第六話 魑魅魍魎


 思い出に浸りながら歩いてると、道脇の小間物屋の商品に目がいった。

 小さな揺れ細工のついた髪留めが、赤と紫と橙色の三種類飾ってある。


「これ、なずなと楓にいいかも。お揃いにしてれば、離れていても寂しくないよね」

 店内を見渡してみたが、店主の姿が見えなかった。


「ごめんくださーい」

 店の奥へ声をかけてみるが、返事どころか物音もしない。


「誰もいないみたい。また近いうちに買いに来ようかな」


 手に持った髪飾りを棚に戻すと、急に後ろから鋭い視線を感じ振り返った。と同時に何かが頬をかすめ、毛先が軽く宙にはねた。


「な、何っ!?」


 驚いて頬に触れると、違和感を感じて手のひらを見た。血がついている。間をおいて、擦り傷の痛みが頬に伝わってきた。


 状況を理解する間もなく、また強い視線を感じて振り返る。そこには黒い塊に靄がかかったような異様なモノが浮いていた。

 なんなのかはさっぱりわからない。


 恐怖で転げるように外に飛び出すと、後ろからそれが追ってくるのがわかった。黒くて何かわからない、得体のしれない不安に足がもつれた。そして上手く受け身を取ることさえできずに、小春は腕を強く地面に打ち付けて転んでしまった。


「痛っ……」

 起き上がって走り出そうとするも、背後の視線に振り返って腰が抜けてしまった。


 近づいてくるそれは、何かぶつぶつと呟いているように聞こえた。


「何を、言ってるの」

 小春は震えた声で、なぜかそんなことを聞いた。


 黒いそれは、こちらを見定めるようにゆっくりと近づいてくる。


「ウツワ……メサマノタメ」


 怖さに息をのみ、目をつぶった時だった。

 目の前で悲鳴が聞こえた。

 猫をふいに踏んでしまった時のような、烏が乱暴に鳴くような、そんな短い叫び声に目を開くと、目の前の黒い塊に矢が突き刺さっている。


 まるで矢が見えない空間に突き刺さり、宙に浮いているようにも見える。


「怪我はないか?」


 目の前の光景に釘付けになっていると、背後からこちらに近づく足音と男の声が聞こえた。


 振り返ると、同世代くらいの整った顔立ちの青年が小春に手を差し伸べて来た。祖父と同じ狩衣のような装束を身にまとっている。


「はっ、はい。少し擦っただけで、ありがとうございます」


 小春は青年の手を借りながら立ち上がると、先程の黒い塊を振り返る。まだ小さく呻いているそれは、現実のものとは思えなかった。


「ここはまだ危険だ。逃げるぞ」

 青年はそのまま小春の手を取ると、黒い塊とは逆方向に走り出した。


 色々聞きたいことが喉を塞ぎ、理解も追いつかないまま、小春はただその男に従って走った。


「そこの路地に入って一度身を隠そう」


 路地の入り口まで走ると、青年は路地を見つめて足を止めてしまった。手を引かれていた小春は、急に立ち止まった青年にぶつかりそうになったのを踏ん張ってこらえる。


「ど、どうしたんですかっ」

 小春も青年と同じ方向を向くと、声が詰まった。


 その細い路地の影に、這いずるように、もごもごと黒くうごめく何かが見えた。


「なにあれ」


 自然と口から言葉が漏れる。その言葉に青年は小春を見ると、手元に視線を落とした。ふいに手がほどかれる。


「急に悪かった。とりあえず神社まで急いで避難をしよう。まだ走れるか?」

「あ、はい。まだ走れます」

「なら急ぐぞ」

 その言葉と同時に走り出した青年の後を、小春は慌てて追いかけた。


 街角を抜け、橋を渡り、田んぼ道に入ると、前方から笑いながら歩いてくる二人の女性がいた。

 その足元には、見たこともない小さな異様な生き物が踊るように付きまとって歩いている。


 小鬼の様な、それでいて植物のような、言いようのない不気味なものだった。

 思わずそれを見つめたまま、その二人の女性の隣を走り去る。


「あの人達は、あれに気づいていないの!?」

 小春は耐えきれず、前を走る青年に息を切らしながら言葉を投げかけた。


「見える人にしか見えないものある」


「あれは一体何? どうなっているの?」

「あれは魑魅魍魎だ」

「魑魅魍魎って、あの妖怪の?」


「そうだ。一般には自然に宿る精霊を指すこともあるが、あれは瘴気に生じて出てきた奴らだろう」


「あの人達はっ、放っておいて、大丈夫なの?」

「あの段階ではまだ平気だ。すぐ、退治屋の先輩方が処理もしてくれるだろう」


 話しながら息絶え絶えに神社の鳥居にたどり着く。


「ひとまず、この鳥居をくぐれば神社の結界に入るから、簡単には襲われることはないだろう」


「よかった。……この勢いで、ここの石段も駆け上がらないといけないのかと思ったから」


 鳥居をくぐり、一度息を整える。

 目の前には上の神社までの石段が百五十段ほど続いている。ゆっくりと石段を登ったが、大鳥居をくぐる頃には足が棒になりそうだった。


 大鳥居をくぐると正面に拝殿が見え、その奥に本殿がある。

 右手には手水舎と樹齢八百年といわれるご神木があり、神楽殿、社務所とつづき、左手には木々に囲まれて参集殿がある。

 全体的にきらびやかな建物ではないものの、威厳を感じる佇まいの神社だ。 

 

 神社には慌ただしく駆け回る人たちが大勢いた。その中から、こちらに気づき小走りで近づいてくる姿が見える。


 近づいてきたのは、救護札をつけた女性と小春の祖父だった。


「小春か。錦、妖怪が出たのか」


 祖父が心配そうに小春に駆け寄ったが、身の安全を確認するとすぐに錦と呼ばれた青年に向き直った。錦は冷静に女性に指示を出す。


「はい。霊障を受けているかもしれないので、見てあげてください」

「いや、そんな、かすり傷なので大丈夫ですよ」


「妖怪や物の怪から受けた傷は、かすり傷でも致命傷になることもあるのよ。霊障と言ってね、外見でわからなくても、体内から弱らせることもあるの。だから軽く見ない方が良いわよ」


「そうなんですか、わかりました」

 錦は小春を女性に託すと、神妙な面持ちで郷長と何やら話し始めた。


「もう襲いかかってくる奴もいるのか・・・・・・。用心しないとな」

 小春は祖父、つまりは郷長の仕事をしている姿を見るのはすごく久々だった。


「こっちへいらっしゃい。まずは傷を洗わないと」


 女性に促され社務所へ入ると、水道で傷口を洗った。乾いた血を洗い流してから最後にもう一度手を洗っていると、先程錦に手を取られ走ったことを思い出す。


 あの時は焦っていて余裕がなかったが、今思い出すとなんだか照れくさくなって顔が熱くなってしまった。

 たかが手を繋いだだけではあるが、家族以外の男の人に触れるのなんていつぶりだったろうかと考える。


 なんとなく先程まで一緒にいた錦の顔を思い浮かべてしまい、高鳴る胸を落ち着かせながら、顔の熱を冷まそうと手で仰いだ。


「洗い終わったらこっちに来てちょうだい。傷を浄化してあげるから」


 奥の広間から先程の女の声がしたので、慌ててそちらへと向かう。

 社務所の中にも大勢の人が動き回っており、郷に重大なことが起きたことを実感する。小春は一人だけ浮ついている場合ではないと自分に言い聞かせた。


 たくさんの話し声がする中で、聞き覚えのある名前が聞こえてきて、小春はそちらに耳を傾けた。


「あれだろ、こう言っちゃなんだが源さんがあやしいんだよな」

「郷長か? 馬鹿を言っちゃあいけねぇよ、そんなことをするような人じゃあない」

「あの日だって、石の近くにいたらしいじゃんか」

「郷長になったのも、何かを企んでなったんじゃなかろうか」


 何やら、この騒ぎが起きた事の原因は郷長の仕業なのではないかという噂話だった。複雑な心境が顔に出ていたのか、手当をしてくれていた女性が明るい口調で話しかけてきた。


「はい、手当は終わりよ。今日はもう家に帰って安静にしてなさい。あとね、こういう騒ぎには変な噂話の一つや二つが簡単に出回るのよ。特に目につく、できる人間にその矛先は向かいやすいわね。でも安心して、この郷には今の郷長様を支持する人間の方が多いんだから」


「そうなんですか……。ありがとうございます」


「さあ、外に郷長様がいらっしゃるからもう行きなさい」

 女性は優しい表情で微笑んだ。


 境内に出ると、先程の場所でまだ郷長と錦は立ち話をしてるのが見えた。


「おお、小春。手当してもらったか。大丈夫か?」

「うん、消毒してもらってきた。今日はもう安静にしてなさいって」

「そうか。なら、今日はこのまま一緒に帰ろう」

「お仕事はいいの?」

「大丈夫さ。ここには仕事を任せられる人がたくさんいるからな。というわけだ、錦もこの後の事は頼んだぞ。今日はありがとうな」

「いえ、お気をつけてお帰りください」


 錦は郷長に一礼する。小春も錦へ助けてもらったお礼を言おうと口を開こうとした時だった。視界が歪み、地面が一気に近づいてきた。




 小春は懐かしい祖父の肩越しに、昔の記憶を蘇らせていた。


 小さい頃に不思議な光景を見た。正直、もう夢か現かも定かではない記憶だった。

 お昼寝から起きると縁側から声がしていた。祖父と知らない声が二つ。


「じいじ?」

 寝起きで細くかすれた声で小春は祖父を呼んだ。


 縁側へ顔をだすと祖父は庭にいた。

 まだ咲かない梅の花に何やらつぶやくと、蕾にちょんと触れる。

 すると触れられたその花が、ふんわりと蕾を開いた。


 それがとても優しくて、あたたかくて何とも言えない幻想的な風景で、小春は言葉を失った。


「おや、小春起きたのかい?」

 その問いでふと我に返る。


「あ、あれお客さんは?」


 祖父以外の人の姿は見えず、縁側の長座布団の上には、黒猫の双葉と白猫の若葉が仲良く寄り添って丸まって座っているだけだった。

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