9月 まぬるアニバーサリー

 そうでした。

 気づいてみればこの「まぬるマンスリー」、昨年9月に連載を開始して、この9月で一年になるのでした。

 ショートエッセイの掲載は今年に入って途絶えてしまったものの、毎月の月刊エッセイ公開は細々と続き、どうにかキープし続けることができました。いつも読んでくださっている皆様がた、まことにありがとうございます。


   ◆


 この一年間は、小説もほとんど書けず、また読ませていただくこともあまりできず、猫村まぬるは、まるで丘の上にたたずむバカみたいに、ただただぼんやりと日々を過ごしていました。もちろん、猫村まぬるという人格キャラクターは、わたしという人間の一つの側面ペルソナでしかないので、わたしの身体と心の別の部分は、喜んだり苦しんだり、泣いたり笑ったり、倒れたり走り回ったりもしていたのですが。


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 この忌まわしい疫病騒動の間にも、秋冬春夏秋と季節はめぐり、人々は来て、人々は去り、三百数十回繰り返される日常の営みや、日々の心に浮かぶ想いの欠片をすりつぶすようにして地球は一回転したわけですが、本当にそれに相当するだけの時が流れたのかどうかと思うと、時間に対する人間の感覚というものはまことに曖昧で、短いようで長い、長いようで短いとしか言いようがありません。


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 子どもの頃、一年ってとんでもなく長くありませんでしたか?

 365日という時間の長さは、幼いわたしにとっては想像力の射程を超えていましたし、小学校1年生や2年生のころには自分が6年生になる日のことなど無限の未来のように感じられたものです。

 6年間といえば、6歳の子どもにとっては今まで過ごした人生と同じだけの長さの時間です。長く感じられるのも当然のことでしょう。それを思えば年齢を重ねるとともに一年一年の重みが減っていくのもうなずけます。いま6歳とか7歳の子どもたちにはこの異常事態下の日々が無限に続いているように思えるかもしれない。あるいは逆にそれが当たり前になっちゃってるのかな。どちらにしても悲しい話です。


   ◆


 ともあれ、こんな時代のあれこれに倦み疲れ、呆然としつつも、猫村はまだ普通に生きていますし、小説を書こうという気持ちもようやく戻りつつあります。あと一年このエッセイが続きそうな気はしませんが、でも続くかもしれませんし、しばらくはお付き合いください。


   ◆


 それにしても、一年こうしてエッセイのつもりで書き続けていても、ほんとうに思ってることなんて何ひとつ書けないものですね。もし来年の9月になってまだこの連載が続いていたら、何か少しでもほんとうに思ってることを書きたいものです。



 

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