3月 M先生とW先生

 3月と言えば卒業シーズン。

 わたしももちろん、小中高大と、大勢の先生方のお世話になったわけですが、今回書きたいのは、お二人の先生のことです。


   ◆


 ひとりは、高3の現国のM先生。受験のことなどあまり口にされない、物腰の柔らかい初老の紳士でした。


 担任だったわけではなく、日々の授業のことも忘れてしまいましたが、安部公房の「砂の女」の感想文を褒めていただいたことと、最後の授業の日にビオラの演奏を披露してくださったことを覚えています。古き優雅な時代を見てきた最後の世代のひとり、という雰囲気がありました。


 証書を受け取り、卒業生のみんなとともに校門を出ていくとき、M先生はわたしを見つけて声をかけてくださいました。


「君には、期待してるからね」


 どういう意味だったのかは分かりません。入試結果はとっくに出ていたし、それは学校が進学成果として謳うには物足りないレベルの大学でした。紺の制服の中身は、力も自信も意志もない、小さな生き物でしかありませんでした。

 いったい、先生は何を期待してるというのだろう。


 だけどその言葉はいまだに記憶から消えません。何をどうすれば先生の期待に応えることになるのか、今でもたまに考えることがあります。


   ◆


 もう一人は、W先生。大学で語学を教わりました。

 お国ではある程度名の通った詩人なのですが、動乱の時代に国を離れ、五月革命のころのフランスに留学され、どういう経緯か、もう十年以上日本で教壇に立っておられました。


 文学者らしく、気難しい人でした。信念なのか、面倒なのか、日本語を一言も話さず、他の先生方とも英語やフランス語で話されていました。不思議なほど背が低く、きれいに禿げた頭に鳥打帽をかぶり、フランス仕込みのコロンの匂いをさせながら、体がお悪いらしく、いつもひとりで杖をついてゆっくり歩いておられました。

 そして常に不機嫌そうな顔でぶつぶつと、日本や学生の文句を言い、「日本の夏は暑くてたまらん!」などと、南国から来た人とは思えないこともおっしゃってました。

 

 2年目だったか、3年目だったか、後期の授業が終わって休みに入り、4月に大学に行ったとき、他の先生から、W先生が亡くなったことを聞かされました。特急列車の中で発作を起こして倒れ、そのまま助からなかったということでした。


 イスラーム教徒は、亡くなって24時間以内に土葬にしなければならないとのことです。先生は独身で、対応できる家族が日本には誰もおらず、祖国から親族の方が慌てて駆けつけるなど、大変な騒ぎだったそうです。


 いまわたしの手元には、W先生のご著書の詩集があります。

 わたしがおとなしく、真面目なふりをしていたのと、文学に興味があると言ったものだから、先生が下さったのです。

「必ず読んでくださいよ」と、そのとき先生はおっしゃったと思います。


 最後のページには、先生のサインと「良き学生、N村さんへ」という言葉が書かれています。

 しかしわたしは本当に良き学生ではなかったようです。ページを開いてみたことは何度かあるのですが、詩を理解できるほどの語学力は最後まで身につかず、拾い読み程度のことしかできませんでした。


 本の裏表紙にはどういうわけか、パチンコ台の前に座ってにこにこしている先生の白黒写真が載っています。こんなに楽しそうな先生を見たことなんて、一度も無かったから変な感じです。


   ◆


 月日が経つにつれて明らかになってくるのは、わたしは先生方から何も受け取ることができなかったということです。教えていただいたことは全て忘れてしまいました。そして先生方が期待してくださったような何者にもなれませんでした。

 それでもたまに先生方のことを思い出し、多少なりとも何かを自分に見出してくれた人がいたのだと思うと、いくばくかの力を得たような気になります。そしてたぶんそれが、こうしてこんな雑文や小説を書くことをやめないことの、数多い理由の中の一つなのだと思います。


 

 

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