第五話 言霊師
「最近地震が多くて危ないから、今日はもう帰りなさい」
奥の部屋から缶箱を抱えながら先生がやってくると生徒の中心に腰を下ろした。
「先ほど郷長様から連絡があってね。考えすぎだといいんだけど、地震の被害が大きくなる前にできる準備はしておきなさいと、そうおっしゃってたわ。それで、これうちの備蓄なんだけど、たくさんあるから持って行ってちょうだい」
そう言い終わると手元の硬そうな缶のふたがガコリと開いた。中には乾燥大豆が袋にたくさん入れられている。
「ちょっと、先生? いくらなんでも大袈裟ではないですか?」
身を乗り出した楓は先生の顔を覗き込むが、先生の神妙な顔つきを見てとると、腰を元に戻して小春となずなと交互に顔を見合わせた。
その表情は、本当にこれからなにか起こるのかもしれないと思わせるのに十分だった。
「……もしかしたらすでに異変を感じてる人もいるかと思いますが、先日から続く地震と地鳴りの根源がわかりました。それと同時に、神社に奉られている御神石が割れてしまったという報告もありました。
ご存知の方もいると思いますが、その御神石は猫姫様が封印されているものです。
それが割れたということは何百年も前の昔話が、現実になりうるということです」
先生は言葉を探すようにゆっくりと現実味のない話をした。
「神社の人は大丈夫なんですか?」
小春は祖父を思い浮かべながら不安げに問いかけた。
「報告によると、神社の人々は参集殿へ避難し、一部怪我人の対応と今後の動きについての会議を取り行っているそうです。
御神石への対応は言霊師が本殿に結界を張り、被害を抑えているようです」
小春は祖父の無事に安堵したが、つい最近耳にした言葉が気になって仕方がなかった。
「今のところ、この話は地主や各団体にしか伝えられていない情報ですが、今後どうするかは各家によって相談してください。
……それと、うちは知っての通り反物を生業としているので、非情かとお思いになるかもしれませんが、物が駄目になる前に明日から都へ移ります」
「明日!?」
そこにいた生徒たちが一斉に先生の方を見て声を上げた。
「ええ、運ばなければならない物も多くありますし、なにより急な大移動となって他の方の御迷惑となるのはいけません。物が駄目になっては元も子もありませんし。
ですから、勝手を申しますが、明日から此処は休業とさせていただきます」
先生の言葉をしっかりと理解するのに、皆しばらく時間がかかった。
確か、この郷から都へは歩いて三日程だと聞いている。途中の村や町で休憩をするにも、大人数だと困ることもあるだろう。都に着いてからの事もある、早く出て損はないという判断なのだろう。
それにしても、これは夢なのではないだろうかと思いたくなるほどに、とんとん拍子で思わぬ出来事が続いていた。
先生から大豆をいただき、また逢う日まで、とあいさつを交わした。各自帰り支度を済ませたが、解散となっても皆どこか挙動不審のような、不安な様子を見せながら帰って行った。
帰り道、金木犀の甘い香りが鼻をくすぐった。
「……言霊師、か」
いつも三人が別れる橋の上で話をしていたところに小春がぽつりとつぶやいた。
それが上手く聞き取れなかったのか、不思議そうな顔をして楓が振り向いてきた。
「ごめん、なんか言った?」
「いや、言霊師って本当に存在したんだなって思って」
小春が言い直すと、少し困ったように笑いながら、なずなも話に乗ってきた。
「それ私も思った。正直、今日先生に言われたこと全部想像つかなくて。……本当に都まで避難しなければならないほどの災厄なのかな」
「まあ、昔話でも郷が全壊しかけたって聞いたことあるし、それくらいして当然なのかも知れないね」
「先生が明日から都へ避難するってことは、他の人もそうする可能性は高いよね。なずなや楓の御両親は地震の事について何か言ったりしてた?」
「うちはもしかしたらすぐに都に避難するかも。ばあちゃん、猫姫様が蘇るって予言してたし、朝から身の回りの整理してたから」
「さすがは占い師の家系ね」
三人は笑ったらいいのか、悲しいのかわからないいびつな頬笑みを浮かべ合った。
「私の家はまだわからないかな。小春ちゃんのおじいちゃんは郷長様だから残るでしょうね。あ、でも自分は残るけど、家の皆は先に避難とかさせる気もするか」
「そうね、何日かは神社の方で動き回るだろうから帰ってこないかも」
小春のその言葉から沈黙が続き、柳の葉が川の水面をぴしゃぴしゃと遊ぶように音を立てる。
いつも元気な楓が珍しく寂しそうな顔を見せ、小春となずなもただ空を見上げていた。
さわやかな風が頬に触れ、髪をなびかせて通り過ぎて行く。甘い香りが、なぜか余計に寂しくさせる。
「……私達もこのまま会えなくなるのかな」
小春が寂しげに呟くと、楓がはっとひらめいた顔をする。
「手紙! 手紙書くよ。もし郷を出ることになったら二人に手紙書く」
気づけばいつものように明るい表情に戻っている。
「そうだね」
三人は賛同し笑い合うと、いつものように家路を別れた。
一人の帰り道、小春は優しい甘い香りに、切なくも懐かしい気持ちを思い出した。
祖母と過ごした日々、あれは確か名前の書き方を教わっていた。
そこに、若葉と双葉も一緒にいて、上手く書けたと二枚の紙を猫相手に見せつけていた。
「お前のことは、この二匹が守ってくれるよ」
祖母は笑いながら猫と小春を撫でた。
あの頃は、小春もまだ身長が小さかったので若葉も双葉も大きく感じていた。
猫の毛に顔をうずめ、よくまどろんでいたものだ。
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