第11話

 小さいことから可愛いと言われることが多かった。こどもだからそりゃあみんな言われるだろうけれど、わたしは周りの子たちと比べて、人一倍容姿に関して評価されていた。昔の写真を振り返ってみると、確かにそうだなと自分でも思う。自慢でもナルシストでもないよ。単なる事実として。近所のおばさんにはちやほやされたし、幼稚園ではほかの女の子よりも目立つ存在で、劇の主役を任されたり、男の子に告白されたりもした。自分ながらに認めざるをえなかった。わたしは可愛いんだって。当時は、それを理解して長所だと思ってた。


 小学校に入っても周囲の視線はわたしに集まった。


 高学年になると、身長も伸びて顔立ちを含めてだんだんと垢ぬけたように成長していった。綺麗になったわねえ、と、近所のおばさんが誉め言葉を言うことが、母のいる前でも多々あった。でも、思い返してみると、そのときの母は決まって浮かない顔をしていた。理由なんて、当時はまったくわからなかった。


 母は一部の行動に関して打算的だと言えた。

 わたしの容姿が一定以上の価値があるのだと、利用する手立てを考えた。

 わたしの外見で、お金稼ぎを思いついた。


 大手のオーディションに応募して、いくつかある選考を通り抜けていって、モデルとしてデビューすることが決まった。恐ろしいくらい簡単になることができた。そこには、きっと母のマネジメントのおかげな部分が多くあったと思う。そういう点に関しは、とても感謝してる。


 そうして、わたしはファッションモデルとして仕事をするようになった。


 わたしはもともと、モデルにあこがれていた。わたしも、雑誌の女の子のように可愛くなりたいと思っていた。注目されていることには慣れていたし、写真を撮られるのは自分でも嬉しかった。だからすんなりと、学業と仕事を両立できるように頑張ることができた。


 ところで、わたしには小さいころから父親がいなかった。


 もちろん、生物学的な父親はそりゃあいただろうけれど、顔も名前も知らなかった。隠されるとなおさら気になって詰問するのが子どもの性だよね。わたしも何度も母に尋ねたけれど、はぐらかされたり、そんなのどうだっていいでしょうと拒否をされたりして教えてくれることはなかった。あまりにしつこかったせいか、そのうち父の話題を出すと激昂するようになって、それを恐れたわたしはその後一切父親のことは訊かないようになった。


 父親ではないけれど、男の人と頻繁に顔を合わせることが二、三人あった。いわゆる彼氏だね。母が再婚を考えていることについては悪い気はしなかったな。歳に似合わず達観していたところがあったから。母の負担が減るといいなと思ってた。結局、再婚することは一度もなかったけどね。


 母は多分、男の人の前ではわたしのことを邪魔者だと思ってたんだと思う。わたしもその時については居心地が悪かった。冷ややかな目というか、居ないもののようになるべく影を消すように努めてた。


 そんなことが起こっている一方で、わたしのモデルとしての人気は鰻登りに上がっていった。同世代の女の子の中では10指に入るくらいにはその界隈では有名になってた。マネジメントをしている母は多忙になったけれど、反面収入は大幅に増えていたと思う。段々と生活の質が上がっていった時期がその頃だったから。


 わたしにとって、あのころが一番幸せな時期だったかもしれない。

 これからもっと頑張っていこうと思ってた。仕事の幅がどんどん増えていくぞってとき。


 でも、ちょうどその時だった。

 母が崩壊したのは。

 ゆっくりと崩れ落ちると言うよりは、まさしく爆発だった。


 でも、後になって、そうではなかったのだとわかる。

 母は、ゆっくりと蓄積していくように、内側から綻んでいったの。


あの時は、彼氏と別れた時期と重なっていたことも、状況を悪化させた一因にもなっていたかもしれない。母が、わたしに暴力を振るうようになった。始めは、わたしが母に些細なお願いやおねだりをすると、わたしは忙しいとか、自分でやれとか小言を言うくらいだった。でも、段々とそれがエスカレートしていった。


言葉の暴力は、実際の暴力を引き起こした。

物理的な暴力が、母の本心を曝け出した。


母は言い出した。


「お前はあの人にそっくりで本当に醜い。顔を見るだけで怒りが込み上げてくる」


 それから、モデルとしての仕事をこなしていく裏側で、わたしは暴力を受け続けた。みんなは容姿を褒めてくれる。わたしもそれが誇らしかった。母も同じだと思っていた。でも、実際は、わたしの父親譲りの容貌が気に食わなくて仕方なかったみたい。


 実の父との間に一体何があったのか、わたしには判断する材料が少なすぎた。

 ただ、いい別れ方ではなかったことは確からしい。

 それに、話の具合から死別でもないことがわかった。いっそ、そっちの方が綺麗だったかもしれない。


 破局を機に、母は父を恨むようになったことは間違いない。

 父は多分、いわゆる美形だったんだろうね。


 ここからはひとつ妄想レベルの推測なんだけれど、父は多分、わたしと同じように人目に着く仕事をしていたんじゃなかな。例えば俳優みたいな芸能人。父はその容貌から支持者が多い。でも、母は父の人格が外見通りではないことを知っている。褒められたような人物ではないことを知っている。だから、世間が父を評価することが気に食わない。


 それに重ねてしまうから、わたしのことも目の敵にしている。

 面白い考察じゃない? 


 もう一歩大胆な妄想をすると、わたしは隠し子的なのだったりしないかな。

 ホントか嘘か、根も葉もないけど。


 わたしが嫌いだというより、わたしの奥にある、父を思い出させる雰囲気が、憎くて仕方なかったんだと思う。


 とにかく、母は単に、わたしを商売道具として丁重に扱っていただけだったことに気がついた。

 お金稼ぎの商品だと。


 ただ、線引きはあったみたい。

 モデルは見られる仕事だから、服を着た時に見える場所に傷をつけない。母は明らかにそれを気にしていた。仕事相手にそれがバレたらモデルとして終わりだから。お腹とか、背中とか、お尻とか、服で隠れる部位を狙ってわたしに八つ当たりをした。

 そんな行為が慢性化したことには、わたしはすでに中学生だった。


 胸も膨らみ始めて、顔立ちもスタイルもだんだん大人びてきたから、水着での撮影が増えるかもって流れだった。そうすることで、より仕事の幅が広がるし、憧れへと一歩また近づくことができるはずだった。


 でも、そうしたら虐待の痕が露見してしまうから、母はばれないように徹底した。肌の露出が多い衣装はなるべく減らすようにして、水着の衣装はNGにした。仕事で服を着替える時には必ず母がその手伝いをして、ほかの人の目が付かないようにした。


 でも、そんなの不自然だよね。

 バレるに決まってる。


 ご想像の通り、母がわたしを虐待しているという噂話が現場にはまことしやかにささやかれるようになった。当然、懐疑的な目を向けられるし、触れづらくなるし、わたしの業界での肩身は狭くなっていった。


 露出の多い服も着られるモデルと、肌の多い服はNGなモデルだったら、いくらわたしが人気だったからって、仕事は減っていく。

 そのころから、だんだんと右肩下がりになっていった。


 仕事が減り、収入が下がると、母はわたしに八つ当たりをした。攻撃はエスカレートして、消えない傷が増えていった。わたしが反抗的な態度を取ったら、ヘアアイロンを押し付けてきた。


 でも最後には、職場の誰かの通報があって、わたしはそんな日々が終わりを告げた。


 児童相談所とか、親せきとかと、いろんなやり取りがあって、わたしは母の下から隔離された。証拠は十分すぎたから。スキャンダルは一部で広まって、わたしはもうモデルとしてふつうに活躍していくことが困難になった。


 少しの間、わたしは精神的に不安定になった。 


 母は最後にこう言った。

「全部お前のせいだ」


 あれでも、わたしにとってはたったひとりの家族だったから、なんていうか、つながり? みたいなものを感じていた。母が逮捕されても、ほっとしたとか、せいせいしたとかいう気分にはなれなかった。

 わたしがもうちょっとうまく振舞えていれば、こんな結果にはならなかったんじゃないかと何度も後悔してた。


 こども心は健気だね。


 いざこざのあと、わたしは親戚に引き取られることになった。

 そうして、中学三年生の時には、ほかの中学生と同じような暮らしをしていた。

 その一年間で、わたしはだんだんとまともな精神状態を取り戻していった。


 親戚は、とてもよくしてくれた。何不自由ない環境を整えてくれた。

 高校へ上がるタイミングで、親戚が言った。母親とまた暮らすようにはできないが、できるだけお前の望むようにはしてやりたい。このままここに居続けてもいいし、もし嫌なら、一人暮らしをしてもいい。あれはお前の金だから、好きに使っていい。


 わたしが働いて手に入れたお金の一部を、母は保管していた。本来の額の10分の1もなかったんだろうけれど、それでもひとりのこどもにとっては十分すぎるくらいの金額だった。


 わたしは、一人暮らしをすることに決めた。だから高校は、地元から離れた場所にしようと決めた。市立矢指ヶ浦高等学校。淀町くんも通っているところだね。


 心機一転、楽しく生きていこうと思った。

 ここにはわたしの過去を知っている人もいないし、髪を伸ばして雰囲気を変えていたから、モデルをやっていたことも気付かれづらい。普通の女子高生のように、生活していけるだろうって。


 友達は人並みにできた。モデルのころは忙しくて友達と遊んだりすることはまずなかったから、帰り道に飲食店に寄り道してお話をするのが新鮮で、とても楽しかった。


 でも、暗い過去のことは忘れることができなかった。いつもわたしの片隅に居座って、わたしの足枷として行動を制限した。


 JKらしく、スカートを短くすることができなかった。私服は長袖。スカートなんて制服でしか穿かなかった。昔はあんなに好きだったファッションを、楽しむことができなかった。ともだちみんなでペアルックして、テーマパークに行くことができなかった。わたしだけその誘いを断って、空気を悪くした。夏休みにはプールに行こうって話が上がったけど、水着なんて着られるわけがない。


 そうしてだんだん、付き合いが薄くなっていった。


 どれもこれも全部、この傷跡のせいだった。


 みんなわたしの顔を見て好意的に思ってくれるけど、ほんとうのわたしを見たら目を背けるに決まってる。眉をひそめるに違いない。


 見られたくなかった。

 自分でも、この傷が嫌でたまらなかった。

 綺麗になりたかった。傷のない姿に戻りたかった。


 だからわたしは、吸血鬼になりたいと願った。


 吸血鬼は永遠の若さを持つって、言うでしょ。不老不死。

 この傷を、治すこともできるんじゃないかなって、考えたの。

 昼間の世界を生きていくことが出来なくなるけど、そのときのわたしは夜の方が好きだった。だって、外が明るいと傷が目立つけど、暗闇に溶けこめばそんな心配はないでしょ。この醜い姿を見られないで済む。 


 おまけに、吸血鬼は鏡に映らない。

 だから、わたしの傷跡まみれの身体を、目に入れなくてもいい。

 これ以上ないくらい、理想の存在だった。


 そうして、ほんとうに、吸血鬼に出会った。

 あの子はとてもきれいだった。信じられないくらい幻想的だった。

 わたしもそうなりたかった。

 そして、首筋を噛んでもらったの。


 それ以来、わたしは人間としての日常と引き換えに、吸血鬼の美しさを手に入れた。

 翼を手に入れたような感覚だった。容姿について、何一つ気に掛けることがない。夜だけだけど、いくらでも好きな恰好ができた。肩まで出しても傷ひとつない白い素肌。

 一年半もの間、わたしは夜の世界で吸血鬼として生きてきた。

 これが、わたしが吸血鬼になった、ほんとうの理由。

 そして、この傷ができた理由。

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