2日目・3日目〈親睦〉



 異能力。この世界には常人とは少しだけズレた体質や、道理では考えられない異常現象を発生させられる人間が数少なくも存在する。

 トオルの怪盗としての師は、軽度な念力。分かりやすく言うところのサイコキネシスを有していた。

 ありえない話ではないのだ。

 世界は広く、一生のうちで出会う人間なんておそらく1%にも満たない。そんな広大で果てのない世界に、フィクション止まりの空想が、空想ではなく真としてあるコミュニティーだってあってもおかしくはないだろう。

 トオルはその境遇や、師との出会いを経て、そのコミュニティーにも属せている。

 常人なら踏み入れない領域に、怪盗なんてまさしくフィクションの存在を体現しているトオルは、キャシーを。その特異なる体質に苦悩し、利用されているあの少女を、忌避することはなく接し合えることができるのではと思った。


「本当にきてくれたのね、トオル。わたし、貴方の事が大好きよ」

 キャシーの部屋は、正規ルートでの正面突破なんて不可能に近いほど厳重に監禁されていた。内側から開けることはできない重厚な扉は、富永栄司が自室に保管している専用のカードキーをかざさなければ開けることのできない作り。白い立方体をした彼女の部屋には窓なんてなく、四隅には監視カメラとスピーカーが置かれていて。

 その二つは隣の部屋のモニターに繋がっているらしく、そこで彼女の状態を記録。管理。バイタルチェックから食事の提供なども、唯一の窓口である奥を見通せない透視鏡越しに行われるそうだ。

 そのモニタールームには常に人がいるわけではなく、監視カメラも有事の際にしか見られていないらしいが……。


 だからこそトオルも、深夜帯にはこうやって二度も簡単に潜入することが出来てしまう。


「まあ、どうやってあんな所から出てきたの?」

「ひみつ」

 隙間のないような立方体と言えど、人が生きるためには必然として換気口があるわけで。

 昨日よりも手慣れた様子でするっと姿を現したトオルは、軽く埃をはたきながらキャシーに笑顔を向けた。

「昨日は大丈夫だった?」

「ええ! 珍しくおじさまが慌ててこの部屋に来たけれど、わたしは普通にしてたわ。いつもみたいに本を読んで、普通にしてたら、おじさまはそのまま戻っていったの。大丈夫よ」

 自慢するみたいに目をキラキラとさせる彼女の頭をまた撫でる。

 おじさま、とは富永栄司の事だろう。

 もちろんあの夜、姿をくらました後の事をトオルはきちんと見張っていた。


 ――トオルが姿を消した後、少しキョロキョロしたかと思えばすぐに散らばった本の一つを取り、壁を背もたれに地べたへ座って読み始めるキャシー。扉を開けて侵入するのは富永栄司その人だ。

 その顔は多少の焦りを浮かべており、他に誰も連れず一人で現れたことがこの部屋の隠匿性を語らせる。

 ちなみに。昨夜の唐突な警報は、トオルがこの富永邸に訪れる前、警察署の方に残してきた予告状の内容を受けてなのだろう。こんな深夜から動いてくれるとはなかなかの業務体制だ。それほどトオルが警戒されていることの証左はない。

 いつもと同じく一週間の猶予をもって出したつもりが、キャシーとの出会いによって多少の不安要素が生まれたことはトオル個人の秘密にしつつ。

 基本的にトオルの提出する予告状は一週間後に決行を明言する場合が多い。だけれど警察は予告状が届いた日。それから七日間はしっかりと(その家主との話し合いにもよるが)その場所に張っている事がある。

 今日も実は外で警備が増えていて、しくじったな、と目の前のキャシーとの約束に思いを馳せた。


 回想。「どうされたの?」――現れ、異変がないかを探す富永栄司に、思った以上の演技でキャシーは振る舞ってくれていた。

 ぱたんと本を閉じ、とてとてと近づいていくキャシーを、富永栄司は。

「……えらいね」

 ぞんざいに、突き飛ばしていたのを見る。

 どうやら富永栄司は彼女を人として見てはいないらしい。

「ふふ、嬉しいわ。本当にトオルは、暖かくて優しいのね。王子さまなのかしら」

 だけれどキャシーは、それをトオルには明かさない。健気と言うにはあまりにも耐えがたい扱いであるはずなのに、屈託のない笑顔でトオルのことを王子さまだなんて呼ぶ少女は、どこか胸が締め付けられるようで。


「わたしね、ご本を読むのが大好きなの。そこにいるピーターや、アリスは、とっても楽しそうな冒険をしていて、ふふ、トオルみたいな格好の人が出てくる作品もあったわ。そして、トオルみたいな王子さまのいる作品もあったの」

 楽しそうに、純粋にはしゃぐ子供みたいに。トオルの手を引っ張り、ぬいぐるみや絵本がちらばった棚の近くへと向かって、はいって寄越して、見せてくれる。

「ほら。トオルみたいでしょう?」

「そ、そうかな……」

 仮面をつけて、シルクハットを被り、裏地が赤色の黒いマントをはためかせ、蝶ネクタイをした怪盗の姿。

 フィクションとしてある怪盗の、ポピュラーに近い偶像絵。

「んんっ、恥ずかしいよキャシー」

 ――憧れが。あったから、分かりやすいアイコンとしてこの衣装を纏っている手前、それを小さな女の子に照らし合わされて見られるというのは昨日とは違う気恥ずかしさがあってたまらない。

 少し顔を背けながらわざとらしい咳払いをすると、キャシーはすぐに本を閉じてトオルを案じた。

「どうしたの?」

「なんでもないよ。……キャシーは、なにが好きなの?」

 たわいもない話だった。誰かと話をする、対等な立場で会話する。そんな一般的な人であれば毎日のように行われる行為を、彼女は新鮮なものとして、とても楽しそうに話していた。

 ふふ、と溢れ出る笑みをトオルに向けながら、手にした本や、ぬいぐるみで、トオルに一生懸命話をする。

「わたしね、お姫さまに憧れているの。とっても煌びやかで、美しくて、楽しそうで、羨まれるようなお姫さま。それだけじゃないのよ、物語のお姫さまは、いつも特別な体験をして、冒険をしているの。とっても楽しそうだわ」

「キャシーはお姫さまみたいだよ」

「トオルはきっと王子さまね」

 純粋な子なんだろう。物を知り、想いを馳せ、ドレスを着て踊る自分を想像する。いつか白馬の王子さまが通りすがりに彼女をみて、手を取り、共に歩み、いずれキスをしてしまうような。

 そんな絵空事を。


「――ご機嫌麗しゅう、どんな宝石よりも世界で一番美しい瞳のキャシー姫。良ければ手を」


「わっ、わ、トオル? どうされたのっ?」

 丁寧な所作でお辞儀をし、片手を差し出すと戸惑うキャシー。面を上げて片目ウィンクをし、手を取ることを促すと、高揚感を隠せない表情で彼女はおずおずと手を差し出した。

 ぐいっと胸元へ引き寄せる。

「きゃっ」

「素敵なダンスを踊りましょう。ほら、息を合わせて。横に揺れるだけの簡単なダンスです」

 社交ダンスだ。戸惑うキャシーの腰を寄せ、片手を伸ばし、右に。左に。

 音楽もない。ムードもない。白い立方体はそれを凌駕するほどの無機質だ。だがキャシーに夢を見せるため、トオルはこの瞬間をキャシー姫の王子さまとして。

「ふふ、素敵よ王子」

「姫もとてもお上手です」

 昨日とは違う、息が触れ合うような距離。ドキドキとするようなキャシーの心音がトオルにも微かに伝わり、彼女のそんなウブなところを愛らしくも思いながら。


「私に身を任せて」

 耳元でぼそっと言った。


「?――わあ!」

 くるくると。片手は強く結びながら、優雅な演舞を誰にでもなく魅せて楽しむ。

 広がり、抱きしめ、ステップを踏み、彼女を抱え、華麗に踊る。ただ広いだけのこの部屋を、ひたひたとしたキャシーの裸足と、こつこつとしたトオルの靴音が音楽となり、まるで遊園地のコーヒーカップみたいにくるくると。キラキラと。

 トオルのそのリードに完全に身を任せたキャシーは、ほうっと惚けたようにトオルの顔を見つめていた。

「たのしい……たのしいわトオル、ふふふっ!」

 師匠になぜか教えられた技術だった。社交ダンスなんて、人目になかなか現れない怪盗という身分で、日本を舞台としたトオルには二度と発揮されることはない技術だろうと思っていたが、今この一人の女の子を楽しませるためだけに頭の奥底にあった知識や経験を披露することになるなんて。

 くるくると回る世界。手前を見るとじっとこちらを見つめた少女がいて、トオルはキザにもウィンクする。かぁっと赤くなるキャシーが愛らしく、ふふ、とつい、キャシーの笑い方が移ってしまった。

「……あっ」

「大丈夫だよ」

 透明化。仮に彼女の体質に名をつけるならば、インビジビル。

 瞬きした矢先には見えなくなってしまったが、手の内に彼女の存在があるのを感じながら、見失ってはいけないからとスロウペースの横揺れに戻る。

 彼女は、ほっとしたような息をつくと、暫くして、唸り始めた。

「むぅううう、うー!」


「きゃ、キャシー?」

 つい役を演じるのを忘れ、彼女を案じるように見えない目線に合わせて覗き込む。握る手に力を入れ、どうやら意識的な解除を試みているようだった。

「ぬぬぬぬぬ……っく、ふぅ……無理だわ」

「無理しないでいいんだよ」

 しょげてるような彼女の姿がつい頭の裏に思い浮かんで、くすりと笑いながらそう慰める。

 姿は見えなくともキャシーはキャシーだ。いなくなったわけでもなくて、ちゃんと目の前にいてくれていて。

 だったらトオルには、それを忌避する理由がなかった。

「キャシー姫」

「なあに?」

「手を」

「……まあ、ふふっ」

 跪いて、優しいキスを手の甲に。


 この日から、トオルとキャシーのその絆は、徐々に徐々に。それでいて長い時を必要としないほど、確かに構築されていった。


「今日も来てくれたのね」

「もちろん」

 キャシーはあまり物を知らない。会話していると時々気付くが、言い回しがたまにおかしいと違和感を覚えたり、何かを表現するときに言葉を探して会話が止まることもある。もともと、日本人でないこともあるのかもしれないが。

「トオルは何をしている方なの?」

「怪盗だよ。誰かの物を盗んじゃうんだ」

「……トオルがすることだから、きっと意味があるのよね?」

 どこか盲信的にも、トオルが善であることを疑わないようにそう言うキャシーに、トオルは少し困り眉を浮かべる。

 怪盗は悪だ。人の大切な宝物や、高価な品を無断で盗み、家屋にも侵入し、プライバシーなんてないようなアウトロー。

 警察を敵とする、民間の嫌われ者なのだから。

 たしかにトオルにはトオルのルールや正義を持って活動している。自分で勝手に引いたボーダーラインであることに変わりはないが、その芯の通したような活動に少し支持のような見方を一部の声ではされていることも知っている。だが、悪だ。

 隣り合って地べたに座り、トオルの肩に首を乗せるキャシーの髪を優しく撫でる。


 彼女には、例えどう思われてしまおうと、正直にありたいと思った。


「そんなわけないよ。怪盗っていうのは、物語の中にあるような、悪人そのままだ」

「トオルも?」

「もちろん。私は数日後にこの館からオタカラを盗むつもり。キャシーは、どうする?」

 試すつもりはない。何もしないわだなんて、トオルのためだからと間違ったことを言わせたいわけでもない。

 彼女がトオルを止めるのは正義の行い。正しい行為。トオルはその答えを聞いた上で、今までと変わらず接してあげながら、その驚異すらを乗り越えてオタカラを戴く。

「ねえトオル」

 だけど。


「ん?」

 彼女は、トオルの目を真っ直ぐと見つめ、こう言うのだ。


「わたしを盗んでみない?」


「……え?」


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