第二十二話 結界の外


 次の日、新しい装備を身にまとった小春達は覚悟を決めた顔で先輩達が来るのを待っていた。


「どうした、ずいぶんと畏まってるじゃないか。足紐でもキツく結びすぎたか?」

「あら、みんなの格好が、まだ装備に着られてるみたいでかわいいわね」


 鶴彦と牡丹の陽気な声が聞こえてきた。


 退治屋の服装は自分が動きやすければ、基本的は決まりはない。

 錦や冬哉は狩衣のようなものを着ていたし、琴音は神社の娘として、気が引き締まるからと千早を着ていた。他の人は、だいたい袴を元に各自の好みに合わせ、裾を調整したり様々だ。


 共通しているのは、手足に防護布を身に付け、肩には外套のような厚手の布を身にまとっていることだ。この共通装備には、退魔の力が込められているという。


 虎丸達が来ると、各々腰に巻き付ける作業帯を渡された。帯には小物がたくさん入れられるように袋になっている。


 作業帯を腰に巻き付けると、小物入れに囲まれた気分になった。

 すでに色々仕込まれているようで少し重たいが、動きにくくなることはなかった。


「その作業帯をどう使うかは自分達次第だ。御札、火薬札、塗り薬や小刀、基本的な物資はすでに入れて置いたから確認しておいてくれ。自分なりに足りないものや必要なものは、困る前に入れておけ。戦場で生き残れるか左右するぞ」


「さて、今日は初任務で緊張してるだろうし、久々に結界の外に出るわけだ。気分が悪くなったらすぐに言えよ。では、班わけを発表する」


 鳥介が発表した班わけは、小春、冬哉、錦が銀次班。琴音、秋穂、夏月が虎丸班となった。

 一行は班ごとに別れ、守られた結界の中から外に足を踏み出した。




 小春はさっそく言葉がでなくなった。


「郷が腐っていく」という昨日の鶴彦の言葉を思い出していた。


 青い空は見えず、重たい灰色の雲が空を覆い尽くしている。

 野草は黒紫色に変色し、カラカラになって咲いているのもあれば、萎びて朽ちているものもあった。家々の壁や塀には、黒い苔のようなものが無数に蔓延っている。水路も重く毒々しい色に染まっていた。


 小春は動揺していた。色がないのだ。

 すべての景色が黒紫色の絵の具で塗り広げられたように、くすんで見えた。

 無意識のうちに、一筋の涙が頬を伝って落ちた。胸が詰まる。


 自分の育ってきた郷の風景が、見知らぬ風景へ変わっていこうとしている。黒く腐り、死の風景へと。それにこらえきれず、涙がこぼれる。


 ふいに、小春の手が握られた。驚いて握られた手を見ると、冬哉が優しく微笑み、またすぐ前を向いて歩き出した。

 冬哉の手のぬくもりが、そばに生命があることを実感させてくれた。


 牡丹もそっと小春の肩に手を置き「大丈夫よ」と小さく声をかけてくれた。



 都へ行くための大橋までやって来て、銀次が振り返った。


「俺たちがやるべき任務は浄化だ。たとえ郷が滅びることになっても、都へ逃げられるように、都への道は必ず確保しておかなければならない。他にも物資の運搬にも使う道だ。この道を守ることが我々の任務だ」


「そうね、でも、もう少しだけ街をまわりましょう? 現状をちゃんと見せておいた方が良いわ。これからのためにも」


 牡丹のその言葉で、近場を見て回ることになったが、大通りに妖怪の影は見られなかった。物陰に何やら気配を感じたが、こちらに襲いかかってくる妖怪はいなかった。


 本部の結界がよく壊されるけど、街にたくさん妖怪がいるわけではないのか、と小春は矛盾を感じ取った。


 では何故本部の結界は毎晩のように襲われるのか、先輩方が粘着質に裏切り者が手引きしている、と言い張る気持ちも理解できる。


「今妖怪が襲ってこないのは、時間帯のおかげですか?」


「わからん。そうなのかもしれないし、そうではないかもしれん。だが、本部の結界は昼夜問わず壊される」


 銀次の返答に小春は頷いた。思い返せば、確かに日中も結界を壊されている。

 その後も郷の変化に戸惑いながら、浄化任務を遂行し、昼過ぎには本部へと戻った。



 琴音たちと顔を合わせた時は、お互いただ苦笑いを浮かべた。きっと似た光景を目の当たりにして、似た感情を抱いた相手に、なんと言葉をかけたらいいのか、自分でも整理できなかったのだ。


 午後は虎丸が出した指示に従い、訓練を行った。

 先程見た光景を思い出すだけで、中途半端な気持ちではいけないと気を引き締める。


「小春ちゃん、髪まとめたんだね。かわいい」

 休憩に入ると、琴音が小春の髪型の変化に声をかけてきた。


「ありがとう。これから実践とか状況が激しくなってくるから、まとめたほうが何かと良いかなって思って」


「確かにそうだよね。今日、外回りした時にさ、もちろん今でも頑張っているつもりなんだけど、……もっと頑張らないとなって思ったよ」


 琴音の言葉は小春も感じたことだった。二人はぎこちない笑みを浮かべた。


「虎丸先輩たちの班はどう? すぐ慣れそう?」


 虎丸たちには昨日散々しごかれたが、会ってまだ間もない。班行動ではどんな様子なのか少し気になった。


「ん? 良い人たちだし、問題ないよ。強いて言えば、虎丸先輩の眉間のしわと眼力が時々怖いけど」


 最後の言葉は内緒話でもするように、小声で言うと琴音は笑った。


「卯京先輩は見た感じ通り気さくだし、鳥介先輩も無口で何考えてるかわからないけど、優しいよ。休憩の時に飴くれたの、意外だったけど嬉しかった」


 いつみても澄まし顔の鳥介から飴玉が出てくる想像を、小春はいまいちよくできなかった。


「あとね、武勇伝も聞かせてもらったんだけど。大蛇の妖怪が五匹も出たときに、三人で鎮めたこともあるんだって。すごいよね」



 そこへ水筒を持った冬哉と夏月、秋穂と錦もやってきた。みんなそれぞれ少し息を切らしている。


「おつかれ。小春ちゃん髪型変えたんだ。よく似合っててかわいいよ」

 冬哉の素直な言葉に、小春ではなく夏月が動揺し、飲んでた水を噴き出した。


「どうしたの、夏月? 大丈夫?」

「お前、よく異性にそんな恥ずかしいこと言えるよな」

 口元を拭いながら夏月は笑った。


「そう? 夏月も琴音ちゃんにこの間言ってなかったっけ?」

「言ってたかあ?」


 冬哉に言われ、夏月は最近の琴音とのやり取りを思い返してみる。……確かに言った。

 琴音が退治屋としての服装は、袴と千早ならどっちがいいかと選んでいるときの事だ。千早を着て見せに来た琴音に言った。


「ん? いいんじゃないか。かわいいと思うぞ」


 確かにそうは言ったが、夏月の中ではその言葉と冬哉の言葉は何かが違う気がするのだった。あえて言うのなら、妹に対しての気持ちか異性に対しての気持ち、というところだろうか。


 うーん、と唸る夏月に冬哉と秋穂は呆れたように笑った。


 冬哉から褒められた小春は、嬉しさと気恥しさからうつむき加減ににやけた。しかし、夏月の言葉に複雑そうにした琴音を見て、そういうわけにもいかず、何とも言えない表情になってしまった。

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