12. どうやって生きてきたんだお前は

(SE:上演開始のブザー)

アナ「本日は、当劇場にお越しいただき誠にありがとうございます。大変長らくお待たせ

いたしました。これより『私と先輩が結婚すべき理由』第12話【どうやって生きてきたんだお前は】を上演いたします。最後まで、ごゆっくりご鑑賞下さい」


休日。朝早くに目覚めた俺は、天気のいい外の空気を吸いたくなり、パジャマ姿のままベランダへと出た。

 

正嗣「おお……今日はまたいい天気だなー」

 

外は突き抜ける快晴で、とても気分がいい。

今朝は久しぶりに、ラピュタパンでも食べようか。目玉焼きをサニーサイドアップに焼いて、トーストには盛大にバターを塗りたくる。熱いコーヒーもいいが、こんな気持ちいい天気の日はアイスコーヒーがいい……冷蔵庫の中の、昨日のうちに作っておいたアイスコーヒーをカップへと注ぎ、俺は天気予報とニュースを眺めながらラピュタパンを頬張った。

 

お天気お姉さん『今日一日、東海地方は気持ちのいい快晴が続くでしょう』

 

お天気お姉さんが、最高の笑顔で今日の天気を教えてくれる。久々に近所の海へとサイクリングに出かけようか、弁当は何にしようか……?そうして一日の予定を組み終わった、その時だ。

 

正嗣のスマホ: ――ててててててててててててん♪ ててててててててててててん♪

誰だせっかくのこの素晴らしい休日に水を差すのは……

 

正嗣「う……」

 

休日の朝からこの名前は見たくなかった……『設楽薫』……。見てしまったのなら仕方ない。俺は画面をタップして、設楽からの着信に出た。

 

薫『……もしもし』

 

正嗣「おう。設楽か」


薫『はい私です』


正嗣「折角の休日に一体何の用だ。俺はこれから洗濯と掃除をして、お昼のサイクリングのための弁当を作らねばならんのだ。手短に頼むぞ」

 

薫『あの、先輩……ちょっと、お伺いしたいことがありまして』


正嗣「なんだ」


薫『洗剤と柔軟剤というのは、まったく違うものなのですか?』

 

……?質問の意図が分からん。どういうことだ?

 

正嗣「おい設楽。意味がわからない。かいつまんで話せ」


薫『かいつまむも何も、そのままの意味なのですが……』

 

その後、字面だけ見れば困惑していると思われる設楽曰く、どうやらこういうことらしい……。先日の会社の帰り道、洗濯用の洗剤が切れていたことを思い出した設楽は、近所のドラッグストアへと足を運び、いつも使っている洗剤を買おうとしたそうだ。……ところが、いきつけのドラッグストアに入った所、いつも使っている洗剤は在庫ゼロの状態だったそうだ。それで、他の洗剤を買おうとしたものの、何を買えばいいか分からず……途方にくれていた所、ある謳い文句が目に入ったそうな。

 

洗剤のラベル: ――3つの効果が衣類を守る!アメリカも認めた柔軟剤!!

 

その謳い文句に心を奪われた設楽は、それを購入。今朝、さっそくそれで洗濯をしてみたものの……洗濯したあとの衣類を見てみたら、柔軟剤のふわったとした香りは漂うが、どうも、汚れが落ちてないことに気づいたそうだ。それで設楽は『ひょっとして、洗剤と柔軟剤は、実はまったくの別物なのでは……?』という疑問を抱き、俺に確認の電話をしてきたそうだ。

 

正嗣「……」


薫『というわけで、真相はどっちなんでしょうか』


正嗣「……」


薫『教えてください先輩。柔軟剤で洗濯は出来ないのでしょうか?』


正嗣「……」


薫『もしもし?通じてますか?』

 

正嗣「お前、今まで柔軟剤を使ったことないのか?」


薫『ありませんが』


正嗣「今までよく間違えなかったな」


薫『毎回、決まった洗剤を買っていましたから。今回だけはいつものヤツが切れていたので、噂の柔軟剤とやらを買ったのです』


正嗣「なんだその洗剤へのこだわりは」


薫『こだわりはありませんでしたが、同じものを買っておけば間違いはないのだと、母に教わりました』


正嗣「…………おい設楽。結論だけ言うぞ。

お願柔軟剤と洗剤は違うものだ。柔軟剤で洗濯は出来ない。以上だ」

 

薫『では、洗剤は何を買えばいいのですか?』

 

正嗣「お前がいつも買っているものを買えばいいだろう」


薫『それの在庫がないから買えなかったという話をお忘れですか?…………なので先輩』


正嗣「なんだ」


薫『先輩おすすめの洗剤を教えてください』

 

……いや、別に教えるのはやぶさかではないのだが……なんだか、悪い予感がする。たとえば、こんなようなことが……。

 

薫『先輩、おすすめの洗剤ですが、水に対する分量はどれぐらいですか?』


薫『何分ほど洗濯すればOKなのですか?』


薫『すすぎは一回でいいのでしょうか』


薫『何か干す時に、この洗剤特有の裏技みたいなのはあるのでしょうか』


薫『いい加減にアップリケをつけていただきたいのですが』

 

……そんな、どうでもいい質問の嵐が、約15秒ごとに俺の電話に飛んできそうだ……念のため、改めて確認してみることにしよう。

 

正嗣「設楽、お前、洗濯は好きか?」


薫『……』


正嗣「どうなんだ?イエスかノーかで答えろ」


薫『……のー、です』


正嗣「いつも適当に洗剤を入れるから、本来必要な洗剤の分量も分からず、『本当にこれでいいのか』と終始首をかしげながら洗濯をしているか?」


薫『いえす』


正嗣「洗濯機を動かし始めたら、洗濯がいつ終わってもすぐに干せるように、ずっと洗濯機の前で待機してたりするか?」


薫『なぜ知ってるんですか?洗濯機の回転って見ていて結構楽しいんですよね』

 

オーマイガー……設楽は、一体今までどうやって生きてきたんだ……?

 

正嗣「おい設楽。お前、今日の予定は」


薫『洗濯をもう一度キチンとやったら、部屋に掃除機かけるつもりです』


正嗣「午前中はそんなもんだな……午後は?」


薫『それで一日潰れますが』


正嗣「なん……だと……?」

 

このアホは、掃除と洗濯……しかも掃除は掃除機かけるだけ……たったそれだけで、一日を費やすというのか……?!料理はせず、洗濯もよく分からず……掃除にもやたらと時間がかかる……生活力ゼロだ。休日のあいつは一体どうやって生きているんだ?

 

薫『うう……あと一日……あと一日がんばれば……先輩のお弁当が……食べられる……』

 

そんな感じで、毎度金はあるのに、コンビニに弁当を買いに行くという発想もなく、餓死一歩手前という、よく分からない状況に追い込まれているのではあるまいな。……あいつ、大丈夫か? 一人でほっといて、大丈夫なのか? 俺の心の中に、ふつふつと使命感のようなものが沸き起こってきた。

 

正嗣「おい。今からそっちに行くから、住所教えろ」


薫『え……先輩、こっちに来てくれるんですか?』


正嗣「う…………うるさい!俺が洗剤もってそっちに行ってやるっちゅーとるんじゃ!早く住所を教えろ!!」

 

その途端、設楽との通話が切れる。『流石にまずかったか……』と若干焦ったのだが……すぐに設楽から住所のデータと、メッセージが送られてきた。

 

薫: ――お待ちしてます<スポンッ

 

設楽のこのメッセージを見て、俺は女の子の家に突然押しかけるという迷惑この上ない宣言をしてしまったのだと、ちょっとだけ血の気が引いた。だが言い出してしまった以上、ここで退く訳にはいかない。俺は準備をして、設楽の家へと向かった。

 

正嗣「……ここだよな?」

 

正嗣「ぴんぽーん。来たぞ設楽ー」


薫『空いているので、勝手に上がって下さい」

 



正嗣「……ほら。うちのストックの洗剤だ、持ってきてやったぞ」


薫「ぁあ、ありが……て、私がいつも買っている洗剤じゃないですか」


正嗣「マジか」


薫「本当です」

 

正嗣「……で、お前は今何をやっていたんだ?というか……なんだそのTシャツは」 


設楽が自分の胸元に視線を下げた。設楽のTシャツには、墨が切れ掛かった筆で力まかせに書きなぐったようなフォントで、『ふつう』と書いてある。先輩が来るというのに、クソTを着替えもせず、座椅子にあぐらをかき動く気配もない……完全にくつろぎモードだ。

 

薫「『ふつう』とあったので、これが普通のTシャツなのだろうと思い、購入しました」


正嗣「(ため息)・・・で?確か最初に聞いた予定では、今日は洗濯と掃除をやる予定だったはずだが……?」

 

薫「だって、先輩が来るじゃないですか」


正嗣「……」


薫「だから先輩が来たら、せっかくだから色々とやり方を教えてもらおうかと思いまして」


正嗣「やり方って……何のやり方だ……?」


薫「お掃除、おせんたく……それからお料理も……」

 

正嗣「教わらなければならんほど、お前はそれらができんのか……」


薫「ええ」

 

仏頂面でそう答える設楽の鼻が、ぷくっと広がった気がした。一方で、俺はなんだか段々気持ちがやさぐれてきた。職場では何事もそつなくこなし、『我が社始まって以来の天才』ともてはやされる設楽が、一転……自宅に帰れば、炊事洗濯その他もろもろの家事はできず、先輩の前でクソT姿の体たらく。

 

薫「……どうかしましたか」

 

正嗣「……ちなみにあれか。お前の部下は、お前のこの惨状を知っているのか」


薫「知りません。先輩だけです。この部屋に上げたのも、先輩が初めてです」


正嗣「……」


薫「……なにか?」


正嗣「……いや、じゃあ洗濯からやるか」


薫「では私が洗濯機をかけるので、先輩は横から指導をして下さい」


正嗣「おう。早く立て。俺を案内しろ」


薫「いや……廊下の奥のお風呂場に洗濯機があるので、先に行って下さい」


なんだ?なぜこいつは立ち上がろうとしない?

 

正嗣「早く立てって。時間なくなるぞ」


薫「どうぞお先に」


ええいっ……埒が明かない。

 

正嗣「いい加減に……ッ!」


(ほぼ同時)

薫「あ……?!」

正嗣「あ……」


薫「……先輩がチャイム鳴らした瞬間、部屋の隅っこで、見つけまして……」


正嗣「……」

 

設楽が中々立ち上がらない理由が、今わかった。こいつは座椅子に座る自分のケツの下に、洗濯機に入れ忘れたと思われる、薄水色の下着を隠していた。

 

正嗣「……つまり、普段はその辺にぽいぽい洗濯物を脱ぎ捨ててるわけだな」


薫「ち、ちなみにこれは、俗にいう“ブラ”というやつで……」


正嗣「そんなこといちいち言われんでも分かる」

 

流石にちょっと恥ずかしかったのか……設楽の仏頂面は、ほんの少しだけ目が泳いでいた。

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