朝日に唄う

第4話 朝日が見つけてくれた

 夕日に溶けてしまいそうな、儚く、美しい女性が、あたしを見つけてくれた。






「いつもお世話になってるライブハウスで今度、単独ライブをさせてもらえることになったんだ。それでね……良かったら、ゆきも見に来てくれないかなぁ、見に来てくれたらうれしいなぁって思ってるんだけど……」

 はるお姉ちゃんは、自分の顔を隠すようにチケットを両手で持ち、ソワソワしている。その姿が何だか可愛くて、あたしは思わず笑ってしまう。

「うん。お姉ちゃんの歌、大好きだから絶対、見に行くね」

「ホントに? やった! それじゃあ、はい、これチケットね!」

 八歳も年が離れているとは思えない、無邪気なはしゃぎっぷりだけど、この明るさにあたしはいつも助けられている。

「あ、流石に今回は払うよチケット代」

「何言ってんの! 雪華はまだ中学生でしょ。お小遣いは貯金しておきなって」

「え、でも……」

「いいからいいから」

「う、うん……ありがとう」

「こっちこそ、ありがとね。当日、お姉ちゃん頑張っちゃうから!」

「うん、楽しみにしてるね」


 これがお姉ちゃんとの、最期のやり取りだった。その会話の後、少ししてお姉ちゃんは大学で使うノートを買いに、コンビニへ行って……事故に遭い、帰らぬ人となってしまった。




 物心ついた頃から両親は不仲で、あたしは父には嫌われ、母からは憎まれている。お姉ちゃんは両親の板挟みになりながらも、あたしに優しくしてくれた。お姉ちゃんだけが、心の支えだった。

 オレンジ色のアコースティックギターを弾きながら歌う、お姉ちゃんの声はとても優しくて温かい。頭を撫でてくれる手も、励ましの言葉も全部、あたしを救ってくれた。

 そんなお姉ちゃんが、もうこの世にいないことを、あたしは今も受け入れられずにいる。


 お姉ちゃんの死をきっかけに、父と母は離婚した。

 母はあたしを連れて、実家祖父母の家に転がり込んだ。母が連絡を絶っていたから、あたしは祖父母と初対面である。

 あたしと父は……血が繋がっていないから……あの人はあたしの本当の父親ではないのだ。だから嫌われていたのだと、理解して、なんとか受け入れられた。けれど、母があたしを憎んでいる理由は身勝手で、腹が立つ。への当てつけで、他の男性と関係を持って、あたしを産んだのに、『雪華アンタが産まれた所為で、余計、あの人に嫌われたじゃない』と、理不尽な怒りをぶつけてくる。

 逆恨みもいいところだ。


 お姉ちゃんは、このことを知っていたのかな……? 会いたい……お姉ちゃんに会って、本当はあたしのこと、どう思ってたのか知りたいよ。


 お姉ちゃん……あたしは、生きてていいのかな?


 そんなあたしの心の声に答えるように、ケースに入れて立てかけていたアコースティックギターが、倒れそうになった。間一髪のところでギターを受け止めたあたしは、何となくギターケースを開いてみる。

 夕焼け空みたいな、オレンジ色の綺麗なギター。少し弾いてみるが、当然、お姉ちゃんのようにはいかない。

 あたしはそっとギターを戻し、今度は倒れないように壁に立てかける。その時、ケースの外ポケットに、何かが入っていることに気がつく。

 勝手に開けてもいいものかと考えて……既にギターを触ったからいいかな……と思い、ポケットのチャックを開く。


 中に入っていたのは、曲の歌詞が書かれたノートだった。じっくり詞を目で追い、一ページ、一ページ、大切に、心の中で嚙み砕いていく。お姉ちゃんの歌は何度も聴いたけど、歌詞の意味を考えたことはない。


 本気で歌手になりたいのは知っていた。


 あたしが生まれる前から不仲な両親。友人だと思っていた子からの裏切り。信用できない達。どうしようもなく苦しい時に、音楽だけが救いだった。

 心を救ってくれた、憧れの歌手のようになりたい。そう思っている、という話は聞いていた。


 けれど、改めてお姉ちゃんの書いた歌詞を読んで、その想いの強さを、文字から感じる。あたしが考えていた以上に、お姉ちゃんの想いは燃え上がっていたのだと、思い知った。

 それなのに、お姉ちゃんは、もう……


 あたしはノートをギターケースのポケットに戻して、チャックを閉める。

 それからもう一度、ギターを取り出し、しばらくの間、じっとそれを眺めた。


「……お姉ちゃん、あたし、決めたよ」


 お姉ちゃんがあたしのことをどう思っていようと、やっぱりあたしにはお姉ちゃんしかいないから……せめて、お姉ちゃんの夢を、代わりに追うことを許してほしい。


 どうか、今のあたしの、生きる道をください。






 中学生の間は、母が仕事の日にひたすらギターの練習をしていた。母が休みの日は、自室で曲作りにも取り組む。歌詞をノートに書き留め、大体のメロディを鼻歌でボイスレコーダーに吹き込んだ。

 おじいちゃんとおばあちゃんは、あたしの夢を応援すると言ってくれて、母には秘密にしてくれている。


 高校生になったらバイトを始めて、音楽活動に必要な物を揃え、本格的に曲を形にし始めた。

 そして、二年生になって間もない頃に、最初の曲が出来上がり、ワンチューブに投稿する。お姉ちゃんの夢を引き継ぐことへの不安と、それでも夢を叶えてみせるという、決意のうたを。

 ハンドルネームはなしはな。お姉ちゃんが、“なしよう”というHNで活動していたから、苗字の部分は勝手にもらった。


 再生数が伸びなくても、へこたれずに新しい曲が完成したら、すぐワンチューブに投稿する。

 三曲目を作り始めた頃から許可を得て、路上ライブもするようになった。場所は、祖父母の家からかなり離れている、初めて聞く名前の駅を選んだ。人の乗り降りは少なく、周りを見渡せば、町全体が山に囲まれているのではないかと思える程、大きく盛り上がった緑しか見えない。

 その景色を見て、ここでライブをやろうと思えた。お姉ちゃんも最初は、こういう駅で、ライブをやっていたから。


 見ず知らずのアマチュア歌手が歌っていても当然、誰も足を止めてはくれない。有名な曲のカバーもしてみたけど、何も聴こえない、見えないと言いたげに、人は通り過ぎていく。ワンチューブに投稿した曲の再生数は、ピクリとも動かない。


 それでも歌い続けた、とにかく曲を作ろうとギターを弾き続けた。

 挫けそうになりながらも、歌って歌って歌い続け……四曲目はなかなか完成しなくて、何も変化は起きなくて……それでも自分には、これしかないからと、足掻くようにギターをかき鳴らし、叫ぶように歌い続けた。


 そんなある日、そのは現れた。


 演奏を終えて、ぼぅとギターを見ていると突然、拍手が聞こえてきて、驚く。

 顔を上げると、ロング丈の白いワンピースを着た、可愛らしい綺麗な女性が立っていた。どことなく、お姉ちゃんに似た、儚げな雰囲気にドキリとする。

 上手くは言えないけど、後ろの夕日が沈むと同時に、消えていなくなってしまいそうな、危うさを感じた。

 歌うことに必死で、そのがいることに、全く気づかなかった。

「大好きです。歌詞もメロディーも声もギターの音も……なにより、あなたが歌に込めた、あなた自身の想いが、どうしようもなく、温かくて……大好きです」

「ありがとう、ございます……」

 潤んだ目でそんなことを言われ、どう返せばいいのか、分からなかった。だけど、とにかくお礼は言いたくて、口を開いたけど、喉が渇いて上手く声が出ない。

「あ、えっと……突然ごめんなさい……」

 女性はハッとした後、顔を赤くし、照れ笑いを浮かべる。すると、さっきまで感じていた危うさは消え、今度は純真無垢な幼い少女のように見えた。

「いえ、その……誰かに、あたしの声が届いたのは初めてだったから……驚いたけど、すごくうれしい、です」

 あたしは自然と笑っていた。お姉ちゃんが亡くなってから、きちんと笑えたのは初めてだ。

 本当にうれしくて、その気持ちをしっかり伝えたいのに、また上手く言葉にできなかった。

「あの、またここに来たら、あなたの歌を聴けますか?」

 女性は真っすぐあたしの目を見て、そう問いかけてくる。

「え……あ、はい。隔週……第二と第四 金曜日に、ここで歌ってます。あと……ワンチューブに曲を投稿しているので、もし良ければ聴いてください」

 また聴きに来てくれることもうれしくて、ついワンチューブの話もしてしまう。言ってから、図々しかったかもしれないと内心、焦って頭を下げる。

「わんちゅーぶって、ネットでいろんな映像が見れるっていうあれですよね? すごい……ネットでも曲が聴けるんだ……」

 キラキラした瞳でそう言ってもらえて、あたしは胸を撫で下ろす。

「はい。三ヶ月程前から、オリジナル曲を投稿しています……名前はなし はな。咲か無い、香ら無い、華で、なし はなです」

なしはなさん……あの、私、ネットとか詳しくないけど、友人に教えてもらって、絶対に華さんの曲を聴きます。また、ここにも来ます」

「……ありがとうございます」

 あったかくて、ふんわりした笑みに、いろんな意味でドキリとする。自分の声が、微かに震えてしまう程、心臓が煩くて仕方がない。

 優しくて爽やかな、明かりのような笑顔なのに、少し切ないこの感じ……まるで朝日のようだ。

 夜が明けるまで歌詞を書いていた日に、自室の窓から差し込んできた朝日。いや、妙に心を掻き乱してきた朝日より、女性の笑顔はあたしの心を揺さぶる。






 女性と別れてからも、しばらくの間、心臓がドキドキしていた。朝日のような、あの笑顔が、頭から離れない。


「……好き、なのかも」


 人が居ない駅のホームに、自分の声がポツリと落ちる。思わずこぼれた“好き”という言葉に、ひどく驚き、顔が熱くなる。


 これは一目惚れ? 恋? 愛?


 多分、答えはどれも不正解だと思う。だけど、これだけは分かる。


 あたしは……あのに、歌を届けたい。そう、強く思っていることだけは、間違いなく、揺るぎない本心だ。


 お姉ちゃん、これからはあたし、名前も知らないに向けて、歌を唄うことにしたよ。


 ケース越しにギターをぎゅと抱きしめながら、心の中でそう呟く。


 電車が近づいてきたところで、ギターケースを両肩にかけ、顔を上げる。

 空はすっかり暗くなっていて、月とたくさんの星達が、こっちを見下ろしていた。

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