第2話 花の存在、夜の隣

 人にも、物にも、いつかは終わりが訪れる。いつか人はいなくなる、物は壊れる、物語は終わる。どれだけ大切でもずっと繋ぎ止めておくことなんて出来ない。

 そんな当たり前のことが、私は嫌いだ。どうせ終わる日がくるなら、誰も、何も、好きにならない。そう決めていた。失うものがなければ、悲しい想いをすることもないから……ある日、突然、消えてしまうなら、最初からいらない。

 そんな考えを持って生きていることに、どこか虚しさを感じてもいた。好きな人やモノについて語る子達が眩しくて、羨ましくて……だけど、大切な存在を失った時に押し寄せてくるであろう、もっと大きな虚無に飲み込まれてしまいそうで、怖くて何も好きになれない。


 小学三年生の時、大好きな両親と、妹のふうが亡くなった。

 家族みんなで買い物に出掛け、交通事故に遭い、私だけが助かった。

 目覚めた病室で三人の死を知らされた瞬間、心の中の温もりがすっと消えて……一気に冷えていくような感覚に襲われる。嘘だと思いたかった。嘘であってほしくても、本当のことで……一緒に遊んでくれるお父さんも、勉強や料理を教えてくれるお母さんも、いつも隣で眠る風花も、もういない。


 大事な人を失うと、ヒトは空っぽになる。心が冷え切ってしまう。

 そのことを知ってしまった私は誰に対しても、心を閉ざし続けた。

 でも、何もないままなのも正直、もうしんどかった……何もかもが虚しいから、この世界に“さよなら”しよう。お父さんとお母さんと風花に会いに行こう。

 そう思い、祖父母の家を飛び出し、電車に乗ってなんゆかりもない駅で降りた。改札口を出ると、図書館が見えたからなんとなく、最期に昔、好きだった本を読もうと思った。読み終わったら、死のうと思っていた。

 けれでもあの日、駅前で華さんを見て、彼女が歌う温かなうたにひどく惹かれた。生きる希望を、生きる意味をもらった。また、失うことへの恐怖をかき消すほどの衝撃。怖がらなくても大丈夫だと思わせる力が、華さんにはあった。

 だから、華さんの歌を聴くことも、姿を見ることも出来なくなるなんて、思っていなかった……いや、そう思いたくなかっただけだ。また失いたくないという想いから生まれた、一方的な期待。終わりのないものなんてないと分かっていたのに……私が勝手に希望を抱いていただけだ。






「ひ……あさ!」

 駅のホームに立っていると、誰かに腕を掴まれる。

 引っ張られるままに振り向くと、青白い顔をしたちゃんと目が合う。

「朝陽……アンタ、自分が今、何しようとしてたか分かってるの!?」

 いつもは冷静な真夜ちゃんが、ひどく取り乱している。

「私はただ、電車を待ってただけだよ?」

 特急電車が駅を通過して、あっという間に遠ざかっていく音を聞きながら、私は首を傾げた。

「なにそれ……意味わかんない……だったら、さっきのはなんのつもり? どうして……あんな危険なことしたのよ!」

「危険なことって……?」

 真夜ちゃんが何を言いたいのか、本気で分からない。そもそも今日は頭がぼうっとしていて、自分が何をしようとしていたかすら、覚えていないのだ。

「……ここだと人目につくから、とりあえず大学に戻るわよ」

 怒っているような顔で真夜ちゃんは、私の手を引き、歩き出す。

 私は呆然としていて、ただただ真夜ちゃんについていくことしか出来ない。






 手を繋いだまま大学に戻った私達は、適当な空き教室に入った。

 私は真夜ちゃんに促されるまま、腰を下ろす。真夜ちゃんは前の席の椅子を、後ろに向けて、私と向き合うように座った。

「朝陽が何も言わずに、講義を休む訳ないと思って探しに来てみれば、逆方向の乗り場でぼうっとしてるし……ふらふら線路に近づいていくしで、アンタ本当になにしてんのよ……」

 真夜ちゃんは確実に怒っている。それと同時に、悲しんでいるようにも見えた。

 “線路に近づいて”と言われ、自分が何をしようとしていたのか、ようやく理解する。

「ごめんね。実は最近ちょっと寝不足気味で……なんだか今日はいつも以上にぼーっとしてたの。今度からは気をつけるよ」

 冷静に、なるべく心配をかけないように、大したことではないと言いたげに、私は笑う。それでも真夜ちゃんは眉間にシワを寄せ、ますます険しい表情になる。

 私はこれ以上、何を言えばいいのか分からず、下を向いて黙り込んでしまう。


「ねぇ、朝陽……」

 少しの沈黙が流れた後、突然、真夜ちゃんに両手で頬を包み込まれ、顔を上に向けさせられる。真剣な真夜ちゃんの瞳としっかり目が合い、私は目をぱちくりさせることしかできない。

「アタシのこと、ちゃんと見えてる?」

 そう言った真夜ちゃんの声が、かすかに震えているような気がした。質問の意味が分からず戸惑っていると、真夜ちゃんの瞳がわずかに潤む。

「いい加減、アタシがいることに気づいてよ……朝陽は一人じゃない。アタシが傍にいる……いつまでも独りだと思わないで、アタシのことをもっと、頼ってくれてもいいじゃない」

 私の頬を包む温かな手が、ゆっくり話す声が、今度ははっきりと、震えているのが分かる。

 決して鈍感ではないから、真夜ちゃんが何を訴えかけているのか、すぐに理解した。今までずっと、それを口にせずに、我慢していたことも。


 家族が亡くなってからは、仲が良かった相手にも、心を閉ざすようになっていた。祖父母にも、友達にも、よく話していたご近所さんにも。

 いつまでも心を閉ざし続けた結果、一人、また一人と離れていった。

 それでも、幼馴染の真夜ちゃんだけは変わらず、隣にいてくれた。静かに、さり気なく、今も優しく寄り添ってくれている。

 なのに、真夜ちゃんまで失うのが怖くて、そのことに気づかないフリをしていた。ただ離れるだけなら……私の知らないところで、幸せに暮らしているのなら、それでいい。真夜ちゃんの存在そのものを、失うことがイヤで、彼女から離れてくれるよう気づいていないフリを続けて……そのくせ、ずっと真夜ちゃんに甘え続けていた。


 でも、そんなこと、もう終わりにしなければ。真夜ちゃんは大丈夫だと信じて、きちんと彼女に向き合おう。真夜ちゃんの言葉を、気持ちを、真摯に受け止めて、信じて前に進まなければ、彼女に失礼だ。


「ごめんね、真夜ちゃん。今まで優しく見守っていてくれて、隣で支えてくれて、ありがとう」

 私は真夜ちゃんの手に、自分の手を重ね、真っすぐ彼女の目を見つめた。

「ははっ、やっと気づいてくれた……これからも、絶対に朝陽の傍を離れないから、覚悟しなさいよ」

「うん……真夜ちゃん、本当にありがとう」


 真夜ちゃんは私をぎゅっと抱きしめて、涙声で微笑む。


 私は躊躇ためらいがちに、真夜ちゃんの背中に手を回し、目を閉じて静かに彼女の体温を感じた。

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