10. いつもより、ちょっとだけ大きい

(SE:上演開始のブザー)

アナ「本日は、当劇場にお越しいただき誠にありがとうございます。大変長らくお待たせいたしました。これより『私と先輩が結婚すべき理由』第10話【いつもより、ちょっとだけ大きい】を上演いたします。最後まで、ごゆっくりご鑑賞下さい」




薫「……申し訳ございませんでした」

 


正嗣N: 珍しいこともあるもんだ。あの社内随一の稼ぎ頭にして稀代の仏頂面女の設楽が、ハゲ課長に頭を深々と下げている。

 


課長「……いや、今回の案件はキミでも難しいとは思っていたが……」


薫「……」


課長「まぁこればかりは仕方ないな。また明日からがんばってくれ」


薫「……本当に、申し訳ございませんでした」

 


正嗣N: ぽそぽそとそんな会話が聞こえ、設楽は再び深々と頭を下げる。設楽もどうして事務所で……みんなの前で頭を下げるかね……謝罪なら、みんなの目のないところでやらなきゃ、皆に注目されるだろうに……。

 


課長「では私はこれから出かけるから。キミも昼飯でも食べるといい」


正嗣N: 課長は頭皮を必要以上に輝かせて俺達の網膜にダメージを与えつつ、右手をしゅたっと上げて事務所を出ていった。

外面だけ見ればいつもの仏頂面だが……俺には分かる。ヤツの仏頂面に、いつもの勢いがない。目が死んでいる。(薫、後ろでため息をつく)

 


設楽の後輩「係長、そろそろ飯にでも行きませんか?」


薫「……すみません。みなさんで行ってきて下さい」

 


正嗣N: 気を利かせたのだろうか。設楽の後輩にして部下の好青年が、設楽をランチに誘っていたが……あの仏頂面はそれを断っていた。

 


設楽の後輩「……分かりました」

 


正嗣N: あの後輩の子も不憫だ。設楽のことを気遣ってランチに誘ったのに……あの仏頂面の迫力に押されて負けたか。すぐに退散し、仲間内でランチに出かけたようだ。

 


正嗣「……」

 


事務所内の社員一同が次々とランチに出かける中、俺は自分の弁当をカバンから取り出す。

 


正嗣「……あれ?」

 


正嗣N: 気付くと設楽がいない。俺は、再度自分のカバンの中を覗きこんだ。実は……俺のバッグの中には、弁当箱がもう一つ、入っている。数週間前から設楽は、ある大きな案件を抱えていた。設楽いわく、『もし受注することができれば、むこう10年は売上に困らないレベル』の案件……そんな、とんでもない大チャンスだった。

設楽は朝早くから出勤し、夜は終電寸前に帰る。一日中、机にかじりつき、情報収集や資料作成……連日の戦略会議に先方との打ち合わせ。……昼飯をゆっくり食べるどころか、仕事の片手間で惣菜パンを食べなきゃならんほどの一人繁忙期……それが、この数週間の設楽だった。もちろんその間、俺との昼食の時間はほぼなかっただが……

一度だけ、奇跡的に昼飯を一緒に食べることが出来た。

 


薫「(疲れ気味)最近、先輩の卵焼きを食べてないのですが」


正嗣「だなぁ……」


薫「私の心が卵焼きを欲しているのですが」


正嗣「そうか。まぁ食べろ」


薫「……ありがとうございます」

 


正嗣N: 設楽は、いつもに比べて、ややお疲れ気味の仏頂面を見せていた。……で、その時に、設楽からお願いされたことがあった。

 


薫「……あの、先輩」


正嗣「おう」


薫「今の仕事が無事に成功したら、先輩からご褒美を頂きたいのですが」


正嗣「なんで俺が……そんなに辛いのか?」


薫「辛くはないですが、中々にハードな毎日ですから、自分を奮いたたせる意味でも、ハードルを超えた時のご褒美がほしいなと(疲れてること忘れないように)」

 


正嗣N: まぁ気持ちは分からなくもないが……なぜそれを俺に催促するのか。自分へのご褒美なら、すべてが終わったあとに自分で買うなり作るなりすればいいではないか。


……設楽の方を見ると、その横顔はやはり、いつもと比べて勢いがない。

正直なところ、俺には仕事の重圧というのはよく分からん。しかし……ハァ……こういうことはあまり好きではないのだが……かわいい後輩のためだ。たまには先輩として、一肌脱いでやるとしよう。


 

正嗣「おい設楽」


薫「なんでしょうか」


正嗣「お前、好きな食べ物とかあるか?」

 


正嗣N: ……こいつの座高が、『ピコン』という音とともに、少し伸びた気がした。


 

薫「ご褒美をいただけるのですか」


正嗣「いいから好きな食べ物を言え」


薫「で、では……」


正嗣「……?」


薫「あ、あの……」


正嗣「なんだ?」


薫「な、なんでも、いいのでしょうか」

 

正嗣「かまわん。常識の範囲内でなんでも好きなものを言え。常識の範囲内でだ」


薫「では……」


正嗣「……?」


薫「では先輩……」


正嗣「なんだ」


薫「……メニューはお任せしますから、お弁当を作って下さい(覇気が戻る)」

 


正嗣N: なんだそれでいいのか……と若干拍子抜けしつつ設楽を見ると、目に少々覇気が戻り、その鼻はぷくっと膨らんでいた。



正嗣N: ……そんなやり取りがあり、俺は今日、アイツのために弁当を作ってきてやったのだが……。

 


正嗣「結果的に約束は守れなかったか……」

 


正嗣N: ……肝心のアイツが、案件を成功させることができなかったとは……。しかし、このまま無駄にしてしまうのも食材に申し訳がたたん。俺は設楽用の弁当と自分の弁当を持って、何処かへと消え去ってしまった設楽を探す旅へと、出かけることにした。

 


正嗣「……屋上にでも行ってみるか」

 


正嗣N: 右手に自分の、左手に設楽の弁当箱をぶら下げて、屋上に上がると…… 

いやがった。屋上入り口から少し離れた灰皿そばのベンチで、こっちに背を向けて一人で空を見上げてやがる。一人で屋上で空を見上げる……なんてテンプレートな落ち込み方をしてやがるんだ。

 


正嗣「おーい設楽ー」

薫「……先輩(ハイライト消えてる)」

 


正嗣N: 俺の声に気が付き、こちらを振り返る設楽の顔は……ハイライトが消えた死んだ目をしてはいるものの、まぁ、表情そのものはいつもの仏頂面だ。俺は設楽の隣に腰掛け、仏頂面女の膝の上に、設楽用の弁当をぽんと置いた。

 


正嗣「ほれ食べろ。約束だったろ。お前の昼飯だ」


薫「……いりません」


正嗣「食べろって」


薫「だって……私は、失敗しました」


正嗣「いいから食べろ。じゃないと今日の分の食材が無駄だ。俺は勝手に食べるからな」

 

薫「……では先輩」


正嗣「おう」


薫「いただきます」


正嗣「おう」


薫「……普通ですね。いつも通りだ」


正嗣「何が普通だ。俺がせっかく丹精込めて作ってやった弁当に失礼なことを……」


薫「……ですね。すみません」

 


正嗣N: 意外に素直に謝るあたり、やはり今日の失敗は少々堪えたようだな……まぁいい。説教なんぞする気もないし、する資格もない。慰めるってのはもちろん、元気づけるってのも、なんか違う。

 


正嗣「いいから早く食べろ」


薫「はい」


正嗣「……(弁当を食べている)」


薫「……」


薫「……おっきいですね」


正嗣「ん?」

 


正嗣N: 設楽が卵焼きを箸でつまみ、ジッと眺めていた。今日の卵焼きは、いつもよりも大きく作っている。それに気付くぐらい、こいつは俺の卵焼きに慣れ親しんでいることに、今更気づいた。

 


薫「卵焼き、いつもより大きく作ってくれたんですか?」


正嗣「おう。いつもなら一人頭卵一個使ってるんだが、今日は大奮発で、俺とお前の二人分で卵を三個使った」


薫「三個……」


正嗣「喜べ。今日のお前の分は、卵一個半の卵焼きだ。その分いっぱい食べられるし、何より一切れが大きい」


薫「……」

 


正嗣N: こいつはひとしきり卵焼きを睨みつけた後、それを口に運んだ。そしてその直後、鼻がぷくっと膨らんでいた。

 


薫「……口の中が、いっぱいになりまふ」


正嗣「そらぁ今日の卵焼きはデカいからな」


薫「めちゃくちゃおいひいれふ。……おいひいれふ」


正嗣「ならよかった。わざわざ卵を三個使った甲斐があったよ」

 


正嗣N: どうやら、卵焼きは美味しかったようだ。こいつの鼻がそう語っている。これでちょっとでも気持ちが上向いてくれれば、悩んだ末に、断腸の思いで卵を三個使った甲斐がある。

 


正嗣「……ん?どうした?」


薫「今日は素直に私の称賛を信じてくれるのですか」

 

正嗣「ふんっ。ああ。だってお前、本気で嬉しいんだろ?」


薫「はぁ」


正嗣「なんだその間の抜けた返事は」


薫「だって……いつも先輩、『その仏頂面で言われても信憑性に乏しい』とか言うじゃないですか」


正嗣「言うなぁ」


薫「だったら、なんで今日は、私が本気で喜んでるって思うんですか」

 


正嗣N: ……どうやらこいつは、自分のクセに気がついてないらしい。俺も最近になって気付いたのだが……この、稀代の仏頂面女の設楽は、本気で嬉しい時や本気で楽しい時、鼻の穴がほんのちょっとだけ、ぷくっと膨らむクセがある。

 


正嗣「……ぶふっ」


薫「?」



正嗣N: こいつは俺の卵焼きを食べて、鼻がぷくっと膨らんでいた。……ということは、こいつは今、本気で卵焼きが嬉しいんだ。その、ぷくっと膨らんだ鼻が、何よりの証拠だ。

 


正嗣「ぶふふ……」


薫「なんですか気持ち悪いですね」


正嗣「なんでもない。早く食べろよ。昼休みがなくなるぞ」


薫「……はい」

 


正嗣N: 設楽は珍しく素直に俺の言うことを聞き、次の卵焼きを口に放り込んでいった。その瞬間、仏頂面女の設楽の鼻がぷくっと膨らんだことを、俺は見逃さなかった。

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