第二十五話 舞首
次の日も、午前中は外回りの浄化作業にあたり、午後は昨日に引き続き防御の訓練となった。
小春は夏月に教えてもらった情報のおかげで、不安もなくなった分攻撃に早く対応できるようになったように思う。成果を実感していると、銀次も見てくれていたようで、褒めてもらえた。
そして、へとへとになりながらその日も、日課のように談話室の隅に集まっていた。
「いやぁ、さすがに今日の訓練もしんどかったよ。銀次先輩の小石当たるとめちゃくちゃ痛いんだもん。見てよ、このあざ」
冬哉は半べそをかくような表情で、赤紫色のあざになった二の腕を撫でていた。
「冬哉、少し治してあげるわ」
「秋穂さん、ありがとう。自分だとどうも痛みに負けて、言霊がかかりづらくて。まだまだだよねぇ」
自分の力不足に照れ笑いする冬哉を見て、秋穂は微笑んだ。秋穂が腕の治療を施すと、幾分かあざが薄くなる。
「俺は今の訓練、刺激的で楽しいけどな」
愉快に笑う夏月を秋穂はジト目で見つめながら、自分の座っていた位置へと戻る。
「私はあんたのその物事に恐れない態度が恐ろしいわ。それよりも、なにやら今日も上の方々は騒がしいみたいね」
遠目から部屋の外を伺うように秋穂は言った。
部屋の外では先輩たちの困惑した声や言い争う声が聞こえてきている。
「妖怪の出現が多すぎて、揉めているんだろう。この前話していた、郷を捨てるって意見が多くなりつつあって、今日か明日にでも会議をすると話していたからな」
「退治屋の中で意見がそんなに割れているの?」
「ああ、先輩たちの話だと、すでに都派と郷派で意見が半分ずつくらいに分かれて対立しているらしい」
「そんなに? そんなに自分の故郷を捨てる選択をする人がいるなんて」
小春は視線を落とす。自分が思っているよりも、常に現状は過酷で、甘くはないようだ。
「郷を取り戻したい気持ちは強くても、何より一番大事なのは人の命だ。都にいけば手練れの言霊師もいるからな、助かる確率は大幅に増える」
錦の話によると、郷派は郷を守ることを前提として、都に守りを置かず現地で戦う意見の人たちのこと。
この意見では、郷から妖怪を退け、御神石の封印を直す、もしくは根源の猫姫様を封じ込めることができれば、郷を取り返せる可能性がある。元々退治屋はこの意思で動いていた。しかし、今の現状を考慮して考えると、その可能性はとても低くなっていた。
小春たちはまだ前線には出ておらず、今も守られて生活できているが、実際に神社へ調査に行った者や前線で動いている先輩達の中には、まだ幸い死者は出ていないものの重傷で都送りになってる人もいる。このまま郷に身を置き続ければ、遅かれ早かれ死者が出るのは目に見えている。
それに、考えたくない話ではあるが、猫姫様を封印し妖怪を排除できたとしても、腐敗してしまった郷が元通りに生き返ってくれるという確証はない。最悪、土地は取り返せても、死んだ地として残るだけだった。
それならば、と出てきた意見が都派だ。
こちらの意見は郷を捨てることになるが、今のうちにみんなで都に行ければ妖怪や瘴気に充てられて死ぬ可能性は比較的低い。また、都の言霊師と合流できれば、例え都に多少の妖怪が付いてきたとしても排除することはできる。
それに予想では、この郷に溢れた妖怪は元々この土地の妖怪だったものが多いので、人が都へ行ったとしても妖怪はこの土地に残り続けるだろうと言われている。とにもかくにも、こちらの意見では命が助かるのだ。下手な賭けをするよりも、利口な判断だった。
「だから一概に都派が薄情者だとは言えないんだよ。むしろ懸命な判断だ」
小春は何も言えなかった。理屈は理解できた。大切な仲間の命を守ることは最優先事項だ。それでも、まだ可能性のあるこの郷を見捨てるという決断はできなかった。
『この郷を守るお手伝いができるなら、わたしはおじいちゃんに協力したい。あたし、季節ごとに彩るきれいなこの郷が好き。この郷の人が好き。あたしにできることがあるならやりたい』
小春は祖父にそう言って退治屋になると決意した。
その決意を簡単にあきらめることは、簡単にはもうできなかった。
「ねえ、みんなはどっちの意見?」
不安になりながらも小春は恐る恐る皆に尋ねた。
「別に。俺は郷の人間を守りたいとかいう大義名分ももってねえし。郷自体に思い入れも少ないから、どっちだって構わねえよ。俺はただ……お前ら仲間を守れればいい」
「夏月……。そうね、私は個人的な事情で都には住みたくないの。皆の前だから本音で言うけど、郷を捨てて都に住むくらいなら、私はここで死んだほうがマシよ」
「秋ちゃん」
「穏やかじゃねえな」
夏月は内情を知っているのか、おどけたよう笑った。
「私は、まだわからない。皆の命がかかってるなら都へ行ったほうがいいと思う。でも、だからって郷を捨てるのは嫌」
琴音は悲しそうに俯いた。錦はそれを横目に見てから、まっすぐ見据える。
「俺は雨宮神社の二十二代目の当主になる者として、あの神社を守ることが務めだ」
それを聞いて琴音は一瞬錦を見上げたが、また視線を落として口をつぐんだ。
「僕も守りたいものがあるから」
冬哉はいつもの優しい雰囲気で微笑む。
ここにいる六人の考えは、多少の違いはあれど郷を守りたいという意見で小春は安堵した。
安堵したものの、小春はまだみんなのことをよく知らない事に気が付いた。約半月ほど寝起きや行動を共にしているが、浄化だ、訓練だ、妖怪だ、と騒いでいるまま時間は過ぎてしまっていた。
「おい、ありゃなんだ?」
夏月の驚いた声に全員が窓の外を見た。
その妖怪はまだ遠くの位置にいたので、夜だったこともありはっきりと全貌はわからない。だが、青白い鬼火をまとわせたそれは、男の頭が三つくっついているように見えた。何やら言い争うように顔が代わる代わる大口をあけて、時々火を噴いた。
「夏月、秋穂、悪いが先輩達に知らせてきてくれ」
「私も行く」
錦の指示に二人が頷き立ち上がると、琴音も慌てて付いて行った。錦がすかさず部屋の電気を消す。
「なんかやばそうなの来てるねぇ」
冬哉は下から覗くように窓の外を見た。
「あいつはたぶん舞首だ。色々文献もあるが、死罪になった三人の役人の首を海に流したところ、その首がくっつきあい口論を始めたと言われてる。この土地の妖怪ではないし、何処にでも出てくる妖怪でもないはずなんだが」
錦は考え込み、冬哉と小春は不安そうに錦を見つめた。
「たしか舞首が人を襲ったという記述は見たことがない。だが、何が起こるかわからないからな、俺たちはとにかく身を潜めてやり過ごそう」
気が付くと役場は静まり返っていた。
全員の判断が身を潜めてやり過ごすことになったのか、先ほどまで廊下や一階から話声や足音が常に聞こえていたのに、今では誰もいないと思うほどに静かになった。
緊迫した雰囲気に話しかけることはできなかったが、あの妖怪が目視できるほど近づいてきているという事は、また結界が壊されたのだろうか。
どうすることもできないまま、小春は舞首の様子を見ていた。
しばらくすると、舞首は役場に興味を示すこともなく、互いを罵りあいながら通り過ぎて行った。
「ああ、下の階はどこも先輩たちピリッピリしてて怖かったぁ」
「先輩たちも舞首と大差ないよな」
「ちょっと、余計なこと言うんじゃないわよ。聞かれたらどうすんの」
秋穂と夏月が談話室に入ってくるなり、琴音たちは安堵の表情を見せた。
「都行きについての会議、物凄い白熱してたわ。もう息が詰まりそうなくらい」
「でも、さすがだよな。俺たちが扉を開けた瞬間に妖怪だと察知したあの切替、伊達に鍛えてねえよ」
なんだかんだ夏月はいつも楽しそうだ。
「でもやっぱり今回も言ってたわね。結界の中に裏切り者がいるはずなんだって。そうでなければこんなに簡単に何度も壊れないはずだって思う気持ちはわかるけど、また不穏な感じだったわ」
「ま、俺らは大人しく訓練してようぜ。じゃ、俺はもう寝るわ」
「まったく、のんきなものね」
秋穂は相変わらずな夏月にあきれ顔でため息をついた。
「さて、先輩たちの会議は朝まで続きそうだから、私たちも寝ましょうか」
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