第3話

 そうしてぼくは、吸血鬼の話を聞くことになった。夜のあぜ道だし、風を遮るものはなにもない。彼女も薄着だし寒いだろう。ぼくも、慣れないスカートで足がすーすーする。


 そんなわけで、僕らは場所を移した。 

 とりあえず移動しようと提案すると、いい場所があるから附いてきて、と吸血鬼が言った。言われるがままに背中を追うと、二三分もしないうちにあるマンションにたどり着いた。建物は3階建て。ぼくらは階段で最上階へと昇った。


「そういえば、まだ名前聞いていなかったね。僕は淀町幸太だ。よろしく」

「わたしは犬吠埼ひのでよ」


 犬吠埼は扉の鍵を開けて、僕を中へと招待した。女の子の部屋に入るなんてめったにない。それもあって初日の子ともなる。変に緊張してしまう。


「てきとうなところに座って」

 そう言われるので、僕はカーペットに腰かける。

「なんも出せるものはないけど」

「構わないよ。とりあえず、君のことについて聞きたい」

「そう」


 そうして、犬吠埼ひのでは語りだした。


「吸血鬼が太陽を浴びれないってことは、知っているでしょ?」

「そうだね」

「であれば必然、わたしも日の目は浴びられない。困ってるっていうのは、つまりそれのこと」

「ふうん」

「なにその腑抜けた相槌」

「ごめん」

「まあいいけど」彼女は続ける。


「夜にしか出かけられないし、かといってこの姿じゃあ注目を集めるからふらふらと夜のショッピングモールなんかもいけない。見た目で分かるでしょ? あれ、もしかしてあの子、吸血鬼かなって」

「コスプレしてるんじゃないかって思うくらいには、吸血鬼っぽいね」

 彼女の髪は美しい銀髪で、瞳は赫々としている。肌は白く、あからさまな牙が唇から覗いている。


「その牙隠せないの?」

「意識すれば隠せるけど……」そうして、彼女は牙を口の中に収納して見せる。「ほら」

「でもなんか、変顔みたいだね」

「うっさい。なによりも、違和感がすごくて、変なところに力が入ってるっていうか」


「でも、じゃあせめて厚着でもすればいいじゃないか」

「いやよ。せっかくこんなに美しい吸血鬼の姿なのに、服なんか着こんだら、その魅力が台無しじゃない」

 吸血鬼はむすっとした。

「ずいぶん自身過剰なんだね」

 あまりの潔さに思わず苦笑してしまう。


 とはいっても、この場合、過剰というほどでもないのが実情だ。


 彼女はとても美しかった。吸血鬼を見るのは初めてのことだったが、これほどまでに美しいものなのかと思い知った。ヨーロッパの伝承から現在までに映画やドラマ、漫画、アニメなど、多数のフィクションの題材にされてきた存在、吸血鬼。物語の中では、たいていの吸血鬼は美しく描かれることが多い。もちろん、そうしないと売れないからっていう商業的な理由もあるのかもしれないけれど、それを加味しても、吸血鬼とは、夜にしか生きることができなくて、永遠の美しさを保ち、太陽に当たると灰になってしまう場面から、儚さの象徴として捉えることもできる。


 現代において、吸血鬼とは、人の血を奪う怪物というよりは、エンターテイメント的存在に成り下がってしまっている気がする。それだから僕なんかも、こうして彼女と空間を共有してもなんら恐怖感を感じないでいられる。それはもちろん、彼女の友好的な態度の賜物だともいえるけども。


「自分の美しさは、誰よりも知っているもの」

 彼女は伏し目がちに呟いた。


「でも、そろそろ人間に戻りたいかな」


「じゃあ、君はもともと人間だったのか?」


 いろいろ、不自然な点が多々あった。夜な夜な人を襲うのは、目について仕方ない。人間の創造物たちは人目を嫌う。だが、彼女にはそれがわずかしか感じられない。なんだか、自分の力を制御できないこどものようにも見える。それは、彼女が、まだ吸血鬼になって日が浅いことを示しているのではないか。


「そう、ただの人間だった。ふつうに高校に通う、ただの女子高生だった」

「それがどうして、吸血鬼なんかに」


 考えられる可能性は、二三個くらいしか思いつかないが。


「吸血鬼に、遭ったの」

 真夜中の、道端で。

「それで、首筋を噛まれた」


 彼女は噛まれたのであろう場所を指でなぞる。そこにはもう傷はない。今ではもう傷口は完治したのだろう。


「とても綺麗な人だった」

 想い人を語るような口ぶりだった。


「つまりは、眷属にしてもらった、ってことか……」


 眷属。素人知識で知る限り、吸血鬼は人間を眷属にすることによって数を増やす。吸血鬼同士の交配によってこどもができるかなんて誰も知らないだろう。吸血鬼の奇譚を作った人物も、そこまでは設定を練りこんではいないはずだ。彼女が吸血鬼に遭ったと主張する限りは、それは本当のことだったと考えるほかない。眷属にされ、自分もきゅうけつきとなった状態、それが今の彼女。


「それは災難だったね」

 これまで普通に人生を送っていた女の子が、突如として吸血鬼の襲われ、眷属とされてしまった。本来なら、青春を最大限に謳歌するべき時期に、これは不幸としかいいようがない。


「でも、吸血鬼って、もとに戻れるものなのか?」


 一般的な答えはNOだ。吸血鬼を殺す方法ならいくつも伝承されているが、一度なってしまった吸血鬼状態をもとに戻す手段は知られていない。


「わたしはもう、戻れないの……」

「いや待て、悲観するにはまだ早い。知り合いに、こういうことに詳しいやつがいる。こんど聞いてみるよ。吸血鬼の治し方について」

「ほんとに!」「お願い!」

 犬吠埼はぱあーと明るくなる。


「わかった。ああそれと、これ以上一般人を襲われたら、同じ想像物として迷惑千万だから、これ以上の吸血は控えるようにしてくれないか」

「そんなの、吸血鬼に死ねって言っているのに等しいじゃない」

 ああそうか、失念していた。吸血鬼の主食は血液。それなしには生きていけないのか。人の信仰なしに存在し続けられない神様みたいなものか。


 ぼくはしばし熟考する。そしてひらめく。


「じゃあ、なにか進展がみられるまで、僕の血で我慢してくれないか」

「なんかちょっと、いかがわしい」

「どこがだよ!」

 想像力豊かなお嬢さんだことで。


「でも、そうね。了承したわ。定期的にわたしにご飯を持ってきてくれるなら、そんな楽な話はないわ」

「なんか言い方に語弊があるような」

 通い妻か。ぼくは。


「とにかく、君は多くの人間の目に付くような行動がどれほどの危険を伴うのかを理解していない。最悪の場合、消滅してしまうことだってあるんだ」

「消滅? どういうこと」

「神様とか、幽霊とか、妖怪とか、吸血鬼っていうものは、人間からしてみればフィクションだ。存在を信じているひとたちもいるが、それがいざ現実世界に現れて、よもや喋りだしたら、恐怖でしかないだろ。そしたらどうだ。人間は未知の存在を恐れる。そして攻撃する。個々の怪異は、たちまち霧にされてしまう」


「でも、そんなそんざい、本当にいるのかしら」

「いまの君がなによりもそれを物語っているだろう。吸血鬼がいて、妖怪がいないなんてことはない。神様もいる」

「まるで実際に見たようなことを言うのね」

「ああ。結構な数見てきたよ」

「ふうん」


 詳しいことは、聞いてこなかった。そっちの方がありがたい。


「とにかく、よろしく頼むよ。あんまり人目を集めないこと。ひとに噛みつかないこと」

「二つめに関していえば、なんだか犬扱いされているみたいで不服だわ」

「やってるのは事実だろ」

「必要だからやってるだけだわ」彼女は抗議した。そのあと、思いついたようにこう言った。「そうだ。明日もまた、きてくれるのでしょう?」


「え?」

 一瞬戸惑う。そりゃあ、血液をデリバリーするために来なくてはならないのだが、むしろ歓迎されるとは思っていなかった。なんなら、彼女は、話し相手ができたことが、まるでうれしいかの口ぶりだ。それほどまでに、この吸血鬼生活が長かったのだろうか。


「ああ、うん。来るよ」

「わかったわ。お菓子でも買っておきましょうか」

「ありがたい話だけど、なにもぼくは、君と遊ぶために来るわけじゃあないからな」

 ちゃんと、宣言はしておかないと。

 成り行きでここまで来てしまったけど、僕は彼女の友達になるために来たのではない。あくまでも、吸血鬼の蛮行を止めに来た立場。


「はなし相手になってくれるのなら、どうだってかまわないわ」

 犬吠埼は吐き捨てるように言った。


 玄関を占める時、最後の彼女に表情は、なんだかさみし気に見えた。


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