第十六話 噂


 翌朝、小春は深い眠りから覚めても、うまく体を動かすことができずに布団に寝転がったまま天井を見つめていた。

寝る前にはしっかりと筋肉をほぐしたのだが、厳しすぎた訓練に体がついていけてないようだ。


 頭の近くで寝ていた若葉と双葉が小春が目を覚ましたことに反応したが、起き上がらないのを感じて寝に戻る。


 ぼんやりとした頭に先輩の話し声が遠くから聞こえてきた。


「昨晩も結界が歪んだんだって」

「こっちに移動してきてから多すぎない?」

「何のためにこっちに移動したんだか」

「やっぱりあの噂本当なのかな」


 噂とは何のことだろうかと顔を横に向けると、秋穂が部屋に入ってくるのが見えた。同時に目があって微笑みかけてくれる。


「おはよう。体の調子はどう?」

「もう、あちこち軋んでる」

 笑いながら重たい体を無理やり起こした。


「昨晩も結界が壊れたの?」

「正確には壊されかけたみたいね。一部の人間は誰かのせいにしたがっている様だけど」

 呆れるように秋穂はため息をついた。


「秋ちゃん、小春ちゃん、おはよう」

 話し声で起こしてしまったのか、琴音が眠たそうに起き上がると体を伸ばした。


「朝になっても鳥の声もしないんだもん。起きれないよ」

「あんたは鳥が鳴いたところで起きないでしょうよ」


「でも琴ちゃんの言う通り、鳥も全然見なくなったね」 

「鳥とか野生動物は環境の変化に敏感だから、すぐに逃げたんじゃないかしら」

 なるほど、と小春と琴音は納得する。


「ほら、琴音も小春ちゃんも早く着替えて。炊事場の手伝いしに行きましょう」

 


 朝食の後、いつもの六人が合流したが、筋肉痛で全員どこかぎこちない動きをしていた。それを見た鶴彦がこちらを指さしながらお腹を抱えて笑い出す。


「お前らの歩き方! ぎこちなくて、おもちゃが行進しているみたいだぞ! かわいいなあ」


「どうした、油でも持ってきてさしてやろうか?」

 銀次の珍しい冗談に、ひいひいと笑いをこらえていた鶴彦がまた吹き出した。


 我々をこんな動きにさせた張本人たちに、文句の一つでも言いたかったがここは皆黙っていた。


「こらこら、いじめないの。ふふふっ」

「牡丹さんまで笑うなんて。そんなに私達の動きおかしいですか?」

 こらえきれず琴音が拗ねる。


「いえね、単体で見れば気にならないのだけど。六人一緒にいるとなんだか、ふふ、気になっちゃって。ふふふ」


 人を見てこんなに笑うなんて失礼な先輩方である。

 しかし、それも小春たちとの親睦が深まっている証拠だと感じて嬉しかった。


「今日も朝から走り込ませようかと思っていたが、仕方ないな。午前中は柔軟体操と治癒能力の復習な」


「おお、実践できるじゃないか。対人間、または自分に対して治療すればいい」

「対人間か、それだけで緊張するな」

「それじゃ、裏庭に行って訓練はじめますか」

 先輩について歩き始めた途端、ぐにゃっと風景が歪んで見えた。


「またかよ?」

 またしても結界が歪んだようで、辺りが急に騒がしくなった。


 小春は誰かに見られている気配を感じて振り返った。しかし、先輩方が動き回っているだけで、こちらを見つめている存在はない。


 そこへ若葉と双葉がどこからかやってきて、小春の足にすり寄った。二匹は何かを感じているような雰囲気だ。


「小春、大丈夫?」

 冬哉の声にはっと意識を現実に戻す。二匹を抱えて皆の後を追った。



*****


「午前中は屋内でさっき言ってた訓練と、備品室に妖怪が入り込んで来ないように見張りだって」

 なにやら今回は銀次たちも召集されてしまったので、六人で備品室へ向かった。


 備品室は静まり返っていた。


 妖怪の気配もなく、安堵しながら部屋に入る。扉を閉めて各々床に座ったが、誰も何も言わなかった。

 外では結界が切れそうだと騒がしいのに、部屋の中は埃の落ちる音さえ聞こえてきそうなほど皆黙ったままだった。


 まるで、小春たちだけこの部屋に閉じ込められているようにも感じる。


 何故、誰も話し出さないのか。不思議にも思ったが、だからといって小春から話すこともしなかった。

 本来ならば先輩に言われたとおり、復習に取り掛かっても良いものだが、誰として動かず何かを考えている顔つきだった。

 

 そのまま何分が経ったのだろうか。

 気がつくと重たそうな雲が雫を落とし、細い雨が窓にあたった。


「雨、降ってきたね。最近降らなかったから、雨も瘴気で降らないのかと思ってた」

 琴音が長い沈黙を破った。それに夏月が続く。


「秋の長雨、だっけか」

「この雨が長く続けばな」


「すすき梅雨とも言うんだっけ?」

「わかんないけど、秋雨でいいんじゃないかな」

 なんとなく会話のやり取りをしてみるものの、皆気持ちが乗らなかった。


 小春は何も言わず、若葉と双葉を抱きしめていた。


「……このまま結界が壊れたままになったら、どうするのかな」

 琴音の問いかけに誰もすぐには答えない。窓をたたく雨音が部屋に響く。


「俺らは確実に、都へ連れて行かれるだろうな」

「そしたら郷はどうなっちゃうの?」

「先輩方が上手くすりゃ元通りにしてくれるだろ」

 何かを言いたそうに口を開いたが、琴音はそれ以上夏月を問い詰めなかった。


 この場にいる全員が最悪の事態をなんとなく予想していた。

 また小さな沈黙が続く。


「小春はこの退治屋の中に裏切り者がいると思うか?」

 錦が小春を真っ直ぐに見つめ訪ねてきた。


「え、裏切り者? いないんじゃないかな。上の人が揉めているって言っても、同じ目標を持っているわけでしょ? 郷の危機でもあるわけだし、そんなことをする人はいないんじゃないかな」


「そうか」

 小春の言葉に納得したのか、満足したのか、錦は目を伏せた。


「不安ごとをいつまでも考えていても仕方ないし、訓練始めようよ」

 冬哉が牡丹の式神、ぶんぶくを懐から取り出した。



 各々体をほぐしたり治癒の訓練を始めた頃、足音もなく急に扉が叩かれた。

 二度、三度。間をあけてから先程よりも強い力で三度、扉を叩かれる。


「先輩かな? 入ってくればいいのに」


 小春がそう言いながら扉に近づき取手に触れる。そこで何かに気づき、若葉と双葉がうめき声を上げながら小春の元へ駆け寄った。


「待て小春! 敵かもしれない」

 錦の声に小春が反応できたのは、扉を横に開けた後だった。


 錦の声に振り返った小春の首筋に、生暖かい息遣いと低いうめき声がかかる。


 小春を見る、いや、小春の背後を見る全員の顔が固まる。首筋にかかる息遣いに、全身が総毛立つ。若葉と双葉は警戒しながら威嚇している。

 ゆっくりと小春は固まった体を振り返らせ、目を見開いた。


 目の前には大きな口とぎょろりとした目玉が扉の外を塞いでいる。小春はそのまま尻もちをついた。


「小春下がれっ」


 錦が咄嗟に扉を閉めて何かをささやく。小春は尻もちをついたまま部屋の中央へ後ずさると、部屋の壁が膜を張ったように淡く光って見えた。どうやら錦は部屋に結界を張ったようだ。


 全員が息を潜めて扉の奥を見つめる。扉が小刻みに揺すられるが、開けられる様子はない。


 ほっと胸を撫で下ろす、と同時に力強く扉が二度、三度叩かれ全員が肩を震わせた。まだ敵は去っていない。


 どうしたものかと全員が部屋で固まっていると、外のうめき声は次第に遠ざかっていった。


「小春ちゃん、大丈夫?」

「ありがとう。驚いただけでなんともないよ」


「立てるか?」

 錦が小春に手を差し伸べる。小春は戸惑いがちに礼を言いながら、錦の手を借りて立ち上がった。


 先程の妖怪のせいで、鼓動が早くて気持ちが落ち着かない。


「さっきのは一体なんだったんだろうね」

「目玉と口がでかすぎて、何だかわからなかったな」


「とりあえず、結界はこのまま張っておこう。この部屋を守るのが俺たちの役目だ」


 錦の言葉に全員が頷いた。緊張感が漂う中、各自訓練に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る