13. 後輩を育てる時にやってはいけないこと

(SE:上演開始のブザー)

アナ「本日は、当劇場にお越しいただき誠にありがとうございます。大変長らくお待たせ

いたしました。これより『私と先輩が結婚すべき理由』第13話【後輩を育てる時にやってはいけないこと】を上演いたします。最後まで、ごゆっくりご鑑賞下さい」


正嗣「それは洗濯してなかったやつか……」


薫「ええ。昨日脱ぎっぱなしにしてたやつで……」


正嗣「ちょっとは恥ずかしそうにしろよ羞恥心はないのかお前は」


薫「だからケツの下に隠してたじゃないですか。もう見られたから恥ずかしいも何もないですよ……ていっ、」

 

正嗣「お前は小学生男子か!……下着はちゃんと洗濯ネットに入れろ。じゃないとすぐ痛む」


薫「なんで先輩は女の子の下着の扱いまでご存知なんですか?」

正嗣「常識だろうが……」


薫「ふむ……さっきも言いましたが、これはブラです」


正嗣「うるせーよ、早くネットに入れろ」


薫「はい……では先輩、ご指導よろしくお願い致します」


正嗣「……おう」

 

正嗣N:こうして、俺と設楽の家事教室の授業が始まった。花嫁修業、と言えなくもないが……

 

薫「……先輩?」


正嗣「……」


薫「何か?」


正嗣「……いや、何でもない」

 

正嗣N:こいつ、結婚して主婦なんて出来るのかね……例え共働きであっても、妻の方が家事の配分が夫より多い昨今……こいつは幸せな結婚生活を送ることが出来るのだろうか……?

 

正嗣「いいか設楽。洗濯はいかに素早く、そして手を抜いて楽をするかにかかっている。基本は大雑把。これで行け。ただしこれだけは注意しろ。柄物(がらもの)や色物と白地の服を一緒に洗濯するな」(後ろで設楽ふむふむ)


薫「了解です」


正嗣「他にも気をつけるべきことはあるが、まずはそれだけ覚えろ」


薫「承知しました」


正嗣「よし。スイッチを入れて、洗剤投入だ」


薫「了解しました。分量は?」


正嗣「箱に書いてあるが、分からなければとりあえずスプーン一杯と覚えろ」


薫「……スプーン一杯とのことですが……どの程度入った『一杯』なんでしょうか。スプーンには『60リットル』『80リットル』とかの目安の線がありますが……私の洗濯機の容量は……」


正嗣「細かいことは気にするな。今のお前にはスプーンのその機能を使うには、知識と経験が足りない。スプーン半分以上入っていれば、それで充分だ」


薫「とは言っても先輩。」


正嗣N:余計なことを気にし始めたな……だいたいこいつは、なんで家事になると仕事の時みたいにうまく立ち回れない?仕事の時のこいつなら……

 

薫: ――細かい数字は気にしなくていいです。

  とりあえずスタートして、あとで調整しましょう。

 

正嗣N:そうやって新しい仕事に取り掛かるはずだ。事実、そんな設楽を俺は何回も見てきた。それなのに、だ。今は細かいどうでもいい部分を気にして、まったく先に進まない。


正嗣「……おい設楽」


薫「なんですか?」


正嗣「下着はキチンと洗濯ネットに入れたな?」


薫「はぁ」


正嗣「入れてるんだな」


薫「まぁ……」


正嗣「そうか、なら貸せ」


薫「あっ……」

 

正嗣「設楽」


薫「はい」


正嗣「お前には任せてられん。掃除も俺がやる」


薫「ちょっと待って下さい。私は先輩に教えてほしくて……」


正嗣「俺がやったほうが早い」

 

正嗣N:このまま設楽に付き合ってちんたらやっていては日が暮れる。俺は呆気にとられる設楽を残し、居間に戻ろうとする。

 

薫「あれ先輩。ここで待たなくていいのですか」


正嗣「待つ必要はない。終わればこいつは勝手に止まる。そしたら干せばいい」


薫「洗濯機の中、見ていたかったのに……」

 

正嗣N:こうして俺は、設楽を置いてけぼりで、なぜか設楽の家の掃除をするという、自分でもよく分からない行為に勤しんだ。……まずは居間のゴミを片付け、適当に整頓し、片付ける。たくさんのゴミ袋を抱え、エレベーターを待つ間、『貴重な休みに一体俺は何をやっているのか』という虚しい疑問が頭をかすめたが、首を振って、その悲しい疑問の答えを考えないように気を配る。でなければ、考えただけで涙が出てきそうだ。ゴミ出しと居間の整理整頓が終わったら、次は……

 

正嗣「おい設楽、掃除機はどこだー」


薫「こちらに」

 

正嗣「モップはあるか」


薫「そんな気が効いたものが我が家にあると思いますか」


正嗣「雑巾でかまわん」


薫「それならこちらに」

 

正嗣N:くそっ……掃除ができないくせに、いっちょまえに吸引力の変わらないただ一つの掃除機なんぞ使いやがって……。


掃除機を掛け終えたら、次は廊下と居間の雑巾がけだ……しかし、居間には設楽がいる。

 

正嗣「設楽、ちょっと廊下に出てろ」


薫「えー……」


正嗣「洗濯機の中を見てるのが好きなんだろ? 存分に覗いてこい」


薫「……」

 

正嗣N:居間の雑巾がけが中盤に差し掛かった頃、脱衣所からとてもリズミカルなメロディが流れた。千葉県にある夢の国の電気的パレードで流れてきそうな、そんな夢と希望あふれるメロディが、俺の胸に悲哀を届けてくれる。

 

薫「先輩」

 

正嗣「なんだ」


薫「洗濯が終わりました」


正嗣「俺は今雑巾がけで手が離せん。干すのはお前がやれ」


薫「はい」


正嗣「下着は寝室にでも干せ。男の俺が居間にいたら、そっちのベランダに持っていくのは気がひけるだろう」

 

正嗣N:俺としては一応気を使ったつもりなのだが……設楽は何かぶつくさと文句を口走った後、洗濯物満載の洗濯カゴを抱え、脱衣所から出てきた。

 

正嗣「いだッ?!」


薫「あ、すみません」

 

正嗣N:ベランダへ出るために居間を通り抜ける時、四つん這いの俺のかかとを踏みつけていく設楽。設楽のやつ……口では謝罪していたが、その口ぶりからは、とても謝罪をする気があるとは思えない。

 

薫「先輩、干し終わりました」


正嗣「こっちも終わったぞ」


薫「ホントですね……とてもキレイになりました」

 

正嗣「これで掃除と洗濯は終わったな」


薫「色々教えてもらいたかったのに……」


正嗣「俺がやったほうが早いと言っただろ。お前に教えながらやってたら、今頃はまだやっと掃除機をかけはじめていた頃だぞ」


薫「……」

 

正嗣「んじゃそろそろ飯にするか」


薫「っ!ということは先輩、今日もお弁当を作ってくれたんですか?」


正嗣「作るわけがないだろう。俺はお前の電話を受けてすぐこっちに来たんだから」

 

薫「ずーーーーん」

 

正嗣「キッチンはこっちか?何か食材はあるか」


薫「ありません」


正嗣「やはりそうか………おい設楽、俺はこれからスーパーに行く」


薫「はい? スーパーですか?」


正嗣「そこで適当に何か昼飯を買ってくるから、お前はテレビでも見ながらだらけて日々の疲れを癒やしているといい」

 

薫「ちょっとまっ……」



正嗣N:と俺の背中に声をかける設楽を無視し、スーパーへと買い物へ行った俺は、生鮮食品を中心にかなりの量の食材を買い込んできた。その総額、およそ3万円。さすがにこれだけの量を持ち帰るのは、骨が折れた……。


(息切れ)

 

 

薫「……先輩、一体どれだけ買ってきたんですか……」

 

正嗣「どれだけって……食材を買えるだけ買ってきたに決まってるだろ……ッ」


薫「なんでまたそんなにたくさん……」

 

正嗣「お前が食材などないとほざいていたから、しばらくもつように色々と買ってきたんだろうが!!」


薫「……」

 

正嗣N:俺の姿を見て、設楽の鼻がなぜかぷくっと膨らむ。一体何がそんなにうれしいのやら……。

 

薫「でも先輩」


正嗣「あン?!」


薫「お気持ちはうれしいのですが、私はお料理など出来ませんが」


正嗣「あ……」

 

正嗣N:忘れていた……ノリノリでたんまり買い物をしてきたのはいいが、肝心の設楽自身が料理が全くできないことを忘れていた……。

 

薫「……」


正嗣「……」


薫「……先輩、とりあえずお金はお返しします」


正嗣「……いや、可愛い後輩への餞別だ」

 

正嗣N:俺の粋(いき)なはからいに対し、設楽は返事の代わりに、鼻をぷくっと膨らませる。


薫「お腹が空いたので早くなにか食べさせて下さい」

 

薫「残していてもしょうがないですし、何か別の料理も作って下さい」


薫「ついでに今晩の晩御飯も作って下さい」


正嗣N:立て続けにお願いされ、言われるがまま、俺はそのままキッチンに立ち、買ってきた食材を片っ端から調理していく……。

 

薫「うわー先輩、3ついっぺんに料理を作ってるじゃないですかーすごーい」


正嗣「うるさい気が散る」


薫「先輩ひどいですね。かわいい後輩が称賛を送っているのに」

 

正嗣N:そうして、黙々と何品かの冷凍おかずと常備菜を作り上げ……気がつくと、夕方六時前。

 

薫「先輩、お腹がすきました。そろそろ晩御飯を」


正嗣「出来とるわ!お前は俺の息子かッ!俺はお前の母ちゃんじゃないぞ!!」


薫「だって今の先輩、どう見ても私の親そっくりです」


正嗣「うるさいわ!」

 

正嗣N:今晩のメニューはカレーだ。カレーとご飯を盛りつけ、居間へ運ぶ。

 

薫「いい匂いですねー……」

 

正嗣N:すでに居間のテーブル前で、例の座椅子に座って待っている設楽の鼻が、ぷくっと動いた。

 

正嗣「なんだカレーが好きなのか」


薫「そういうわけではないですが」


正嗣「そうか。でもカレーはいいぞ。この作り方が分かれば、ルウを変えればシチューになるし、ルウの代わりに出汁と醤油その他で作れば、具だくさん汁に早変わりだ」


薫「なるほど」


正嗣「作り方も簡単だ。適当に具を切って鍋で煮れば出来る。本当は色々と手順はあるが、最悪それでカレーは出来るからな」


薫「ではそれを手取り足取り優しく私に教えてください」


正嗣「今教えただろっ」


薫「えー……では先輩、いただきます」


正嗣「おう……どうだ?」

 

薫「……おいひいれふ」

 

正嗣N:そう答える設楽の鼻は、やっぱりぷくっと膨らんでいた。

 

薫「おいひいれふ。へんはいのふふっへふれふぁはへー、おいひいれふ」


正嗣「残りは明日にでもまた食べろ。冷凍うどんも買っておいたから、それ使ってカレーうどんにでもすればいい」

 

正嗣N:唇の端っこにカレーをつけて鼻を膨らませたまま食べる設楽を見ながら、俺は思う。憤ったり情けない気持ちになったりと、今日は一日中感情がせわしなかったが、本人が喜んでいるのなら、まぁいいとしよう。……しかし、こいつのダンナになるやつは大変だな……こいつとの結婚を希望する男は、かなり高いハードルを越えなきゃならんわけだ。こいつは一体、どんなヤツを選ぶんだろうな……設楽のクソTの『ふつう』の文言が、妙に、俺の心に突き刺さった。

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