第二十六話 墨の絨毯

 翌日になっても、郷を捨てるか都へ行くかの結論はでないままだった。


 結論は出ないが、小者の妖怪はあちこちから出てくるので、朝から晩まで役場の妖怪を追いかける羽目になった。


「このままだと、百鬼夜行か妖怪大戦争みたいになっちゃうね」

 くたくたになりながらも冬哉は笑った。


「そりゃ勘弁だぜ。さすがに命が何個あっても足りねえよ」

「さすがの夏月でも恐れるものがあって安心したわ」


 そんな他愛のない話で盛り上がり、小春たちは笑いあった。

 こんな時だが、いや、こんな時だからこそ楽しい話をするように努めた。



*****


 朝早くから言い争いの声で目が覚めた。


「そんなことをしたって、同じことの繰り返しだ」

「そうだ、だから家族のいる都を守るべきだ」

「御先祖様は守らなくてもいいってのかよ」


 先輩方は毎日の浄化作業に妖怪退治、夜は遅くまで会議だなんだと精神的にも参ってきているようだった。


「妖怪は妖怪を引き寄せるんだ、やっぱりあいつが」

「他に怪しい奴なんているかよ。いつも俺らのこと冷めた目で見てきやがって」


 日々訓練を重ねるうちに、猫神様の能力も身に付き始めてきたが、それも良いことばかりではなかった。


 他人の聞きたくない陰口や噂話を耳がとらえてしまう。それについて鶴丸は、自分に必要な音だけを瞬時に取捨選択できるようにしろ、と教えてくれたが、まだまだ道は長そうだ。


「双葉、若葉、おはよ」

 小春は二匹を抱き寄せた。最近じゃ寝起きの時くらいしか一緒にいられない。若葉の体に顔をうずめながら深く息をする。


「よし、今日も頑張らなくっちゃ」


 いつも浄化作業へ向かうときは、都の方角へ向かっていたので比較的瘴気の影響が少なかったのだが、今回は神社側へ向かうことになった。

 灰色の厚い雲が空を覆いつくし、空気もどんより重く感じる。去年の今頃はどんなことをしていただろう、と考えて気が付いた。


「あの、そういえば、もう神無月の寒露の頃ですよね。多少の肌寒さはありますが、冷え込まないのも瘴気のせいだったりするんですか?」

 小春の問いに鶴彦が振り返る。


「そうだよ。去年の今頃は収穫祭で盛り上がってる時期だよね。今年は黄金の絨毯じゃなくて、真黒な墨の絨毯になっちゃったけど」


「ちょっとバカ」


 言い終わる前に牡丹は鶴彦の脇腹にひじ打ちをする。謝る鶴彦の言葉に嫌な想像をした。


「まあ、不意打ち食らうより覚悟して行った方が、心の痛みも小さく済むかしら。あたしもね、見たときは衝撃的だったわ」


 冬哉と錦と顔を見合わせ頷く。自分の中で、最悪な風景の想像はできた。想像よりもひどかったとしても、仲間がいることの強さを意識しようと思った。


 街角を抜け、橋を渡る。小川もすでに川と呼べるような見た目をしていない。そしてその先には、田園風景があるはずだ。勇気を出して顔を上げた。


 小春は息を飲んだ。

 真黒な稲穂の海が遠くまで続いている。絨毯というよりは、今にも飲み込まれてしまいそうな海のようだった。

 その奥に島のように見える神社も瘴気をまとい、悪魔の根城のように感じられる。

 胸が締め付けられ、何も考えられなくなる。無意識に呼吸が震えた。


「これは……。先に、教えてもらえてよかったです。知らずに見てたら、腰抜かしてたかもしれません。……ありがとうございます」


「これはひどいな」


 珍しく錦もうろたえている。冬哉は顔をしかめて黙ったままだ。郷の風景を愛している人であれば、絶望的な風景と言ってもいいだろう。


 銀次は錦と冬哉の頭に手を置くと、わしゃわしゃと撫でた。


「お前ら、ここでくじけちゃ駄目だからな。むしろここが出発地点だ。これから、つらいことがあっても気を強く持つんだぞ。でなきゃ妖怪に心を呑まれちまうからな。つらいことがあったら仲間と分け合う事、約束できるか?」


 皆確かめあうようにお互いに顔を見合わせる。


「はい」

 三人は声をそろえた。


「あと、寒くないのは瘴気のせいかって質問だったよね。今回の場合はそう。でも、だからってすべての妖怪の瘴気がそうってわけでもないんだ。瘴気の影響は、瘴気を出している妖怪によってさまざまだからね。猫姫の伝承では、四季をなくすのを目的とした瘴気だと言われているから、気候も影響されているんだろう」


「そうなんですか。でも、どうして四季をなくそうとしたんでしょう? 移り行く季節は素敵なものなのに」


「色々言い伝えがあるけど、自分が一番美しくなれる世界を作ろうとした、とか言われてるよね」


「さ、もう少し行った所で、浄化作業に取り掛かかるぞ」

 小春は息を吸って気持ちを入れ替えた。


 猫姫様と呼ばれた桃香が、どんな気持ちでこの郷の四季をなくそうとしたのかなんて到底理解できないが、自分が今できることをやろうと思った。




 午後の訓練も終わり、休憩をしているところに牡丹さんが急に戻ってきた。


「ねぇ、今から温泉行かない? まだ瘴気の少ない場所にある湯屋で、その湯屋の娘がこの退治屋にいるんだけど、最後になるかもしれないからって解放してくれるっていうのよ。混んじゃう前に行きたいんだけど、どう?」


「温泉! 行きたいです。今ちょっと秋穂さんとかづ君がいないんですけど、すぐ戻ってくると思うので伝えます」


「それは僕たちも行っていいんですか?」

 冬哉が錦と顔を合わせてから牡丹を見上げる。


「当たり前でしょ、坊やたち。それじゃ、役場の入り口で待ってるから来てね。ふふっ」


 冬哉と錦の頭をわしゃわしゃと撫でると、軽快な足取りで去っていった。たぶん朝の銀次がやった事を牡丹もやりたかったのだろう。銀次から撫でられるのとはやはり心境が違うのか、二人とも照れを隠すそぶりを見せた。


 秋穂と夏月を探しつつ、役場の部屋に戻っていると、渡り廊下の近くで話声がした。聞き覚えのある二人の声だ。


「だからお前いつも本音隠してるだろ? 琴音にだって弱音吐かねえし。これでもお前のことちゃんと心配してんだぜ?」


「ちゃんとってなによ。心配してくれるのは嬉しいけど、人の心配ばかりしてる場合でもないでしょ?」


「どういうことだよ」


 二人の声に琴音は視線を落とし複雑そうな表情をする。


「まわりの先輩の標的が、あんたと錦に定まってきてるのぐらい流石にわかるでしょ? 兎京先輩や鳥介先輩が目をかけてくれてるけど、妖怪以外にも気を付けておきなさいよ」


「……秋穂、夏月、話の最中に悪いな。牡丹先輩に今から温泉に行こうって誘われたんだが、お前たちはどうする?」


 錦が声をかけると、二人は特に驚くそぶりも見せずに微笑んだ。


「温泉に行けるなんて、断る理由がないわ」

「よかった。なら準備しに行こう。先輩を待たせるわけにはいかないからな」

 全員そろって歩き出すと、夏月がこっそり秋穂に近づいた。


「ごめん。さっきの話、妖怪がなんだって?」

「……あんた、鈍感にもほどがあるわ」


 秋穂は顔を左右に振りながらため息をこぼした。

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