思惑

 暴力をふるわれることがとにかく怖かった。誰にも不機嫌になってほしくなかった。

「正しい行動」を読み取る観察力と、それを実行できる演技力があった。それだけを磨いて生き延びてきた。


 綺麗に身繕いをし、ほどほどに相手に興味と関心を示し、言葉を引き出す。

 向こうが気持ち良く語っている間は、私が攻撃されることはなかった。そうして居場所を作ってきた。

 他人のご機嫌を伺うことに慣れすぎて、気がつくと自分の色は無くなってしまっていた。いや、どす黒い恐怖や怒りだけは人並み以上にあった。


 大人としてそれなりに取り繕って生きてこれたから、それで別に良かったはずだった。栞と再会するまでは。


 昔興味を持ったのは本当だったが、声をかけたのは気まぐれに過ぎなかった。

 自分よりも気弱で幸薄そうな人間と話して、優越感に浸りたかったのかもしれない。

 だが、すぐに私は打ちのめされた。


 栞の中には、鮮やかな色彩が隠れていた。

 とりとめのない話題でも、会話で切り取る風景が優しく、彩りがあった。

 雨上がりのアスファルトの輝き。抱き上げられる赤ん坊の表情。収穫前の稲穂が金色に揺れる様子。

 私が平気で見過ごしてしまうような物事を丁寧に描写して、その美しさを教えてくれた。

 栞は優しさを、光を失わず、周りに媚びたり誇示しようとすることもなく、自分を軸に生きていた。

 私とはまた別の不遇な経験をしていて、彼女なりに性格や生き方に不満を抱えていたようだが、それすらも、自分の人生を生きている者ならではの葛藤で、眩しかった。


 会う度に生き生きと話す栞の顔を見ながら、その腹を切り裂いて、血や内臓は私と同じ生臭いものが詰まっているのだと確かめてみたいとまで思った。


 でも、そんな暗い思いを打ち破るほどに、私は彼女の語る世界を欲するようになった。

 どんな音を聴いて、何を見て、どう感じるのか。歩いていて二人に吹く風を、どのように表現するのか。


 その優しい目で私を掬いとって、私の中に鮮やかな色を見つけてほしかった。

 私にも輝きがあると。

 信じさせてほしかった。

 彼女の世界の中で、私はどんな風に存在しているのだろう。

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