第四話 御神石


 境内を早足で歩く青年がいた。

 色白の整った顔立ちのその青年は、どこか神妙な顔をしている。


「最近気候も落ち着いてきたし、そろそろ少しずつ始めてもいいかもしれないな」


 丁字路に差し掛かる時、その機を合わせて横道から来たおさげの少女が、道を曲がった青年の横に並んで歩いた。


「なにをまたぶつぶつ言ってるの? その歳から独り言なんて……」

「なぁ最近、御神石(ごしんせき)の付近に人がよく行き来するのをみかけないか?」


 少女の言葉を無視して青年は問いかけた。少女はそれをさも当然のように受け入れ、問いかけられた質問に記憶を思い返す。


 御神石とは、何百年も昔にこの郷を滅ぼしかけた妖怪が封印されていると言われており、本殿の奥にひっそりと祀られている石の事である。


「言われてみればそうかも……。でもそう言う兄さんだって、ちょくちょく見に行ってるじゃない。そっちから来たってことは、また行ってたでしょ。何かあった時に疑われるよ?」

「仕方ないだろ、家系の都合だよ。逆にお前はもう少し関心を持つべきだ」


「またそうやって親でも言わない小言ばかり……気にしすぎは将来はげるよ」

「はげねぇよ」

「私はこれでも妹として心配してるんだから。一応、世間では二枚目って言われてる兄さんの将来の頭をね」

「はいはい、ありがとう」

「はあ、本当に何がいいんだか、ちょっと肌がきれいなだけじゃない。もっとこう、男らしさってのが」


「ちょっと黙れ、この音はなんだ…?」

 青年は少女の言葉を制して辺りを見渡した。


「へ?」

 急な事に間の抜けた声を出した少女も、青年と同じように辺りを見た。


 かすかに地鳴りのような音がする。

 そう少女が感じた瞬間、青年が勢いよく来た道を振り返った。


「琴音、お前は社務所の方に行って皆に避難するよう伝えろ、急いで」

 そう言って琴音の背中をおもいきり突き飛ばすと、自分は元来た道へと駆けだした。


「わっととととっ、ちょっと危ないじゃない!」


 つまずきそうになりながらも、兄の切羽詰まった表情に現状を把握し、そのまま走り出しながら叫んだ。


「兄さんも変なことしないで、早くこっち来てよね!」


 妹の声に返事もせず、青年は御神石の元へと向かっていた。

 予想通り御神石に近づくにつれて、禍々しい空気が漂いはじめているのを感じる。


 四方から木の割れる音が聞こえたかと思うと、上下左右に揺さぶられる感覚とともに地の奥深くから響き上がる轟音がする。

 すさまじい強風が御神石の方から境内に向けて吹き上げてきた。


「まずい、こんなはずでは……」


 身をひるがえす間もなく、強風に当てられる。

 踏ん張る足にも力が入らず、意識が遠くなっていった。





 青年が目覚め、体を起こすと、周りにもたくさんの人が同じように寝かされていた。場所は神社の参集殿にある大広間のようだ。

 ここに来る前までの記憶を思い出そうとするが、頭を打ったのか後頭部がひどく痛んだ。


「確か、御神石を見に行こうとして……。そうか、瘴気に当てられたのかもしれないな」


 その影響か寺の中は大騒ぎで、人々は慌ただしく行きかい、様々な言葉が飛び交っていた。


「ちょっと、大丈夫?」

 急に頭に響くような、慣れ親しんだ声が聞こえてきた。


「お前か」

「兄さんがぶっ倒れてるところを、郷長様が担いできてくれたの。ちゃんと後でお礼言っておいてよね」 


「本殿は?」

「一応、無事みたいよ。今、本殿を包むようにして結界張ってるの。だから、瘴気はとりあえずここまでは来ないみたい。ただ、話によると御神石の封印が解けたんだとしたら、結界は一週間も持たないだろうって。……ちょっと話聞いてるの?」


「……郷長か」

 青年は考え込み呟いた。


***


 先日、数珠玉を集めた小春達は、いままで作り上げていた口の開いたお手玉に、均等に数珠玉を入れて口を閉じ、一つずつ丁寧に完成させていた。


「……なんかまた地鳴りが聞こえない?」


 急に小春が訝しげに問いかけてきたが、はっと思い出したように楓が口を開いた。


「そういや、昨日も地震あったけど、いつもより地鳴り大きかったよね、聞こえた?」

「でも音に対して揺れは小さく感じたけど……。ちょっと怖いよね」


 なずなは裁縫中の手を休めることなく返答を返すが、楓はすでに縫うのを止めて話を始める様子を見せた。


「うちのばあちゃんが言ってたけど、猫姫様が蘇るんだってさ。そうしたら、この辺一帯住めなくなるって」

「住めなくなるの?」

「そう。妖怪の瘴気や妖怪の仕業でそうなるって話」


「猫神様ではなくて、猫姫様?」


「この郷の神社に奉られてる、御神石に封印された妖怪だってさ」

「封印されたってことは悪い妖怪なの?」

「それがかわいそうな妖怪なのよ」


 言葉の投げ合いをしている小春もすっかり縫う手が止まってしまっている。


「私がばあちゃんに聞いた話では、何百年も昔、美しい猫又が禁忌である人間に恋をしてしまい、人間に化けて男に近づいたの。


いい雰囲気になったみたいなんだけど、男がよく通うの花屋の看板娘もその男が好きだった。つまり三角関係ね。


ある日、男が”花屋の娘から君宛てだ”、と手紙を渡してきた。内容はいたって普通の会ってお話しましょう、ということだったそうだけど。

花屋の娘は夜に猫又を呼び出したの。

そしてその夜、お前は妖怪だから身を引け、と言って猫又を川に突き落とした」


「え、ひどい」


「そう、ひどいの。泳げない猫又は沈んでいくさなか、二人に騙されたと思い、恨みを募らせた。その恨みが呪いとなり、川を濁し郷を瘴気で満たしたの。


命からがら川から這い上がってきた猫又は、憎しみ、恨みの念からもう元の可憐な姿ではなくなってしまっていた。


そんなことも知らずに残りの力を振り絞り、最期に一目でも男に逢いたいと願った。……真相を知りたい。

もし男にも騙されていたとしても、最後に一目見たい。そう願った」


 楓はため息交じりに一息ついた。


「そして願いは叶ってしまった。その願いが届き、最期に逢えたと喜ぶのも束の間、男は顔を歪めて猫又に言い放った。


「化け物」と「悪魔だ」と。


その言葉で猫又の心は闇に染まってしまった。耐えきれない気持ちが瘴気となって溢れ出てしまったの。瘴気が郷に広がると、このままでは郷が滅びてしまう。


ここまで瘴気をまとい、闇に染まってしまった猫又の魂を浄化することはできないってことで、郷の勢力を上げて封印されたって聞いたわ」


 淡々と話し終わった楓が少し寂しそうな顔をした。


「う、恨みでかすぎない? 郷まで巻き込むほど?」

「うーん、それに、その看板娘は計画的に川に突き落とす気だったのかね?」

 なずなもここまでの話は知らなかったのか、小春と考察を話しあう。


「今までのことを恨みに変えてしまうのも切ないよね。楽しかった思い出も嫌になったってことでしょ?」

「でも、まあ。楽しかった記憶だとしても、すべて騙されて作り上げられたものなのだとしたら、私も怒りに代わるかな」

「あたしはどうだろう。怒りっていうより悲しいかな」


「でも実際のところ、昔話なんて盛られてたり、捻じ曲げられてることも多いからね」


 なずなの言葉を聞いて、確かにその通りだと小春と楓がうんうん頷いていると足音が聞こえてきた。

 反射的に手を止めていたことを思い出し、再び裁縫に取りかかった。

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