第7話

 犬吠埼ひのでは、本当の意味での吸血鬼ではない。


 つまり彼女は、吸血鬼の能力を間借りしているようなものだと考えられる。

 この説自体に、なんら齟齬はない。神様や妖怪のような存在が、人間医一時的にその能力を付与する例は珍しいことではない。仏像を擦ればその恩恵が受けられるというようすは全国各地で見受けられる。例えばぼくも、神様の寵愛を賜ったことがある。かつて、僕が半神半人になったときのことを想起する。あの時は確か、度重なる幸と不幸によってもたらされた賜物だった。では、今回の場合は、どう説明すればいいのだろうか。


 まず、犬吠埼が吸血鬼に咬まれたことは、間違いないと仮定しよう。

 ここを否定してしまったら、全く別の問題が発生することになる。僕にはまるで対処できない事態だ。いったん、それは置いておこう。


 では、彼女が噛まれた後のことは、どうだろう。

 一般的に、怪異の恩寵にあずかることになった人間は、その能力の一部を授かることが知られている。吸血鬼の場合は、肉体の吸血鬼化だ。

 吸血されればされるほど、その能力は色濃く付与される。それは、悪霊に取り付かれ人間に不幸が訪れることと、根本ではなにも変わりない。


 ここで重要なのが、単なる吸血においても、そのような現象が現れうるということだ。つまり、眷属にする意図がないとしても、同じ相手に短期間で連続的に吸血を行うことによって、その人物は吸血鬼的性質を受け取ってしまう。


 僕は犬吠埼の吸血を何度も請け負っているが、吸血鬼化する心配は少ないものと思われる。それは、僕が本当の意味での人間ではないからだ。あまり面白い話ではないのでできるだけ手短にすることにしよう。ぼくはかつて死にかけた。そして偶然通りかかった神様に消えかけた命の灯に火をくべてもらったのだ。その神様に従事することと引き換えに。それ以来、ぼくは幾分の自由を保障されてはいるものの、その仕事の一環として神様や妖怪、魑魅魍魎の対処をすることを課せられ、日々活動することになっている。今回の犬吠埼の件についても、その延長線上にあると言っていい。


 僕は命を救われた際にその神様から多くの霊力を受け取った。その影響で、もうもとの人間に戻ることはできなくなった。半神半人の身の上だ。神様の性質を一部受け継ぎ、普通の高校生が送っていた生活ではありえない日常を過ごしている。よもぎとの出会いもその一例。彼女は鬼だ。今では僕の部屋に住み着いている。僕が人間だったら、そもそも鬼に出くわすことなんかまずありえない。


 しかしそんな僕でも、長期間にわたって吸血行為をされていると安全とも言い切れない。事態の解決は早いほどいいと思われる。


 話を戻して、犬吠埼のこと。


 犬吠埼が吸血鬼に接触したのは、彼女自身の証言によるとたった一度のみだ。この条件では犬吠埼が吸血鬼になるのはありえないことだ。不可能ではないのだが、それが可能となるのは、くだんの吸血鬼が相当な霊力を持っていたときに限られる。それこそ神様くらいの力がないと再現できない。


 ではどうして犬吠埼は吸血鬼になることができたのか。


 ここに関わってくるのが、神様や妖怪を含んだ怪異という存在は、とても曖昧なものであるということだ。


 神様が人を作り、人がその様子を見聞きして神話が語り継がれてきたと思う人は現代にどれくらいいるだろうか。おそらく絶望的に皆無だろう。当然だ。神話は人が作った。神様や幽霊、妖怪なんていうものは、人の想像物に過ぎないのだ。神がいるから人がいるのではない。人がいて、神がいる。それが僕らの世界の構造だ。事実、僕が知っている神様を含めて、すべての神は人なしに存在しえないことを理解している。


 怪異が人の想像物である以上、時代や文化によってその解釈は千差万別になる。


 たとえば、科学的に明確な根拠を提示して、「ほら、幽霊なんていませんよ」と科学者が言い、世界中の人がくまなく同意したら、幽霊なんてものは消滅する。解釈で存在の濃薄が簡単に変化するのだ。


 で、あるならば。


 犬吠埼が吸血鬼にただの吸血をされていたとしても、彼女が眷属にしてもらったと半ば自己暗示的に確信することになれば、吸血鬼のような状態に無意識に導くことができるはずだ。


 自分が吸血鬼になったと思い込むことで太陽を浴びることを避ければ、肌の色は勝手に白くなっていく。別に無意識でなくとも構わない。自発的に吸血鬼になったことだって考えられる。髪は染めれば銀髪にできる。カラーコンタクトを入れればたちまち赫赫とした双眸のできあがり。


 病は気から。

 名は体を表す。

 内面は外面に現れる。


 これは勝手な推測に過ぎない。彼女は自演などしていなくて、自然と今の姿になったのかもしれない。だが、それはさして重要なことではない。


 なぜならば、吸血鬼に咬まれた瞬間、犬吠埼は自分が吸血鬼になれたと思い込んでしまったからだ。それに付随して、吸血鬼の容貌になった可能性だって十分にある。たとえ件の吸血鬼が眷属にするための吸血をおこなっていなかったとしてもだ。


 そもそも、犬吠埼は吸血鬼になりたいと熱望していた。吸血鬼を呼び寄せるためにあらゆる方法を試していたほどだ。その原動力は美しくなりたいからだという。つまり、彼女はその時点で、吸血鬼もどき足りうる器を持っていた。そして吸血によって一時的に吸血鬼の性質を受け取ってしまったことがファクターとなって、吸血鬼になれたのだという強い確信を得た。


 犬吠埼が吸血鬼もどきになった理由、なれた理由はここにある。


 一度吸血鬼になったものを戻す方法はまるで思いつかない。

 しかれども、しょせん、犬吠埼ひのでは紛い物。

 必ずもとに戻る方法はある。


 ここからは、この話の核心について迫っていこう。


 犬吠埼が吸血鬼もどきになれた理由はここまでに話した通りだと思われる。しかし、ならばなぜ、犬吠埼は吸血鬼であり続けることができるのか。


 答えは単純明快。


 吸血行為だ。


 犬吠埼は吸血鬼に出遭った高校一年生の夏から現在にかけて、コンスタントに吸血をおこない続けてきた。だから、吸血鬼のバフが消えた後にも吸血鬼の姿でい続けることができている。動機には純粋な吸血衝動もあるだろう。なぜなら彼女は自分が吸血鬼だと思い込んでいるからだ。加えて、吸血鬼は吸血をするものだ、という解釈、吸血しなければ死んでしまうという強迫観念もあるだろう。そこから生まれてきたのが吸血欲求だ。あとはひたすら欲求に従って人を襲い続ける。


 それによって、犬吠埼はアイデンティティを維持してきた。

 彼女にとって吸血とは、吸血鬼である存在証明だ。

 ならば、元栓を閉めてしまったらいったいどうなる?


 つまり、吸血を止めれば。

 吸血鬼の性質は、みるみるうちに抜け落ちていくだろう。


 そうして晴れて、犬吠埼ひのでは、もとの人間に戻ることができる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る