第13話



 その日の夜、ぼくは自室で椅子に座って、ベッドでくつろいでいる鬼と会話していた。長い話になるから仔細は省くけれど、この鬼とは、ぼくが神さまとしての第二の人生をスタートしてから活動していく中で出会った人物の1人だ。ぼくは気軽によもぎと呼び捨てにしているが、本当の名前はもうちょっと長くて、獄ノ四方木鬼という。漢字にするとそれっぽい格式が現れる。しかしこのように、ぼくの部屋を活動拠点としてわがまま勝手に暮らしている。訳あって、住処を分け合っている。……。そんな冗談を言っている場合ではなかった。


 ともかく、ぼくは、犬吠埼ひのでとの一連の出来事について、よもぎに報告をした。


 蛇の道は蛇。

 中途半端に神さまもどきになってしまったぼくなんかと違って、よもぎは正真正銘、出自からして向こう側の存在。人間とは一線を画する。神さまサイドの住人だ。

 困ったことが起きれば、心強い相談相手になってくれる。

 多少語気は強いのだが。


 話を終えると、よもぎはぼくの枕にほっぺたを押し付けながら、ぼくの方を見遣った。


「ふうーん。吸血鬼を治せたと思ったら、次は別の問題が露見したと。でも、それはずっと前に起きた、何ら怪異の絡まない虐待だったと。そうだね。流石にその傷跡を治すってことは、無理かもしれないね。現代医療がどこまで進んでいるのかは、寡聞にして知らないけど」

「ああ、正直言って、ここからは犬吠埼次第だ。彼女がどうにかしようとしなければ、ぼくから無理やり吸血鬼を治してやった時とはわけが違う。」


「そ。じゃあ、お前はこれからどうするつもりなの? その人間を、どうしたいの」

「そんなの、」

 そんなの、決まっている。


 そもそも、ぼくが犬吠埼ひのでと関わったのは、この土地で、吸血鬼が夜な夜な人を襲っているという話を聞いたからだった。怪異は基本的に、身を弁えている。人の目につくような行動は、しない。なぜなら存在を消滅させかねないからだ。人間に認知され、有害認定されてしまえば、いくら霊力があろうともすぐさま排斥されてしまう。犬吠埼の場合、あのまま放置していたら、噂が現実になり、しかるべき対処は免れなかった。


 ぼくの動機は、それをどうにか食い止めたいという思いがあった。

 人に寄り添うのが神の性質だ。幸せの名を冠する、淀町幸太ならぬ、若狭名幸命としては、彼女をどうにかして、不幸の連鎖から引っ張り出してやりたいと思っている。


 それを一体どうすればいいのかは、現時点ではわからない。

 諦観か、折り合いをつけるのか。

 完璧な解決には至らないだろうことは理解している。

 でも、それでも、納得のいくかたちには運びたい。


「何なら、あたしがその人間をもう一度吸血鬼にしてやろうか?」

「え?」

 にひひ、と、鬼らしい鋭い歯を覗き見せながら、意地悪な笑みを浮かべる。


「簡単だ。鬼である私が夜中にその人間の前に神出鬼没に現れて、首筋を噛んでやるんだよ。そいつはもともと思い込みで吸血鬼になったんだろう? だったらそれで元通りだ」

 我ながら、天才的な閃きだと、したり顔で言う。


 吸血鬼らしくない二本の角が額から突き出ていることを除けば、たしかに、吸血鬼と思わせる条件は揃っている。牙は鋭く、人を惑わせるような外見をしている。人ではない雰囲気を放っている。


 でも。

「それは絶対にダメだ」


 吸血鬼になって一時の平穏を得たとしても、それは長期的に見れば身を危険にさらすことになる。なあなあな人生を送るより、刹那的な幻想の命を終えるほうが、いいって言うのか?


 ぼくが本気で怒ると、よもぎは「冗談だよ」と、不敵ににやけるのだった。


「まあ、いずれにせよ、この先の決断に正解はないと思うけどね。どう転んでも、変えられない事実がある。変えられる部分しか、変えられないんだよ」


 なにを言っているのか、よくわからない発言だった。


 思い返せば、このいたいけな容貌をした可愛らしい鬼も、不憫な境遇を歩んできた人物のひとりだった。ぼくのまわりには、そんなやつばかりいる。それでも、今こうして、なんだかんだ楽しくやっていられるのは、考え方次第なところがあるのかもしれない。

 理想とは程遠いけれど、諦めて気持ちを押し殺すことと、納得することはまるで違う。


「ところで、お前からちょくちょく聞いてきた話で、気まぐれにそいつの情報を集めてみたんだけど」

 そう言って、よもぎはいくつかの書籍を取り出した。

 受け取って、表紙を見る。

 雑誌のようだ。表紙に、綺麗な女性が映っている。


「ファッション誌?」

「そう」


 折り目がついていたり、どことなく古めかしい雰囲気がする。

 ぼくはパラパラとそれをめくる。


「例の人間がモデルとやらをしていたときのモノだよ。仕事ぶりとか、インタビューとか、ところどころに掲載されてるから、なにかの参考になるかもね」

 ぼくはちょっと驚く。

 なんだかんだ言って、頼りになる鬼だ。


 流し目で確認すると、見覚えのある姿が目に留まった。

 モデル時代の犬吠埼ひのでだ。かなり垢ぬけたものだが、いまと同じ面影がある。

 今よりもずっと純真で、爛漫な笑顔が映っている。


「ありがとう。読んでみるよ」

「あたしはもう寝る」

「よもぎ?」

「すぴーすぴー」

「寝るのはやっ」

 それ本当はぼくのベッドなんだけどな。


 すっかり居候生活が板について、もはやぼくが居候のように追いやられている。まあ、自分で引き取ったのだから仕方ないんだけど。今日も僕は、ソファベッドで眠ることになりそうだ。

 横になって、先ほど受け取ったファッション誌の、犬吠埼のページを開いてみる。

 


 いろんな洋服を着ておしゃれをするのは楽しい。

 おしゃれして、綺麗になった自分を鏡で見ることも。

 それを人に見られて、笑顔になってもらうことが嬉しい。

 将来は、幅広く活動するモデルになりたい。

 最近ハマっていることは、おしゃれした自撮り写真をSNSに投稿すること。フォロワーの反応に元気付けられる。

 


 読めば読むほど、いたたまれない。

 モデルとは、彼女の人生、そのものだったのだ。

 それを暴力に奪われた。


 あの様子だと、犬吠埼は、人間に戻れたことを、純粋に嬉しがっているとは言えない。よもぎが言ったことには、認めたくはないが、一理あった。現在の不安定な精神状態では、表に見せなくとも、心中で、吸血鬼に戻りたいと考えている可能性がある。


 僕にできることの一つは、吸血鬼になりたいという思いを断ち切ることだ。

 暗い現実から逃げ続けてきた彼女は、僕との出会いがきっかけで、突然元の姿に戻った。それに順応できていない。自分の存在を、受け入れることができない。

 彼女があるがままを認めて、前を向いて歩いていけるようなきっかけを、作ってやらないと。

 ああ、そうか。ずっと、心の中でなにかが引っかかっている気がしていたんだ。それがいま、少しだけ、分かった気がする。

 よもぎがくれたこの雑誌、無駄ではなかったな。

 だんだんと、先が見えてきた気がする。

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