第二話 予感

 

 晩御飯の準備ができたところで祖父が帰ってきた。


 祖父はこの郷をまとめる郷長をしているが、基本的には神社のお手伝いをしているようで、狩衣のような装束に似た服をよく身にまとっている。

 片手に抱えていた上着を衣桁いこうにかけると、座卓の前にあぐらをかいて座った。


「風はいくぶん涼しくなったが、まだまだ外で動き回るには暑いな……ああ、小春。悪いんだが、お水をもらえるかい?」


 頼まれた通り湯呑みに水を汲み祖父に手渡すと、右手で礼をして一息で飲み干した。


「ああ、そうだ。今日、健治と柊平しゅうへいは仕事が長引きそうだと言っておったぞ」


 土間に向かって言うと母親が振り返り、考えるそぶりを見せた。

 健治というのは少しぶっきらぼうで素っ気ない小春の父親で、柊平は心優しい兄である。


「結構遅くなりそうなら、お弁当でも届けた方が良いかしら?」

「そこまでするでもないだろ。腹が減りゃすぐ帰ってくるさ」


 それもそうね、と母親はまな板に向き直り漬物を切る手を動かし始めた。


「おかわりはいる?」

「いや、大丈夫だ。ありがとう。ばあさんに花を摘んできたからな、萎れる前にあげにゃならん」


 祖父の手を見ると千日紅の花が数本握られていた。赤色と紫色、そして白色の三色の真ん丸い花が、それぞれ花茎にちょこんと乗っている様が可愛らしい。


「まだ咲いてたんだね。最近もう見ないから、もう時期は終わったのかと思ってた」

「山の脇に咲いておったから少し分けてもらってきたんだ。生前ばあさんが好きな花だったんだ」


 嬉しそうに千日紅を見つめる祖父を見ると思わずほころんだ。


「すぐご飯できるから、終わったら戻ってきてね」


 小春は土間に戻るとお椀を出して味噌汁をよそいはじめた。



「そろそろ風鈴も片付けないとね」


 風鈴が心地よい音を奏でているのを見上げて、小春が名残惜しそうにつぶやいた。

 一襖分程開けてある縁側の扉から夜風が吹き込んできていて気持ちがよかったので、食べたお皿もそのままにくつろいでいたところである。

 好物のさんまに買ってきた大根をたっぷりとかけて、贅沢にいただいた幸せな余韻に浸りながら少し目を閉じていた。


「そろそろ食器を片付けなさい」


 母親の呆れた声に返事をしようとした矢先、太ももに小さな感触を感じて見てみると若葉がさんまの残骸を狙っていた。そろりそろりと手を伸ばしていたので、構わず横目でぺしと軽く頭をはたいた。


「あんたさっきお母さんからもらってたでしょう? あたし見てたんだから。それにあたしのお皿には骨と尻尾しか残ってませんよ」


 火花を飛ばすように若葉と見つめあってると、母親が小さく驚きの声をもらし、祖父が笑い始めた。

 何事かと思い若葉から目を離すと、反対側から双葉に枝豆を持っていかれた。双葉と目が合うと、いかにもしてやったりというような顔をされたので敗北感を味わう。


「ほら、猫に狙われるから早く片付けましょ」


 母親は茶碗やお皿を分けるとお盆に乗せていった。

 祖父も身近のお皿を乗せると、部屋から持ってきていた瓦版と眼鏡を取り出し読み始める。


「小春、あんた明日も手習いの日よね?」

「そうだよ。何かすることあるの? あ、お盆はあたしが持ってくよ」


 お盆を持って立ち上がろうとした母親を制してお盆を受け取ると、小春は流し場へと持って行った。

 母親は微笑みながら礼を言うと、座卓を拭きはじめる。


「明日は朝早くから出掛けないといけないから、あんたに戸締りを頼もうと思って」

「そうなんだ、集会かなにか? まあ、それなら出掛けにでも机に鍵を置いておいてよ」


 そう母親に告げ、お皿を洗おうと布巾に手を伸ばすと、洗い物を入れた水桶に波紋が走った。


 いつもなら気にも留めない事だったが、何かが不自然だった。


 流しにぶつかってなどいないし、蛇口から水が垂れた気配もなかった。不思議に見つめていると、また何もなしに水桶に波紋が走る。


「どうかしたのかい? 急に返事にも答えずに固まったりして」


 首をかしげながら土間に下りてきた母が小春の顔を覗き込んだ。


「あ、ううん。今、地震とか無かったよね? なんか違和感があって」

「いや、ないと思うけど。疲れてるんじゃない? 洗い物は私がやるから、あんたはお風呂に入って早く寝なさい」

「うん、ありがとう。そうする」


 小春はもう一度水桶を見たが、波紋は起きなかった。


「ちゃんと温まるのよ」


 布巾を手渡すと、母親は小春の肩を撫でた。

 違和感はすごく気になったが、母の言葉に甘えて今日は早く寝ることにした。

 


 翌日、小春は裁縫の手習い処で友達のなずなと楓の三人で和気あいあいと話をしていた。


「日なたはいいなぁ、あったかくて気持ちがいい」

「春ちゃんはいつもそれ、今日は暑くない?」

「いやいや、これくらいが気持ちいいのに。家の猫とか見てると、つい眠くなっちゃってさ」


 楓とは家も近く、幼いころからの付き合いで、何かと面と向かって言い合える仲である。

 この手習い処に通うことになったのも、楓が嫁入りに向けてしっかりと裁縫を習いたい、と言い始めたのをきっかけに小春も便乗して一緒に習いに来ているのだった。


 なずなとはその時にこの手習い処で出会ったのだが、年上の品と博識なところに興味を惹かれた。勇気を出して話しかけてみたところ、意外にも相性が良く話がはずみ、今では三人一緒にいることが増えてきているのだった。


「口もいいけど手もちゃんと動かしなさいね」


 最近白髪の増えてきた先生が、奥の部屋から布の端切れを手に部屋へ入ってきた。


 この手習い処は先生の家の一部屋を使っているため、急な来客などがあると先生は「ちょっとごめんね」と言いながら家中をパタパタ動き回るのである。


 実際、一部屋といってもこの家は地主であったので、十名の生徒が浴衣を広げて作業しても平気なほど広かった。

 班を分けているわけではないのだが、自然と話の合う人たちでまとまって作業をしているので、一か所づつ丁寧に先生がまわって生徒たちに助言をしている。


「ここはもう少しこうして……」


 一通り私たちの作業を見ると、先生は時計を見やり慌てた様子で立ち上がった。


「ちょっと急ぎの用事が出来ちゃったから先に出ちゃうけど、時間になったら上がっていいからね」


 生徒たちがお礼を述べるなか会釈と笑顔を残し、先生は裾をなおしながら奥の部屋へ消えて行った。しかし、すぐになにやらパタパタと足音が戻って来た。


「忘れてた! 明日そこの三人に数珠玉を採って来てほしいから、各々身支度してきてくださいね」

「はい、わかりました」


 先生は顔だけ出して小春達に向かって叫ぶと、またいそいそと去って行った。案外おっちょこちょいな人なのである。


 ちなみに今、小春たちが作っているのは、郷で行われる秋の商工祭りに出品するお手玉だ。


「ついに私達の番がまわってきたのね。そうだ、もうこの気候なら夕立の心配もないし、今日の帰りにあんみつでも食べ行かない?」


 もうすぐ手習いの時間が終わりに近付いてきたので、そわそわした楓が提案してきた。その嬉しそうな顔を見て、なずなが少し意地の悪そうな顔を浮かべて楓の横腹をつついた。


「楓はきっと明日もなにかと理由をつけて、甘いものを食べに誘ってくるね、大野屋のぷりんを賭けてもいいよ」


 大野屋とはこの辺りの甘味屋の中でも珍しくプリンを取り扱っており、それが格別においしい、と評判のお店である。あんみつや団子に比べて値は張るが、食べて後悔するものではない。


 いままでの楓の性格を見るに、明日は外での作業なので「疲れたからこのまま甘味屋に寄って帰ろう」と言いだすに違いない。そう思い、小春もなずなの賭けに乗ることにした。


「それって私が言いださなきゃ私の勝ちってことよね? いいわよ! 代わりに二人にぷりんをおごらせてやるわ」

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