第二十七話 温泉


 温泉につくと、ここは天国かと思うほどだった。


 最近のお風呂というのは、桶に水をもらい、紙石鹸で体や髪を洗い、手拭いで拭うだけのものだった。

 お湯に浸かれるという事が、どんなに幸せなことなのかを全身で感じた。


「せっかくだから、露天風呂行こうよ」

 はしゃいだ琴音に続き、小春と秋穂も後に続いた。


「極楽、極楽と言いたくなる気持ちがわかる。というか、口から勝手にでちゃう」


 琴音は肩までお湯につかり、幸せそうな顔をしている。

 露天風呂の隅に活けられているモミジやイチョウは多少くすんでいるが、きれいに色づいている。ここに来るまでの光景が嘘のようだった。嘘であればいいのに、と思った。


 遅れて牡丹も露天風呂へとやってきた。


「こりゃまた最高だねぇ。あ、そうそう、連日騒いでた会議の結果が出たけど、どうする? 今話す? あとで聞く?」


 温泉に入ってだらけきった牡丹から、あまり聞きたくない言葉がでてきた。瞬時に現実に引き戻される。


「あ、ごめんねぇ。こんな所で話すことじゃないよね。つい気が抜けちゃって」


 牡丹は確かに悪気はなさそうだが、反省の色もない。そこまで言われたら、言ってもらわないと気になるものだ。


「まあ、結局ね、決まらなかったっていうのが正しいんだけど。両者意見を曲げることはできないってことだから、都に行きたい人は行く。郷に残りたいものは残る。そういうことに決まったわ」


 牡丹はだらけてた体を起こし、肩にお湯をかけたり腕にすり込ませた。


「郷長さまも今回の会議で相当悩んでいらっしゃったけど、元より今回の任務にあたる上で約束事だったしね。この任務に就く前に言われなかった? 


”この先何があるかわからん。覚悟はしておいてくれ。覚悟がつかぬ者、覚悟が折れた者はいつでも都へ行くがいい。後悔しない方を選べ”ってね。


本当にさ、郷長さまって優しいのよね。他の郷や町の退治屋へ派遣で行ったこともあるけど、どこも軍隊みたいだった。任務は命を賭して行うべき、ってね。でも、郷長さまは違う。我々は言霊師だからこそ、お互いの気持ちを尊重するべきであり、守るべきなんだってね。その言葉に惚れたわ。ってあたしばっかり話してたわね。

ねぇ、せっかくだし、皆のことも色々教えてよ。つらいことでも、好きなことでも」



 小春たちは顔を見合わせると、何を話そうか考えた。

 思いついたまま小春が先に口を開いた。


「あたしは、仲が良かった友達が都に行っちゃたから、まだちょっと寂しい。もちろん琴音ちゃんや秋穂さん達と仲良くなれて、すっごく嬉しいよ。それにほら、あたしは右も左もわからずに退治屋に来たから、不安もなかなか消えなくて」


「そうだ、前から言おうとして忘れちゃってたけど、私にも”さん”付けじゃなくていいのよ? もっと気軽に呼んでよ」


「え、あ、そうだよね。ずっとさん付で呼んでたから、つい。それなら琴ちゃんと同じように、秋ちゃんって呼ばせてもらおうかな」


「是非そうしてよ。改めてよろしくね、小春ちゃん」

 

「私は、兄さんがちっとも認めてくれないのが悔しい。ついでに言うと、かづ君がちっとも女として見てくれないのも悲しい!」


「ちょっ、琴ちゃん、あんまり大声で言うとさすがに向こうに聞こえちゃうよ」

「だって、皆してあたしのこと子供扱いのままなんだもん。悲しいじゃん」


 この話に関しては、牡丹はずっと笑っている。秋穂は琴音が夏月のことを好きだというのを昔から知ってるのか、笑ってたしなめている。これは協力してあげたいものだ。


「……私はさ、親に勝手に婚約者を作られたの。それが嫌で、無理やりこっちに残ったんだよね。親同士だけが乗り気で、相手の男も私になんて興味ないの。ただ、都合のいい女ができたくらいの反応だった。それに噂では二股かけてるって話だし。あ、私も含めたら三股になるのかしら。だから、逃げてきたの」


 先日、秋穂が言った『郷を捨てて都に住むくらいなら、私はここで死んだほうがマシ』という裏の事情はこのことなのだろう。


「嫌な人と結婚して生きていくくらいなら、私は好きな人と過ごした、好きな人との思い出が詰まったこの郷で死にたい。好きな人と生きて死ねたなら、それ以上の幸せはないわ」


 秋穂の話は思っていた以上に重たく繊細な話のために、小春と琴音は返答に困った。


「なんとなくだけど気持ちはわかるなぁ。あたしは昔から鳥介先輩が好きなんだけど、なかなか振り向いてくれなくてさ。こんな仕事だから、お互いいつ死ぬかもわからない。だからこそ、好きな人と一緒に生きて死ねたら、そりゃ幸せに決まってる。でも秋穂、死に場所は選んじゃダメよ。死のうなんて考えちゃダメ。そんなことしたら、あたしが許さないからね」


 秋穂は困ったように笑った。


 小春は、皆それぞれ想い人がいる事に驚きと羨ましさが混じった。退治屋になり男の人と話す機会が大幅に増え、慣れない事に照れたり焦ることはあるものの、その気持ちが恋なのか小春にはまだわからなかった。


「小春ちゃんは? 好きな人はいるの? 良い感じの人とか」

 琴音が興味津々で顔を寄せてきた。


「まだ、そういう気持ちはわからなくて。皆の事好きだし、ちょっとドキドキする事もあるけど……。特定の人、っていうとわからないな」


「冬哉さんとはどうなの? 良い感じに見えるんだけど」


「え? なにもないよ。確かによく一緒にいてくれるし、優しいけど。でもそれは錦さんも同じだからなぁ。それに二人ともあたしと同じ班だから、かづ君よりも話す機会が多いだけだと思うよ」

 

 琴音はどこか納得のいかない顔をしていたが、それ以上の追及はなかった。

 その後も時間を忘れ、四人は話題に花を咲かせた。


「温泉に浸かれて、みんなと心から話せて、笑い会えるなんて、こんな幸せ、しばらくは味わえないよね」


「そうね、でも他の人も来る頃だし、のぼせちゃうからそろそろ帰りましょ」


 牡丹の言葉に名残惜しい気持ちを堪えながら、小春達は役場へと戻った。

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