8月 原爆怖い


 子どもの頃、原爆がすごく怖かった。


 そりゃ誰でも核兵器は怖いでしょうけど、一時期はほんとにちょっと病的なくらいだったのです。

 寝ている間に原爆が投下されるかもしれないから頭まで布団をかぶった方がいいかなとか、ガラスが砕けて飛び散るかもしれないから窓から離れた方がいいかもとか、常に考えていた時がありました。


 狙われるのは山の向こうにある都会だろうから、ここは大丈夫かもしれないとも思うのだけど、放射能のことを思うと安心できません。


 夢もよく見ました。小学校の校舎の一番上の金庫のような場所に時限爆弾みたいな原爆が設置されていて、ナウシカみたいな女の子がそれを止めに行くのを手伝う夢とか。


   ◆

 

 そんなことを思うようになったきっかけははっきりしていて、母親に連れて行かれて記録映画を見たことでした。当時の悲惨な記録映像や被爆者の方の証言があって、最後に峠三吉の詩の朗読が流れる映画でした。

 母が何を思ってわたしたちにその映画を見せたのかは聞いてませんが、戦争の悲惨さを知っておくべきだという考えだったのでしょう。しかしわたしのように臆病な子どもにはいささか薬が効きすぎたのだと思います。


 もちろんそれは過去の記録なのだけど、わたしにとっては近い未来の出来事の確定的な予言でもあるように感じられたのです。自分が大人になるまでの間に、いつか核兵器が飛び交う戦争が起こって、人類は死滅するのだろうと。ある夏の朝に空の一角がふいにピカッと光り、何もかもをなぎ倒す爆風が街を平らな荒れ地に変えてしまうのだろうと。

 それは来月かもしれない。明日かもしれない。

 だとしたら、どんな努力も、将来のビジョンも、何一つ意味を持たないことになるでしょう。


   ◆


 いつからか、そこまでは思わなくなりました。

 もちろん、恐ろしいと感じなくなったわけではありませんが、その惨禍が今日明日に起こるかもしれないという気持ちは薄れました。

 ですから、今現在、だからどうしたというわけでもありません。

 ただ、わたしたちの生きている世界が、盤石で、安定的で、いつまでも続くものだとは限らないという認識は、常に薄ぼんやりとわたしとともにあります。

 いつか、よく晴れたある夏の朝に、その認識は空一面の現実となって光り輝き、わたしたちに降り注ぐのかもしれません。

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