第二十一話 山地乳
「小春ちゃん、どうしたの? そんなに難しい顔をして」
夕飯食べ終え、談話室代わりの空き部屋でくつろいでいると、琴音が小春の顔を覗き込んだ。
今はいつもの六人に加え鶴彦と牡丹も一緒だ。
そして若葉と双葉も小春のそばで寝息を立てている。
「ああ、えっと。友達から手紙が届いたんだけど、不吉な予言が書かれていて」
「不吉な予言?」
「そう。占い師の家系の子なんだけど、紫色の影がたくさん役場に入っていく光景が見えたらしいの。神社からそう離れていない場所だし、気をつけてって。たぶん、あたしたちがまだ神社を本部として使ってると思ってるんだよね。意地悪で人を不安にさせるような子じゃないんだけど」
「紫色の影ってなんだろう、やっぱり妖怪だよね。たくさんって、ここが妖怪に襲われるってこと?」
「ま、まだ決まったわけではないよ。それに、しょっちゅう占い外してる子だったし。きっと心配で伝えてくれたんだと思う」
「わからないよ。そういう子ほど、こういう状況で力を目覚めさせることもあるからね。それに予言ってことは、これから起こりうるって話だ。気をつけておくに越したことはないよ」
鶴彦が何やら薬草を小分けにしながら呟いた。
「あとこの先、破魔矢が必要になるだろうって。”暗闇に力の込められし破魔の矢の輝きあり”と書いてありました。力の込められしってことは他の破魔矢とは違うものなのでしょうか?」
「たぶん、それは俺の家に代々伝わる破魔矢のことだろう」
本を読んでいた錦が顔をあげた。それに鶴彦も頷く。
「きっとそうだろうね。代々力のある巫女が三年間かけて儀式を行い、作られる破魔の矢だと聞くよ」
「そして男が対となる破魔弓を作るのよね。確か、夫婦の愛を表現しているとも言われていて、同時期に両方が作られないと効果がないって言うわ」
牡丹も眠そうにしながら、説明をしてくれた。
「力のある巫女さんだけがいても、作れないってことなんですね」
「恋愛は一人じゃできないからねえ。最近は作られたって話を聞いた記憶がないけど、過去のは対で残されているの?」
「本殿に一つと、舞殿に一つ祀られてあったのは覚えています」
「神社に取りに行くのは難しいだろうな。でもたしかに、その破魔矢があれば猫姫様を封印できる可能性は高くなる」
皆が一様に考えるようなそぶりをする。
「一昨年作ったのは、本殿にあるやつ?」
秋穂が錦に問いかけると、その言葉に鶴彦も錦の方を見る。
「なんだ、一昨年に作ったのか?」
「ええ、私と錦で。まだ、年も力も足りないけど、献上するのに必要だって言われて作りました。やはり完成品としては例年のものと比べ未熟ですから、あっても使えないですかね?」
「いや、一般の破魔矢に比べたらその価値は倍以上だ。錦、その破魔矢はどこに献上したものか覚えているか?」
「都に献上したはずです。一昨年の春の式典の時に」
「すごい。二人はその破魔矢をつくっていたんだ。有力者って認められているってことだよね」
「その見習い卵って感じで扱われていたわね」
秋穂は照れ笑いを浮かべる。
「それでもすごいよ」
「都になら、取りにいけるかもしれないな」
「事情も事情ですからね。話せば返してくれるかもしれません」
「何もないよりあった方が力強いだろう。郷長にも相談してみるよ」
鶴彦は薬草の小分けが終わったのか、片付け始めた。
「そんな儀式が行われていたなんてことも、そんなすごい破魔矢があったことも知らなくて。あたし本当に自分の郷のこと、全然知らないんだなって自覚するよ」
小春は小さく息をついた。
「私達だってそうよ。関わっている場所が違えば、知っていることも違うのは当然のことよ」
話に区切りが付き、各々装備の確認や好きなことに時間を過ごしていると、冬哉がこくりこくりと船を漕ぎ出した。
「冬哉、寝るんなら男子部屋行こうぜ。首痛くなるぞ」
夏月が声をかけ立ち上がろうとした瞬間、琴音がふいに悲鳴を上げ夏月の腕にしがみついた。
「なっ、何だよ急に」
「窓、窓っ! 幽霊みたいな、顔っていうか、黒い髪みたいな」
夏月は態勢を立て直しながら、わなわなと震える琴音をなだめた。
一斉に窓を向くが外には街灯もなく、部屋の中を反射して映しているだけだった。
「なんだよ、お前も寝ぼけていたのか?」
「寝ぼけてなんかいないわよ」
琴音はそう言いながら我に返ったのか、掴んでいた夏月の腕を離しそっぽを向いた。頬を赤らめたようにも見える。
「ふむ、気になるから様子だけでも見てくるよ」
鶴彦が立ち上がろうとすると、次は小春と秋穂が小さく悲鳴を上げた。
「何が見えた?」
窓に背を向けていた錦が怪訝そうな顔をして振り返った。そこに猿のような、大きな蝙蝠のような黒い影が現れ、上へと消えていった。
「ほらまた。あれは何、幽霊? 顔と手みたいなのが見えたけど」
「あれは妖怪だ、山地乳だろう。冬哉を起こしてくれ、そして全員気を失ったり寝るんじゃないぞ。あいつらは寝ている人間の生気を吸うからな。とりあえず、皆はこの部屋から出ないように。牡丹、皆のことを頼んだよ」
鶴彦は部屋の入口には向かわず窓を開けた。すると外のざわめきも次第に聞こえ始める。
「また結界が壊されたってのかよ」
鶴彦は毒づきながら窓から飛び降りていった。すかさずに牡丹が窓に鍵をかける。
「妖怪か、幽霊かと思った。いや、どちらにしても気は抜けないんだけど」
琴音は胸を撫で下ろしながらも背筋を伸ばした。それに対して夏月が不思議そうな顔をする。
「妖怪も幽霊も同じじゃないか?」
「いやいや、全然違うよ! まず、実態があるかないかでしょ。それに、幽霊は同じ元人間で恨みつらみの念を溜め込んでいるじゃない。目が合っただけで、祟り殺されそうで怖い」
「お前はいつ誰に祟り殺されるようなことをしたんだよ」
夏月は理解できない、という風に呆れた声をだした。
「怨念を溜め込んだ挙げ句に、妖怪になるやつもいるけどな」
錦が淡々と言い放つと琴音はすねた顔をした。
「油断している場合じゃないわよ。冬哉は起きた?」
牡丹は依然として窓の外を向いたままだ。錦が寝ぼけた様子の冬哉を小突いて覚醒させる。冬哉は錦に痛いじゃないかと笑いかけた後、状況を見渡してなんとなく起こされた理由を理解した。
「なんだか外の様子を見る限り、また一悶着ありそうね」
牡丹の言葉に錦と秋穂も窓に寄った。
「さっきの妖怪、山地乳とかって言っていましたけど、どんな妖怪なんですか?」
「あれはね、まず蝙蝠が瘴気を吸って年をとると野衾(のぶすま)という妖怪になるの。野道を歩く人間や動物の顔に張り付いて前を見えなくさせて、気絶させたらそいつの生き血を吸う。
そんな野衾がもっと年を重ねると山地乳という妖怪に変化するの。
全身の毛も黒く長く伸びて、蝙蝠だけど猿みたいな見た目になるのよ。でも口は尖っていて、その尖った口で寝ている人間の生気を吸う。
その現場を他の人間が発見できればまだ問題はないんだけど、誰にも発見されなければ次の日には死んでしまうと言われているわ」
「対策があるようでないような奴ですね」
「そうね、いち早く気配に気づいて火を向けることね」
真っ黒い闇しか見えなかった外に、いまでは松明の明かりや結界を張り合わせる言霊の淡い光が点々と見える。
時折、ぎゃあぎゃあと烏の喚くような声が聞こえたり、窓越しにこちらを伺う山地乳がいた。
それもしばらくすると見えなくなり、途端に役場のあちこちが騒がしくなった。
その声の一部が近づいてきたと思えば、真剣な面持ちの先輩方が相談事をするような、それでいて討論をするように話し合いながら部屋に入ってきた。次は一体何の話でもめているのか、すぐに理解ができなかった。
聞こえてくる言葉が結界が壊れた、裏切り者だ、ということなら悲しくも聞き慣れてきていたが今回は少し違ったのだ。
「妖怪」「結界」の他に「都」「避難」そして「郷を捨てる」という言葉。
不安な気持ちになりながら周りの話を聞いていると、鶴彦が帰ってきた。
やれやれ、とあきれ顔で小春たちの輪に腰を降ろす。
「この騒ぎはなんなんですか?」
「いやなに、この前、郷長が裏切り者だって吊るし上げられたろう。それが間違いだったってのは認めたらしいんだが、それならこの結界が壊されるのは何事だ、って怒りが溜まった奴らが郷を捨てようと言い始めたんだ。結界が耐えきれないのに、浄化をしたってまた瘴気に穢されて、先が見えないってね」
「それで郷を捨てるんですか?」
「でも正直なところ、郷を捨てるほうが現実的よね。郷を捨て、瘴気を野放しにして、都が無事っていう保証もないけれど」
「どちらにしても、この瘴気をこの郷で食い止めなきゃいけないなら、郷を捨てるなんて考えにはならないでしょう」
夏月が先輩に食いついた。
「自暴自棄になってるところもあるんだろう。上手くいかない事が続いている。お前らはまだ外の街を見てないから、実感も薄いと思うが、結界の外ではあちこちで腐食が始まってる。自分たちの郷が腐っていくのを見るのが、耐えきれない奴らもいるんだろう」
「郷が、腐っていく」
小春達は言葉を失った。腐食が進んでいるということは、以前から聞いていた。
しかし、いつ聞いても言葉が詰まってしまう。
そして明日から任務が始まる。
現場に出る前に、思っていた以上の心の準備をしておかなければいけないと感じた。
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