1日目〈邂逅〉



「あらあなた、ふふ、お客さん? 初めてだわ、おもてなししなきゃ」

「え……」


 その日、トオルは次のターゲットである黒い噂ばっかりの富永家をイジめるために、本番前の下見へと来ていた。

 トオルの能力的に、忍び込むことと物を盗むことは朝飯前にも出来ることだが、彼のスタンスはいつだって一予告状、一オタカラだ。

 何かを戴く時には警察さんにきちんと報告する。『ちゃんと教えておいてあげたのに、止めてこないのだから、盗られちゃったって仕方ないですよね!』とは、いつかトオルがリサに語った暴論か。

『絶対アンタをブタ箱にぶち込んでやるからね!』とカンカンな様子で言われたが、さすがのトオルもブタ箱というワードには引いた。

 リサは美人なわりに口が悪くて、そこが少しこわいと思う。口を悪くさせているのは間違いなくトオルなのだが。

 

「き、君は、誰……?」

「あら、とっても可愛らしい声をしているのね」


 ――気付かなかった。

 目の前にいるボロボロのぬいぐるみを抱えた少女に、トオルは珍しく動揺した様子でこの不可解の正体を問う。

 初めての経験だ。その場にいる存在を察知できなかったのは。トオルほどの腕があれば、誰かに見つかることなんてありえない。今までがありえなかった。

 不思議。不可解。得体が知れない。

 慣れない経験に戸惑いを覚え、いつもの飄々とした怪盗としての様を取り繕えないくらいに、想定外の緊急事態にトオルは珍しくパニックとなる。

 少女は。

「驚かせてしまったかしら。ふふ、ごめんなさい。でもここに人が来ることなんて初めてで、つい嬉しくなってしまったの。少しお話ししてくださらない?」

 ――理解の追いつかない、イレギュラーな対応だった。それはまるで世間知らずと言えるような、良い人と悪い人の区別をつけれない幼子のような、とても儚くて、お人形のようで、まだ小さな蕾といったような。

 本来はすぐ通報されて然るべきの怪盗を、心の底から歓迎しているようだった。

「……っ」

 豪邸の最奥。地下にもなるような奥深く。余人の立ち入らないような場所にある、子供部屋。監視カメラに厳重な扉、ぬいぐるみや絵本は無造作に散らばっているにも関わらず、なぜか無機質に思えてしまう。

「……いいよ」

 トオルがここに訪れた理由は隠し通路を見つけたからだ。奥深くへと突き進み、大抵の大金持ちは人に見られたくないものや、大事なものほど厳重に保管する。だからこの先に、もし怪盗に奪われたら最高に傑作なオタカラがあるんだろう――そう思って足を運んだ。

 まさか、それが、少女? しかも監禁に近いような、こんな息の詰まる場所で、たった独り。非人道的な立方体に押し込んで。


「あなた、お名前はなんていうのかしら。わたしは、キャシーっていうのよ」

「トオル……。桐谷トオルっていうんだ」

 彼女の瞳は綺麗な碧。ゆらめくブロンドは美しいが、寝癖がとても激しいし、伸ばしっぱでどこか残念にも思う。

 不摂生そうにも思えるが、だが少女の肌や、顔は、整えられていて美しいものだった。

 ――目線が合う。

 背丈は一緒。キャシーは人に慣れていないのか、だが臆することはなく、むしろ興味深いものを見るようにトオルの顔をまじまじと見つめてきて、トオルは少し恥ずかしくなって目元の仮面を片手で正した。

 なかなか、怪盗としての姿をこうやって見られることなんてないものだから、恥ずかしすぎてたまらない。

「な、なに……?」

 対面に立ち、キャシーはその汚れを知らなそうな綺麗な両手でトオルの両手に触れた。怪盗衣装の白手袋越しにキャシーの繊細な指を想う。

「手袋、外してもいいかしら?」

「え……う、うん。いいよ」

 普通であればあり得ない。この手袋は指紋を残さないためのものに他ならず、警察に追われる身であるトオルは痕跡を残さずに今までうまくやってきた。

 なのに。

「まあ、わたしの手のひらとピッタリね……」

 この少女は、警戒できない。


「素敵な指よ。努力しているのね。とても力強くて、とても洗練されているの。まるで王子さまみたい」


 そうまっすぐな言葉で微笑まれ、言われ慣れていないものだから赤く染まるのを自覚する。キャシーの言葉は純粋で、嘘偽りないのが余計に胸をドキドキとさせて。


「なのに、とっても白いの。しなやかで、美しくて、そう。まるでお姫さまみたい。キラキラしてるわ」


 ドキリとした。不思議な感覚だった。トオルの手を取りながら、少し間を詰めてくる少女が、どこか自分のパーソナルスペースに踏み入られているようで、だが、不快な気持ちにはならない。

 むしろ、ずいっと顔を近づけている少女との距離感に、珍しくもトオルはドギマギとした。

 これほどやりづらい相手はいない。

 年下の女の子に、手玉に取られているみたいで、ちょっとだけ不本意だ。

「からだ、細いのね。寒くはないの?」

「寒くなんてないよ……薄地だけど」

 吐息が近い。

 サワサワと、胸部に手を当ててくる少女をくすぐったく思いながら、少し危機感を感じ始めた自分自身にも気づいた。

 このままじゃあ、彼女の魔性のこの魅力に、呑み込まれてしまうようだ。

「だっ、ダメだよ……それは、だめ」

 胸部から、鎖骨。首筋に指の背をはわせ、トオルの顎のラインに触れて、そのままの流れで仮面を取ろうとしてくる少女を、すんでのところで抑えて止める。

 少し力が入ってしまい、「っ」とか細く口をつぐんだ目の前の少女に申し訳なくなってすぐ力を緩めながら。

「なぜ? わたしは貴方の顔が見たいのよ」

「わっ、私は、違う。み、見せられない。それに――」

「おねがい。ないしょにするから」


「っ……だめ、なんだよ……」

 力弱く、それでも押し通されてなすがままにされてしまう。グルグルとずっと回って焦燥だけがふわふわ漂う脳内に、必死にまだ彼女を諦めさせる手段がないかと探す。

「私の目の色は、あんまり、いいものじゃなくて……」

「そんなことないわ」

 強硬手段に出ることだってできただろう。トオルの能力なら、すぐにこの場を切り出す手段はいくらでもあったはずだが、どれも取れないで絞り出した本音には、強かな声に一蹴されてなすすべなく。

 仮面が外された。少し広くなった視野に、改めて彼女と向かい合う。

 トオルの目は、どこか緊張するように揺れ動いていて、そして――灰色だった。

「へ、変でしょう?」

 おっかなびっくりとした様子で向かい合い、震える声音で少女にそう問いかける。

 ――怪盗になる前。最後に見つめた鏡の前で、その目の色は死んだ魚のようにも映る。生気がなくて、違和感しかなくて、変な目で見られて、あまり好きではないその灰。今でこそ、その目の色には光も映り込んではいたが、当時の鏡の前で見た自分の姿は本当に死んでいるみたいだったから。

 その印象が今でも深く残っていて、いまこの瞬間も、つい苦い顔をする自分がいた。

 キャシーは、しばらく無言でトオルの瞳を見つめ続けた。

「きゃ、キャシー……?」

 じっと見つめられていると、どこか心を読まれているような居心地の悪さに呼びかける。

 コバルトブルー。羨ましい色だ。自分の顔に似合うとは思わないけれど、キャシーのような子には似合いすぎてたまらない。

 白髪が嫌いだった。灰色の目が嫌いだった。トオルは、まず普通の子とは認識されない辛さがあったから。

「とっても素敵な目の色よ」

 嘘偽りないその言葉。俯き加減だった面をあげ、キャシーの目をしっかりと見つめ返しても、彼女のその碧は一切ブレることがない。


「キャシー……きみは……」


 ――遠くで微かに聞こえたパトカーのサイレンを、トオルは聞き逃さなかった。


 弾かれたように音の方を向く。浅く息を吸い込み、キャシーからすぐに距離を取れば仮面をつけて、手袋をはめ。

「どっ、どうされたの?」

「ごめん。行かなきゃ」

 細い通路をコツコツと歩みこちらに向かう誰かの足音を確かにトオルは耳に捉えながら、滲む焦りに目の前の不安げな少女を見る。トオルの耳は常人よりも遥かに良いから、逆にキャシーは彼の突然の警戒が理解できていないようだ。

「ま、また来てほしいわ! わたし、あなたともっと一緒にいてみたいの」

 ――初めて優位性を保てれる場面となった気がした。

 胸元に手を当て、すがるような顔でトオルを見つめるキャシーに、トオルは少し思考する。

「じゃあ、私のことを内緒にすること」

「わ、わかったわ」

「それから、いつも通りにすること」

「ええ! もちろんよ」

「ふふ、えらいねキャシー」

 素直に頷くキャシーがとても愛らしく思えて、ぽんぽんと頭に手を乗せてあげようとすると。


「え?」


「……? あっ」

 キャシーの姿が見えなくなる。

 頭に手を乗せている感覚はある。目の前で声も聞こえるし、目の前に何かが立っているのもわかっている。

 けれど、視覚で彼女の姿を捉えることができなくなった。

「これは……」

 ――透明にでも、なったのか?

 現象を理解できず、少し気味が悪くなってしまって、手をどかす。後退する。触れ合わなくなり、距離さえ取ると、キャシーの存在はとうとう認識できないものへと変わった。

「ごっ、ごめんなさい! ごめんなさい、まって、許して、何処か行ってしまわないで、怖がらないで……!」

「……っ」

 目の前から声が聞こえる。すぐ近くで声がしてる。ぬっと、ふと右手を見えない何かに取られて、思わずビクッとするトオルがいた。

「いや、いやだ、拒絶しないで、嫌がらないで……わたしは、普通なのよ!」

 彼女の声は震えていた。理解も追いつかず、どこか恐怖の色と、未だ遠くから近づいてくる足音に対する焦燥を、目の前の不思議にせめぎ合わされていて。


「トオルっ、トオル! 信じて、わたしは、わたしは、ヘンなものじゃないの! 本当よ、たまに、勝手になってしまうのだけど、すぐ戻るの! だから……」


 見えない少女が、目の前で泣き出してしまうのを感じる。

 おずおずと両手を広げた。とん、と優しく抱きついてくる透明な彼女を思う。迷うように、まだ理解が追いついていないながらも、トオルはゆっくりと腕を回した。

 確かに、そこに、キャシーはいた。

「……わかった。大丈夫だよ、キャシー」

 彼女も普通の存在ではない。それだけは理解できた。だからこそ、こんな扱いを受けているのかと苦い顔もした。

 彼女の姿は、ふと気づいた頃には見えていた。

 ぎゅぅう、としがみつく金髪の少女がそこにいた。

「また来てくれる? 嫌がらない?」

「明日また、きみがこの事を内緒にしてくれるならくるよ」

「ほんとう?」

「うん」

 足音が二メートル先まで近づいた。


「今日はここまで」


 優しく笑ってそう告げる。

 彼女と離れ、また改めて頭に手をぽんと置いてあげた。

 今度は普通の女の子が、嬉しそうに、どこか恥ずかしそうに笑っていた。

「目を閉じて」

「……?」

「また明日」

 風が吹き抜ける。


 キャシーは、少し経って、おずおずと目を開けた。

 そこにはトオルが訪れる以前のままの部屋しか残っていなかった。

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