第十七話 陰謀


 小春は次第に自分への治癒は慣れてきたようで、筋肉痛が和らいできていた。


 そんな時、廊下からこちらへと向かってくる乱暴な足音が聞こえてきた。

 一瞬にして、部屋に緊張感が張り詰める。

 数人の足音は部屋の前で止まると、同時に扉が合図もなしに勢いよく開け放たれた。


 そこには妖怪ではなく、見覚えのあるような退治屋の先輩方が厳しい顔つきで立っていた。小春とは面識のない人達ばかりだ。


 荒々しく錦の結界を破ると、一直線に小春の目の前に来るなり胸ぐらを掴み上げた。


「いっちょ前に結界なんぞ張りやがって。お前が郷長の孫だな」

「はっ、離してください。苦しい」


 急な出来事に若葉と双葉は尻尾を太くして先輩方を威嚇した。今にも飛びかかりそうな剣幕だ。


「うるせえケモノがっ、引っ込んでろ」


 小春を掴んだまま、先輩は双葉のお腹を思い切り蹴り飛ばした。容赦なく蹴り飛ばされた双葉は短い悲鳴を上げて備品箱に打ち付けられる。


「なんてことを」

「小春を離せっ」

 秋穂は双葉を抱き上げ、たまらず冬哉は先輩に掴みかかった。


「どいつもこいつもうるせえな。こんな裏切りもんなんかをかばいやがってよお!」


 先輩は放り投げるように小春から手を離すと冬哉を殴りつけ、若葉も蹴り飛ばされた。

 相手は小春たちよりも明らかに年上で、一撃がとても重かった。


「なんてことをするんですか!」

 琴音が若葉を抱きかかえながら、涙声で叫んだ。

 小春も冬哉も意識はあるが、衝撃で立ち上がれない様子だった。


「なんだよ琴音、先輩に向かって口答えでもする気か? 神社の娘は良い御身分だなぁ」


「そんな事は今関係ありません。人や生き物に暴力を振るうなんてっ」

 錦や夏月、秋穂は知り合いの先輩だからか、身構えたまま下手に動けない様だった。


「この郷の今の現状は、郷長様の陰謀だぜ? 自分は今まで通り動くために、自分の孫という駒を使い、妖怪を手引きしてやがる。化け猫なんぞ連れて、色々嗅ぎ回ってたんだろうが!」


「小春ちゃんはそんな事してないっ。ずっと一緒にいたもの!」


「なんならお前らもグルだってか? ああ、そうだよなあ。郷長の次に裏切り者として名前が上がったのは錦と夏月、お前らだしな。お前らは郷に多少なりとも恨みがあるもんなぁ? 化物は化物同士つるみたくなるんだろう。だが今回は見逃してやるよ。今夜はこいつと郷長を吊し上げだ!」


「西村先輩、待ってください。本当に俺らは何もやっていません。それに無抵抗の小春を」


「錦、お前も神社の跡取りだからって舐めた口聞くんじゃねぇぞ」

 西村は錦を睨みつけてから、乱暴に小春の腕を掴み引きずるように歩き出した。小春は痛みに小さく悲鳴をあげる。


「小心者ほど虚勢を張るとは、まさにこのことだな」


「なんだと、錦。もういっぺん言ってみろ」 

 西村は小春を再度放り出し、錦に殴りかかった。しかし、その拳は空を切った。


「お前ら、孫連れて先に行ってろ。あと、その二匹の化け猫も連れて行け」


 西村は目に見えて怒りを増幅させている。ここまでの乱闘になると思っていなかったのか、後ろで引き気味に見ていた先輩方が我に返る。指示通りに若葉と双葉を琴音と秋穂の腕からひったくると、また小春を強制的に連れ出した。


「痛いっ、離して」

「待って、せめて僕も一緒に行かせてくれ」

 冬哉は咳き込みながら訴えたが、一発お見舞いを食らい床に伏せてしまった。


 部屋から西村以外の先輩は出ていき、嵐のような喧騒が一旦止んだ。静かになった部屋に錦が口を開いた。


「図星をつかれて黙っているんですか」


「俺はな、いつも澄ましたその面が気に食わなかったんだよ! 縛っ《ばく》」




 その言葉に、時が一瞬止まってしまったかのように感じられた。


 いつもであれば華麗に拳を避ける錦がぴくりとも動かずに、西村に殴られ、蹴られたかと思えば地面に叩きつけられた。口元に血がにじむ。


「変なことちくりやがったら、お前らもただじゃおかねえからな」

 そう言い残すと西村は部屋から出ていった。


 信じられない光景だった。信じたくない光景だった。


 錦がうめき声を上げて立ち上がろうとしたのを、秋穂と夏月が制した。


「あいつ、錦に対して言霊を使いやがった」

「だが、あいつは言い訳をするだろうな。言霊で傷つけたわけではないとか。いや、予想外でさすがに驚いた」

「何強がってんのよばか! 黙ってなさい。今少し治すから」


「それは有り難いんだが、そこで伸びてる冬哉も忘れないでやってくれ」

 それだけ言うと錦は意識を失った。


 確かに言霊で直接錦を傷つけたわけではない。しかし、言霊を使って錦の動きを制御し、傷つけた事には変わりない。その場の全員、それがとても許せなかった。言霊を扱う同じ人間として、ましてやそれが先輩であることに対して。


 夏月も西村を追わないでいてくれたが、怒りで震えているように見える。部屋に残された夏月達の任務は備品室の見張りである。ここでそれを放棄するわけにもいかなかった。

 緊張の糸が解けたのか、琴音のすすり泣く声が部屋に響いた。



 しばらくしてこの部屋に向かって走ってくる三人の足音が聞こえてきた。

 開け放たれたままの扉の奥に現れたのは、見慣れた顔だ。

 肩で息をする銀次たちが部屋の様子を見ると、すべてを理解した表情に変わる。


「くそっ、遅かったか。あいつら、俺らのいない隙きを狙いやがったな」


 銀次が気持ちを抑えられず壁を殴ろうとして、既で止めた。拳を振り下ろし、二、三歩下がり深呼吸をしている。

 いつもにこやかな鶴彦と牡丹も憎らしい表情を浮かべている。


「小春ちゃんが狙われているって知っていたんですか?」


「一部の人間が郷長の事を疑っている声は聞こえていたからね。そして、この時期に小春を連れて来たともなれば、必然的に小春もそいつらの標的とされてしまうと思っていた。それも予想して、護衛を兼ねて俺らが指導役として行動をできるだけ共にしようとしてたんだが。……まったく、人手が足りないってのに」


 鶴彦がぶつぶつと考えているところに、またこちらへ走ってくる足音と銀次を呼ぶ声が近付いてきた。銀次の後輩達のようだ。


「銀次さん、大変です。山に、山にだいだらぼっちのような妖怪の影が現れました」

 息を切れ切れに男の隊員は説明を続ける。


「ただ神社の様子を見ているだけで動きはなく、こちらへの危害はなさそうです。しかし、一部の人間は郷長を縛り上げた事による妖怪たちの牽制なのでは、という声が上がり、賛同者を増やしつつある状態です」


「は? 郷長も縛り上げられてんのか?」

 夏月の問いには答えず、銀次は険しい表情をした。


「郷長の反応は?」


「はい、問いただされていましたが、わしと関わり合いのある妖ではないが、攻撃はするな。と仰っておりました。ですが、それは仲間だから庇っているのだと言い切って、上は突撃体制の段取りしています」


「郷長を引きずり落としたい奴らが、ここぞとばかりに団結してでしゃばってきたか。いつもはすぐ突撃なんぞしないくせに」


「我々はどう致しますか?」


「郷長が攻撃するなと仰る以上、攻撃はやめておくべきだろう。しかし、我々があからさまに突撃を拒否すれば、郷長同様に吊し上げられる可能性もでてくる。目は付けられているはずだから、当たり障りなく上の指示に従おう。まだ、一部の人間が騒いでいるだけだ。気持ちを流されないように、現場の状況を見て判断しよう」


「先輩、郷長様はこのまま都送りにされてしまうのでしょうか?」

 不安げな面持ちで、男の隊員は声を震わせた。

「きっと大丈夫よ」

「上層部に私利私欲だけでなく、冷静な判断ができる人間が多いことを願うばかりだな」


 報告に来た後輩達を見送ると、銀次たちは備品室に入ってきて秋穂たちの近くに腰を下ろした。牡丹はまず冬哉に治療を施しはじめる。


「上層部、上層部って言いますが、具体的にはどんな人達がいるんですか?」

 寝転がって休んでいた冬哉がゆっくり体を起こす。その問いには鶴彦が答えた。


「上層部ってのは、郷長を含め、その下で役割を持って仕切っている人達の事だよ。経理、人事、書記、管理、伝達、の五部門と総括。各部門には長と補佐がいるから総勢十二名だな。そしてそのうちの人事、書記、総括は郷長の内情をよく知る方々で、経理と管理はあんまり郷長をよく思ってないようだね。伝達はどっちつかずって感じだけど、状況によってどうでるか」


「結局誰が郷長になっても派閥争いは起こるのよ。人間は嫉妬深いから」

 牡丹は呆れ顔だ。


「僕の勝手な予想なのですが」

 冬哉が珍しく真剣な顔で話を切り出したものの、言って良いものかと視線を下に彷徨わせる。


「なんだい? 言ってごらん」

 鶴彦が促すと冬哉は顔を上げる。


「だいだらぼっちは異変を感じてやってきて、その原因がある神社の様子を見ているだけ、本当にそれだけだと思うんです。上手くすれば味方にだってなってくれると思うんです」


 鶴彦は少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んだ。


「郷長もきっとそんな考えなんだろうね、もちろん俺たちもその意見に賛成だ。だが、団体ってのは勝手な行動はできなくってね」


「こればかりは運頼みだな」

 夏月のため息が部屋に響いた。

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