏会で語るが、その実自分が異能力欲しいだけのただのクズ。俺たちをモルモットとしか思ってない。その手の輩とは関わらん方がシアワセだ』
「彼女は、どうなるんですか?」
『知るか。お前も俺も普通の人間じゃねえんだ。変に首突っ込んで奴に狙われたら最後だよ』
言葉が出なかった。
トオルが調べたのはあくまで表の上澄みだけ。インターネットで収集したような情報より、少しだけ更に奥深くと言う程度で、師匠の語り口に思い知る。氷山の一角だった。
「あの、師匠?」
『あん?』
「実はもう予告状出しちゃってて……」
『ちゃんと調べてからやれ馬鹿阿呆間抜け』
「わああああ! 絶対言うと思った! 師匠のバカ! アホ! マーヌーケー!」
思わず叫ぶ。師匠の悪口は大嫌いだ。
今回は予告状の提出、早計だったと自分でも少し後悔しているのに。
――時間がない。ついでにキャシーにあんなことを言われては、いよいよ答えが見つからない。
いつもみたいに、昔みたいに呆れた様子でそう言われ、ギャーギャーと反発する。続く師匠のその声色は、ほんの少しだけ優しかった。
『怪盗として生きたいと思うなら適当な物盗んでさっさとターゲットを変えとけ。そうじゃねえなら、協力してやる』
強かな声だ。心強い声だ。トオルを救ってくれたあの時とまるで同じ〝大きさ〟だ。
トオルは、彼に憧れを持って、いま怪盗としているのだから。
「……協力してください、師匠」
『あいよ』
トオルにとっての師匠がいたみたいに。
キャシーにとって、キャシーの世界を救える人間になりたいと思った。
『俺のパスポートどこ』
◆ ◆ ◆
富永邸。午後六時。業務を終えた富永栄司が帰宅するのを見届ける。
日本とは思えないような豪邸だった。少し郊外にはなるが、高級車を並べセキュリティーのしっかりとしたきらびやかなお家。玄関を抜けるとすぐにエントランスホールが待ち受け、家具の類は少し趣味が悪い。
高いものを買い揃えたような感じで、いずれも高級なのは感じれるが部屋としての統一性を感じないものだ。
鹿の壁掛けなんて初めてリアルに見た。
玄関から左手には客間、その奥にはダイニングキッチン。右手には階段があり、吹き抜けの二階へと続く。一階その傍らには扉があり、廊下。ガラス張りの通路は日差しが綺麗に差し込み、小さな庭と池があった。粋な日本風情を感じるエリアだ。
そこを進んだ先はバスルームと物置だけ。そして地下へ続く隠し通路があったりする。
二階へ上がるとあるのは寝室。書斎。作業部屋兼オフィス。そしてきっと、偽装用の子供部屋。
二階は人が来ることをあまり想定されていないらしく、一階ほどの豪華絢爛さはあまり感じれなかった。
書斎は少し心躍る空間だ。小さな図書館にも思える部屋。蔵書はどれもフィクション。SF。論文。魔術学書。超心理学のレポートなどなど。
とある書類束を発見した。
1966年。ドイツ。発火現象、通称パイロキネシスの能力を持った少年がその力を制御できず発火。火事を起こす。一家全員死亡。
1968年。中国。鱗の生えた少女が生まれる。その地域に住む者たちは龍の生まれ変わりだと崇めたが、生まれてから三日後に死亡。母親は自殺。
1975年。インド。瞬間移動、通称テレポーテーションの能力を持つ少年が地方の新聞に取り上げられる。転移能力で友達と遊んでいたところ、誤って高度二〇〇メートルまで跳躍。落下により死亡。彼らが遊んでいたとされる道路はその余りの惨状に呪われているものとして現地では扱われ、閉鎖された。
1980年。アメリカ。ESP研究会が異能力を持った人間を開発する。奇形児を始め、サイコキネシスやテレパシーなど類まれな力を持った少年たちは、いずれも生まれて四歳までに急死。実験体数が二桁に差し掛かる頃、その非人道的な態勢から政府によって解体され、研究員の一部はサンプルデータと当時まだ存命だった個体を引き連れて逃亡した。
1984年。ブラジル。六十七歳で死亡した男性が二日後に動き出す。恐れた医師によって射殺。
1997年。メキシコ。生まれて間もない赤子が言葉を喋る。内容は明かされていないが、それを聞いた助産師は錯乱し、直後に赤子を殺めている。その後終身刑となるも自殺。
2001年。ペルー。行方不明とされていた少年が発見。その少年の頭部には歪な角が生えていた。
「……!」
――捲る。捲る。世界各地の新聞を切り取り、あるいは紙に書き起こした書類束。まだまだ厚いこのまとめには、約六十年前を皮切りにして今に至る現代までの〝超常現象〟の記事がある。
世の中にはあまり出ない、都市伝説にも類するような現実の話。
富永栄司が異能力オタクというのも頷ける。
「これって」
――ふと目に入った記事がひとつ。
桐谷トオルの、そのルーツと呼べるようなもの。
ばたん。
「――っ」
書斎の奥、二階の作業部屋側から足音と、それから続く扉の閉まる音がした。
もちろん家主、富永栄司のその音だ。
束をしまう。息を潜める。痕跡の一つも残さず物陰へ。
悠然と、そこに富永栄司が現れた。
清潔感のある男性だ。短く切りそろえた髪はワックスで丁寧に整えられており、多少の顎髭。細い目つき。銀色の腕時計に紺色のネクタイ、フォーマルな服装なのはまだ帰宅して間もないからか。
どうやら富永栄司は二階の作業部屋から寝室への境にある書斎を横断しようとこの部屋に入ってきたようだ。
トオルは慎重に息を潜め、本棚の裏へと回る。彼の姿を注意深く監視しながら、本棚を挟んで対角線上。視界に映らない位置を維持して横にこっそりとずれていく。
「ネズミがいるな?」
―――。
浅く息を吸い込んだ。
「ん?」
ドクドクとして心臓が鳴る。今まで経験したことのない緊張がトオルの体を支配する。息を殺す。いや違う、息が出来なくなっていて。
世界がゆっくりと動き出す。本棚の隙間に見えた、辺りをぐるりと見渡す富永栄司のその姿に、眉根を潜めて警戒する。
一秒。二秒。と時が過ぎ。
「気のせいか」
ガコンッ。そんな音を直後に立て、本棚の一つに手を潜り込ませスイッチを入れた彼を静かに見守った。
スライドさせた本棚の裏には小型冷蔵庫のようなボックスが収納されており、その中身は富永栄司の背中に隠れてトオルの目線からは窺えない。白い冷気を醸し、いったいそこには何があるのか。そこから取り出されたものを注意深く見つめながら、その正体に気づく。
血液だ。
輸血用の袋に納められたその謎の血を、富永栄司は片手で雑につまみながら、パタンと閉める保冷庫のドア。スライドし、何もなかったかのようにただの本棚へと元通りにしたその一角を尻目にして、悠然と寝室へと戻っていった。
トオルは初めて呼吸をここで取り戻す。
隣の寝室からは、電話をかける音がした。
壁が厚いために聞き取ることは叶わなかったが、しばらく余裕はありそうだ。
「……」
音の立てない忍足。ゆっくりと、それでいて素早く動くトオルの身体能力は、ずば抜けたもののように感じれる。
カチ、と静かにスイッチを入れた。本棚が少しだけ手前にずれ、スライドが可能となる。
最小限の音だけを立てて、慎重に。
隣から聞こえるボソボソとした話し声に、多少の焦燥感を孕みながらも、トオルは再び保冷庫の扉を開けた。
二段だ。どちらも血液袋がいくつか並ぶ。気味の悪い光景と、微かに香る鉄の匂いが気持ち悪くてイヤでイヤで。
「これは……」
そのうち一つを手に取った。ぶに、とした感触に思わず嫌悪感を示す。
日付と名前が確認できる。一週間以上前のものだ。名前は日本人名。生憎とトオルの記憶の中にはどこにもいない普通の人の名。
そして。
「不死性」
イモータリティ。異能力の名前だった。
「どういうこと……?」
インターホンが鳴る。富永栄司がそちらに出迎えに行ったのを部屋越しの足音に思う。
トオルはさっと血液袋を元の場所にしまい、本棚を戻し、証拠をなくした状態ですぐに場所を移動した。
富永邸に訪れた複数人の足音を気になってのことだ。
「失礼。あなた方のお名前を聞かせていただけますか?」
一階。エントランス。
富永栄司が扉を開けると、そこにはインターホンを鳴らしたであろう三名の客人と、それに駆けつけて半ば事情聴取みたいなことをしようとしている丸山警部補とリサの姿があった。
思わぬ顔見知りにトオルは遠く離れた隅っこの方で見守りながら「今日も張ってたのか」と感嘆する。
「警部補。彼らはワタシの友人です。予告状をうちに出したとかいう怪盗とはなんの関係もありませんよ」
三人の男は丸山警部補の接触におどおどとした様子を見せており、それを庇うように玄関先。わざわざ出迎えた富永栄司は辟易とした様子でそう応じ、警部補に下がってもらおうと訴える。
が、あの警部補は気難しい性格だ。
「ですがね社長さん。あの怪盗は! どんな手を使っていつ! 潜入しているか! わからないんですよ! お宅のご友人に変装して紛れ込んでいる可能性もあるんです!」
「はぁああ……そんな創作物じゃないんですから。いい加減にしてくれよ……」
そのやり取りに少し憶測する。もしかしたら初日も同じように警部補がパトカーを鳴らして訪れ、トオルの危険性を力説し、面倒臭いことこの上ない粘りで警察の配置を確約させられたんじゃなかろうか。
これだけ隠し事のある富永栄司だ。警察の押しかけも一週間の張り込みも、本来なら勘弁願いたい物のはず。
この前は予告状出すタイミング間違えたなんて軽くショックを受けていたけれど、これはこれで少し面白くて口角を上げる。
そして。
同行するリサも、警部補以上にガンコもの。
「そもそも富永さん。この一週間不要な呼び出しなどは避け、この家には誰も近づけないようにしてくれとお願いしたはずですよ」
「ああそうでしたね」
よく聞こえる舌打ちだ。気の短いリサが少しその態度にイラッとしているのを遠目ながらにもよく感じる。
口論にはならないまでも、お互い冷静に一歩も引かないその会話はバチバチと。
最終的に富永栄司は、その左手の銀時計をチラリと見てはめんどくさそうに食い下がった。
「ともかく。今日は勘弁してください。これからミーティングするんです、彼らの安全はワタシが保証しましょう」
大仰な素振りでそう言うと、投げやりなアイコンタクトで三人の男を室内に招く。それでもしつこい丸山警部補の間に割り込んで防ぎながら。
「あとはよろしくお願いします」
「む、むぅ……分かりました」
――しかし三名の客人か。ルナティックス本部に潜入した時は見なかった顔触れ。通話の相手とも関係ないと見る。
なによりどこか怪しい雰囲気を持った男たちだ。警部補やリサが思わず聴取したくなるような人物像であることは否めない。
彼らの動向を静かに見守る。
「チッ……だだっ、大丈夫なんだろうな……」
「めんどくさいことは御免だぞ」
ぎょろぎょろと目を動かして爪を噛むネズミのような顔の男。少し気の強そうな口調をしたハゲ頭。ワシ鼻の一番高身長な男は寡黙。
警部補たちを追い返し、玄関扉の施錠をしっかりとした富永栄司に挙動不審な動きで男たちは不安を口にした。
「大丈夫。大丈夫だ、ほら。今日は大切な日だろう? いつも通りに行こう」
バシバシと。彼らに対して、富永栄司はあっけらかんとしたような調子で背中を叩いて元気付けた。
ついでに、部屋の脇に置いて隠していたあの血液袋をほいっとネズミ顔の男に投げ渡す。
「こ、こいつは重要なサンプルだぞ! て、丁重に扱えっ」
――これは、つまり。
「ほら行くぞー。今日で世界が変わるかもな」
隠し通路。地下へと向かう、男たち。
その日、初めてトオルは真実を見た。
富永栄司のその所業を見た。
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