4月 スーツを着た猫村


 日本社会では、4月というと新しい生活の始まりの季節です。新しい学校、新しい職場、新しい制服や、新しいスーツ。

 わたしが初めて自分のスーツというものを手にしたのは、大学入学のときでした。けっこう昔のことです。親にデパートに連れて行かれて、なんだか頼りない、淡い色のスーツを買ってもらいました。


 入学式のことはほとんど覚えていません。記憶にあるのは、二階席から見下ろしていたこと、文学部が女の子ばかりだったこと、華僑の多い土地柄からか中国服の子をちらほら見かけたことくらいです(実際、語学や体育のクラスには必ず数人ずつ中国姓の子がいました)。スーツを着て嬉しかったとか晴れやかだったとかそんな気持ちはあまり無かったはずです。そのころのわたしは新しい環境や知らない人々の間に入るということを何より苦手としていました。今だってかなりそうです。「社会の制服」であるスーツを着るということは、すなわちそういった状況の中にも入っていかなければならないことを意味しているのですから。


 次にスーツが必要になったのは、就職活動の時でした。今度は黒っぽい色のスーツです。さっきお話したようなわたしの性格上、就職活動なんて恐怖と苦痛の対象でしかありようがありませんでした。


 そんな気質なものだから、その後も紆余曲折があり、スーツを着る機会の全く無い時期もありました。社会の方は1ミリもわたしに合わせてはくれません。わたしの方がスーツに合う身体になるか、それともスーツなんか脱ぎ捨てて別な方向へ走るか、その二つに一つしかないのです。


   ◆


 ようやくここ何年かは、わたしは毎朝スーツを着て職場に出かける暮らしをしています。これは不自然なことだ、ほんとうのわたしには、こんなところに身を置ける適性も能力も無いのに、といつも思いながら。いつか誰かにほんとうの姿を見抜かれて(あるいはとっくにみんなに見抜かれていて)ここから追い出されるんじゃないかと思いながら。


 ですから逆に、スーツというものが社会の制服として存在してくれていることを有り難くも思うのです。これを着ている限り、わたしは社会に背を向けていないように見えるでしょう。ほんとうはそう見えてないとしても、そう見なしてはもらえるでしょう。それがこの社会のコードですから。


   ◆


 だけどできればいつか、スーツなんて全部捨ててしまいたいですね。何を着てても着てなくても、誰からも何も言われない、何とも思われない場所に行きたいですね。そこには会社も無く、学校も仕事も無く、わたしもあなたも無く、心も命も無いんですよ。それって良くないですか?


 でもまあ、そんなことも言ってられません。明日も仕事ですし。そろそろもう一着スーツも買わないといけないし、スーツを買うためには働かなきゃね。

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